8:職場訪問−魔法研究所編−
イチカの職場である騎士隊を見学し、翌日はハロルドの職場訪問である。
魔法関係の研究施設。国内において剣技の秀でた者が務めるのが騎士隊であれば、ここは魔法に関する知識のトップが務める場所である。
といっても同じように国に直属的に仕えているだけあり研究所も騎士隊の訓練所に近く、そのうえイチカは魔剣士という立場なだけに何度も訪れたことがある場所だ。
今更とりたてて見る物もない……と、そう思えどロクステンに強引に背を押され、そのうえ妙に乗り気なハロルドにまで腕を引かれたならば断われるわけがない。前者の理由は分かるが後者はいったい何を考えているのか、訝しがりながらも研究所へと連れていかれた。
「まぁ、今更説明の必要は無いよな」
とは、やたらとニコニコと嬉しそうに笑うハロルド。バサッと豪快に白衣を羽織る姿はまさに研究員といったもので、更に銀縁の眼鏡を掛けると「よし」と気合を入れるように呟いた。仕事モードというものか。
そんな彼に警戒しつつ、それでもイチカが促されるまま椅子に腰かける。質の良い椅子だ。背もたれはリクライニングになっているらしく、ハロルドが「楽な姿勢で」と背を倒してきた。寝るとまではいかないが、背を預けるこの体勢は確かに楽だ。
次いで肘掛に腕を預けるよう言われ、従えば手首にベルトを嵌められた。随分と硬く頑丈なベルトで、そのうえ足首にも巻かれればまるで椅子に拘束されているかのようではないか。
これにはイチカの頭上に疑問符が浮かぶ。……いや、疑問符どころではなく明確に嫌な予感が浮かぶ。
「ハロルド様……」
「うん?」
「椅子に座るにしては拘束されている感じがするんですが」
「気のせいじゃないか? ところでイチカ、動けるか?」
「こうも手足を拘束されていると無理ですね」
「そうか……。みんな!魔剣士の検体、生け捕ったぞ!」
そうハロルドが声高に告げれば、研究室内のあちこちから白衣に身を包んだ研究員が湧く様に現れた。みな聡明な顔つきをしており、そしてその表情がまるで新しい玩具を得た子供のように輝いている。
その様子に、イチカが「やっぱり」と溜息をついた。どうせこんなことだと思っていた。というか、ここまで拘束されれば誰だって察するというもの。
とりわけこの場が国内一の研究所であり、自分が世界で唯一魔法と剣技の才を兼ね揃えた存在なのだから。
だが流石にここで大人しく検体にされるのも癪で、イチカがジロリとハロルドを睨みつけた。
「ロクステン様に言いつけますからね」
「ちょっとぐらい研究に協力してくれたって良いだろ。別に減るもんじゃないし」
「減るもんじゃないって……。そもそも、何をするつもりなんですか?」
「まずは採血」
「しょっぱなから減るじゃないですか」
注射針片手ににじり寄ってくるハロルドに、イチカが呆れたように視線を向けた。いったいどこが「減るもんじゃない」なのか。
だがこうも拘束されては抗うことも出来ず、参ったと両手を上げるかわりにパッと手を開いてみせた。それを見てハロルドの表情が嬉しそうに綻ぶ。
もっとも、イチカは魔剣士だ。いかにここが魔法に長けた者達が集う研究所とはいえ、イチカに並ぶ魔力の保持者はハロルドただ一人。そしてハロルドも魔法に秀でていても剣技はからっきしなのだから、イチカが本気を出して抵抗すれば難なく逃げられる。
この拘束具ベルトだって、どんなに凝った仕組みの魔法がかけられていても魔剣には敵うまい。それどころかこの研究所だって容易に破壊できる。
それでも「抵抗できない」と降参するのは、文句を言いつつも検体になる気になったからだ。
注射針を片手に瞳を輝かせながら近付いてきているとはいえ、ハロルドは魔法の研究に対し誰より熱心でいて貪欲。現に世界規模の研究成果を幾度と出しているのだ。貞操観念ふわふわな所は問題とは思うが、そんな一面にはきちんと敬意を表したいと思う。それに他の研究員達の期待の視線もひしひしと感じられて断りにくい。
だからこそこの分かりにくい降参宣言であり、それを汲んだのだろうハロルドがニンマリと笑う。それどころか他の研究員達も口々に「イチカが逃げない内に」と冗談めいて準備に取り掛かるのだ。
そうしてまずは……とハロルドが注射針を腕に近付けてくる。
袖を捲られ、生肌を晒されればいかにもといった空気が漂い、思わずイチカがゴクリと生唾を飲んだ。先端恐怖症を患っているわけでも注射が苦手なわけでもない。元居た世界では何度か献血もしていたし、こちらに来てからも頼まれて血を抜いたことはあった。
他でもなく世界を救った魔剣士なのだ、注射針を怖がるわけがない。……が、かといって慣れるものでもない。
なにせ肌に針を差し込むのだ、多少なり緊張するのも仕方ないだろう。
「……どれくらい採るんですか?」
「ほんのちょっとだから、あんまり身構えるな。なぁ、俺の他に誰かイチカの採血必要なやついるか?」
そう注射針を片手にハロルドが研究仲間を振り返る。
それを聞き、白衣を纏っていた数十人が各々顔を見合わせ、そっと片手を上げた。……全員が。それも皆一様に採血確保用の容器を手に。
これにはハロルドも不味いと感じたのか、クルと振り返った表情は引きつるように笑っている。
「……ほ、ほら、ちょっとだろ」
「どこがですか」
「まぁ気にするなって。昼食にほうれん草を使った料理をたくさん作って持ってくるようブランカに言ってあるから」
「そんな直ぐに変換できませんよ!」
「それじゃ刺すぞ。ちょっとチクッとするからな。……チクッとしてグリグリッとして、グヌとして、ズブっと抜いて、またチクッとさしてグリグリっとするから」
「血管見失って刺し直してません!? 誰かー! 誰か変わってー!」
この人から注射針を奪ってー!とイチカが悲鳴をあげれば、研究員の一人が慌てて駆け寄ってきた。そうしてハロルドを宥めて注射針を取り上げ、改めてイチカの腕にそっと針を刺してくる。
今度の「ちょっとチクっとしますよ」は信じられるもので、ピリとした痛みこそ走ったがグリグリとはされずに終わった。透明だった管に血が滑るよう流れ、濃い赤に染まっていく。
グリグリっとされなくて良かった……とイチカが安堵の息をつき、次いでハロルドを睨みつければ、彼はしれっとした態度で手元の用紙に何やら書きだした。なんと白々しい態度だろうか。
「下半身の刺したり刺されたりなら得意なんだけど、注射針になるとどうも上手く出来ないんだよなぁ」
「さらっとえげつない下ネタぶちこまないでください」
下品ですよ、とイチカが咎めつつ大人しく血を抜かれる。ちなみに血を抜かれている腕とは逆の手には測定のボールを握っており、研究員の指示に従いつつ魔力を込めてニギニギと握っていた。
曰く、魔力をこめながらニギニギすることで様々な計測がとれるらしい。魔力の量、流れ、指の動きと合わせた変化……。こんな単調な動きでそれらが分かってしまうのだから、なんとも便利なものだ。
そうイチカが感心していると、ハロルドがドヤッと胸を張った。きっと彼が開発したものなのだろう。研究員達も画期的な計測器具だと褒め、国外でも使用されているというのだから相当なものだ。
「見た目は只のボールだけど中には魔力を探る仕掛けが組み込まれてる。それにボールの材質も拘ったんだ」
「へぇ、確かに握ってると気持ちいいですね。測定じゃなくても握っていたくなる」
「そうだろうとも、世の人間が誰しも握りたくなるものを参考にした」
「何ですか?」
「男の玉と猫の肉球」
きっぱりと告げるハロルドの言葉に、イチカが「うわぁ」と小さく声をあげた。
後者は分かる、猫の肉球は確かにプニプニしていて触りたくなる魅力をもっている。だが前者に関しては……。そして統計を取った結果だったとしても、どうして参考にしてしまったのか……。
思わずイチカが手元のボールに視線をやる。先程まで気持ちいいとさえ感じていた適度な手応えが今は複雑に思える。
それでもなんとか猫の肉球だけを考えつつボールを握り、血を抜かれることしばらく。次第にイチカもハロルドも喋ることが無くなり、周囲の研究員達も真剣な顔つきで機材や各々の研究へと戻って行ってしまった。
静かな室内に、装置の動く音とペンが紙上を走る音がする。時折交わされる研究員達の会話も随分と小声で、それがまた室内に妙な静けさを感じさせる。
終始やかましい騎士達とは大違いだ。そんなことを考えながら周囲を見回し、次いでイチカがハロルドに視線をやった。
先程の雑談――男の玉と猫の肉球――もどこへやら、今の彼は真剣な表情で手元の資料を眺めている。傍らに置かれた装置には小難しい文字と数値が並び、試しにとイチカがギュッと手元のボールを握ると数値が変わるのが見えた。
それをハロルドが見つめ、次いで手元の資料に何やら書き込む。眼鏡のせいかその表情は知的に見え、癖なのか時折指先で少し位置を上げる仕草が妙に様になっている。
元より優れた見目を、白衣と眼鏡がより麗しくしている。
見た目だけならば理知的だ。それが貞操観念がふわふわふわりだなんて一体誰が想像できるだろうか。
詐欺な人。そんなことを考えつつイチカがハロルドを眺めていると、視線に気付いたのか彼が「ん?」と顔を上げた。見つめてくる瞳は相変わらず美しい色合いで、それでいてレンズ越しの為か普段とはどこか違って見える。
「どうした、具合悪いか?」
「いえ、別に」
「無理するなよ。もうそろそろブランカがほうれん草の料理持ってくるから、それ食って再開でも良いし」
「ほうれん草を過信しすぎです」
イチカが不満気に訴えれば、ハロルドが楽しそうに笑う。それどころか「その調子じゃもうちょっと採れそうだな」とニンマリと笑うのだ。
これにはイチカも参ったと苦笑を浮かべ、ベルトで固定されている身体ながらに肩を竦めた。
そうしてしばらくすると、採血が終わったのか――大分採られた気もするが、まぁほうれん草の料理をたくさん食べれば大丈夫だろう――先程の研究員に注射針を抜かれた。ツプと腕から針から引き抜かれ、血の玉が浮かぶ。
だが止血はされず、ハロルドにペンペンと軽く叩かれるだけで終わってしまった。もちろん回復魔法である。
元の世界であれば絆創膏を貼ってバンドで留めて、五分十分は押さえて……と面倒だったのに、この世界では回復魔法を使ってペンペンと叩かれて終わってしまうのだ。
見れば先程まで針が刺さっていた跡も無く、勿論だがかさぶたも内出血も無い。
便利なものだ……とイチカが腕を擦りながらハロルドに視線をやる。
彼は採れたての血液が入った容器を軽く揺すり、次いで嬉しそうに日付やらイチカの名前やらを書きだした。
「随分と嬉しそうですね」
「そりゃ、世界で唯一の魔剣士の血液だからな。世界中の研究者が喉から手が出るくらいに欲しがってるサンプルだ」
「そんなにですか」
「これで研究が一気に進むぞ。次の学会までに間に合わせて、上手くいけば世界会議の場で披露できる」
上機嫌でハロルドが話し、揚句にイチカの血液が入った容器に軽いキスまでしだした。もちろん触れたわけではないが、軽く唇を尖らせ容器に触れる寸前でチュッと慣らされる音はどうにも聞いてられず、居心地悪いとイチカが肩を竦める。
だがすぐさまその表情が険しくなるのは、嬉しそうに話していたハロルドがふと考えるように視線を他所にやり、
「イチカの血液が手に入ったなら、やっぱり陛下の血液も欲しいよなぁ……」
とニンマリと悪戯気な笑みを浮かべたからだ。
それに対してイチカは注射針を刺された跡を揉みながら――回復魔法をかけられたのだから揉む必要も無いし、そもそも揉んではいけない。それが分かっていても揉んでしまうのだ――ハロルドを眺め、小さく「わがまま」と呟いた。




