*6*
どんな顔をして合えばいいのだろうか。
(普通に?……絶対に無理よ!)
悶々としている内に当日となり、アマリーはラッキーカラーの指輪をつけたまま脱走を図ろうとしたところをあっけなくメイドたちに捕獲され、全身をくまなく磨きあげられた。それから嬉々とする彼女たちに、貞淑で可愛らしい雰囲気の洋服を着せられて、品のよいアクセサリー類で飾られる。
(まるで着せ替え人形ね)
楽しそうなメイドたちとは対照的なアマリーは自嘲して、陰鬱な気分のまま胸元に触れた。
痩せたせいで胸のあたりが少しゆるい。しかし不格好というほどではなかったので、詰め物は拒否した。
鏡に映る自分を眺めて、アマリーは改めて深々とため息をつく。
(ひどい顔だわ……)
もはや化粧でごまかしきれないやつれ具合。
彼は驚くかもしれない。
理由を問われたらどうしよう。
ぐるぐる悩んでいても始まらないので、意を決して彼の来訪を玄関で待ったのだが……。
「……会いたくないわ」
本音をぽつりとこぼすと、父が普段よりもかなり低い声で尋ねてきた。
「やはり、好きな男がいるのか……?」
「か、勘違いしないで。駆け落ちなんて真似、したりしないわ」
だって、これから会う人が好きな人なのだから。
自暴自棄になって他の人と駆け落ちするほどは、現実に絶望はしていない。せいぜい数日寝込むくらいだ。
なのに父は訝り、今度は優しい声音で追求を強めてくる。
「やはりいい人がいたのか。アマリー、それは誰なんだい?」
「そ、そんなことを聞いてどうするの?」
「どうするかは、……相手によるかな」
父に知られてしまったら、汚い手を使ってでもアマリーと添わせようとするだろう。
いや、そんなことをせずとも添うのだが。
(もう……!ややこしすぎるわ)
ただ、相手が貴族でなければ、アマリーが未練を残さないように消されていたかもしれない。
父は穏やかな顔をして、やることがあくどい。
アマリーはぷるっと震えて、ラッキーカラーの指輪に触れた。
その些細な動きを、父が目で追ってきた。
「アマリー。その指輪は服に合っていないよ」
「でもゴールドがラッキーアイテムなの」
「それなら縁取りが金細工のブローチがあっただろう?それに換えておいで」
ゴールドなら何でもいいので、言われた通りに指輪とブローチを交換しにいった。
小さなブローチでしかもピンが外れやすいので、つけるのに苦労していると、とうとう玄関から来客を知らせるような、父の通る声が聞こえてきてしまった。
(ああ……ついに、来てしまったわ)
アマリーは、自分に大丈夫と言い聞かせた。
ラッキーカラーはちゃんと身につけている。
(これでラッキーアイテムの雪の雫さえあれば完璧だったのに……)
悔やまれるはそこだ。
雪の雫をくれた元婚約者は、すべてを捨てて愛する人の元へ行った。そういうのが本当の愛というのだろう。
ならばアマリーはどうするのが正しいのだろうか。
このまま彼と結婚して、仮面夫婦を演じればいいのだろうか。彼らの逢瀬をじゃましないよう、慎ましく、感情を隠して……。
アマリーはため息をついてジュエリーボックスを閉じた。部屋を出ようとした時、ふとテーブルに置かれた封筒に気づいた。
宛名はアマリー・コースト様となっている。
誰だろうと裏返してみた。しかし差出人の名前がない。
アマリーはもう一度じっくりと宛名を見つめて、はっと息を呑んだ。
「ま、さか……」
元婚約者からの手紙だ。間違いない。
手紙を出してきたということは、あの村は雪どけを迎えたのだ。
(もう、そんなに経つのね……)
アマリーはしみじみとしながら、ペーパーナイフで封筒を開けて中を覗く。
そこには手紙が一枚だけ、収められていた。
記されていたのは、生きているという旨と、アマリーの幸せを願う言葉だけ。
やはり彼にとって、アマリーは永遠に幼い妹なのだろう。文字や文章から、家族の幸せを願うような温かさが感じられた。
それを大事に大事に読んでから、アマリーはそっと苦笑した。
婚約を破棄された直後はあれほど胸が苦しかったのに、今は普通に受けとめることができる。
彼自身の近況は書いてないが、きっと幸せに暮らしているのだろう。
アマリーは手紙を封筒へとしまい、それを胸に抱いた。
背中を押された気分だ。
自分の心に正直になれと、したいようにしろと、言われている気がした。
アマリーは腹をくくり部屋を飛び出した。
両親とセティア伯爵のいる客間のドアを勢いよく開け放ち、目をつむって叫ぶ。
「わ、わたしは!他の人を愛している人との結婚なんて、お断りよ!」
しぃん、と、室内に静まり返った。
アマリーはおそるおそる目を開ける。
最初に瞳に映ったのは、あっけに取られた父と母。
そして――。
怪訝そうな表情をして、こちらをひたと見つめる黒い双眸。
両親と向き合う形でそこに座っている、彼――ライナス・セティア伯爵が、アマリーへと静かに問いかけてきた。
「……どういうことですか?」
「しらばっくれないで!そ、そちらに非があるんだから、この婚約は白紙よ!」
「非、とは?」
とぼけているようには見えなかったものの、すでに勢いがついていたので、アマリーは盛大に言い放った。
「だってあなた、第三王子と恋仲なんでしょう……!」
刹那、室内にさっき以上の静寂が訪れた。
静かすぎて、庭で遊ぶ小鳥のさえずり聞こえてくるほどだ。
そしてどれくらいした頃か、沈黙を破ったのは、彼だった。
「……少し、彼女と二人きりで話をさせていただいてもよろしいでしょうか?」
「え、ああ……うん」
無表情なのに、どことなく怒っている気がする彼が、困惑ぎみの父からあっさりと許可を得た。
母にはショックが大きすぎたようで、額を押さえて背もたれに沈んでしまった。父はメイドを呼んだりと、その介抱に忙しく動く。
その混乱から離れ、アマリーは彼に手を引かれ庭に出た。
そしてやわらかな日差しのふり注ぐ庭で、そこまで繋がれていた手を、そっと振りほどき彼を見据えた。
「この結婚はカモフラージュなんでしょう?貴族の結婚なのだから、初めは愛情がなくても仕方ないわ。だけどわたしはいつか、お互いを想い合う夫婦になりたいの。だからあなたとは結婚できません。――偏見や風当たりのきつさに負けず、あなたは、本当に愛する人と幸せになって」
アマリーはまた、好きな人を行かせてしまう言葉を紡いだ。
堪えきれず、頰を生温かい雫が濡らす。
すぐに顔を伏せ、それを慌てて手の甲で拭った。
何で泣いているのか、問われたら困る。
伝えることは伝えきれたので、踵を返しかけると、腕を掴まれた。
見上げた彼は、やや首を傾げている。
「なぜあなたの中で、俺と王子が恋仲になってるのですか?」
「なぜって……」
噂にもなっているし、実際に密会現場をこの目で見てしまっているからだ。
「この間の夜会で、人目につかない場所で、……だ、抱き合っていたから」
「…………あれか」
「え?」
考える素振りを見せていた彼は思い当たるふしがあったのか、否定するようにゆるく首を左右に振った。
「あれは違います。……嫌がらせです」
「嫌がらせ?」
意味がわからない。
「あの方は好意を寄せる女性に言葉すら交わしてもらえなかった腹いせに、追いかけてきた他のご令嬢たちの前で、わざと抱きついてきたのです」
「……それは、一体どういう……」
「あなたが勘違いした通りのことを、彼女たちに植えつけるためにですよ」
(噂を信じ込ませて、彼を陥れるために?何それ……、腹心の部下じゃなかったの?)
それともこれが男同士の友情のありかたなのだろうか。
男の友情は歪んでいる。アマリーは素直にそう思った。
「で、でも。婚約者に、その、逃げられて女性に幻滅したって……」
彼の辛い気持ちは痛いほどわかるので、ひどいことを言っていることは理解している。だけど聞かずにはいられなかった。
彼はさほど傷ついた様子もなく、淡々とした説明口調で話し始めた。
「なぜか婚約者に逃げられたことになっていますが、俺たちの破談はお互い合意して決断したことです。彼女には真に愛する人がいて、俺はむしろ、彼女を応援していました」
「応援?」
「親同士が決めた相手だったので、俺たちはお互い、婚約者ではなく運命共同体のように感じていました。たぶんあなたも知っての通り、その内彼女は身分の違う相手を好きになり、その彼と結婚した。俺は一途に人を好きになれる彼女を尊敬していましたし、彼女の恋が叶ったことは、自分の恋が叶ったことのように嬉しかった」
彼の顔がほころんでいるように見えた。
きっとその彼女は、彼にとってはよい友人だったのだろう。
「だから女性に幻滅するはずがありません」
彼はまっすぐアマリーを見て言い切った。
嘘を言っている雰囲気ではない。
ここまできて、噂に踊らされてとんでもない勘違いをしていたことに気づき、一気にさぁっと青ざめた。
「ご、ごめんなさい!わたし……!」
「ええ。あなたはもう少し周りを見て、事実確認してから言動すべきですね」
穴があったら入りたい気持ちだ。
今すぐこの場から逃げ出したい。
なのに彼は一歩だけ、距離を詰めてきた。顔もずいっと近づいてくる。
「ところでさっき、……なぜ泣いたのですか?」
ぎくっとした。
適当な言い訳を口にしようとした瞬間、つむじ風が庭を通り抜けて、煽られたブローチが飛ばされた。
(ああ……!ラッキーカラーが!)
アマリーは膝をついて、ブローチが落ちたあたりの芝の中を手で探った。水をまいた後だったのか、キラキラした雫に惑わされて、うまく見つからない。
彼は呆れたりせず、膝を汚してまで一緒にブローチを探してくれた。
冷たいように見えても優しい人。
彼に見惚れていると、指先にブローチの冷たく硬い感触が当たった。
「あった!」
ぱっと顔を上げると、すぐ目の前に彼の顔があった。
アマリーを惹きつけるその瞳を見つめていると、つい、心に嘘のない言葉を言いたくなった。
「……あなたのことが、好き、だから」
驚くと思った。しかし彼は、数度瞬いただけで、アマリーの頰をくすぐるように手を添えてきた。
次に何が起こるかわからないほど子供ではない。
雪の雫のように輝く芝の上で、アマリーはそっとまぶたを下ろしたのだった。