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「アマリー、君に縁談の話がきている」
父の一言にアマリーは首をひねった。
なぜなら縁談の話は、少ないがこれまでにもいくつかあったからだ。そして、そのどれもが何かしらの問題のある人たちばかりだった。アマリーより倍以上も年上の公爵だったり、好色家で有名の伯爵の第二婦人だったり、横暴な性格の男爵だったりと。
さすがにそんなところに娘を嫁がせたくはなかったのか、これまでアマリーに直接話すことなく断っていた。なので、「縁談の話が来ていたがすでに断った」といういつもフレーズでなかったことが不思議だった。
「縁談?」
娘が婚約破棄されてからふとした拍子に浮かない表情を見せていた父だが、今日は何とも微妙な顔をしている。
嬉しいとも悲しいとも呼べない、とても曖昧な顔だ。
そんな顔をするくらいならこれまでのように、事前に断っておいてくれればいいのに。
父が断りきれない相手なのだろうかと、アマリーは身構えた。
それを感じ取ったのか、父は苦笑する。
「ライナス・セティア伯爵だよ。……ほら、先日夜会を開かれたカディナ公爵と縁戚で、家督を継いだばかりの」
アマリーの記憶にカディナ公爵と婦人の顔はしっかりと刻まれているものの、件の人物にはまったく心当たりがなかった。
しかし身元は確かなようだ。
「ものすごく年上なの?」
「いや、ニ十三歳の青年だよ」
「だったらすでに正妻がいたり、もしくは隠し子がいたりするのね?」
「正妻も愛人もいない。か……隠し子、も」
父のぎこちない言葉を訝しみながらも、アマリーは矢継ぎ早に質問を重ねる。
「暴力をふるう人?それとも、おぞましい容姿をしているとか?ああ、髪が薄いのね?まさかわたしよりも背が低いとか?さもなければ、わたしはお飾りで男色家な人だったりするのかしら?」
「…………。――いいかい、アマリー。そこまで自分を卑下しなくていい。……あの男に見る目がなかっただけなんだから」
顔をしかめている父の口から元婚約者の彼の話が出かけたので、アマリーは気にしていないていを繕いながら、本題の続きを促した。
「全部違うのね?だったら何が問題なの?」
「問題、は……」
言い淀んでいる間にしびれを切らしたアマリーは、早くと続きを促す。
父は意を決したように告げたのは、意外なものだった。
「彼は、セティア伯爵は、……婚約者に逃げられたんだ」
君と同じで、という言葉はどうにか飲み込んでくれた。
ああ、なるほどね、とアマリーは父の言葉を冷静に受け止めた。
どのような人物かは知らないが、共感することだけは他の誰よりもできるだろう。
だからといって、それが理由で選ばれたのだとしたら、腹の底から怒りが燻り今にも爆発しそうだった。
(傷をなめあって生きていけというつもりかしら?……冗談じゃないわ)
馬鹿にしないで欲しい。こんな屈辱的な気持ちを、二度も味わうとは思わなかった。
それに、だ。たとえ若く、すでに爵位を継いでいて財産もあり、容姿に何も問題がないできた人だとしても、まともではない。
とはいえ、断れる雰囲気でないのは父の様子から明らかだった。
王家の覚えのめでたいカディナ公爵家と繋がりが持てるのだ。
この間の公爵家の夜会だって、なぜか偶然参加できただけで普段は呼ばれもしない。
未だにアマリーを気遣ってくれる元婚約者の両親からのはからいだった、いつまで続くかわからない。孫でも産まれたら、絶縁もアマリーのことも忘れて、きっと会いに行くのだろう。
血の繋がりは切っても切れないのだ。
「いっそのこと、男に生まれていたかったわ」
「あら。あなたが男に生まれていたら、私も結婚相手選びに苦労することはなかったでしょうね」
友人とお茶をしていることをすっかりと失念していたアマリーは、正面でのんびりとパンケーキを食べている黒髪の少女へと意識を戻した。
「ケイティ。あなたまさか、わたしと結婚するつもりなの?」
「アマリー・コーストという人間が男だったら、という仮定の話ならね」
「だけど現実は違うわ。あなたも早く結婚しないと、ご両親が泣くわよ」
ケイティはくすっと笑って小首を傾げた。魅惑的な微笑みだが、アマリーにそれは効かない。
「いつも言っているでしょう?私は占い師なの。呼ばれれば夜会でもサロンでもパーティーでもどこへでも行くわよ。両親も喜ぶことですしね。だけど今のところ夫はいらないの。養ってもらわなくても、自分の稼ぎで生きていけるもの。適齢期を過ぎるまでのらりくらりとかわし続けるわ。――そうだ、アマリー。今日は友人割り引きで、あなたの運勢でも占ってあげましょうか?」
「嫌よ。あなたの占いって……当たるもの」
そう。ケイティの占いは当たるのだ。よい結果であれ、――悪い結果であれ。
「あら、残念ね。でもそう言うと思ったわ。だったら今日は友人として、胸につっかえている問題についての相談に乗ってあげるわ。あなた、そのためにわざわざここまで足を運んで来たのでしょう?」
「……ええ、そうね。――ねぇ、ケイティ。セティア伯爵って知っている?」
ケイティは驚きもせず、唇だけで微笑みを浮かべた。
「もちろん。彼が新しい婚約者候補なの?」
「……ええ、たぶんね。それで、どんな人?」
「カディナ公爵の甥で、ウザい第三王子の学生時代からの友人で腹心の部下」
(ウザいって……仮にも王子相手に)
第三王子との間に何かあったのだろうか。
あったとしても、ケイティは口を割ろうとしないだろうが。
「確か、近々結婚されるご予定だったのに、その婚約者に逃げられてしまったのよね」
ケイティはアマリーの事情もすべて知っているので、情報だけをさらっと告げた。
ありがたい配慮だった。
「逃げられてしまったって、いわゆる駆け落ち?」
ケイティが肯定し、ふと先日の夜会で令嬢たちが噂話をしていたことを思い出した。
あれはきっと、セティア伯爵のことだったのだ。
「相手は売れない画家の青年。今流行りの身分違いの恋というやつね」
ケイティは紅茶に口をつけて一息つくと、今度はアマリーを見つめて悪戯っぽく笑った。
「……ふふ。それでね、女性に幻滅してしまって、どの令嬢にも興味を示さないって噂よ。あまりにも第三王子とばかりいるから、二人は恋仲なのではないかと一部のご令嬢方から疑われているわ」
(こ、恋仲っていわゆる……そういうこと?)
「えぇっ!?」
そんなことない……とは言えない。
最近流行りの舞台でも、男性同士の恋愛物というのは意外と貴族令嬢たちに人気を博しているのだ。
アマリーに偏見はないが、それが婚約者となると話は別だ。
やはりアマリーが懸念した通りだった。
セティア伯爵はお飾りの相手を探していたのだ。禁断の恋のカモフラージュのための。
「占いも噂話も、本人を現す記号ではないわよ?占いに頼りたくないのなら自分の五感を信じてみれば?」
「つまり、実際に会ってみなさいということね?」
「まぁ、会って嫌でも、断れないでしょうけれど」
それこそが最大の問題なのだ。
コースト子爵家では、公爵家が背後についているような伯爵からの縁談を断るすべを持たない。へたすれば家が潰されてしまう。
神妙になったアマリー、ケイティは紅茶を飲みきってから一つだけ助言をくれた。
「雪の雫」
「それが何なの?」
「あなたのラッキーアイテム」
何てことだろうか。
アマリーは愕然とした。
なぜらな雪の雫はもう手元にないのだ。見知らぬ人にあげてしまったばかりだというのに。
返してもらおうにも相手の名前も知らず、どちらにしても一度あげたものを今さら返してとはとても言えない。
王都の宝飾店でも一つ置いてあればいい方だという貴重な宝石なので、買うという手段は期待できない。
もっと早く教えてくれていれば、捨てることも、ましてや人に怪我を負わせることもなかたというのに。
アマリーば自分の責任を棚に上げ、恨みがましく紅茶をすするケイティを睨みつけたのだった。