36話 えっちなのはいけないとおもいます
諦め感の強い空気が広がってきたあたりで、ザギルが立ち上がった。
部屋でるのかな。私も訓練場行きたい。ちょっとそろそろ本当に吐く。なんなら吐いてから訓練場行きたい。
「ところでよ、お前すげぇ顔だけど」
「その言い方はどうなの」
「ここにいんのは、全員お前の大切なお仲間ってことでいいんだな?」
「うん」
私がすごい顔なこととなんの関りが。すげぇ顔ってなによ。
ザギルは脱力したような歩き方で、黒く艶光りする大きなローテーブルを回り込んで私の目の前に立つ。
「俺の顔みてりゃ不当でも不利益でもねぇし裏切ってないのわかるからな? 裏切りの紋は出ねぇ。特に氷壁、お前ちゃんと見とけ」
「……場合による。魔力交感はいらんぞ」
「なんでお前が決めるんだよ。しねぇけど」
魔力交感ってあれだ。前にザギルに古代遺跡にやられたあれだ。
確かにザザさんが決めるのはおかしいといえばおかしい。でもちょっとにやけそう。
ザギルはソファに埋もれている私に覆いかぶさるように身を屈めて。
「―――喰うだけだ」
左手で私のうなじを引き寄せ、右手は私の下腹部にあて、厚めの唇が私の口をふさいだ。
◇
いや、まあね? 確かに先日はいきなりのことでしたし未知の経験でしたし動揺もうろたえもしましたけども。
いくらブランクあるとはいえ、そしてちょっと言えないくらいに経験値が低いとはいえ、さすがにこの年では、そんな、せせせ接吻程度で恥ずかしがったりはしませんよ、ねぇ、そんな。
というか、年取ると恥ずかしがることがかえって恥ずかしいなんて見栄もあったりするわけで。
ましてや私を見おろすザギルの瞳は、冴え冴えと冷ややかな観察者の眼。オパールのような虹色の光彩。そりゃあこちらもすっと冷える。
「―――っ」
こじあけられた口内に滑り込んだ舌が、えぐるように上顎を舌下をなぞっていく。
唾液をすくいとりながら、最後に唇をなぞり、ちゅっと軽い音をたてて離れた。
自分の唇もぺろりと舐めて、うん、とザギルは謎の頷きをする。
それにしても……ちょっと濃いかな? 濃いな? まあそれはおいておいて。
「おやぁ?」
つい漏らした私の声に、凍ってた部屋の空気が動き出した。
ダンッとローテーブルを乗り越えてザザさんがザギルに手を伸ばし、ザギルはそれをバックステップで躱し、回り込んだ幸宏さんをさらにサイドステップで回避。
「待て待て待て。顔見ろっつったろ。裏切ってねぇだろが」
「あー、二人とも待ってください。落ち着いて」
私が制止すると二人は飛びかかる寸前の姿勢で、顔だけこちらに向けた。いや怖いてその顔。
「ザギル、何したの?」
「余分な魔力喰ったんだよ。治ったろうが?」
「うん……治った……吐き気も怠いのもない」
すっきりだ。ここ数日悩まされていた具合の悪さがいきなり完全に消えてる。疲労感だけはまだ多少あるけど。
「何を―――お前、『魔力喰い』持ちか!?」
「普段どんな生活してっか知んねぇけど、普通にしてりゃ数日はもつんじゃねぇか。反動で回復スピードあがらない程度になるようにおさえたしな。まあ、崩れてもまた喰えばいい」
「カズハ、どう?」
「うん。すっきり」
「本当なのね……『魔力喰い』なんて初めて会ったわ……」
私の額に手をあてて、確かに魔力量の変化を感じたのかエルネスが納得している。
「あなた、ザギル、適量に抑えられるってことは、魔力量を可視化なりで確認できてるってこと? しかも適正値までわかると?」
「見えなきゃ喰えねぇだろが」
「カズハの状態は前例のないものよ。それを一見で原因を見抜いて対処もできるってどういうことよ」
「ああん? 顔色と魔力量見りゃわかるわ」
「ちょっとあなたうちで働かない?」
「やだね。顔近ぇよ」
「カズハっあんたなんかいってやってっ」
「や、本人ヤダって言ってるし……」
「神官長黙って。何故申告しなかった。審査や検査の時に持ってる能力は申告するように命じられたはずだ。しかも検査すり抜けたってことは結果以上の能力持ちだな」
「馬鹿か? お前らはただの取引相手だったんだ。手札をそうそう明かすかよ。主サマのお役に立とうとしたんじゃねぇか。褒められていいとこだぞ」
「そっか。ありがとう」
「カズハさんもちょっと黙ってください」
「あっはい」
「本当に体調良くなっただけですね? ほかにおかしなところも感じませんね?」
こくこくと頷いてみせる。黙ってろていうし。
「……他に何もしてないだろうな」
「本人がされてねぇっつってんだろが」
迷いながらもザザさんは、それでも構えた右腕を不服げに降ろした。幸宏さんも体から力を抜いて一歩下がる。見回せば翔太君は真っ赤になって口をぱくぱくさせてるし、あやめさんも真っ赤に……杖、顕現させて構えてるし。しまって? それしまって? 礼くんは目をまんまるにして、私のひざ元で完全にフリーズしてた。
「か、和葉ちゃ」
「ん?」
「和葉ちゃんあいつとケッコンするの!?」
「しないよ!?」
「はあああああ!?」
「しない!? ほんと!?」
「だいじょうぶ! しない! しないしないしない!」
「なんだおいどうしたんだあいつって、うぉおおおお!」
立ち上がると同時に弾けたような速さで襲いかかった礼くんの拳も蹴りも、僅差で躱すザギル。次々障壁を出しては瞬時に割られているけど、よく見れば障壁に角度をつけて押し返しつつ受け流してる。
これみたことあるわー。カンフー映画でみたことあるわー。障壁はなかったけど。映画には。
パンパンパンと小気味よい音を立てて打ち込まれる拳や繰り出される蹴りを払いつつも、二人の立ち位置は動かない。
礼くんのスピードは勇者陣の中で私に続くものだけれど、いかんせん攻撃は素直でまっすぐすぎる。それでも騎士団の中ではザザさんくらいしか対抗できない。
強いとは思ってたけど、ザギルの体術はもうちょっと上方修正して認識しておくべきなんだろう。今まで防御ばかりで攻撃は見せたことがないけれど、逆にいえば攻撃をしなくても防御し続けられるほどの技量があるってことだ。
「むぅーー」
礼くんのスピードが更にあがると、さすがにザギルも焦りの色が強くなってきた。
「う、ぉっ、やべ、なんだおまえ、ちょ、こいつなんとか」
「あ、ごめん、見とれてた」
「ふざけんな! とめろ! こいつとめろ!」
「れ、礼くん、ストップ! 待って! ストップ!」
礼くんの背中にしがみついて、軽く重力魔法の力もかりて引き止める。
「だって! ケッコンしないのにこいつちゅうした! そんなの駄目なんだよ!」
「お、おおう!?」
「そうねっ確かにっ! でもほらっあれはちゅうじゃないからっ」
「……ちがうの?」
「う、うん。ほら、あの、人工呼吸、みたいな? 人工呼吸って知ってる?」
「……うん。ちゅうと違う?」
「違う違う。ほら、治ったし。具合悪かったの治ったよ。ね? 顔色も戻ってない?」
そおっとソファに誘導して腰かけさせてから、礼くんの手を私の目元にもってきて触れさせると、ふくれっ面のまま抱きついてきた。
「あんなのとケッコンしちゃやだ」
「しないから。だいじょうぶ」
柔らかな髪を解きほぐしながら撫で続けて、おやすみするときのようにこめかみとつむじに軽いキスを落とす。
「ほら、ちゅうも色々あるでしょ? ね? あれはそういうのと違うの」
私の首元に顔をうずめて抱きかかえたまま、わずかに頷いて、ソファに座りなおした。……落ち着いたかな?
「……あんなのいわれたぞ」
「そのとおりだろう」
「間違ってないな」
うちの天使は最強だわ。ほんと。
◇
「魔力喰いって、そういう能力があるの? 珍しいの?」
「私は文献でしかみたことないわね。ねえ、ちょっとあなた本当にうちで働かない?」
「断る。あと近い」
「それどういう能力なの? 魔力食べちゃうだけ?」
「だけって言っても、使い道は多々あるでしょうね。魔力奪われた側がどういう状態になるのかによりますけど……まあ、持ってることを秘密にしたほうが無難な類の能力だとは思います」
礼くんの無言の圧力をうけてザザさんは私の隣に腰かけている。私の隣というか、私をしっかり抱きかかえて座る礼くんの隣だ。
エルネスは完全にザギルをロックオンしてる。研究者モードだもん。めっちゃくいついてるもん。
「そうなの? ザギル、秘密にしてたの?」
「下手にばれると何やらされっかわかんねぇからな。ヘスカは趣味と実益兼ねてたが、俺ァあんなのは反吐がでる。けったくそわりぃ」
「あー……なるほど、そういう」
よからぬことに利用価値があるから内緒にしていたことを教えてくれたと。
「じゃあ、遺跡では私の魔力量残ってたのをわかってて見逃してくれてたんだ?」
「……あの状態なら、別に問題なく制圧できると思っただけだ」
「無理だったじゃん」
「うっせぇ変なツラしてんじゃねぇよ」
ツンデレか。ツンデレだなこれ。
「魔力食べるって具体的にどうなるの自分の魔力に変換できるのどうなの」
「普通にもの食ってるのと変わんねぇし、あと顔近い」
ふむふむとメモを取り続けるエルネス、超通常運転。
「食べるのと変わらないって、もしかして味あったりするの? 匂いとか?」
「匂い……? よくわかんねぇ。味はある。あんたのはかなり美味いな」
「お、おう、ありがとう?」
「食欲みたいな摂取欲的なものはあるの? 摂取する必要性は? 摂取しない場合の不都合は?」
エルネスとまらない。
「せっしゅよく……? 知らねぇけど、例えるなら嗜好ひ―――いや、必要だ。喰わなきゃ腹減って死ぬ。顔近い」
「嗜好品って言った!?」
「……ちっ」
「生命活動に不要。味あり。匂い自覚なし。本当にうちで働かない? 摂取する魔力量に限界は? 一日四時間でもいいしカズハより時給出すし。摂取方法は経口摂取のみ? カズハ抜けてるから待遇はうちのほうがいいわよ?」
「しれっと色々ほうりこんでんじゃねぇよ」
「しかし魔力を口移しで食べるって、それなんて薄い本設定なの」
ぶふっと翔太君が鼻水吹いた。うん。翔太君意外と裏切らないよね。
「……ザギル、翔太君も私と同じなの。治せる?」
「んあ? ああ、その小僧か」
「!! いや! 僕いいです! 訓練場行くし! 行きたいし!」
「俺味にはうるせぇし、男はつまんねぇ」
「対象の性別関係なし。ねえ、一日三時間でもいいんだけど」
「びっくりするほど折れねぇなあんた! あとその言い方やめろ!」
「いらないですから! 僕平気ですから! ちょ、う、げほっ、ちょっと、もう僕訓練場行かなきゃだからっげほっうっ」
「……和葉、すっきり治ったのよね?」
「うん。適正な魔力量? それもわかったと思う」
あやめさんが、咳き込みながら立ち上がろうとする翔太君の服の裾をつかんだ。
「う、うぇ……あやめちゃ……? 幸宏さ」
幸宏さんがさりげなく翔太君の後ろに回り込んで両肩を押さえる。
「翔太。あれは人工呼吸だ」
「回復役として仲間の健康には変えられない……っ」
「―――!! 健康でも健全じゃないじゃん! ほ、ほらっザギルさんだって嫌だって! 無理いったらだめです!」
「嫌ってほどでもねぇけどよ、つまんねぇだけで。なあ、アレ嫌がってるけど、命令?」
「う、うーん、ザギルが嫌じゃないなら、命令っていうか、お願い、かな……?」
「はいよ」
うっそりと立ち上がるザギルに翔太君が息を吞んだ。あやめさんが膝、幸宏さんが肩を押さえてる。
「ざ、ザザさん! ザザさん! ちょ、僕」
「え、えー……、と、治る、らしい、ですし」
「やだああああ! ぼ、ぼく最初は好きな子がいいし!」
「しょーた、しょーた、しょーたー、大丈夫だ。人工呼吸はノーカン」
「ちがううううう! わあああああ!」
「―――ほれ」
「……は?」
ザギルは押さえつけられていた翔太君の下腹を、ぽんっと撫で払った。
「うん。まあ、大体そんなもんだろ。そのくらいが適量だって今覚え込んどけ」
「う、うん。え、あ、ありがとう、ございます?」
「おう」
「翔太……治ったの?」
「治った。すっきり……」
「―――経口摂取に限らず、服の上からの接触でも可能、と」
「最初からできないとは言ってねぇぞ」
「「「ちょっと待てぃい!」」」
「経口摂取との違いは? 目的による使い分け? それとも理由による使い分け?」
ザギルはにぃっと口角をあげて、太い犬歯をのぞかせた。
「そりゃあお前、美味しくいただくために決まってんだろ」