9:ほうれん草のソテーと陛下1
「とりあえず陛下の部屋に飛び込んで『血をください!』って言ってみようと思う」
「清々しいまでに無礼極まりないですね」
「大丈夫だ。なにせ陛下は俺に甘いからな」
ニヤリと笑うハロルドに、その隣を歩くイチカが呆れたように溜息で返した。
魔法研究所でこれでもかと協力させられ、それどころか「もうちょっと欲しい」と言い出すハロルドに二度目の採血を採られ――流石に二度の採血は御免だとイチカも周囲に助けを求めたのだが、研究員達は白々しくそっぽを向くだけであった。その手には採血用の容器を持ち、どことなく瞳が期待の色を宿している……それを見たイチカが味方など居ないことを察し抵抗を止めたのは言うまでもない――それが終わるや「陛下の血を貰いに行こう」と彼に連れ出されたのが数分前。
王宮の廊下を二人で話しながら歩き、その最中に先程のハロルドの発言である。
これが彼以外であったなら反逆の疑いでも掛けられかねないものだが、幸い通り掛りの者は一瞬ギョッとした表情を浮かべたものの、発言の主がハロルドであるとみるや落ち着きを取り戻して去ってしまった。
彼は日頃好き勝手に生きているせいか、多少の奇行や物騒な発言もスルーされやすいようだ。つまり「なんだハロルドか」である。
「好き勝手に生きたもん勝ちって感じですね」
「何の話だ?」
「ハロルド様の話です。……あと、陛下の話でもあるかな」
そうイチカが答え、手にしていたランチボックスからほうれん草のソテーを取り出して食べ始めた。
先程研究所を訪れたブランカに渡されたものだ。−−「たくさん作りましたよ」という愛らしいブランカの微笑みに感謝を告げて中を見れば、一面の緑。ひしめくほうれん草。引くほどたくさんであった−−
それを食べながら王宮の廊下を歩く。無礼なのは百も承知だが、好き勝手に生きているハロルドの隣を歩き、好き勝手に生きている人物のもとへと向かうのだ。自分だって好き勝手に過ごしても良いだろう……と、そう考えての事である。あと、血を抜かれすぎてちょっとクラクラしてきたのだ。
「大丈夫か?」
「何がですか?」
「ほうれん草のソテー」
「美味しいです」
「そりゃ良かった。なら俺にも一口」
あ、と口を開けるハロルドに、イチカが肩を竦めながらも一欠片を取って彼の口元に運ぶ。
婚約したての二人が「はい、あーん」とは、言葉だけで聞けば甘ったるさを感じさせるものだ。だがここは王宮、しかも二人共足を止めることなく歩きながらとなれば、甘い空気など漂うわけがない。
それでも食べさせた後にイチカが「大丈夫ですよ」と返せば、ハロルドが「確かに美味いな」と答えた。
心配と天邪鬼が入り混じったこの会話に、もしも第三者が居ればまったく素直じゃないと呆れただろう。
そうして他愛も無い雑談混じりにほうれん草のソテーを食べながら王宮内を歩き、とある一室を目指す。
二人が『陛下』と呼ぶ人物の執務室。その敬称の通りこの国の頂点に立ち国を治める者である。
名はラウル。若くして聡明で才知に溢れた男であり、異世界から召喚された稀有な存在であるイチカも彼には一目置いている。それどころか従うよう務めていた。
元は亡き王弟の妾の子であり、不遇としか言いようのない環境にあったという。そんな立場から見事国の頂点に上りつめたのだ。
……いや、正確に言うのであれば『上り詰めた』というよりは『蹴落とし踏み潰しそうして頂点に立った』と言った方が正しいか。
より正確に言うのなら『異世界から来た特異な者と味方につけた破格の力を持つ者を使って既存の王族を軒並み蹴落とし潰してその上に自らの旗をぶっさして高笑い』と言ったところだ。
だが当人はそんな貪欲さを欠片も見せぬ好青年と言った風貌である。一見すると温和にさえ見えるだろう。
現に、普段は温和で誰へだてなく親身に接する男なのだ。普段は。今はそうなった、とも言える。
「ところで、私達なにも考えずに陛下の部屋に向かってますけど、陛下居るんですかね?」
「さぁな。……あ、でも何か居なさそうだな」
ほら、とハロルドが廊下の先を指さす。
促されるようにイチカも視線をやれば、数名の男達が慌ただし気にこちらに向かってくるのが見えた。それどころかイチカとハロルドを見るや急く様に名前を呼んでくるのだ。
国の重鎮達に、それに警備。その中には出掛けに言葉を交わしたロクステンの顔もある。
それを見て、イチカがほうれん草のソテーを食べながら肩を竦めた。今更この流れに驚くことも無ければ、かといって国を総べる重要人物達に臆することも無い。
いわゆる慣れというものだ。何度も見た光景に、この後彼等からかけられる言葉も分かる。
きっと……、
「二人共、陛下を見なかったか!?」
これだ。
思わずイチカとハロルドが顔を見合わせ「またか」と溜息をつけば、駆け寄ってくる重鎮達の中からロクステンが一歩進み出て来た。
その表情には疲労の色すら見えるあたり、きっと王宮中を駆け回っているのだろう。少し息が上がっている。
あぁロクステン様、なんてお労しい……とは、今回は思わない。なにせ彼はラウルを陛下の座に押し上げた一人なのだ。
「部屋はもぬけの殻、王宮内のどこを探しても居ない。出て行った形跡もない……どこに居るか分かるか?」
「どこに居るも何も、私達も今から会いに行こうと思ってたんです」
「何か用があったのか?」
「陛下の血を貰おうと思って」
「物騒だな。ハロルド、主犯はお前か」
「父さん酷い」
事情も聞かずに主犯を言い当てるロクステンに、ハロルドが「息子を疑うなんて!」と大袈裟に嘆く。だが次の瞬間には嘆きの表情から一転して飄々とした態度に切り替え「研究のためだし」と言い切ってしまった。
その堂々とした開き直りに今更なにかを言う気にもならず、イチカがほうれん草のソテーを食べながら見守る。だがそのほうれん草のソテーを食べる様もまたロクステンには理解し難かったのだろう、怪訝そうに見つめて来た。
確かに、王宮の廊下をほうれん草のソテーを食べながら歩いていれば誰だって疑問を抱くだろう。この状況だけを見れば、ハロルドよりイチカの方が突飛な存在である。
「イチカはなんでさっきからソテーを食べてるんだ?」
「私も」
「言うな、分かった。ハロルドが血を採ったんだな、すまない」
「父さん酷い」
相変わらず光の速さでハロルドの仕業と見抜くロクステンに、イチカがほうれん草のソテーを食べながら頷いて返した。そんなやりとりに対してハロルドがまたも「研究のためだし」と開き直る。
その焼き直しのようなやりとりに、見兼ねた重鎮達の一人が「二人共」と割って入ってきた。
「もし陛下を見かけたら直ぐに取り押さえて我々に知らせてくれ」
「取り押さえて良いんですか?」
「全力で頼む」
真剣な表情で返し、ロクステン達が去っていく。
きっとこの後も王宮内を駆け回り、そして王宮内と留まらずラウルが行きそうな場所を虱潰しに探すのだろう。その後ろ姿にイチカは心の中で労いの言葉を捧げつつ、次いでハロルドに視線をやった。
もちろん「どうしましょう」という意味である。
彼が二度も父親から主犯認定をされて少し膨れ面なのは気にするまい。なにせ事実主犯なのだ。
「陛下が居ないなら部屋に行っても意味ないですよね」
「そうだな、陛下相手だと俺達も探しようがないからなぁ。……本当に居ないならだけど」
裏を含んだようなハロルドの言葉に、イチカが確かにと返す。
次いで二人揃って歩き出すのは、もちろん『本当に部屋に居ないか』を確認するためである。
そうして辿り着いたのはラウルの執務室。
国でトップを誇る人物の部屋だけあり扉は重々しく、彫り込まれた飾りは見事なものだ。ドアノブにも厳重な施錠の魔法がかけられており、並大抵の者では触れることすら出来ずに弾かれてしまうだろう。
もっとも、他でもないイチカからしてみればいかに厳重な魔法と言えど静電気と同じ。数度ノックを響かせたのち、返事がないと判断するや至極あっさりとドアノブに手を掛けた。バチッと弾く音はやはり静電気に似ている。
そうしてドアノブを回し、ガチャと軽い音をたてて扉をあける。まるで施錠などされていないかのような動きに、見ていた警備が「さすがだな」と感心するように呟いた。
「陛下、イチカです。入りますよ」
そう告げて室内に入り中を見回す。
調度品が揃えられた部屋は国一番の権力者が使用するにふさわしく、それでいて成金めいた品々はラウルらしくない。もっとも、そもそもこの部屋を使用していたのは彼ではないのだ、らしくないのも当然である。
なにせここはかつて国を総べていた者が使用していた部屋。やたらと華美で高価な物を集めて並べるセンスの悪さはその男のものである。
……いや、この部屋をそっくりそのまま使用するあたりはラウルもセンスが悪いか。否、性格が悪いと言うべきか。
そんなことを考えつつ部屋を見回し、誰も居ないことを確認してハロルドと顔を見合わせた。室内は先程ロクステンが言ったとおりにもぬけの殻だ。
だけど……、
「陛下、居ないなら帰りますよ」
「そうそう、俺達帰っちゃいますよ」
と室内のどこにというわけでもなく声をかければ、
「待て待て、今出てくから」
と返事が聞こえ、次いでガゴゴッと音を立てて壁際に設置されていた本棚が動いた。
そうして、本来であれば壁である場所には不思議な空洞が現れ、そこに居たのは……。
「そんなところに居たんですね、陛下」
そう。この部屋の主である。




