かいぼう!一話
かいぼう!
一話
「結局さー、私たちって女としての魅力に欠けるわけなのよ」
瞳が言う。その手に持つメスは黙々と御遺体の脂肪をそぎ落としている。
「どゆこと?ひっちゃん」
瞳の事をひっちゃんと呼んだ娘はテツ子。字は鐡子という中々珍しい古風な漢字を使うのだが、本人はあまりそれを好きではないらしく「てっちゃん」と呼ぶように言っている。それのせいか、本人も人の事をあだ名で呼びたがるふしがあるらしい。かわいい。
「なんつーかさぁ、私らってやっぱ将来医者になるわけじゃん?んで、女医ってのは職業としてセックスアピールに欠けるわけだなーって思うわけよ」
そう言いつつも瞳は脂肪をスイスイとそぎ落としていく。器用なものだ。
「あら、私はそうは思いませんわよ?世の中には女医を対象とした恋愛本も沢山あるのじゃなくて?神崎さんなら詳しいのではないかしら?」
お嬢様言葉で私に話を振ってきたのは櫻子だ。解剖教室には場違いなお嬢様言葉に聞こえるかもしれないがしょうがない。彼女は素でこれなのだ。これが一番楽な話し方らしい。
つまりは、彼女が本物のお嬢様だ、ということだが。
「あー確かにあるのはあるけど…………。
結構面倒だし大して面白くもない話になるよ?」
私は私で、瞳が削り取った脂肪の層の下にようやく見えて来た外腹斜筋の筋層を鉗子や鋏の裏を使いながら層を分離しつつ答えた。
瞳のように器用なマネが自分にも出来るとは思っていなかったが、意外にもう自分もこなれてきていたらしい。
見れば櫻子もテツ子もいつの間にか器用に腹斜筋をはがしに来ている。
「いいぜ、退屈だし」
「いーよ、退屈だし」
「いいですわ、退屈ですし」
解剖衣姿で、三人とも頷く。
御遺体の解剖中に退屈だとか言うのは不謹慎かもしれない。でも本当に退屈なのだ。
私達賀美ヶ丘大学の医学部二年生は、解剖学教室で四人に一献体の割合で御遺体を解剖する。チームになる四人はランダムに配置され、割り当てられる御遺体もランダムに割り当てられる。その中でも私たちの御遺体は(大変失礼なのは承知なのだが)かなり「外れ」の方だった。
とにかく、体格がご立派だ。
解剖実習においてはまず御遺体の外観を観察、記録した後に皮膚の剥離から始まってその後筋層を露出させる。
私たちに割り振られた御遺体は…………ともかくご立派だった。
御遺体を解剖台に置くところから私達可憐な乙女四人は大変な苦労をする事になった。
特に非力なテツ子は何度も御遺体を取り落としそうになり、涙目で御遺体の右足を持って格闘していた。御遺体を床に落としたら科目の減点どころでは済まないのだ。
息を切らしながら御遺体を解剖台に横たえた私たちは、その後の絶望を悟った。
全身観察で御遺体の体位を変える時、皮膚を切開するとき、とにかく私たちは御遺体の巨体、もとい立派さと格闘することになった。
何よりも問題なのがその皮下組織の下に鎮座しておられる脂肪様だった。
皮膚を観察してそれを剥離したのち、その下にある筋肉を私たちは観察、記録せねばならない。その私たちの前に立ちはだかっておらせられるのが脂肪様だったのだ。
厚さ十センチにもなろうかと思われる脂肪様を、私たちは削り取らなければならないのだ。その下にある筋肉を傷付けること無く、細心の注意と御遺体への敬意を持って。
必然、私たちの班は実習予定から遅れた。大いに遅れた。しかし、実習は定められたポイントに到達するまで終わることは出来ないのだ。
結果、私たちはこうして盛大に居残り実習を続ける羽目になっている。
現在時刻は午後八時、他の班は全て帰宅済み。
実習の教官は既に帰宅している。しかし、実習の進捗度合いは来週の実習開始時にチェックされ、実習予定に達していなければ容赦なく減点される。減点が積み重なれば、留年だ。手抜きは出来ない。
とはいえ、朝の実習開始から休憩時間を抜いて十時間、立ちっぱなしで御遺体との文字通りボディ・ランゲージだ。
最初は仕事に集中して早く終わらせようとしていた。でももはやこの時間にまでなるとそれすらも通り越してテンションが妙な方向に行ってくる。
流石にこれくらいの雑談は許されてもいいのでは無いだろうか?
と、いうわけで、私はちょっと長めの雑談を自身に許すのだった。
勿論、解剖の手は止めない。
テーマは、
『女医の恋愛事情と人生設計について』
続く
不謹慎だと思った方がいたら消すかもしれません