21話 古来よりチョコは媚薬と申しまして
籠いっぱいの芋や人参、野菜類、調味液に漬け込んだ肉や魚、など、など、など、夜の分の下ごしらえを終え、厨房は手の空いたものから一服しはじめる。ビュッフェ形式の食堂の長テーブルには、軽食用のクッキーやマフィン、スコーンが山盛りに並び、王城で働くものたちの休憩を待っていた。
そして私はブラウニーを試作している。こちらにもチョコレートはある。けれど、薬やスパイスとしての使い方のほうがポピュラーで、嗜好品としてはやたら濃いチョコドリンクがある程度だ。あの有名ココアメーカーの純ココアより濃くて苦いものをミルクや砂糖で割って飲む感じ。
私たちがよく知る「チョコレート」が恋しくて湯煎して固めてみたけど、確かにチョコだ、チョコなんだけど、あの滑らかさもなくて残念感が高いものしかできなかった。多分カカオっぽい素材からチョコに至るまでの過程のどっかが抜けているんだろう。でもブラウニーならいけるかもとここのところ試行錯誤していた。
オーブンから出して粗熱がとれたブラウニーを切り分けて端っこを齧る。もっちりとしたチョコ生地に、くるみもどきが香ばしさを歯ごたえとともに伝えてきた。混ぜ込んだ舌触りの悪いザンネンチョコチップも、ブラウニーの生地と溶け合ってしっとりさを増すのに一役買っている。甘味、苦み、香り、舌触り。
「……よし! 私天才!」
菓子類は基本きっちりとした計量が命なわけだけど、何せすべてが「もどき」なので元の世界とは配合率が違ってくる。それを探す試行錯誤が今ここに実りました! いうてもブラウニーは配合率が適当でもなんとかいける家庭菓子の代表格ですけどね。
休憩してるマダムたちの反応はなかなかの好評で、料理長も頷いてくれたのでレシピを後で渡すことにする。よーしよしよし。もうすぐおやつの時間に集まってくる礼くんたちの分もとりわける。
「じゃあ、また夜にきますねー」
「ちょ、ちょっとちょっとカズハさん」
もぐもぐしながら手招きするマダムたちの輪にまざった。
「ルディ殿下の求婚をそりゃもう素晴らしい切れ味で切ってすてたってほんと!?」
「……いつも思ってましたけど、みなさんの情報源はどこですか早くないですか」
噂話が潤滑油みたいなものなのはどこの世界でも同じようだけれども、さっきまで求婚のきゅの字も出ずに鍋や麺棒を振っていた彼女たちは一体いつそのネタを仕込んできたのか。
「あちこちからに決まってるじゃない! あちこちから!」
「そんなに」
「だって殿下は侍女に作法を相談し、家庭教師に休憩頼んで、朝食のときには陛下にも宣言してたっていうし。そりゃもう城中知ってるさね!」
「な、なるほど」
情報源はルディ王子といってもよかった。オープンすぎる。
……幼いとはいえ一応デリケートなことかしらと、口外しないようにエルネスに軽く言っておいたけど意味なかったらしい。そりゃあにやにやしながら聞き流されるわけだ。
「陛下までご存知とは」
「当たって砕け散ってこいと満面の笑顔だったって」
散るのわかってるのに窘めたりしないのね。豪気だなぁ。陛下。何事も経験ですもんね。
「しっかしなんでそんなすぐ断っちゃうの」
「や、だって、子どもですよ。あからさまに子どもですよ」
「身体はちゃんと同年代なんだから問題ないでしょ」
「私の中の人はその気になりませんよ!」
「中の人ってなに!」
厨房の人間も当然私の実年齢を知ってるわけで。口々になんでなんでと煽りつつも、目があきらかにからかいの色だ。
「―――でもルディ殿下と結婚して王族になったら、カズハさん前線行かなくてもいいのでしょう?」
普段の休憩時間でも控えめに隅っこで微笑んでる人が、すこし首を傾けながら言葉を滑り込ませた。
「え? いやもともと前線行くの強制されてなんていませんよ?」
「だって、最初参戦はしないって言ってたのに、ここのとこよく訓練してるし」
「あー、最初はそのつもりだったし今も積極的に参戦しようとはまだ思ってないんですけど……まあ、色々と考えて保留ってとこです。行くのも行かないのも私が決めていいって言われてますしね」
そう。当初参戦しないと宣言してた私だけれど、今は保留にさせてもらっている。中途半端に訓練に参加してるような状態なのに、快くそれを受け入れてくれてるわけだ。強制されてるなんて誤解があるならそれは否定しておきたい。
「そうなんですか……ずっとここにいてくれるといいなって思って」
やだなにうれしい。
「一番に試作品食べれるしね!」
「あれ、でも王族になったらさすがに厨房は無理なんじゃないの」
「あ! そりゃそうだわ!」
けらけらとまぜっかえすマダムたち。中途半端なのは訓練だけじゃなくてここでの働きもなのにね。うれしいなぁ。にやにやしちゃうじゃない。
◇
「おーいーしー!」
礼くんは両手にブラウニーをキープして満面の笑顔だ。通りすがりに欲しがる父の会メンバーに、ひとかけらずつ分けてあげては、また新たなブラウニーを確保している。
勇者陣はみんな甘いものは好きなので、久しぶりのチョコレートらしいチョコに満足してくれてるようだ。
「どうです? ザザさん。こっちの人たちの口にも合いますかね」
厨房や父の会メンバーには概ね好評のようだけど、ザザさんにも確認してみる。無言でもくもく食べてるから大丈夫だとは思うけど。
「え?」
よし。聞こえないほど集中して食べてた。
「あのね、遠征の時とか普段の狩りのときにも思ったんですけど、みなさん携行食って干し肉とかじゃないですか。でね、緊急用とかいざってときのために携行するなら、即座にエネルギーになるものを持つのもいいかなって。向こうじゃ登山する人とかこういう甘味を常備したりするって聞いたことあるんですよ。口に合う味なら、まあ、このブラウニーじゃさほど日持ちしないので、チョコバーとかファッジっていうものを作ろうかなと思って。どうでしょう?」
「即座にえねるぎー」
「えっとね、干し肉とかだと体を動かすための力になるのに時間がかかるんですよ。疲れたときには、甘いもの食べると元気でたりするでしょう。こういうのは力になるのが早いんです。体を動かすための力がエネルギー」
「ああ、わかります。なるほど」
「遭難したりしたときにこういう甘味で命繋いだりすんすよー」
幸宏さんが補足をしてくれた。登山の友には羊羹最強だっていうもんね。残念なことにまだ小豆に近いものが見つかってないんだよなぁ。
「料理長と相談しながらつくってみますね」
私が作ったもののレシピは今までずっと料理長に渡してきているけども、最終的に仕上げるのは料理長だ。やっぱりプロにはかなわない。牡丹鍋にしろ、私の使いこなせない調味料や技術で味を調えてくれて、それから食堂のメニューに追加されていく。
「楽しみにしてます。……ありがとうございますほんとに」
とてもとてもうれしそうにしてくれるから、私のご機嫌はうなぎのぼりだ。
戦闘に加わるかどうかはまだ決められないけども、他のことで役に立てることがあるならそれを惜しみたくはないと思える。
「ねぇねぇ、ところでさ、王子のプロポーズって」
あやめさんが目をきらきらさせている。君もか。
「断りましたよ」
「それは聞いたけどもー、でも諦めないって王に宣言してたって」
「あら。そうなんですか」
「和葉ちゃんモテ期じゃね? きてるんじゃね?」
「人生初のモテ期かもしれませんね……」
幸宏さんは両手を頬にあててにやついている。礼くんはしかめっつらだ。
「和葉ちゃん、ルディ王子とケッコンするの?」
「しないよー」
「ほんと?」
「うん」
「えへへ」
瞬時にしかめっつらがほどけた。幸宏さんの目が悪戯気に三日月になる。
「礼、和葉ちゃんが結婚するのイヤか。やっぱり」
「やだよ。ルディ王子ぼくより弱いもん」
「そこ!?」
「うん。ぼくより弱い人はだめ」
「どこの親バカおやじだよ。俺を倒せないなら娘はやらん的な」
「レイ……レイより強い男はなかなかいないかと」
ですよねぇ……ハードル高いなぁ。
「ザザさんならいいけどさ」
「まさかのご指名きたよ。なんで? じゃあ、俺とか翔太ならどうよ」
「えぇぇぇぇ」
「どんだけイヤなんだよ! お前のそんな顔初めて見たわ!」
ザザさんと顔を見合わせて同時に吹き出してしまった。あれかねぇ。やっぱりお母さん役とお父さん役ってことなのかね。
「ていうか、王子って十一歳でしょう? 好きだから即プロポーズっておませさんだよね」
あやめさんがお茶を飲みながらほのぼのとした声を出す。珍しい。というか気づいてないのかな?
「あやめさん? こっちの世界での適齢期ってわかってます?」
「え?」
「成人年齢が十三歳ですよ?」
「……え?」
あー、気づいてなかったかー。ザザさんに、言ってやってと目配せすると、僕ですか!? って顔がぶんぶんと横に振られた。仕方がない。
「えー……、いやほら、そのくらいに結婚するものが多いですねというか傾向でしかないですよ……?」
「え、なんで慰め口調からはいるの!?」
「いやいやいやいやそんなことないですって」
「や、顔笑ってるじゃない! どういうこと!」
しまった。面白すぎたのが顔に出たらしい。
「聞いた話だと女性は十五歳から十八歳ですって」
「はあ!?」
「まあ、成人年齢から考えるとさもありなんといいますか。なのでルディ王子の年齢で婚約を考えるのはさほど不思議でもないといいますか」
「……十九歳は」
「いわゆる行き遅れに片足つっこんでんじゃね!」
げらげらと幸宏さんがとどめをさした。
「だ、大丈夫ですよ! アヤメ! 縁談は多分これからきますから!」
「こないかもしれないの!? というか見合いじゃなきゃみつからないの!?」
「え、見合いじゃ駄目なんですか?」
「え?」
首を傾げ合うザザさんとあやめさん。恋愛結婚が主流だと思ってるとかみ合わないのも当然か。
「あやめさん、あやめさん、貴族層だと結婚は見合いが主流ですよ。歴史なりで習ったことあるでしょう? ザザさん、あっちじゃ結婚は恋愛結婚が主流なんですよ」
「あ……なるほど」
「そしてザンネンなお知らせがあります。あやめさん」
「え」
「今私たちの一番身近にいる、あやめさんくらいの年齢の男性は主に騎士団のみなさんです。あのザザさんもいる宿舎に住んでる若い男性たちですね」
「うん」
「彼らは独身ではありますが、大半はすでに婚約者がもういます」
「ということは」
「自力で恋愛にこぎつけるためには、少数のまだ婚約者のいない人を探すか、奪うか、出会いをよそに求めるかしかありません」
あやめさんの視線から目をそらすザザさん。まあ、あやめさんの年齢じゃ結婚なんてまだまだ先だし、すぐしたいわけでもなかっただろうけども、恋愛対象になる人まで少ないとは思ってなかっただろう。しないのを選ぶことと、選ぶ余地が少ないことは全く違う。
十九歳にして、三十路を越えた女の気持ちを味わうわけだ。お気の毒に。うそ。ちょっと思ったより面白かった。
「あ、あの、アヤメ?」
軽く呆然としてるあやめさんにザザさんが恐る恐るフォローにはいる。
「あの、本当は僕から言う話ではないんですけど、これから縁談がどんどん来るはずですよ。アヤメだけじゃなくてみなさんにです」
ほお?
「えっとですね、勇者と縁を持ちたい貴族はいっぱいいるんです。もちろん年齢的にも個人の資質としてもふさわしい人間で」
ああ、エルネスが言っていた、自国で安住してほしいってやつかな。
「で、ですね、今みなさんの存在は公式に広く告知はされていません。もちろんこのあいだの舞踏会も、あくまでも国の上層部、貴族や王族だけの話です。それはみなさんが勇者として成熟するまでの安全策だとお話ししましたよね。まあ、そうはいっても噂は止めようがないので知ってる人間は知っているからこそ、先日の襲撃があったわけですけど」
遠征先でしっかりと護衛がついていたこともそうだ。なんなら王都内で買い物ひとつするにしても、私たちには護衛がつけられる。勇者という存在を狙う輩がいるからだ。このカザルナ国と同盟している二大国以外の、南方諸国や政治的もしくは宗教的団体などなどなど。
少なくとも戦闘組が前線に出るほどに成熟するまでは、そういった輩の攻撃から守るためにそうしていると説明された。
そしてつい先日、エルネスに教わった宝飾店へ向かったあやめさんが襲撃をうけたばかりだ。もちろん護衛についていたザザさんたちの手で、何の問題もなく事は済んでいる。
「なので、派手に動くわけにもいかないと縁談を持ちこみたい者たちは自粛して牽制しあってる状態だったんですね。でも、王子が張り切ってカズハさんに求婚して却下されたわけです。ですから、我も我もとこれから来ますよ。みなさんがその気があるのであれば、たっぷりと選べます。現にこの間の舞踏会でもダンスのお誘いはひっきりなしだったでしょう?」
「わ、私は壁の花だったけど」
「カズハさんは年齢的に見合う参列者が少なかったからですかね……みなさんの詳細な情報は事前に流してないので」
「ほっほお……ですって。あやめさん」
「そ、それなら……え……えっと、いやでもちょっとやっぱり!」
あやめさんはひとしきりおろおろと挙動不審になってから、思い切ったように立ち上がり食堂から駆け出して行った。
「……エルネスさんとこだな」
「ですね」
「え。なんで神官長のとこなんです?」
「礼のザザさん、あやめのエルネスさんってね。駆け込み寺っていうの?」
舞踏会前には、エルネスのイメージが崩れたとショックをうけていたあやめさんだけれども、当日のエルネスの華やかさに憧れが勝ったらしい。以来、何かとエルネスを頼ることが多くなってる。
「ほお。って今の流れでなんで神官長なんですか」
「そりゃあ……恋愛の相談では? エルネスならそのあたりは実力者かと」
「いや待ってください! え? それは、え、いや神官長は駄目でしょう」
慌てて立ち上がったかと思えば、気をとりなおすように座り、そしてまた立ち上がるのを繰り返しはじめる。
「ザザさん、エルネスだって私に話したようなことをあやめさんには言いませんって。さすがに」
お試しだのなんだのを礼くんの前で口にするわけにもいかないのでぼかしながら窘めた。
「そ、そうですよね……いや……そうか? ほんとにそうか?」
そしてまた立ち上がるザザさんを見て。
確かに勇者付としてと虫を追い払う役目ならば、私だけではなくあやめさんにも同じようにエルネスの恋愛指南を避けさせようとするだろう。
―――なんかちょっと面白くないなって思った。