31話 勇者たちのマーチ
エルネスの両手に私の手をそれぞれのせると、ぽわっと金色の靄が包み込み手首から私の血管にそって細くするすると体内をめぐっていく。ひんやりとして少しくすぐったい気がするこれは、エルネスの得意技らしい。魔力調律の一種で私の魔力回路を確認してくれているそうだ。
集中しているエルネスの伏せた目を縁取るまつ毛は長くて艶やかだ。すっぴんのくせに。いいなぁ。
「よし。ほんと壊れっぷりもだったけど回復っぷりも見事ね。日常生活での魔法は解禁でいいよ」
「やったー!」
もうね、ほんと「ちょっと便利、なくてもなんとかなる」ってね、アレ嘘。そのちょっと便利ってのがなくなるとかなりストレス。トイレとかトイレとかトイレとか。ほら、水と風の魔法で結果的ウォシュレットがここの主流だから。言わせないで。慣れって怖い。
「じゃあ早速スパルナでもって、あっ痛っごめんなさいっ」
「日常生活ね、日常生活。狩りは違うからね。段階踏んでいきなさい」
脳天チョップ降ってきた。冗談なのに。
「ザザも野放しにしないでねこれ」
「いやちょっとそんな人を野獣みたいに言わないでよって、ザザさん? どうしたんですか」
礼くんたちは訓練中で、何故かエルネスはザザさんも連れて部屋にきてくれてたんだけど、脱力したようにしゃがみこんでた。
「よかった―――ほんと何か後遺症でも残ったらと」
心配かけちゃったなぁ。
王も部屋まで詫びに来てくれたんだよね。王城内部に手引きした人間がいたわけだから。
「ごめんなさい。王にも言ったけども、そもそも私が無防備に得体のしれないもの食べたからなので……、それにほら、エルネスだって後遺症なんてのこらないって太鼓判くれてたじゃないですか」
「あん? そんなのはったりにきまってんでしょ」
「へっ!?」
だらっと椅子の背にもたれて、こめかみを右手で押さえながら左手をひらひらさせるエルネス。エルネスがこんな風に姿勢を崩すことは珍しい。
「前例がないもの。ここまで魔力回路壊されるなんて。桁違いの魔力量に見合わない子どもの身体ってのの弊害ね」
「えっと、えっと、他の子たちはここまでならない?」
「あんたほど成長途中の子どもの身体で召喚された人はいないからね。ばっかみたいに力業使う人も記録にないわ」
わあ……これはエルネスもものすごく心配してくれてたんだ……申し訳ない。エルネスも毎日魔力調律に通ってくれてたもんね……。
「するとこれは……らっきー? あっ、ご、ごべんなだい」
ひらひらさせてた左手で両頬をむにゅっと掴まれた。
「ったく、あんたは……ほら、ザザ、次はあんたの番」
はて? ザザさんもエルネスの診察受けるんだろうかと、椅子を譲ろうとしたら、手で制された。もう一つ椅子を部屋の隅から持ってきて、私と向かい合わせに座る。
「ザザの特技ね。ちょっと珍しい魔力操作なんだけど。対象者に触れることで、相手の精神状態を平常に近いとこまで引っ張ろうとするの。直接相手の魔力を操作するわけじゃないから魔力調律とは違う」
「私今すごい平常心」
「夜中何度かうなされて起きてるってレイから聞いてるわよ」
「ぐっ……礼くん、心配してた? 不安がってない?」
「そりゃ心配はするでしょ。まあ、ぼくとくっついてたら大丈夫みたいって言ってたから全力で肯定しといたわ」
「……ありがとうございます」
ほんとなぁ……情けないことに面目丸つぶれだ。守るのもはんぶんこどころじゃない。
「どういたしまして。あんたは詳しく言わないし、まだ言う必要もないけどね、状態みれば何をされたのかは大体わかる。精神の回復に時間がかかるのは当り前。むしろ驚きの打たれ強さだわ。ただ、無意識のダメージってのは必ずある。多少は自覚はあるんでしょ?」
「そりゃあ、まあねぇ、ストレスは確かに普段よりあると思うよ。許容範囲におさまってるけど」
ここで意地や見栄はってもしょうがないので正直に申告する。うなされることもあるのはばれてるし。
「そこでこのザザよ。とりあえずちょっと試してみなさい。痛くないから」
「や、優しくしてくれる?」
「変なニュアンスいれないでくださいね二人とも。えー、カズハさん、そんな大仰なものじゃないですから。気休めよりちょっとマシな程度です。手、貸してください」
さっきエルネスがしてくれていたように、差し出された両掌に両手をのせる。大きな手は私の手首まで包んでしまった。
「力抜いて、雑談しててもいいですよ」
そう言われましても。
お互いつながれた両手をじっと見つめる。あったかいなぁ。子どもにはかなわないけど、男の人も手あたたかいよね。礼くんとベッドにはいるとすぐにほかほかになるし。
あ。
くるんでくれたマントのしっかりとした生地。
しゃらしゃら鳴る葉擦れ。
流れていく梢とその隙間からこぼれる星明り。
騎士たちがいくつものランタンでつくってくれた道。
私を抱きかかえて城へと連れて帰ってくれた夜に感じたそれが、また私を包んでくれている。
浮き沈みする意識の合間、ゆるぎなく支えてくれているそれに気づくたび、とてもほっとしたんだ。
椅子は同じ高さだから、自然と私はザザさんを見上げる形になるのだけど。変わらず私たちのつながれた手を見つめる瞳は、ハシバミ色よりも少し金色がかった光彩を薄青い光の線がとりまいていた。
「城に帰ってくる途中も、首輪とったときも、これ、してくれてた?」
「ええ、これは魔力に直接干渉するわけじゃないんで痛みはないですしね。劇的な効果はないですが、まあ、つなぎというかいくらかの支えにはなります」
「これは、ザザさん疲れないの?」
「なんの心配してるんですか」
苦笑してるけど、瞳はまだ金色のまま。
「だって何時間もかかったよ。エルネスだって調律の後は若干しなびてるし」
「なんてこというのあんたは」
ザザさんは一度顔をそむけて肩を震わせたけどすぐ立ち直った。プロだ。
気持ちいいなぁこれ。油断するとうとうとしてきちゃいそう。
低く静かな声が、触れている手のひらから伝わる温度にのって、ゆったりとしたさざ波のようにひろがっていく。
「これね、使ってくる魔物や人は少ないんですが、幻覚魔法への対抗技術が元になってるんです。応用のうちのひとつって感じですかね。神官長の調律みたいに繊細な操作は必要ないんで、そんなに消耗しません。鍛えてますしね―――仮にも騎士ですから。はい、終了です」
薄青のかわりに悪戯な光を浮かべて、にやりと笑うとかもうそれ反則じゃないだろうか。
「うん、確かに若干の不安定さはありますけど、しっかりとこっち側にいますね。本当にたいしたもんです」
「こっちがわ」
「まあ、境界線ね。正気と狂気の間。誰でもうっかりつい踏み込んだりふらふらしたりするものだけど、軸足がどっちにあるかで決まるというか。ザザのそれはふらついてるのをなだめて呼び寄せるって感じ」
「かならずひきもどすっていってくれたのはそれかぁ」
「めまいや耳鳴りはしませんね?」
「うん、だいじょぶ、です。……ありがとう」
「カズハ、少し横になりなさい」
「ん」
手を離してベッドにもぐりこむと、うとうと感が少し薄れた。ちょっと残念。
「ザザさん、慣れてるって」
「これまであちこちに配属になってますから。南方方面にもいたんです。仲間が敵方にとらえられたり罠にかかったりとかでね。でもカズハさんほど回復早いやついなかったですよ」
南方許すまじ。ザギルがいってたようにしょっちゅう敵も変わるのだろうけども。
でもそっかぁ。適切な処置ってやつか。私もザザさんの仲間も幸運だ。
「ねえ、ザザさん、この技は無意識に発動しちゃったりしないんですか。寝起きにうっかりとか」
「え? いや、ないですよ。制御できますし。こういった場合ならともかく、一応当人の許可なく使う類のものじゃないんでって……寝起き? なんでです?」
「や、ざっくりといえばそれ正気に戻す技じゃないですか」
「まあ、そうですね」
「それ、恋人とかにうっかり使ったらどうなるのかなって」
「……は?」
「……斬新な角度から斬りこんできたわね」
「だって、色事なんて正気の沙汰じゃないようなもんでしょ。さーっと正気に戻っちゃったりとか」
「え? え? いやいや、使いませんし、いや、えぇ?」
「あー……それで」
「神官長、それでじゃないです。ないですよ。うっかりもないはずです」
(はずっていった)
(はずって言ったわね)
「な・い・です! よし、そろそろ仕事に戻ります。カズハさん、もうすぐレイも戻る時間ですけど、まだもう少し休んでてください。いいですか。ないですからね」
早口でまくしたてながら椅子を元の位置にもどして、去り際にもう一度「ないですからね」と念をおしていったザザさんが、若干よろめいていた気がする。
「ねえ、カズハ」
「うん」
「あんたその赤面、なんで三分前に出さないの。なにその無駄遣い」
「そういうこというのやめたまえよきみ」
あれは適切な処置だ! フラグじゃないよ! 解散だ解散! 散った散った!
◇
ピアノも僕用に調律してもらったんだぁと、ご機嫌な翔太君に招かれてやってきました音楽室。
普段楽団の人たちが使っている一室は、当然学校の音楽室より一回り広く、分厚い絨毯に猫足のローテーブルとゆったりとくつろげるソファが一角に用意されていてる。けど私たちは予備の椅子を引きずって、翔太君のピアノを包囲していた。いや、楽団の人たちもスタンバってるしベストポジションはあのソファのあたりだと思うんだけども。
「まずは指慣らしー」
そう軽く言って、鍵盤に走りはじめた指先から零れ落ちるのは光の粒。
カノンからのきらきら星変奏曲、礼くんが(これ知ってる! わかる!)の顔していちいち私の顔を見る。途切れることなく幻想即興曲。楽団の弦楽器の人たちが弓を揺らしながら曲をなぞっている。
軽やかに転がり続ける私たちもよく知るメロディに、……ん? アレンジ?
主旋律は盛り上がりにむかっているのに何か違う裏メロがはいってきてる。小さくこっそりと忍び込んでくるそれは徐々に主旋律と手をとって、くるくると手を取り回り、いつしか主旋律が入れ替わっていくこれ―――
「……スライムが現れたっ……」
両手で口と鼻を押さえて天を仰ぎ、小さくつぶやくあやめさん。どんだけスライム好きなのあなた。
「剣と魔法と冒険の世界にはこれだよね」
こともなげに笑って言うけど指は止まらない翔太君、めっちゃ超絶技巧よね? 脳みそふたつあるの? しかもなにこれこんなに重厚な曲だった? ピアニストは一人オーケストラとはいうけれどもこれはその領域をまざまざと見せつけすぎる。
伝説の勇者はそこからひょいと世界線を越えて、スーパーメカへと乗り換える。
「サンダーバードっ―――滾るなおい!」
幸宏さんが音を立てずにじたばたしはじめる。メカ好きか、好きだよね。
国際救助隊が青いスーツを脱ぎ捨てて、赤い全身タイツでパンクロックを踊りだす。
「すぱいだーまん!」
礼くんが小さな声をあげ、すちゃっと椅子から飛び降りてあのポーズ。破顔する翔太君。
ヒーロー縛りか! ヒーロー縛りだね! 次は! 次はなんだ! 順番にそれぞれのツボをついてきてくれたんだね! 次は私の番だよね!
お、お? なんだ聞き覚えは確かにある……同じように記憶をたどる顔した幸宏さんと目があった瞬間、幸宏さんが崩れ落ちた。
俺との愛を守ったか! 旅立ったか! 愛をとりもどしちゃったか!
ツボってそっちかよ!
翔太君は素晴らしいドヤ顔で、世紀末を駆け抜けていった。
「やっばいな翔太、まじ天才じゃん。ラスト最高。世紀末覇者!」
「ラスボスにふさわしいと思って」
モノ申したいが、実に素晴らしいメドレーだったので何も言えない。幸宏さんは笑いすぎ。
翔太君の指はまだ休まない。惜しみない称賛でもまだ足りないというように。
「というか、守備範囲広いですね。時代的に」
「そう? 有名どころには違いない選曲じゃない? 私もわかるもん」
「ぼくもみんなきいたことあるー」
「あー、それもあるけど、僕、ネットの動画配信してた時期があって。リスナーのリクエストでやったりしてたんだ」
「おお! 私もその手の見るの大好きでしたよ! 翔太君もやってたんですね」
バレエばかりじゃなくて演奏もかなり漁った。確かにこういう演奏系の配信は多かったよね。
「うん。まあ、すぐ親に見つかってアカウント消されちゃったんだけどね」
乱れなく鍵盤を走り続ける指先。
「……は?」
「そろそろ本番いっちゃうよー」
「へ? え?」
それぞれ戸惑いを隠せないままいったん席に戻ると、翔太君は全く陰りのない満面の笑顔で楽団の人たちへと目配せをする。
「でもここでは好きなだけ好きなように弾ける」
―――高らかな和音とともに産声をあげる世界。
一拍の空白から、楽団の弦がゆるやかに弧を描き、金管楽器が空気をひそやかに波立たせはじめる。
降り注ぐ色とりどりの光を縫うように降り立ち、歩み始めるピアノの音色。
最初は戸惑うように、探るように、一歩ずつ、一歩ずつ。
ああ、これはあの、私たちの新しい始まりの部屋だ。
ファゴットが、クラリネットが、迎え入れてくれる。
コントラバスが寄り添ってくれる。
フルートが手を引いてくれる。
黒鍵が、白鍵が、もつれることなく指を絡ませていく。
翔太君はその年齢の平均よりも少し小柄で、ふっくらとした頬は幼げで。
どちらかといえば全体的な印象は大人しめだ。
顕現させる武器こそ荒々しいものだけれど、その扱いは繊細で緻密。正確に狙いを定め、振り回すためというより制御するためにその鉄鎖を操る。
私のように場を殲滅するのではなく、場を整えるための戦闘スタイルを得意としていて、それは彼の印象ととてもよく馴染むのだけれど。
メゾフォルテで、一歩前へと踏み出す。
開かれる扉。
トランペットが鬨の声をあげる。
足並みを揃え整然と行進するのはバイオリン。
フォルテで先陣を切り。
いつもならまだ頼りなげに見える狭い肩からは、今、力強く羽ばたく翼が広がっている。
エメラルドに波打つ草原をフルートが走る。
ファゴットが深い森の梢を揺らす。
青く青く広がる空を目指せとティンパニが背を押して。
フォルテッシモ・フォルテッシモ
歓びの歌声をあげて翔けあがるのは大空の覇者
◇
「わぁ……わぁ……」
「やばくない」
「やばいでしょ」
「やばいですよっやばいですよっ」
全員、言語野に支障をきたして勇者補正の拍手をしまくった。
「へへ。楽団のみんなすごいでしょ。まだまだこれから一緒に組み上げていくんだ」
照れ笑いながら、でも満足げな翔太君はもういつもの幼げな顔。
「やばい翔太やばいて」
「これっこれって翔太つくったの」
「カザルナ王国勇者のマーチって感じでつくってみた。まだ途中」
「おおう……おおう……」
ふらふらとした足取りで言語野の壊れたカザルナ王が、カーテンの後ろから現れた。
いたんかい! しかも隠れてたんかい! ほんっとフットワーク軽いなおい!