11話 もーえろよもえろーよ
「昔、魔法は精霊の力を借りて行使されるものと考えられていました。私たちは自分の魔力を捧げ、精霊がそれを魔法へ変えるのだと。だから各々が得意な魔法は、水魔法は水精霊、風魔法は風精霊といった具合にその属性の精霊と相性のいい者が発動しやすいとされていたのですね。現在もこの世界のものはほとんどがその概念を下地に魔法を行使します。けれど、行使の仕方はそれだけではないことがわかりました。あなたたち、勇者様たちは魔力を魔法に変える過程が私たちとは違っていたからです」
訓練場の一角で、エルネスさんは華奢な白い杖でリズミカルに自分の手のひらを叩きつつ講義する。
ちりちりと熱気が肌を焼く。暑い、いや熱い。
「勇者様たちは召喚時点で膨大な魔力量を得ます。そしてその魔力を直接魔法や身体能力へ変換させられるのです。精霊を介さない故に、魔法属性ごとの得意不得意は、精霊との相性ではなく個人の性質によるものと考えられます。さて、得意不得意の差とは、その魔法の威力の差となって出ます。同じ魔力の消費量で魔法を行使した場合、得意であればその威力は増大し、不得意であれば威力は落ちます。魔法の種類によっては発動すらできません。回復魔法が代表的なそれですね。攻撃魔法を的に当てるなどの精密な操作性は魔法の得意不得意とはまた話が違います。石を投げて思ったところに当てられるかどうかということと、投げた石がどれだけ威力をもつかということは違うのと同じと思ってください。石を強く投げることができるものは、弱く投げることもできます。―――よって、強い威力で魔法を発動できるものはその威力を小さくすることも可能です。可能なはずなのです。わかりますかカズハさまもう篝籠もすでに消失してますよねカズハさま一体何を燃やしてるんですかカズハさまっ熱っつ!」
太陽は自身全体を均等に燃やしているわけではなく、時折高温の噴水のような爆発を局所で発生させる。フレアとかいう。確か。まさにそんな感じの小さく伸びた火柱にエルネスさんが悲鳴をあげた。
「はい! わかりません!」
「消して! それ消して!」
「無理ですね! わかりません! 熱っあっこれあっつい!」
エルネスさんと両手を握り合って後ずさる。高さ一メートルほどあった篝火用の篝籠も支えていた足もすでに燃え尽きてるのに火力はとどまるところをしらない。
いやさっきから消そうとはしてるんだ。してるんだけども! やればやるほど!
「翔太!」
あやめさんの声で、翔太君が顕現させた鉄球を炎に叩きつける。
押しつぶされ周囲に薄く伸びた炎は、あやめさんが両手を降り降ろすと同時に消えた。
幸宏さんは身体をくの字にさせて笑い転げてる。
礼くんは、おーっと拍手した。私も拍手した。
「なにを」
「あっ」
「他人事のように」
「あっ」
「拍手」
「あっ」
「してんの!」
「ああっ」
あやめさんが右手を掲げて中指を親指で弾くと、私の額に衝撃がその都度くる。エア指弾!? エアでこぴん!? ほんとの意味でエア!
◇
「水や風の生活魔法はまあまあ使えるんですよね?」
「まあそこそこ……それ系は切実なことに気づいたんで……」
「これだけ暴走させるなら火もかなり重要度高いですよ」
「あっはい」
この世界の文明レベルは一見中世くらいにみえるけれども、魔法の存在によって結果的には現代日本とそう変わらないのではと思えることも多い。そのうちの一つ、それはトイレ。
ウォシュレットどころか水洗でもなく、まあそれはよいとしてもトイレットペーパーがない。そこまで製紙技術がまだ発展してないのだ。これはきつい。現代日本人にはきつい。当然私にもきつい。
しかし郷に入っては郷に従え、ではどのように? 多くは語らないけれども、登場したのは水魔法と風魔法でした。魔法だけれどもアナログ手法のウォシュレット。アナログといえるのかどうかなのかよくわからないけどニュアンス的には近いといえるだろう。結果的にウォシュレット。
なんというエコ! わかるだろうかどれほど切実だったか!
「なんで火だけ下手なんだろう……僕らは魔力を魔法に変える過程が違うんですよね? どう違うんですか? 和葉ちゃん以外は困ってないのに」
「私も困ってないですよ」
「困りなさいよ」
「いやだって、厨房では私火魔法使用禁止だし、部屋寒くないし、燭台の火はいつの間にかメイドさんがつけてくれてるし」
「厨房で使用禁止ってなにやったの! ねえ、何やったの!」
竈から火炎放射したなんてとても言いたくなかったので目をそらす。幸い一瞬のことで何故かその時はすぐ鎮火した。あやめさんの厳しい突っ込みと幸宏さんの楽し気な追及の横で、翔太君とエルネスさんの講義は続く。
「どうやら過去の文献によると勇者様たちそれぞれで違うようなんです。『イメージを具現化する』というのが大元にあるそうですが、ただ、言葉にして説明できる勇者様たちばかりではありません。イメージというものを言語化して伝えてくださった魔法については、私たちも使用できるようになりました。浄化魔法がそれにあたります」
「あ、それ私知ってます知ってます」
礼くんを盾にしつつ、幸宏さんとあやめさんをそらして講義にのっかる。
「ほら、この世界、生卵普通に食べてるの知ってますか? 私らの世界じゃ生卵そのまま食べられる国って世界的にも少ないんですよ」
「ああ、海外行ったときに食うなって言われたな……でもこっちで生卵食べてる人って見たっけか」
幸宏さんが首を傾げて記憶をたどっている。
「まあ、私らみたいにたまごかけご飯とかはしないから食堂でも見かけないかもしれないです。普通にっていっても滋養とか栄養ドリンクの代わりに飲んだりすることもあるって程度なんですけど。で、みんなポテトサラダ食べましたよね。マヨネーズもね、加熱してない卵製品なので自家製マヨネーズは食中毒原因の上位にはいるものなんですよ。日本は食に対する執念をもって鶏の衛生管理と卵の殺菌に心血注いでるからこそ生卵を普通に食べれるんです。ところがそんなことはこの世界ではしてません。しかし平気です。私は調べました」
「ほほお」
「食材の新鮮さは勿論ですけど、厨房ではね、食材から調理器具、まな板、刃物、全て必ず魔法で浄化させるのを徹底してるのです。当然生卵も。よって食中毒原因のサルモネラ菌も浄化されてるから、マヨネーズに使えるのです」
何故か雑草が床の隙間から生えている厨房で、衛生面に問題がないか。そこが気になって一番最初に教えてもらったのだ。給食のおばちゃんとしては衛生面や安全面で不安になるような食事は提供できませんからね。厨房の衛生管理功績を我が手柄かのようにどやって講釈してみる。ふふん。
「百五十年前の勇者召喚の時に、細菌学か衛生学の知識を持った人間がいたらしいんです。で、その人が浄化魔法を作り上げたって。浄化っていうと何か宗教的な語感ありますけど、効果としてはどうやら細菌とかを殺す魔法みたいなんですよ。だからこの世界、浄化魔法が汎用化されてからの百年ほど、疫病の流行ってないんですって」
「え。それってすごいことなんじゃないの?」
「すごいですよ。何がすごいって、百五十年前って確かまだウイルスって発見されてないんです。けれど疫病全てを予防できてるってことは、多分浄化魔法は細菌もウイルスも区別なく滅してるんですよ。ウイルスがこの世界にはないって可能性もありますけど、細菌があるのにウイルスがないってのも変な話でしょ。こう、浄化するものは『ちっさいなにか』みたいなアバウトな指定で作用してるんじゃないでしょうか。だから怪我人や病人に少し使うだけで、人間とか生き物には原則使わないんですよね? 体内には良い作用がある菌もあるから」
「そうです! サイキンというものが文献に残っています。ただそれは私たちには視認できない大きさのため、滅するべきものとそうでないものの区別がつきません。実際、浄化魔法の試験段階では使用することで却って体調が悪くなる例も出たそうです。ういるす、というのは初耳ですが―――料理長はそこまで詳しかったですか? ご自分で全て調べたんですか?」
「料理長にも聞きましたけど、歴史を教えてくださってる文官の方たちとか、神官の方たちとかいろいろですね。あとは私らの世界での知識とあわせて、です」
エルネスさんが、がっと私の手を両手で握りしめた。え。怖。顔近っ。
「知識!! その知識をください!」
「え、えっと、私、そういうの、ふわっとした記憶というか風化した知識というかしかなんで、現役のあやめさんや翔太君のほうが適任かと」
あやめさんはさっと目をそらした。ついでに幸宏さんも。文系ですか。文系なんですね。
礼くんは、和葉ちゃんすごいね! とにこにこしてる。もうほんとこの子天使。
翔太君は数秒考えこんでから顔をあげた。
「ふわっとした知識だからこそ、ウイルスまで対応できたんじゃないかな。たまたま『ちっさいなにか』っていう指定範囲の広さがあったからというか。召喚された勇者がもし当時の最先端の研究してる学者なんかだったらそんなふわっとした指定、かえってしないと思う」
すごいな翔太君、名探偵か!
「あ、そうね。ナイチンゲールの活躍が十九世紀後半でしょ。てことは、公衆衛生の概念が広まったのがそのくらい。今から百五十年前なら、細菌とかの詳しい知識というか私たちが学校で習うレベルが平民にまで行き渡っていたかというとどうだろうって感じよね。知識階級で、なんかそんなようなものがあるらしいぞ、くらい?」
あやめさんが地面に年表ぽく線を描く。ナイチンゲールから公衆衛生と結びつけるとはなかなかやりますな。ナイチンゲールの功績ってほんとは公衆衛生や統計学方面で高いのよね。白衣の天使としてではなく。
「和葉ちゃん、あのハンマーでさ、紫雷逸らしたでしょ。あれ何やったか自分でわかる?」
「はい?」
「だって光を逸らしたんだよ。鏡とかの反射を使わないで。なんの魔法?」
「……さあ?」
一瞬だったし、考える時間なんてなかったし……。
「確かにあれは、雷というよりレーザーって感じだったよな」
幸宏さんの言葉に、れーざー、と復唱するエルネスさんの目がぎらぎらしてる。こわい。
光、光ねぇ……あ、そういえば。
「光って重力で曲がりますよね?」
詳しい理屈は当然知らない。フレーズとイメージだけ知ってる。 厳密にはニュアンス違うらしいけど。
「和葉ちゃんてそういうの詳しいの?」
「いえ、全然」
じゃあ和葉ちゃんにはその重力で光が曲がるイメージだけがあるんだ? と重ねる翔太君に頷く。
あの時、重くて持てなかったはずのハンマーを振り回してるとき、重力というフレーズが頭にあった。重力は私の管理下にあるイメージ。まあ、ちょっとそれを言葉にして伝えるのはなんとなくこっぱずかしい。
「エルネスさん、光を曲げられる魔法ってあります?」
「ないですね」
「じゃあ、浄化魔法みたいに、ふわっとした知識で発動しちゃった勇者の新しい魔法なんじゃないかなって思うんだけどどうだろう。名づけるなら重力魔法?」
かっこいいいいい! と叫ぶ礼くんと、新魔法!!!! と叫ぶエルネスさんに前後から掴まれて、あ、これ、私が言語化に苦しむ流れだ、と気がついた。
◇
詳しく! 詳しく! と迫るエルネスさんに、重力ってほらりんごのですね、みたいなことをぐにゃぐにゃとつぶやき続ける。いやこれ言語化してって無理よ無理。変な汗でてくるわ。
「と、いうことはさ、いわばこっちの世界でいう精霊の存在が、私たちにとっては科学知識で、しかもあやふやな科学知識でいいってことよね?」
一言一言確認するようなあやめさんに、翔太君が答える。
「自然にそうなっちゃうんじゃないかな。この世界では精霊の力を借りて起きる現象が魔法って信じてて、僕らは何か現象が起きると科学知識で説明しようと考えちゃうでしょ。僕のイメージでは水魔法は空気中の酸素と水素がくっついてーってなるし。でも魔法や魔力がなきゃ何もしないで空中から水や氷できたりしない。知識から強引に結果だけひっぱりだすのが魔法って感じ? ただ、全部が全部そうじゃないと思うけど。だって僕、風魔法のイメージって単に風車とかだし」
あー、と幸宏さんが頷いて。
「和葉ちゃーん、んー、水魔法使うときってどんなイメージ?」
にじりよるエルネスさんを両手で必死にとどめながら考える。
「翔太君と同じ、ですかね。空気中の水素と酸素、です」
「風はー?」
「気温差と気圧」
「お。なんか科学的くさいね。和葉ちゃん、理系?」
「違いますけど、料理は科学ですからね!」
「ほー、んじゃ、火は?」
「……山火事?」
「科学どこいった」
「いや、昔裏山で山火事がありまして」
「それなんかハードな体験談につながる?」
「いえいえ、大人たちは大騒ぎでしたけど私は子どもでしたから。夜だったんですけどね、夜空が赤く染まってね」
「ほお」
「キレイだったんですよ……あんまりにもキレイでどきどきしました。血沸き肉躍るってあのことですかね……今思い出してもうっとりします」
「それだろ。燃えすぎる原因」