*5*
たぶん勝手に舞い上がっていたのだ。
毎回窮地に助けに来てくれるなんて、まるで物語のお姫様のようだと。
知らない間に彼に好意を抱いていた。たぶん、気づかない内に好きになっていた。
なのに、だ。それは大きな間違いだった。
彼はアマリーのことを初めからきっと知っていた。知った上で気にかけてくれていたのだ。婚約者候補だったから。――形だけの、婚約者の。
だって彼には好きな人がいる。
決して結ばれることのない、第三王子という恋人が……。
彼に恋人がいると知った時は感じることのなかった胸の痛みに、今は押し潰されてしまいそうだった。
なぜ。どうして。どうして――……。
(どうして男性なの!?そしてどうして一度フラれたくらいで女性に幻滅するのよ!)
アマリーだって、大好きな兄様に結構こっぴどく婚約破棄をされた。
それでも女性に走ったりしていない。
「ああ、もう……!」
アマリーは枕を叩いた。
好きな人が実は、婚約者だった。それだけならどれだけよかったか。
まさか好きな人が婚約者で、同性愛者だったなんて。
告白しても間違いなくフラれてしまう。
(なんてことなの。わたし、……また失恋したのね)
結論はそこだ。失恋したのだ。
やっと新しい恋をしたのに、それを自覚した途端、おかしな方向から叩き壊された。
知らなかったとはいえ、ラッキーアイテムを粗雑に扱い、あまつさえ放り投げた罰なのだろうか。
アマリーは寝室の寝台で、泣きはらした両手で顔を覆い、はしたなく倒れ込んだ。
もう、起きれる気力は完全に失われた……。
寝台に伏せがちになったアマリーを心配してか、両親が家へと招いたのは一番の友人で信頼のおける占い師こと、ケイティだった。
「あなたが家に閉じこもっているのは、これで二度目ね。……少し、痩せたかしら?肌も荒れているわ」
「……痩せは、したけれど」
億劫だが寝台から身体を起こしたアマリーは、自分の肌に触れてみた。張りがなく、心と同じで萎れきった花のようだ。髪にもこしがなく、枕で何度も寝返りを打つせいでくしゃくしゃ。
アマリーはここ数日、ほとんどの時間を寝室で過ごしていた。
「失恋は寝込んでも癒せないわよ?」
アマリーは恨みがましくケイティを睨む。何でもお見通しな彼女が憎らしい。
ケイティに隠し事は無理だとわかっていても、アマリーは本音を隠して強がった。
「し、失恋は関係ないわ」
ケイティはそれを流してしみじみと続ける。
「最近アマリーから淡い恋のオーラがにじんでいるとは思っていたけれど、まさか相手が縁談相手……ああ、もう婚約者だったわね。よかったじゃない」
「よくないわよ!……全然、よくないわ。寝込んでいる間に話もどんどん進んでいるし……」
そうなのだ。来年にはセティア伯爵に嫁ぐことが寝台に伏せている間に完全に決定していたのだ。
気の早いことにもう日取りも決まり、式場も抑えられているという。
きっと両親はケイティのように、アマリーの失恋に気がづいたのだ。だから駆け落ちなど、家の名を傷つけるような醜態を犯す前にさっさと嫁がせてしまえという魂胆で後戻りできないように進めたに違いない。
アマリーは、もはやどこからどう説明すればよいのかわからない状態だ。
苦肉の策で食を断ち、顔合わせを先伸ばしにして寝台に立て籠っている。
とはいえ、食を絶つまでもなく食欲はなかったのだが。
痩せてしまった最大の原因はケイティの推測通り、気づいた瞬間に散った淡い恋のせいに他ならない。
「きちんとお伝えしたら?」
「そして玉砕して、ぎこちない新婚生活を送れと言うのね?」
「そうは言っていないのだけれど」
ケイティは口元を扇で隠した。また笑っている気がする。
「……ぎくしゃくするのがわかっているのに、好きだなんて言えないわ。それに彼らの仲を割くなんて、わたしにはできない」
「そうね」
意外なことに、ケイティはあっさりと引き下がった。
「そうね、って。発破をかけに来たのではないの?」
ケイティがただ心配して見舞いに来ただけだとは思えなかった。
背中を押しに来たのかと思っていたのだ。
「そんなことをしなくても、アマリー・コーストの性格を知っているもの。あなたは優しいから、人の恋路をじゃまするなんてことはしないわ。私が言ったのは、ご両親にきちんと例の件を伝えないのってことよ?」
「そ、そういうこと……」
勘違いをして、いらない恥をかいてしまった。
ケイティ相手に、今さらではあるにしても。
「まぁ、一生に附されるか、アマリーの頭が大丈夫か心配されるだけで、破談は確実に無理でしょうけれど」
ケイティが扇を閉じて微笑する。
友人ではあるが、そこまで明け透けなく言われると、むっとしてしまう。
「あなた……わたしを慰めるためでなく、笑うために来たのね?」
「あなたがそう思うのなら、そうなのでしょうね」
「ケイティ」
「ここへ来た理由はあなたのご両親に相談されたからよ。アマリーを励まして、とね」
「まったく励ましていないわ」
「励まされたいの?」
アマリーは沈黙した。励まされて元気になるなら苦労はしない。
「ほらね」
勝ち誇った顔のケイティに、クッションを投げたが、扇でひらりとあしらわれて終わった。
床に落ちたクッションを眺めて、アマリーはあの雪の雫を思い起こした。
彼に強引に押しつけた雪の雫は、もしかして第三王子へと渡ったのだろうか。
それはとても、……妙な気分だった。
(――そうだわ)
「あの雪の雫、……返してもらおうかしら」
アマリーの薄暗い感情を見透かし、ケイティは愉快そうに笑う。
「憐れな雪の雫。思いとは裏腹に行ったり来たり……違うわね。飛んだり、だったかしら?」
「茶化さないで!元はと言えばあなたが雪の雫をラッキーアイテムだと言ったんじゃない。やっぱり粗雑に扱ったから、災難ばかりが降りかかるのよ……」
「災難、ねぇ?」
「災難よ」
これを災難以外の何だと言うのだろうか。
「私の聞き間違いかしら?あなたこの前、占いには頼るのは嫌だと言っていなかった?」
「うっ」
「ちなみに、あなたのラッキーカラーはゴールドよ」
アマリーは慌てて全身のあちこちを探ったがゴールドにあたりそうなものがなく、寝台から俊敏に飛び出してジュエリーボックスから適当に金細工の指輪を掴み取ると指にねじ込み、肩で大きく息をついた。
(――はっ!)
ケイティが、「信じきっているじゃないの」という顔をしてこちらを見つめている。
「しょ、しょうがないじゃない!誰だって聞いてしまえば気になるものよ!」
アマリーが言い訳がましく叫ぶとケイティがにこりとした。
「いつもの元気なアマリーになってよかったわ」
(あ……。そのために?)
どうやらケイティらしいやり方で、励まされたらしい。
ぽすんっと寝台に座ったアマリーは、怒るに怒れず唇を尖らせた。
だけど、やっぱり、持つべきものは友人だ。
「普通に励ましてよ」
「あいにく普通を知らないのよ、私」
頬に手をあて嘯くケイティに、アマリーは苦笑した。
「……そうね。あなたが普通なら、一国の王子をウザいとは言わないわよね」
アマリーの何気ない一言に、ケイティの目がすぅっと細められた。よほど王子が苦手なのか、そこに剣呑な光が宿っている。
話を変えようと口を開きかけた時、部屋にルディがひょこんと顔を覗かせてきた。
ルディのおかげで、ケイティは優しげな微笑みになる。
「あら、ルディ。こんにちは」
「ケイティねぇ様、こんにちは」
ルディは行儀よくしゃんと挨拶してから、ぴょんとアマリーの膝に飛びついてきた。
「ねぇ様!ねぇ様!明日大事なお客様が来るって、知ってた?」
「大事なお客様?」
そんな予定など聞いていない。
突然決まったのだろうか。
(大事なお客様……?何か、嫌な予感が……)
「そういえばさっき、あなたのお父様から、婚約者との顔合わせによい日はいつかと聞かれて、明日と助言しておいたのだけれど」
アマリーがゆっくりと目を向けると、ケイティは扇で口元を隠した。
絶対に笑っている。
「……この、裏切り者!」
いっときでも友情を信じた自分が馬鹿だった。
憤るアマリーとくすくす笑いのケイティを、ルディがきょとんとして見上げていた。