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10話 銀の杯

 ラメを降ったような抜ける青空に、刷毛で一筋葺いた雲。

 ぴるるると転がる鳴き声を渡らせ太陽を横切る鳥。

 遠近感を狂わせるけどあれはきっととてつもなくでかい鳥だろう。

 王都へ帰る道は、来た時と同じように、穏やかに荷車を揺らす。


「―――っいたあああい! 痛っちょいったい無理! あやめさんまって!」

「あとちょっと! あとちょっとだから! 礼くんしっかりおさえて!」

「は、はい! わ、わ、ごめんね和葉ちゃん!」


 私から離れようとしない礼くんを使って、ちょうどいいとばかりに羽交い絞めにさせるあやめさんは、顔中に埋まった小石や泥を水魔法でとりのぞいてくれている。

 水を流すだけでは落ちなくて、霧吹き程度の圧力でも落ちなくて、今私は傷だらけの顔面にシャワーをあてられている。なんで。


「魔法あるのに! なんで! なんで物理でとるの! 意味がわからない!」

「だから! こんな細かい砂とらないで回復させたら皮膚の下に巻き込んじゃうかもしんないでしょうが! ぼっこぼこの顔になりたいの!? ―――よし、いいよ」


 拘束していた礼くんの力が緩んで、そのまま私も脱力してもたれかかる。あぐらをかいた礼くんの膝にすっぽりおさまってる格好だ。

 ぽかぽかと顔のまわりの空気が温まる。気持ち良さに食いしばった顎を緩める。お風呂つかったときみたいな声が知らず出た。

 これが回復魔法かぁ。きっと今私の顔は淡いオレンジ色に包まれてるのだろう。……なんかそれもやだな。

 終わり、とのあやめさんの声と一緒に顔のぬくもりも消えた。ふわっと涼しい風がすぎていく。


「……ありがとうございました」

「ん。ちゃんときれいに戻ったから」


 差し出された手鏡で確認して「これがあたし……」とつぶやいてみる。


「いいからそういうの」


 冷たい。お約束だと思ってやったのに。


「和葉ちゃん、きれいになおったよ。よかったね。かわいい」

「あっはい。ありがとね」


 頭上から邪気のない笑顔で覗き込まれる。子どもって好きイコールかわいいだからね……。


「最中は全然痛くなくて、てっきり勇者補正なんだと思ってたんですけど、気のせいだったみたいです」

「アドレナリンでてたんじゃないかな。確かに俺ら頑丈だけど、全く痛み感じないのはやばいからね……痛みは体の危険信号だから」

「なるほど。みなさん気を付けてくださいね。普通に痛いですよ」

「お、おう」


 あどれなりんとは?と問うザザさんに、なんか脳内にうわっとでるやつ、と幸宏さんがふわっと答えてる。

 行きは馬にのっていた幸宏さんとザザさん、翔太君も今は一緒に荷車に乗っている。多分、ザザさんは私たちのアフターケアなんだろうな。

 予定よりも早く、人の死を見てしまった私たちへの。


「あのっ」

 ずっと考え込んでいた翔太君が声をあげた。


「―――ごめんなさい。謝ってすむことじゃないけど、ザザさんが先に尾を落とせっていってたのに僕……」

「ショウタさん、あれは僕の油断です。魔獣が出る可能性は低いと甘く見て、魔獣それぞれの特性を教えるのを後回しにした僕の責任ですから」

「でも、それは幸宏さんも同じですよね。なのに幸宏さんはちゃんと従ってた。僕だって聞こえてたんです。聞こえてたのに、多分意味をちゃんとわかってなかった。一歩間違えれば和葉ちゃんだって、他の人だって……僕はわかってなかった」


 膝の上で握りしめた拳が白くなってる。

 この子も、賢い子だなぁ。

 ほんの数時間前の、しかも予期せぬ衝撃的な出来事を、もう振り返り分析している。


 あの魔獣は、尾を先に落とさないと死に際に閃光、紫雷を放出する性質だったらしい。ずいぶんと凶悪な最後っぺだと思う。紫雷はインターバルが必要らしく連射こそされないものの、動きも機敏だし爪や牙もかなりの脅威だった。ましてやあの時、紫雷が走ったのは最初の一撃だけ。三体のうちどいつがそれを発したのかもわからなかった。どいつがいつ撃つのか誰もわからなかったのだ。知らなきゃ尾を優先する余裕なんてつくれないことだろう。

 あの状況で即座に対応できた幸宏さんがすごいのだと思う。


 私だって、どちらに加勢したらいいのか、どうしたら足を引っ張らずにすむのか判断できなかったのだ。


「……私だってわかってなかったわよ。たまたま回復に回れっていわれたからそうしただけで」

「あやめさん……」

「何よ」

「あやめさんもフォローとかするんですね」

「あ、あんた、さっき綺麗にしてやった人間に向かってそれ!?」

「翔太君、正座痛くないですか? 崩しましょう? ほら、暴走した私がこんなにだらけてますし」


 礼くんにもたれかかり投げ出した両足を示す。ジャージの肘も膝も裾も穴だらけのぼろぼろで悲しい。やめてあやめさん、穴ひろげないで。ジャージの穴の攻防戦を無言でひろげる。 


「確かに昨今滅多にお目にかかれないほどの暴走でした……何かにのっとられたのかと思いましたよ」

「鬼神もかくや、だったね」


 ザザさんと幸宏さんものってくれる。


「ああ、でも鬼神というより鬼子母神かもね。仲が良いとは思ってたけど、和葉ちゃんからみたら礼くんは子どもみたいなもんでしょ?」

「ですねぇ、言い出したら幸宏さんと息子は二、三歳くらいしか違いませんし」

「ほんとの意味で、見えないっすね……」

「……でしょうね」


 礼くんと私の実年齢のことはもう説明してある。やっぱり全員、ザザさんのときと同じように微妙な顔しつつ色々と納得してくれたようだった。幸宏さんは「和葉さん……、いやそのまんまでいっか」と、さん付けを即却下してた。


「まあ、色々と今後のこともありますし、細かいことは城に帰って落ち着いてからにしましょう」

「……はい。ほんとごめんなさい」


 ぺこりと律義に頭をさげた翔太君は、一拍おいて、がっと顔をあげる。


「で! 僕納得いかないんですけど! なんで礼さん、礼君! 僕のこと君づけなわけ!?」

「え」

「だって最年少は礼君ってことでしょ! 和葉ちゃんのことは最初ちっさくみえたからアレだけど、幸宏さんは幸宏さん、あやめさんはあやめさんって呼ぶのになんで僕だけ翔太君なのさ!?」


 あ、そここだわるとこなんだ。


「えぇー……だって翔太君は翔太君って感じなんだもん……」

「なんでさ」


 確かに言動は落ち着いていてるんだけど、翔太君って少しふっくらした頬のラインといい、君って感じなんだよね。そしてまた妙なところにこだわってみせる姿は、まさにそんな感じで。


「いや、翔太、それでいったら和葉ちゃんだって翔太君って最初から呼んでたじゃん。それはいいのか?」

「お、おんなのこはしょうがなかったから!」

「お、おう、さよか」


 なぜだ。年頃の男の子の理屈はわからぬ。


「やっぱり翔太君は翔太君って感じ……」


 譲らない礼くんに、年長組は「だよね」と声に出さず頷き合った。





 絶望を思い出せと、魔王の側近モルダモーデはそう言った。まだ足りないとも。


「絶望、ねぇ」

「ふざけたやつだったじゃない。芝居がかった高笑いしちゃってさ。厨二かっての。大した意味なんてないんじゃないの」


 城に戻った翌日の朝、カザルナ王やエルネスさん、大臣たちも列席する会議に私たちも参加していた。


 モルダモーデが私にささやいた言葉を告げると、幸宏さんは眉を寄せ、あやめさんは切って捨てた。

 昨日のことの報告も兼ねているわけだけども、そういえばこういう場合って謁見の間とか使うもんじゃないのかなってザザさんにこっそり聞くと、王は格式より効率を重んじますからと教えてくれた。ほんっといい上司よね……。


 足りないとは何のことだろう。あの状況であの文脈なら、素直にとれば私たち勇者の力が「足りない」だ。足りないから絶望を思い出せというのなら、思い出せば足りるようになるということ。

 だけど、魔族にとって私たちは敵だ。何故敵を強くするようなことをわざわざ教えるのだろう。


「魔族ってみんなあんなのですか? あれが特殊なんですか?」


 あれが特殊なら、真意などそれこそ当人に聞かなきゃわかるはずもない。けれど魔族全体の気質がああいうものならば、意味は推測できるのかもしれない。


「わからんのだ」


 苦々しく答えた王を、ザザさんが補足してくれる。


「僕らが前線で戦っているのは、主に魔獣とそれを使役する魔族です。ただその魔族たちと対話はできません」

「言語が違うということ?」

「いえ、それすらわからないんです。言語が違うのか会話する気がないのか。やつらは戦場で仲間同士の意思疎通さえ行っているように見えません。上位というか、昨日のモルダモーデは魔王の側近と言ってましたが、幹部クラスの魔族とは会話が可能だと記録にはあります。ただそのクラスの魔族と接触できたという記録はここ百年以上ありません。僕も魔族と会話したのは昨日が初めてです。魔族はその言語、生活様式、文化、全くといっていいほどわかってないんです」

「いやだってずっと戦ってるんでしょう? 交渉とか、それこそ捕虜をとることだってあったんじゃないんですか」

「―――ありません。生きたまま捕えるには、あいつらは強すぎるんです」


 幸宏さんの問いに、悔しそうにうつむいてから、ザザさんは私に顔を向ける。


「カズハさん、戦闘は昨日が初めてでしたよね」

「はい……すみません。無謀でした」


 昨日翔太君が反省したのと同じことだ。勝手に動くことは、仲間の誰かを失う確率を上げる。我ながら冷静な性質だと自負があったのに、頭に血が昇りきっていた。

 あの時、私が押さえつけられていたあの時、礼くんはモルダモーデに斬りかかって、弾き返されていたそうだ。指先ひとつ触れずに、だ。


「いえ、自覚はないかもしれませんが、あのカズハさんの攻撃は、僕には躱し続けるのが難しいでしょう。レイさんに至っては何をされて、あそこまで吹き飛ばされたのか、いまだにわかりません」

「え。そんなこと」


 だって訓練では幸宏さんとザザさんたちは互角に戦ってた。そりゃザザさんたちは二人がかりだったけど。


「訓練ではね、言い方悪いですけど、勇者様たちは手加減してるんです。アヤメさんたちには戦闘そのものと、その技術を学んでもらうために。ユキヒロさんに至ってはほぼその必要はありませんが、完全にご自分の力を使いこなせているかというとそれはまだです。あくまでも勇者様たちの力を十全に引き出せるようになるための訓練なんです。僕らはお手伝いしてるにすぎません。過去の勇者様たちも能力を完全に扱いこなせるようになるまで相当期間かかっていたといわれています」


 幸宏さんたちに目で問うと、みんな気まずそうに頷いた。


「召喚された当時のままの能力ですら、対個人戦では僕らは勇者様たちにかないません。けれどモルダモーデはどうでしたか。―――それが僕らと魔族との圧倒的な差なんです」


 昨日のモルダモーデの動きを思い出す。むせかえりながらなのにひらりひらりと躱された。次にどう動くか全くわからなかった。やつがその気になれば、私は自覚もないまま殺されていたんだと思う。


 なぜそんなにまでの力量差があるのに、前線を超えて王都近くにまで突如現れることができるのに、国境線は維持されているのだろう。なぜ負けていないんだろう。なぜ魔族は蹂躙を選ばないのだろう。


 なぜ、自分たちが持ち得ない力をもっている私たちに、この人たちは戦いを強制せずにいられるのだろう。





 今日の訓練は午後からとのことで、私たちはなんとなく食堂でお茶している。ザザさんもいなくて、勇者陣だけでお茶っていうのは思えばあまりなかったような気がする。だけといっても食堂だからまばらに人はいるのだけど。それでもまだ昼ご飯にはかなり早く、朝ご飯にはかなり遅い時間だからほんとにちらほらだ。


「さっきさぁ」


 ぽちゃり、ぽちゃりと角砂糖を三ついれながら、あやめさんがなんとはなしの風情でつぶやく。


「昨日亡くなった人のね、お葬式とかどうなるのってザザさんにきいたの。そしたらさ、しないんだって。もちろん遺族はするだろうけど、公式に個別にはしないって」

「え。そうなの? え、それって戦争中だからってこと?」

「うん。よくあることだからって。年に一度、追悼と慰霊の式典があるから、もしよかったらその時に出席してもらえると喜ぶと思いますって」

「……そういうもんなのかな。日本ってどうだったんだろ。あ、でも戦争してたわけじゃないから違って当たり前なのかな」


 目の前で起こった現実が日常のことであると、翔太君もあやめさんもまだどう捉えていいのかすらわからないようだった。


「まあ、戦争中だから、だな。聞く限り戦争してなかった時代はないみたいだけど」

「そっか。普通のこと、なんだ」


 んー、と幸宏さんは頬を掻いてから、食堂のカウンターのほうを指さす。


「翔太、あそこ見てみ。銀の杯あんだろ」

「あ、うん。いつもあるよね。あれもゴーストの?」

「いや、あれは殉職した人へ捧げる酒。―――みんな飯食う時も夜酒飲むときも、あの杯に自分のコップを、こう、かつんってあててるぞ」


 そういって、自分のお茶のカップを翔太君のカップに軽くあてる。

 そう、あのお酒は朝晩と料理長が用意している。休みの日以外は絶対に自分がする仕事だと言って。


「そ、なんだ。知らなかった」

「お前らはほら、夜に酒飲んだりしないからさ。普通かもしんないし日常なんかもしんないけど、多分、俺らがいう普通ってのとはニュアンス違うと思うぞ」


 まあ、あんま上手く言えないけどな、と、お茶を飲み干した幸宏さんのカップにすかさず新しいお茶をつぎ足してあげる。


「お。ども」

「持ってたら飴ちゃんあげるとこなんですけどね」

「出たよ。おばちゃんのマストアイテム飴ちゃん。今度つくってよ」


 考えときますって答えて、お互いカップをかつんとあわせた。

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