2話 劇的びふぉーあふたー
ひとまずは落ち着いてほしいと用意された部屋にそれぞれ案内され、優雅な一礼でメイドさんが退室した後。
中世世界っぽいのにやけにぴかぴかと磨き抜かれた姿見にかじりつくとそこには。
なんということでしょう。
なにを試しても開いていた毛穴はきゅっと引き締まり、油断すると粉を吹いていたカサカサ部分はなりを潜め。頬にも赤みがさしている。貧血知らずの健康色。これファンデの色、一段階明るくしてもいいんじゃない? ひょっとして販売員さんに「二段階明るくしてもいいくらいですぅう」とかお勧めされるんじゃない? ファンデ今持ってないしこの世界でどれだけ化粧品のラインナップがあるのか知らないけど。
顎のラインが若干シャープなのは頬が持ち上がっているから。頬が重力に負けてないから!
これは今ここで使うべきでしょう。今使わないでどうする。一度は言ってみたかったこのセリフ。
「これが……私?」
ふへ。とにやつきながらつぶやいて、鏡の中の笑顔は瞬時に真顔に戻る。私ですよ。
いやまあ、いうて顔の造作そのものは変わってないですからね。別に美人になったわけじゃない。もうちょっとこう親の良質な遺伝子を受け継ぐことがなぜできなかったのかとしょんぼりしてた中学の頃の私がいるだけだ。
でもね、やっぱり当時の私に詰め寄りたいね。この肌は、若さは、造作を三割増しさせていたんだと。ゆうべまでのしょんぼりなツラと今のしょんぼりなツラ。どう考えたって若い分だけ三割増しにちゃんとなってる。確かに三割増しでもモブ顔なのは変わりはないんだけど!
◇
「うわっカラダ柔っ!」
学校のグランド四つ分ほどもある訓練場の端。振り返ると走り込み中だったらしい礼さんが、その足を止めて私をみてた。縦開脚したまま、両手で地面を押して上半身の向きを変える。
初日サラリーマン風だった礼さんは、城で用意されたの長そでシャツと半ズボンを着ている。初日こそ三十代前半くらいかと思えたけど、こうしてみるともうちょっと若いかもしれない。
「昔ね、バレエやってたんですよ」
「踊るほう?」
「そうそう」
話しながら横開脚に切り替えると、礼さんはおもむろに座り込んで同じように足をひろげた。
「……っ! 無理っっ」
百度ちょっとくらいといったところか。
「礼さんくらいの年の男性でそれだけ開くのもなかなかだと思いますよ」
「そうなのかなぁ」
「本格的にスポーツしてる人くらいじゃないですかね。それに男性って股関節が女性とは違うつくりなので開脚はもともとやりづらいらしいです」
「へぇ。こっちにきて身体能力上がったんだから、これもできそうなのになぁ」
「毎日やってればすぐにできるようになるんじゃないですか? 毎日の訓練でさらにすごいことになってるって、ザザさんが言ってましたよ」
「ザザさんが? ぼくのこと 褒めてくれてた?」
「ええ、礼さんもみなさんもめきめきと上達してるって。剣術も体術も」
「……えへへ」
やけにはにかんだ笑顔を小さくみせる礼さんは、最初のクールそうな印象からはかけはなれている。
「みんながんばってますもんねぇ」
私以外の四人はみんなそれぞれ訓練を受けている。剣術や体術は騎士団の中から選ばれた数人から、魔法はエルネスさんをはじめ、あの召喚の間にいた神官たちから指導されているらしい。
「和葉ちゃんも今日は訓練するの?」
ちゃん付けなんてどれだけぶりか。召喚されてからそれなりに勇者陣は交流を深めつつあるなか、実年齢はいまだ言えずにいた。礼さんは年長組なので、幼く見える私に何かしら気遣って親しげにふるまってくれてるのかもしれない。
「いやぁ、私はやっぱり戦闘は向いてないと思いますしね。今日はただたまには運動したいかなって」
◇
召喚された翌日、私たちは得た能力の確認をした。剣と魔法の世界なので当然戦闘にはそれらがつきものではあるのだけど、勇者だけに現れやすい能力があるそうで。
武器召喚というのか武器顕現というのか、念じるとそれぞれ自分専用の武器がふわっと宙に産みだされる。ふわっと。びっくりした。
このやり方は魔力を練るのと近いらしく、エルネスさんがコツを教えてくれた。なんでも過去の勇者たちの経験談やらがまとまった書物があるらしい。マニュアルといったところだろうか。
「わっ! できた!」
一番最初にコツをつかんだのは、結城あやめさん。女子大生の彼女だ。ゆらりと空気がゆがみ、その歪みが象ったのは映画でもよくみる魔法使いの杖。武器分類でいえばメイス、こん棒に括られるらしい。武器としてももちろん使えるのだけど、どちらかといえばやはり魔法への適性が高いらしく、あやめさんはそちらを重点的に訓練してるそうだ。
次に顕現させたのはチャラそうだった青年。こちらの世界の服も同じように着崩した上総幸宏さんは手の甲に装着するタイプの弓。クロスボウ・ガントレットというらしい。矢は魔力で作るから補充とかいらないって、それもう弓なのかな、何か違う武器カテゴリーじゃないのかなって思う。すごいテンションになってた。
高校生の 巽翔太さんは長い鎖の片端にはとげとげの鉄球、反対側には三日月のような鎌がついた武器。フレイルの亜種ってきいたけどそもそもフレイルってものを知らないので、ほほぅ、というにとどめておいた。バスケットボールほどもあるそれを軽々と旋回させられる自分にびっくりしてるようだった。
長谷礼さんは大剣。これは私にもわかる。一番勇者っぽいって思ってたら同じことを幸宏さんが言っていて、礼さんはやはりちょっとはにかんだ笑顔を見せてた。
……私も一応顕現できた。なんかすごい大きなトンカチというかハンマー。あ、これ知ってるわ。大昔にアニメでみたわ。百トンとか書いてあるやつ。宙から浮かび上がってそのまま地響きとともに落ちたそれを呆然としてみちゃったよね。
あやめさんの杖は丁寧に磨かれて上品かつ高級そうだし、幸宏さんのだってネジ頭らしき部分に小さな宝石みたいな装飾がいくつもついてるし、礼さんの大剣はもうほんと勇者のソレで剣自体が若干発光してるし。翔太さんのこそ無骨な感じはするけど鎌と鎖の継ぎ目には紫水晶みたいなのがはまってる。ワンポイントか。
対するわたしのハンマー、めっちゃ木製っていうか形は違うけど質感はまさに杵って感じだし、こう、そこはかとなく漂う庶民感というか、生活に根差した道具感半端ない。
「えっと……これ、あれですよね。杭うつときに使うやつですよね。武器ですかね。これ」
百トンハンマーというネタ臭漂う例えも出せず無難な表現に変えて問うと、ザザさんは微妙な表情を慌ててしまいこみつつ、フォローに回らなくてはという使命感をにじませて答えてくれる。
「い、いや武器ですよ! ちゃんと武器になります! 使いこなせる人材は限られますが……持てます?」
「ど、どうでしょうね」
若干石畳をいくつか割ってめり込んでいるハンマーの持ち手を両手でつかんで引いてみる。
……腰をためてもう一度。うん。なんかすごく注目浴びてて視線が痛い。気まずい。
「……どうです?」
「……動きませんね。全く動く気配がありません」
結局騎士団一の力持ちという人までだしてきたけど、ハンマーはびくともしなかった。それはもうエクスカリバー並みに。ハンマーだけど。
◇
「まあ、私もともと辞退するつもりでしたしね。自分が顕現させた武器すら持ち上げられないって、戦えないちょうどいい理由にもなりました」
埋まったハンマーは次の日の朝には消えていた。勇者の武器は自在に顕現させたり消したりできるそうなのでそういうものなんだろう。さすが魔法の世界。
「……やっぱり戦いってのはよくないんでしょうか」
何か思うことがあるのか礼さんは私の柔軟の真似をしながら神妙な顔をつくる。この人、妙に子犬キャラなところがあるなぁ。召喚されたときの第一印象はきりっと落ち着いたデキる男って感じだったんだけど。
「あ、別に善悪とかで辞退しようとか思ってたわけじゃないですよ。単に適性の話です」
「そうなの?」
「だって良いとか悪いとか、世界が違えば変わるものでしょう?」
「……そうかぁ」
「そうですよ」
ただそう思っていてもこの世界の戦いとやらはピンとこないけどね、と思うことは黙っておく。勇者としてふるまうことを決めた人たちに水を差すこともないだろう。
訓練場に幸宏さんたちやザザさんら騎士団の人たちも集まり始め、じゃあ、とそちらへ向かう礼さんに手をふって見送る。
戦いの歴史はきいた。魔王がこちら側の国にとってどれだけの脅威なのかもきいた。けれども、なぜ魔王は敵なのか。説明はしてもらったけどよくわからなかったのだ。
国境線が大きく崩れたことはないそうで、押されては押し返しをずっと続けているらしい。勇者の召喚があるとはいえ戦力差はかなりありそうなものなのに、ある程度以上、魔王軍はこちら側にその領土をひろげようとはしない。
そして戦いの終わり、目標は魔王の討伐なのかと問えば、「え? だって魔王ですよ。それは無理でしょう」とザザさんに返された。……勇者のメイン業務、討伐じゃなかった?
つまりお互いに自分の領土を侵されなければそれでいい……?
だったらお互いちょっかい出さなきゃそれでいいのでは……?
戦争とは少なくともどちらかが何かを得るために、征服欲であったり経済的なものであったり細かい理由なら様々ではあろうけど 、要するに一方から一方へ何かを奪うためにもしくは奪われないために起こるもの。私はそう思っていた。
私たちの世界とは価値観も何もかも違うのだろうけれども、まだこの世界をよく知らない私には、この戦争の勝利条件、終わり方が見えてこなかった。こちら側はまだわかる。自分たちと共存できない強いものには恐怖を感じるだろう。わからないものに恐怖を感じるのは生存本能なのだからこれはもうどうしようもない。けれど、なぜ魔王軍はこちら側を攻撃しているのか。
ん、んんんーーー? って思うじゃない……。
戦わないことを選んだ私に、王様もザザさんもエルネスさんも何も言わなかった。城を自由に歩き回らせてくれ、欲しいものがあればなんでも言ってくれといい、城で働く人たちは明るく親切に接してくれる。城を出て暮らしたいのであれば、そのために人をつけてくれるとまで言っていた。文字も読めず風習もわからずでは不自由な暮らししかできないだろうからと。
召喚されて三日目には城中を見て歩き食堂の存在を知った。王族や貴族、私たち勇者の食事はまた別の厨房でつくられているが、そこは城で働くものたちの食事を一手に引き受けている食堂だった。
籠に山盛りの芋やら、捌く前のサイズが想像もつかない大きさの塊肉やら、力強く叩き込まれ続ける一抱えもある練った小麦。大なべをかきまわしながら、リズミカルに葉を刻みながら、オーブンをあけ大量のパンの焼き加減をみながら、私と同年代の女性が大半を占める厨房はあけすけなうわさ話と笑い声とで満たされていて。
―――気がつけば人参らしき赤い根菜の皮をむいていた。
速攻ザザさんにみつかり嘆かれること数回。毎日ではないけど、こう、……仕方なくないです? 上げ膳据え膳人様のつくったごはんが一番美味しいってのが信条ですが、それが何日も続くと落ち着かなくなることこのうえないんですよ。
一応何もすることがないってのもあれなので、文官の人たちにお願いして一日数時間手の空いた時だけでいいからと文字やこの世界のことを教えてもらったりしているけれど、それでも暇なの。どうしようもなく無心に大量の食材をさばきたくなるの。
嘆くザザさんには申し訳ないけれど、掃除や洗濯をやりはじめないだけマシだと思ってほしい。掃除も洗濯も前から好きじゃないだけなんだけど。
「料理も別に好きってわけじゃないんだけどね……っと」
柔軟を終え、はずみをつけて立ち上がる。やっぱり体がすごく軽い。目覚めても体が強張ってない朝とかほんと素晴らしい。