29話 押して駄目なら叩いて壊せ
すみません。28話ですが、昨日の朝、書きかけアップという愚行をしてました。
追加したものを再投稿してあります。
階段をのぼりきった先は幅十メートル、奥行き五メートルほどの長方形の小部屋だった。扉などない。今まで通ってきた階段や通路と同じ石壁だけがある。若干ヒカリゴケは少ないかもしれない。
一応真正面の壁を探ってみたけどよくわからなかった。暗いし。何を探していいのかもわかんないし。それっぽい取っ手とかへこみなんかはなかったと思う。
「呪文って、アレだよね。やっぱり」
「アレだろ」
やっと帰れる。礼くんが待ってる。
「照らせ照らせこの夜を導け導け行くべき道へ我がいとし子を守護するものよ」
しばし待つ。
「……」
「……」
見回してみても、どこにも変化は見当たらない。
「てーらせーてーらせーこーのーよぉるをみちーびけぇ」
「歌なら曲違ったら駄目なんじゃねぇの。なんの歌だそれ」
「……くっ」
疲れに耐えられなくなって両ひざをついた。
うそぉ。あの流れでこれが呪文じゃないとかないわぁ。
「入るときと出るときで呪文が違うってこともあるかもしれんな。俺らがはいってきたとことは呪文違うし」
「ああ……それは確かに」
ザギルはリコッタさんを抱えたままだ。
「あなたたちが来た道は、そんなに入り組んでたの」
「入り組んでたもんじゃねぇよ。あちこちにトラップあるし結構強い魔物もいるな。あのガラクタについてけば回避できたんだけどよ」
「ふむ……魔物なら私がいれば」
「そのザマでか」
「く……」
「く?」
「く、くやしいのぉくやしいのぉ」
「なんだそれは……どっちにしろ道わかんねぇよ。古代遺跡はどこもそんなもんだっつうし」
「いっぱいあんの。こういうとこ」
「大陸中にあるっていうな。俺はオブシリスタにある一つとここしか知らん」
「ふうん」
古代遺跡に住まうもの。リゼ、オートマタのことをロブはそう言っていた。確かザザさんもゴーストは古い建物には大体いるって言ってたはず。古い建物は古代遺跡の上に建てられていることが多いってことかな。古代遺跡の上だから古い建築物が残ってるとか? いやでもこの遺跡を城の人が知らないってことは意図的に残されてたというわけでもないわけでって、まあいい。
石壁に耳を寄せても、ひんやりとした感触しかないし、壁の向こうの気配もわからない。でもここから来たのだから、この向こうには王城があって、礼くんがいて、あやめさんたちがいて、エルネスや騎士のみんなやザザさんがいる。きっとみんな私を探してる。
ああ、またなんか腹立ってきたな。どのくらい経ってるんだろう。もうあれから一晩以上たっているのは間違いない。礼くんは私がいないとちゃんと眠れないのに。
「―――リゼ!」
「っ、おおう!? なんだ急に」
階段の向こう、何の気配もない暗い空間に向かって叫ぶ私に、驚きと警戒で後ずさるザギル。
「あんたねぇ! ここ開けなさいよ! どうせそのへんにいるんでしょう!」
「いんのか!?」
「黙れ。あんたはリコッタさんのこと散々利用したんだからね! リゼのふりして! オートマタだからわかってないなんて許さない! あんたはわかってて利用してた! わかっててリゼのふりしてた!」
反応はみせていなくても、リコッタさんの言葉を真正面から聞いていた。目と目を合わせてた。
「リゼのふりしてたんだ! 最後までやりとおしなさい! 母親を、あんたの母親をここから出しなさい!」
せっかくおさまってきていた息切れがまたぶりかえすほどの大声は、反響しながら階段の奥へ吸い込まれていく。
ログールがどれほど強力な「まじない」をかけられるのかは知らないけれど。もういない娘の幻影をどこまでつくりだせる薬なのか知らないけれど。そもそもその甘言をもってリコッタさんを陥れたのはロブたちで、ロブたちを置き去りにしたということは、完全にあいつらの操り人形ではないということだろうけれど。
どっちが主導だったのか知らない。そんなこと今はどうでもいい。ただ間違いなく、彼女の悪夢の後押しをしていたのだ。子を求める親の弱さを利用した。
あの歯車が軋む音は聞こえてこない。
「……まあ、来ねぇわな」
「……よーし、わかった」
震える膝をおさえながら立ち上がる。いける。いけてみせる。
「そっちがその気なら」
「お、おいおいおいおい」
三歩壁から離れて、ハンマーを顕現させる。ザギルは五歩ほど素早く後ずさる。
「ここがあんたの家なんでしょう! 壊してやる! 全部壊してやる!」
「待て、待て待て待て、部屋ごと崩れ」
「知るかぁああ!」
顕現したハンマーに、ロブやヘスカの「名残」はない。どんな仕組みかわからないけど、いつも新品の白木だ。やろうと思えばいつでも餅をつけるくらいに。
どんなに荒く振り回しても、どんなに硬い魔物に叩きつけても、傷一つつかないハンマーが、轟音をたてて石壁に食い込んだ。散るヒカリゴケがエフェクトのようにきらめき、天井からがらがらと拳大のかけらがいくつも落ちてくる。
「―――はあっ、はあっ」
ちかちかと視界にとぶ火花。ずきずきと痛む関節と筋肉にも走る紫電。まだいける。
壁に片足をたてて、てこにして、ハンマーを引き抜けば深さ五センチ直径一メートルほどの穴を確認できた。外の空間はまだ見えない。
「こっち側の壁まで衝撃で崩れてんだけどよ! おい!」
「あんた丈夫でしょ! リコッタさんかばいなさいよ!」
「あほか! そこまで丈夫じゃねぇわ!!」
「文句はあのガラクタに言えぇぇぇぇ!」
ふらつく足元にまた力をこめて、引き抜いたハンマーを構えなおして、もう一撃と腰を落とした瞬間。
溶け込むような柔らかな光をまとって、開けた穴からちょっと離れた壁際にリゼが沸いた。
「……わかればいいのよ」
「……ほんと敵に回すもんじゃねぇな」
◇
キリキリとあの音を立てながら、リゼは壁に向かって何かしている。覗き込もうとした私の襟首をザギルが引っ張った。反動で尻餅をつく。
「おま……無防備に近寄んな」
「変なことしてたら壊さないと」
「変なことかどうか見てわかんのかよ」
「……わかりませんね」
はあ、と深いため息をついてザギルは壁の大穴へと視線を戻した。
「あれよ、あんだけ壊れてよ」
「うん」
「開くのか……?」
「え」
いやいやいやそんな。
「……俺らが入ってきたとこは、岩に偽装された部分に切れ目が急に入って開いたぞ。仕組みわからんが」
「……えぇー」
た、確かに何かしらのギミックで開く扉なら。それが壊れたらそりゃまあ仕掛けは動かない、か……?
「そ、そこはほら、なんか魔法的ななんかなんじゃ、ないの」
「知らねぇよそんなん……つか、ほんとに考えてなかったんか」
ガ、ガガガ、ガ。
リゼから発している小さな歯車の音ではない、もっと重々しい作動音が響いた。ザギルは私の首根っこを掴んだまま、正面の壁をにらみつけて身構える。私は動けなかった。疲れてて。
さぁっと差し込んだ、ヒカリゴケよりわずかに明るい光。
しゃらしゃらと降る葉擦れの音。
止まっていた空気が風で動いて、前髪がそよぎ。
岩壁を切り取って一枚の絵画のように、月明かりが照らす深い木立が現れた。
―――左手側に。
「「そっちかよ!!」」
◇
開いた壁から外に足を踏み出してすぐ(私はほとんど這ってたけども)、また作動音をたてて壁は閉じた。もうどこが開いていたのかわからない岩壁は、周囲の樹々が覆うように隠している。
「…… 照らせ照らせこの夜を導け導け行くべき道へ我がいとし子を守護するものよ」
壁は開かない。
「もしかしてさ」
「おう」
「呪文っていらないのでは」
「はあ?」
「扉の開閉はオートマタがやってるだけなのでは」
「だから開かない、と。そりゃ家を破壊する奴はいれないわな」
……今度城にきたら壊してやる。
「おい、こっちだ」
目の前の鬱蒼と茂る下草をかき分け、ずんずんと進もうとするザギル。
「……立てねぇのか」
さすがにもう限界がきているようで、手足の先に感覚がなくなってきていた。
まあ、よく持った。私の手足はがんばった。
早くリコッタさんを連れて手当をしてあげたい。あやめさんならすぐ治してくれる。
「―――ザギル」
「んだよ」
「私、一応それなりに貯金ある」
「あ?」
「あんたを雇うから、リコッタさんを城につれていって」
「ばっかじゃねぇの。速攻殺されるわ」
「えっと、ほら、私のこのシャツとかもって」
「脱ぐな。その血まみれのぼろきれ持った男のいうこと、信じるのかあんたんとこの騎士団は」
「……ないか」
「ないな。ちょっと待ってろ」
暗闇に姿を消したあと、すぐにザギルは手ぶらで戻ってきた。
「リコッタさんは」
「この先に少し開けた場所がある。そこにいったん置いてきた」
ひょいと私を小脇に抱えて、また同じ方向へと下草をかき分け踏み入っていく。
「ちょ、草、草が、ぶ」
「うっせぇ」
ザギルの腰ほどもある草はびしびしと私の頬を容赦なく叩く。いやちょっとやめて。
十メートルほども進むと、草の代わりに風がざぁっと顔を撫でた。
薄雲が月の光を照り返しながら浮かんでる。合間にみっしりと瞬く星。
樹々はまちまちの太さで己の縄張りを主張するように背を伸ばして、夜の闇を抱え込んでる。
眼下に広がるのは波立つ梢と、街の灯りと、煌々と全ての窓を輝かせている王城や周囲の宮。
王都を抱き込む深い森のあちこちには、光の柱が何本も立っていて、それが四方へ移動しているのがわかる。
王城裏手のこの山の、切り立つ崖の上にある小さな草地に私たちはいた。
「―――ちっ、さすがに総動員で探してやがるな。なんだよあの数」
あのサーチライトみたいな光の柱は、騎士たちだろう。王城を中心にいくつも展開されている。崖下遠くからは怒声も木霊してる。私を探してくれている。
きっと私が姿を消してから最低でも丸一日はたっているだろうに。
「リコッタさんは」
「あそこだ」
草地と木立の境目にある木の根元に、リコッタさんは腰かけていた。俯いていて顔は髪に隠れている。
「そばにつれてって」
ザギルは黙って私をその場に降ろして、握りこぶし大の球を手渡してきた。
「―――わかってんだろ。おら、信号火だ。この国のもんじゃねぇけど、まあ、騎士団御用達じゃない合図があがれば駆けつけるだろ。ちょっと離れたとこ狙って投げつければ打ち上がる。木のそばにいたら枝が邪魔になる」
「あんたは?」
「俺が行ってから、そうだな、三百数えたら使えって―――てめぇ!」
投げつけた信号火は、きゅいんと鋭い音とともに打ち上がり紫色の火花を夜空に散らす。
「行っていいよー捕まらないようにねー」
「くそが! 覚えてろ!」
ぱたぱた手を振る私を振り返りもせずに、ザギルは比較的緩やかな崖の斜面を駆け降りていった。筋肉重そうなのに意外と身軽だなぁ。
草地に倒れこむと、湿ったにおいが鼻をくすぐった。
「リコッタさん、帰れるよ」
◇
「カズハさん! カズハさん! カズハ!」
「―――あ」
頬をぺちぺちと軽く叩かれてるのに気づくと、目の前にザザさんのどアップがあった。
「あー、なんかちょっと寝てたみたいで、うぉっ」
視線をめぐらせると騎士のみんなの顔が鈴なりに囲んでいて、ちょっとびくっとなる。
「目を覚ましたぞ! 無事だ!」
「うぉおおおお!」
そこかしこから雄たけびが聞こえる。
「すみません。心配かけました」
起き上がろうとして、ザザさんに抱きかかえられてるのにようやく気付く。ぎゅうっと肩を握られて起きるのを押さえられた。
「急には動かないで。おい、明かりをもっと寄こせ。指は動きますか。足は―――」
かかげられたランタンの灯りが光を増して、私の身体を照らし出す。怪我を確認するザザさんの眼がはだけた胸と腹のあたりで止まった。自分のマントの留め金を素早く外し、私に巻き付けてくれる。ザザさんはいつでも紳士だ。なんかすごいどす黒いオーラが背中からたちのぼってる気がするけど。
「リコッタさん、は」
「帰りましょう。レイも待ってます」
「リコッタさんは」
ザザさんはいつだって紳士だ。伝えるか一瞬だけ迷ってから、首を横に振った。
そっかぁ。間に合わなかったんだ。そっかぁ。
「ザザさん」
「はい」
「着いたらすぐ着替えるから。それまで、礼くんに私を見せないで」
「―――はい。城で待ってますよ。夕方までは一緒に探してたんです」
「泣いてなかった?」
「そりゃもう鼻水も垂らしながら。あんまりにも休まないんで無理やりベッドに押し込んだんです」
「ですよねぇ」
目線がぐんと高くなった。お姫様抱っこなんて。やだわぁもう。
仕方ないよね。手足は冷たいままで全然感覚が戻ってないもの。
「ザザさん」
「はい」
「なんで氷壁なの?」
「それ今聞くことですか」
「かっこいいなぁと思って」
「何を―――、それ」
首輪に今気づいたのか、凝視したあと、大きく息を吸い込むザザさん。あれ、なんかザザさん髪の毛逆立ってないか。
「神官長が外せるはずです。少し待ってくださいね。―――必ず報いは受けさせます」
「顔怖っ」
下草も、密集した枝も葉も、騎士たちがどけて道をあけてくれている。そこを軽やかに駆け抜けているのに振動はそれほど伝わってこない。私を抱き上げてるままなのにまるで息を乱していない。
めっちゃ怒ってる。これはめっちゃ怒ってる顔なんだ。ザザさんはこんなふうに怒るんだ。
この顔かなぁ。あやめさんが怖かったっていう顔は。
「ザザさん、大丈夫です」
「何がですか」
「きっちりこの手で片づけました」
急停止したザザさんに並走していた騎士たちがたたらを踏む。
「片づけ……?」
「問題ありません」
「―――なお悪い」
「甘やかしすぎはいけませんよ。問題ないです。私は自分のお返しは自分でできます」
へらっと笑って見せると、ザザさんの額が私の額に押し付けられた。手足が動かないから、ぐりぐりと額をこすりつけてあげる。冷たくなっている手足に、マントの硬めの生地を通してぬくもりが伝わってくる。
これが怖いだけだなんて、小娘にはわからないかもしんないねぇ。
好意や愛情は、人によって形を変える。
形が違うから、受け取る側がそれとわからないことだってある。人間同士のことだから相性だってある。
私が子どものころ、母の愛情を感じることができなかったように、あやめさんにもザザさんの優しさが見えにくくなったのだろう。でもきっと、そのうちあやめさんにだってわかるようになる。こんなにもこの人はわかりやすく優しいのだから。
リコッタさん。
私からみたらあなたは呆れるほど愚かで哀れな人だ。
自らの愛情に囚われて、自分で自分に呪いをかけて、その愛情が他者を巻き込むこともわからずに、ただひたすらに幻影を求め堕ちていった人。
けれどもね、あの時、あなたが私の母にみえたとき、私に向かって手を伸ばしてくれたとき。
やっと迎えにきてもらえたと、嬉しかった。
その真っすぐでわかりやすく暑苦しい愛情が、小さな私が欲しかったものだと思った。
人間、教えられていないことはなかなか自分でできないもので。与えられなかったものを自分の子どもに与えようとしても、どうしていいのかわからなかった。
リコッタさん、あなたは私が憧れたものをもっていた。
愚かで哀れで、とても綺麗な人だった。