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26話 愛も願いも呪いとなって

 元々魔力の繊細な操作は得意じゃない。練習してかなり上手くなったとは自分では思ってるけど、エルネスにはまだ「量にまかせて力業するのやめなさい」といわれる。魔力操作は体調や感情にも左右されるそうで、そうすると常に冷静な私が得意じゃないのはおかしいはずなのに、実際そうなのだから仕方がない。


 呼吸を整え毛細血管の一筋まで意識してと、さっきまでできていたことができない。首輪のせいで制御できない魔力はぐつぐつと沸騰するかのように暴れている。座ってられなくて、ちくちくするベッドに顔をうずめたまま動けないのに視界は激しく回り続けるから、身体ごと激しく振り回されているような錯覚に陥る。


 これは怒りのせいだ。

 打ちつけられた壁際にうずくまりピクリとも動かないリコッタさん。その姿が、回り続ける視界から外れない。これじゃ反撃どころの話じゃない。怒りのせいで、その怒りの原因を排除できないなんて無能すぎて許せない。動けない腹立たしさがさらに怒りを加速させる悪循環。


「―――やっと首輪の効果がでてきたのか? 勇者とやらには効かないのかと思ったぜ」

「く、首輪つけてて、す、すわってられる、わけ、ないからね」

「勇者は魔力量が桁違いだというからな。魔力を吸い上げるのに時間がかかったんだろう」


 ザギルの小山のような肩が若干落ちる。そうか。首輪してたらこうなるのが普通だったのか。

 なのに、私はしれっと座り込んだまま、平然と会話までしてるから警戒して距離を保っていたと。失敗した。この姿勢を崩さないままばれないように魔力の制御を取り戻さなくては。


「で、どうすんだよ。帰り道確保できないなら契約はここまでとさせてもらうぜ。前金はもらってるしな。残りの金もらったとしても騎士団相手にするなんざ割に合わねぇ」

「ここから迷わず出られるのは王城の裏への扉だけだ。お前らはそれすらも知らんだろう」

「はっ。ばかいってんなよ。俺らがこの部屋にたどり着いた道とは逆方向に行きゃいいんだろうが。来るときにお前がそういったんだぜ」

「ばかはお前だ。扉をあけるには呪文が必要なんだ。契約を続行するしかお前らに道はない」

「その呪文とやらは知ってるんだろうな?」

「ふん、この女にそれを教えたのは私だ」


 舌打ちするザギルを小馬鹿にするように鼻を鳴らし、ロブはうずくまるリコッタさんを蹴り上げる。ぶわっと背中が燃えるように熱くなったけれど、苦しそうな身じろぎをしたリコッタさんに少しほっとした。


「王城の裏山を抜けて出る。いくら王城の騎士団といっても隙ぐらいつけるだろう」

「……運べるのはガキ一人までだ。あんたやそこの女の面倒まで見切れねぇぞ」

「問題ない。どうせこの女は保険としての人質程度の価値だ。捨てていく」

「けっ」

「まじないをかけるのは国に戻ってから万全の態勢で行う予定だったんだがな。暴れられると厄介だ。生きてりゃいいんだ―――壊せ」

「い、いいの」


 それまでおとなしかったヘスカの眼が急にぎらつきはじめた。


「得意なんだろう? まじないは心が折れているほどかかりやすい。好きにしろ」

「ふっ、ふふふっ、か、かわいそ、うだね」


 ヘスカはゆらりゆらりと上半身を揺らしながらにじり寄ってくる。壊す? 心を折る? わー、なんかすごく予想出来てきた。


「……ま、じない」

「賢い勇者様もご存じないですか? ええ、安心してくださって結構ですよ。我が国につけば全て忘れられます。大切にお迎えしますからね。何不自由ない生活をお約束しましょう」


 ジャージは狩りや訓練のときしか着てないから、今は長袖シャツとひざ丈のズボンだ。靴も脱がされていて、足首に絡められた鉄の鎖が素肌に冷たい。その鎖をなぞり、そのままふくらはぎまで、ヘスカの爪が滑る。


「ほ、ほっそいねぇ、おれちゃいそうだ、ね? ふっ、ふふ」


 全て忘れられるまじない。洗脳とかそのたぐいだろうか。

 ロブは部屋に来たときのような薄っぺらではない笑顔をみせる。愉悦にみちた醜悪な笑顔。


「ログールの味はわかりましたかぁ? 生の実じゃあ無理だったでしょうねぇ。でもあれを特殊な方法で精製すると非常に美味らしいですよ。欲しいものは全て目の前にみえるようになりますからねぇ。―――リコッタは幸せそうだったでしょう?」





 母は完璧な妻であり、母だった。

 研究者である父の教え子でもあった母は、仕事上でも家庭でも父を助け支え、娘である私にも優しく道を示すような人だった。同級生が愚痴るように理不尽に怒られたことなどない。不機嫌な顔すらも見たことがない。

 ただ、私のそばにはいなかった。フィールドワークや出張の多い父に同行してしまうからだ。我ながら手のかからない子どもではあったけれど、母がいつでも笑顔で私に接することができたのは、一緒に過ごす時間の少なさのせいでもあったのではないかと自分が母親になってから思うようになった。

 でもそれまでは、私にとって母は綺麗で優しい完璧な母にみえていた。周囲にも羨ましがられていたから、身びいきでもないはず。


 和葉ちゃんのママ、きれいー。

 えー、怒られたことないの? いいなぁ。

 お父さんのお仕事手伝えるなんてすごいのねぇ。


 中学や高校に入っても定期試験の答案を採点でき、間違えているところの正解を教えられる母。

 平均以上の点数をとってはいるけど、けして上位には入らない成績を咎めることなどない。

 進路も私の希望が最優先で反対などされはしない。それどころか志望校のランクや傾向までいつのまにか調べてさりげなく助言してくれる。

 習い事レベルでしかないバレエも、もし私が本格的にその道に進みたいと言えば、それなりの教室に通えるように計らってくれただろう。

 まだ私が小さい頃は、面倒がらずに料理や掃除の手伝いをさせてくれた。幼児にもできるお手伝いなんて、教える労力も時間も余裕がなければそんなにできることじゃないと、これも自分が母親になってから知った。


 私は愛されて何不自由なく育った娘だと、自分も周囲も思っていたし、それはけして間違いじゃない。


 悪い点数だろうと良い点数だろうと同じ笑顔に、私自身が物足りなさを感じていたとしても、母からみればそれは私が頑張った結果だからと思ってくれたからだろう。

 志望校が公立であろうと私立であろうと全寮制であろうと、何が好きで何がしたいのかを母自らきいてくれることはなかったとしても、それは私の自主性を尊重してくれたからだろう。

 どんなバレエ教室に通ったところで、引っ越しや親せきに預けられることでしょっちゅう変わらざるをえなくて、そして発表会にはほとんど来てくれることがなかったとしても、それは父の仕事ゆえに仕方がなかったことだからだろう。

 お手伝いしたいと纏わりついたのは、滅多に一緒にいられなかったからだとしても、そのわずかな時間を費やして小さな私の願いをかなえてくれたのだろう。


 大人になって、母親になって、母が私にしてくれたことは確かに愛情故だったと理解できる。


 けれど消えないのだ。理解はできても、子どもだったころの私が消えない。

 今度帰ってきたときに見てもらおうと、答案をきれいに重ねて積み上げていた私が消えない。

 合格ラインが見事にばらばらな志望校を選んで調査票に書いた私が消えない。

 バレエの発表会で、周りの子たちが母親にメイクしてもらっている中、一人で先生にしてもらっていた私が消えない。

 お手伝いさんや曾祖父に教えてもらってできるようになった掃除や料理を褒めてもらえて喜んでもらえて、それが嬉しくて家事を一手に引き受けたところで、帰ってきてくれる頻度は上がらないのだと気がついた私が消えない。


 綺麗で優しい母が大好きだった。

 いつもそばにいてくれたらどれほど素敵だろう。

 綺麗なのはちょっと無理かもしれないし、勉強を教えるのも母ほどは上手にできないけど、家事はできるし、笑顔でいることもできる。

 与えられたものと、欲しかったもの、その両方を自分の子どもにあげたいと、あげられる母親になりたいと、憧れは強く私を焦がすほどにふくらんでいった。


 かなったのなら、きっと子どもだったころの私は満足するだろうと、そう思ったのだ。


 それが正しかったのかはもうわからない。結局私はそんな母親にはなれなかったのだから。





「ふふっ、あ、ああ、細いのに、やわらかい、ふわっとし、してるね」


 ヘスカは、私の両手首をまとめた鎖ごと左手で掴み、仰向かされた私の頭上に圧しつける。無防備にさらされた二の腕の内側を右手で弄びながらみせる恍惚とした表情は、なるほど、本当にこの類のことが「得意」なんだろうと思わせた。


 大丈夫。大丈夫。殺されはしない。

 殺してしまってはやつらの目的は達せない。

 残り二人の位置関係を把握しながら、反撃の機を待てばいい。

 魔力をめぐらせているのはばれないように、魔吸いの首輪が効いているように見せかけて、その時までじっと待つんだ。

 たいしたことじゃない。


「ん、ん? な、なにをされ、るのか、わかってる、のかな? ち、ちいさいのにわるいこだな―――でもざんねん」


 左の二の腕が、いきなりかっと熱くなった。

 まるでそういうスイッチだったかのように、何をされたのか把握もできないまま、私の喉を悲鳴がこじ開けていく。


 いつの間にかヘスカの手に握られていたアイスピック。それが二の腕に突き立ち、ピアスみたいに皮膚と骨の間を貫通している。

 唾液を飲み込むような籠った笑い声をたてるヘスカは、アイスピックをゆるりゆるりと円を描くように、突き立てたまま皮膚の外側へ向けて引いていく。


「ほそ、くて、すぐ、ひ、ひきちぎれ、ちゃうね?」

「あっやっやだ、やめ」


 押さえつけられたままの両手首、ヘスカにまたがられて動かない下半身、アイスピックに釣り上げられるように上半身がついていこうとするけれど、広がっていく腕の穴。

 ぷつ、ぷつ、と裂けていく肉。


「やっやああああああ、あ、あ」

「ち、ちぎれた、ら、つつつまんない、から」


 裂けきれる直前に抜かれたアイスピックから、ぱたたっと頬に降り注ぐ血。


 なんなの。これなに。なんで。


 にやにやとゆがんだ唇から舌を見せつけるように突き出して、あふれ伝う血を脇から舐めあげていく。

 傷口にたどりついた舌先は、ゆっくりとその裂け目ををねぶりかきわけていく。


 なにしてるのなんでそんなことしてるのやめてやめてやめて


 思考は拒絶と嫌悪と激痛に支配されて、体内で魔力は暴れ狂うのに体そのものは動かせない。

 喉は意味をなさない音しかこぼさない。

 ちかちかと視界でまたたく光がにじんでいくのは、勝手にあふれ出ている涙のせいだ。


「ああ、ああ、き、きみ、ほんとに、か、わいい」


 ヘスカは腕から口を離して私の目を覗き込み、アイスピックはナイフに持ち替えられ、シャツを裾から首元まで引き裂いていく。刃先を肌に浅くひっかけながら。ぽつぽつとにじむ血が赤い線を細く描く。


「……あ、あれ?」

「―――どうした」

「こ、このこ、ずいぶん魔力、の、のこって、てる」

「ああ? そんなわけねえだろ」


 熱に浮かされたようだった眼を冷ややかにさせて、みぞおちから撫でおろして丹田のあたりで掌を押し込んでくる。

 やっぱりこいつは魔法使いか。

 熟練していくと他人の魔力残量を、触れることで感じられるようになるとエルネスは言っていた。当のエルネスは一定の範囲内に対象がいれば触れずともわかるらしい。

 

『もっとも魔法使いは接近戦をそもそも避けるから、戦闘中にそれが役に立つことはないんだけどね。……まあ使いどころはあるといえばあるというか、元々直接戦闘以外でつかうものというか』


 エルネスが濁した「つかいどころ」はこういうことだったのかと理解できた。


「す、すご、いね、さすが、ゆうしゃ」

「おい、油断するな」

「ふ、ふふふっ、ま、魔力は、ある、だけじゃねぇ。く、苦しい、よね、みだれてる。こ、こんなんじゃ、なあんにも、なあんにもでき、ないよね、ねぇ」


 干し肉のかけらが入っていたポケットを漁って取り出した小さなケースを、私の目の前でからからと鳴らして振り、飛びだしてきた赤い錠剤を一粒つまんでみせてきた。


「さ、さっききいたで、でしょ。ログール、いろんなしゅ、種類、ある、けどね、赤がでた、ね。ふふっゆ、ゆうしゃは運も、いいね」


 ナイフがさきほどよりも少し深く、左胸と鎖骨の間あたりをはしる。


「い、いたいのも、きもちよ、よくなる、よ」


 愛情深い前戯のように、ヘスカはその傷口に錠剤を押し込んだ。





 何をされているのかは、もうはっきりとはわからない。

 右の二の腕、脇腹、左の乳房と、炎を幻視するような熱さが襲ってきて。

 それは確かに激痛だと脳は認識しているのに、体内を駆け巡る波は甘やかな痺れも伴っていて。

 下腹部から次々湧き上がる魔力が、私という器を内部から突き上げては荒れ狂い首輪に吸い上げられていく。


 遠くからビル風が吹き抜ける甲高い音が聞こえる。ああ、でもこの世界にビルなんてない。なんだろう。裏山の崖から来てる音だろうか。嵐になるのだろうか。礼君は怖がらないだろうか。コロッケでもつくろうか。怖いよね嵐は怖いだからコロッケパーティしたら怖くなくなるよきっとねそしたらそのうちおかあさんだっておとうさんと一緒に帰ってきてくれるああお腹空いてたのありがとうとよろこんでくれるただいまって言ってくれるああはやく帰ってきてくれないかななんだか風の音がどんどんおおきくなってきてるおうちの中にまで吹き荒れてきてるわたしのなかでまであばれてる怖いよなんでかえってきてくれないの怖いよなんでわたしひとりでいるのわたしが嵐につれていかれてしまうわたしが嵐になってしまうほらとおくでおんなのこが泣き叫んでるきっと怖いところだいきたくないよこわいよかえってきてはやく


「な、なにしてるの」


おかあさん

おかあさんだかえってきてくれた

おかあさんがわたしをみつけてくれた


「ーーーリゼ! いやああ! やめて! リゼ! リゼ!」


だれ

おかあさん

かずはだよリゼじゃない


「お、かあさ、ん、たすけ、て」

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