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27話 ワラジムシとゾウリムシはいつも間違う

 おかあさんたすけて


 ひゅうひゅうと鳴る絞られた喉から転がり出た意味のある言葉は、自分の寝言に驚いて目が覚めたときのように私の意識を急浮上させた。

 

 ―――ばっかじゃなかろうか


 なぁにがおかあさんだ何がたすけてだ! なんたる不覚なんたる屈辱!


 耳の中では鼓動が鳴り響いてる。

 荒い息はおさまらない。

 体中が熱くて痛い。

 荒れ狂う魔力のせいで吐き気もひどい。

 止まらない涙で視界は薄らぼけている。

 けれど、もう脳内はクリアだ。


「やめて! リゼ! リゼ! いやああああああああ!」

「おーっと、と」


 躓きながら這うように駆け出したリコッタさんを、ザギルが胴をすくいあげるように押しとどめた。

 泣きわめいてもがいても、ザギルの腕はリコッタさんの腰ほども太く微動だにしない。


「ヘスカ、早くしろ」

「う、うるうるさい、お、おばさ、んのこえ、つまん、ない、だまらせ、てよ」

「うぉっ! 俺に当たるだろうが!」


 要求しながらもヘスカは左腕を薙ぐように振り、リコッタさんを抱えたまま横とびにかわしたザギルの後ろの壁が小さく弾けた。ヒカリゴケがきらきらと残滓を散らす。

 リコッタさんはひたすらに私のほうへ届かない手を伸ばしている。

 失った娘の名を叫びながら。


 私が母の姿をリコッタさんに重ねたように、今は私がリゼにみえているのだろう。

 欲しいものが目の前に見えるだと?

 リコッタは幸せそうだったでしょう、だと?

 何が? どこが?

 

 扉近くにはロブ、投げ出した私の足に跨るヘスカ、リコッタさんを抱えたザギルはロブとは反対側の壁のそば。三人は三角形の頂点の位置にいる。


 ザギルの苦情など歯牙にもかけず、ヘスカは私の内ももに手を差し入れる。


「んー、や、やっぱ、り、こここれ、じゃ、ま」


 私の膝を立たせ、足首の鎖にかかった錠を覗き込みながら、ごそごそとポケットを探っている。


「―――おい」

「へ、へいき、だし。は、はやく、しろっていった、し」


 ポケットから取り出された小さな鍵が、錠をカチリと鳴らし―――


「―――っ」


 魔力を制御しなくては、私の身体に負荷がかかりすぎると言われた。人よりはるかに頑丈ではあるけれど、それを超える魔力量はまだ成長中の身体を蝕むと。

 魔法の安定した発動のためではなく、私の身体のためにエルネスは制御を教えてくれていたのだ。


 ぎしぎしと軋む関節、筋肉に刺さる鋭い痛み。

 そんなものをシカトしてしまえばいい。


 畳みこんだ両脚で、ヘスカの顔を蹴り飛ばす。

 触れていれば重力魔法はかけやすい。

 インパクトの瞬間だけ魔法を発動させれば、ヘスカはロブへと一直線に『落下』する。


 許さない許さない許さない

 三秒だ

 三秒でころす


 蹴りの反動にのり、ベッドから跳ね起きて、

 縛られた両手で、四つ足の獣のように床を殴り、

 ザギルの足元までで一秒


 この世界にくるまで、当然喧嘩の一つもしたことなどなかったけれど、教えられた体術は驚くほど早く体に馴染んだ。

 コサックダンスの原点が武技であるように、体術を基礎におく舞踊は多い。

 とある格闘家もいっていた―――


 ザギルは一瞬怯みながらも、すかさずリコッタさんを私に向けて突き飛ばし防御の構えをとる。

 突き飛ばされたリコッタさんを躱し、ザギルの右側足元と背後に張った障壁を三角跳びで回り込めば。

 天井をかすめる踵が、ザギルの頸動脈めがけて振り降ろされる。


 ―――バレリーナとは喧嘩をするなと。


 踵落としに沈んだザギルは、顔面を床に打ちつけて動かなくなった。

 二秒。


 ヘスカに巻き込まれて壁に叩きつけられ重なり倒れるロブの頭上へ、着地の衝撃を膝で吸収して跳ぶ。

 ハンマーの顕現は手元から三十センチ以内。今の私には振り回せないけれど。

 初めての顕現で地響きをたてて大地にめり込んだハンマーが、天井の高さから自由落下したらどうなるか。


 許さない


 ハンマーが石床を割る音は、ロブの肩から上とヘスカの胸から下を圧し潰す音をかき消した。


 三秒。





 思いっきり肩から落ちて、痛みと衝撃でまだ残っていた涙がこぼれた。

 枯れた喉から思わず知らず低いうめき声が漏れる。


 視界に踊る光と影の斑点を軽く首を振ることで打ち消して、強張る関節を慎重に伸ばしながら顔を上げれば、ロブとヘスカの残骸と、倒れたままのザギルと、見開いた目で硬直しているリコッタさん。


 立ち上がれなくて、それこそ生まれたての子馬的に震える手と足で、リコッタさんへと這って近寄った。


「―――リコッタ、さん?」

「……ひっ」


 呼びかける私の声に、びくっと両肩を震わせて、ザギル、私、またザギル、そしてハンマーの下に視線が泳いで。


「あ、あ、あ」


 私にしっかりと視点を合わせ、リコッタさんは後ずさりながら悲鳴をあげた。


「いやあああああ! やっ! リゼ! リゼどこ!? 逃げてリゼ!」


 まあ、そうだろう。そうだよね。

 そりゃあ、大の男、しかも明らかに戦闘職の男たちをたやすくねじ伏せるどころかこの惨状だ。

 もう、とてもリゼには見えないに決まっている。

 むしろリゼに危害を加えかねない襲撃者に見えているらしい。


 手が届くか届かないかのぎりぎりの位置まで這って、近づいてからぺたりと座り込んだ。

 本当はロブたちを隠すように位置取りしたいのだけど、ちょっと私のサイズでは無理だろう。


「なにも、しないから」

「や、やああ! こないで! こないで!」

「うん、ここまで。こっから近寄らない。ね?」


 続く悲鳴の息つく合間に、なだめる言葉を滑り込ませていく。

 リコッタさんは、背をベッドに押し付けて、私から少しでも距離をとろうとしている。



 魔族以外と戦わないでくださいと言ったザザさんの話には、もうちょっと続きがある。


『ヒトは、強大すぎる力を恐れます。王城の人間、みなさんと身近に接する人間ならばさほど表にはでてこないでしょうが、この国は広いです。国民も多いです。最大の脅威である魔族と戦う勇者になら当然尊敬もあこがれも集まります。けれどその力がひとたび自分たち、ヒトへとも向くものであると思えば。それだけではすまなくなるのがヒトというものです。王にも国にも、ヒトの内心を完全にコントロールすることはできません。―――まあ、個人的に言わせてもらえば僕も嫌ですから。理不尽で不当な恐怖にあなたたちが晒されるのはね』


 幸宏さんはなんともいえないような、でも反論したそうな顔をして、他の三人はちょっとよくわからないですって顔をしていた。ザザさんははっきりとは言わなかったけれども、まあ、今のこのリコッタさんの反応が全てだろう。


 私たちは異端であり、化け物であると。



 視界の隅にじわじわと流れる血が入り込んでくる。

 ほんの少しだけ顔を後ろへ向ければ、ハンマーの下に赤黒い塊が表面張力と広がる血に引っ張られてゆっくりと蠢いているのが見える。―――臓物など魔物を捌いていれば慣れてしまうし、なんら変わらない。

 まだヘスカの手が痙攣している。

 思ったより抵抗感も罪悪感もない。

 家の中を素足で歩いてて、ワラジムシを踏んずけてしまったようなそんな嫌悪感が少しあるだけ。


 私という人間はもともとこうだったのかな、と、前の世界での私と比べようともこんな経験をしたことは当然なかったので比べられない。

 元から人の命を奪うことに抵抗などない人間だったんだろうか。

 法律を順守する善良な市民だったはずだけども、この世界ではこれは違法ではないわけだし、と考えるあたりがなんかこう色々とあやしいといえばあやしい気もする。

 それともこの世界へと渡るときに、何か色々置いてきてしまったのだろうか。

 答えなど見つからないわけだし、まあ、いいかなどっちでも、と思う。


 ごめんね、ザザさん。せっかく気遣ってもらったけれど、少なくとも私はやっぱり化け物で間違いはないかもしれないね。


 つらつらとそんなことを考えながら、息切れがおさまるのをぼんやりと待っていた。

 ああ、体中、痛くないところがないくらい痛い。





 私の息切れがおさまってくるのと反対に、リコッタさんは息を荒く弾ませている。こんだけ悲鳴上げ続ければそれは疲れることだろう。疲れで悲鳴を上げられなくなったのか少しは落ち着いたのかはわからない。


「リコッタさん」


 縮こまった手足は緩んではいない。


「帰ろ?」

「……リゼ、リゼは」

「他の人に、一緒に探してもらえるように頼んであげるから」


 どれほどログールを使われたのだろう。エルネスなら治療の目途を立ててくれるだろうか。

 治療できたとして、果たしてそれが幸せだろうか。

 もう一度リゼのいない世界を思い出すことが、幸せだろうか。


「きっとまた、村はずれの丘にいるんだわ」

「そこはリゼのお気に入りなの?」

「小さな花があちこちに咲いているの」

「うん」

「薬草だから、本当に地味な花ばかりなの」

「うん」

「でもリゼはそこで遊ぶのが好きだから」

「そっか。じゃあそこをまず探すようにするね――立てる?」


 驚かさないようにおびえさせないように少しずつ近寄る。

 ―――ほら、こわくない、とか言いたくなるわ……。


「探してくれるの?」

「うん。いいよ」


 膝立ちで三歩ほど近寄って伸ばした私の両手へ、リコッタさんが手を置こうとしたその瞬間。

 リコッタさんのゆらゆらと力ない視線が急に見開かれ、そんな力が残ってたのかと思うほど力強く引き倒される。


「……ふっ」


 あのいやらしい笑いがきこえて、慌てて身を起こし振り向くと、ヘスカの手が力なくぱたりと床に落ちたのが見えた。あの状態でまだ生きてたのか。ほんと虫っぽい。

 ヘスカがもう動かないのをみてとって、詰めた息を吐き出すのと同時に、リコッタさんが音もなく倒れた。


「え」


 じわりと赤い染みがリコッタさんのおなかのあたりに広がり始める。


「え……?」


 待って。なに。待って待って。


「リコッタ、さん? ちょっと」


 抱え起こそうとして、両手がまだ鎖でまとめられてることに気づき、それならと横倒しになっているリコッタさんを仰向けたとたん、とぷり、と血があふれ出た。

 ヘスカが最期に魔法を撃っていったんだと、リコッタさんは私をかばったのだと、やっと思い至る。


「リコッタさん? リコッタさん、目を開けて、リコッタさん」


 呼びかけ続けながら、シーツをはいで腹に圧しつける。不衛生でもないよりはまし。みるみるうちに染まるシーツ。

 回復魔法は適性がなければ発動すらしない。

 規格外だというあやめさんはともかく、幸宏さんだって翔太君だってちょっとした怪我なら治せるくらいには使えるし、礼くんは怪我は無理だけど体力回復を使える。

 私だけ、なぜか戦闘特化なのだ。かなり頑張ったけれども全く無理で、エルネスにも諦めろと肩を叩かれた。


「……リゼ?」

「リコッタさん、リコッタさん、大丈夫だからね、帰ろうね」

「そこに、いたの、怪我、ない? ああ、よかった」


 小刻みに震える白く細い指先が、私の頬に触れる。

 そっと、そっと、愛しげに。


「帰ろう?」

「ええ、帰り、ましょうね」


 シーツがそのままでは大きすぎる。まだ赤くない部分を歯を使って引き裂いて、包帯がわりにしたいのに上手くできない。がたがたと震える自分の手が忌々しい。


「……その女、あんたを攫ったんだぞ」

「回復魔法は!?」

「無理だ」

「つかえない!」


 錆びついた声をかけてきたザギルが、舌打ちして立ち上がった。

 舌打ちしたいのはこっちだ。硬い甲殻をもつグレートスパイダーの頭も砕ける蹴りだったのに。万全ではなかったといえ、死んでなかった。ヘスカもそうだったし、私はどうやらツメが甘い。


「―――次はちゃんと死んだか確かめる」

「雇い主がアレじゃ仕事は終わりだ。見逃せ」


 顎をロブのほうへしゃくって見せるザギルは、足に力をこめる私に手のひらをむけて制する。


「鎖の鍵、ちょうだい」

「持ってたのはヘスカのはずだ」

「じゃあとってきて」

「あれの下だぞ。もう内臓もろとも砕けてるだろうよ」

「ほんっとつかえない」

「……なかなかに理不尽だな。勇者サマ」


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