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7:職場訪問―騎士隊編2―


 晴れやかな中庭の一角。そこに設けられているテーブルセットに着くと、ブランカが手際よく昼食を並べ始めた。

 イチカとハロルドの好物を挟んだサンドイッチに、しっかりと味付けをされた鶏肉。スープの容器は保温の魔法が効いており、蓋を開けると食欲を誘う香りが湯気と共にふわりとのぼる。日中持ち歩くことを考えたのだろう野菜は一度湯に通されており、軽く塩を振るだけで和らいだ食感と甘みが口内に広がる。

 とりわけニンジンは甘く、よそった覚えがないのに皿の上にのっているのを疑問に思う前に口に運んでしまうぐらいだ。


 ……いや、流石にこれは疑問に思うべきか。


 そうイチカが考えを改め、また一つコロンと転がり現れたニンジンに視線をやった。突如として、そして何もない空間から転がってきたのだ。元の世界であったならさぞや驚愕し恐怖さえ覚えただろう、誰もが「魔法みたいだ」と口を揃えて言ったに違いない。

 だがここは『元いた世界』ではなく、魔法みたいどころか魔法が実在する世界。ゆえに誰も驚くことはなく、むしろブランカは「もう!」と難しい表情を浮かべ、対してゴルダナは怒るブランカも愛しいのだろうチラチラと視線を送っている。

 そんな二人を他所に、イチカはまた一つ現れたニンジンをフォークで突っつき、


「ハロルド様、転移魔法で私のお皿にニンジン寄越すのやめてくれませんか?」


 と隣でサンドイッチを食べるハロルドに視線をやった。

 だというのに彼はしれっとそっぽを向いて、おまけに「なんの事だか」とまで言い出す始末。その間にもスライスされたニンジンがパサパサと皿の上に舞い落ち、コロリと茹でニンジンが転がって現れてくる。もちろん何もない空間からであり、これにはイチカも思わず溜息をついた。

 何もない空間からニンジンを出現させる、これは間違いなく転移魔法だ。そしてこの世界において転移魔法は高度な魔法として分類され、使える者は極わずか。そのうえ秩序を守るためにその僅かな人数の更に一部の者にしか使用が許されていない。

 そこ数少ない許された人物こそ、他でもなくイチカとハロルドである。


「夕飯の時も気付けば私のお皿にニンジンが転移してるし。嫌いなら嫌いって言えばいいじゃないですか」

「そりゃ嫌いの一言で済めばそうしてる……」


 イチカが咎めるように告げれば、ハロルドがらしくなく歯切れ悪く答えた。

 次いで彼の視線が向かうのは、メイドらしく慣れた手付きで皿にサンドイッチとニンジンを盛るブランカ。とりわけニンジンの量は多く、山といっても差し支えない程だ。それをハロルドに差し出す様は麗しく、にこやかな笑顔はメイドの鏡とさえ言えるだろう。−−そんなブランカの笑顔にゴルダナが焦がれるように胸元を押さえているが、今のイチカには彼にまで気を使っている余裕は無いので言及しないことにした。なに、胸を押さえるだけで精一杯な(童貞)は放っておいても害はない−−


「ハロルド様、ご覚悟を。屋敷中どころかここいらのニンジンを買い占めかねない程に用意してまいりました。今日こそ食べていただきますからね」


 柔らかく微笑み、ブランカが傍らに置いていたもう一つのランチボックスに手を添える。

 きっとあのランチボックスにはニンジンがたっぷり入っているのだろう。ブランカの話を聞くに、他の野菜は一切なくニンジンだけがたっぷりぎっちりと押し込まれているのかもしれない。

 その量は計り知れず、ブランカの本気を感じとってイチカがゴクリと生唾を呑む。このメイド、本気だ……。

 だがハロルドも負けてはおらず、ブランカの発言に対して不敵に笑うことで返した。彼の皿には山のように盛られたニンジンが……ない。


「良いだろうブランカ。お前のニンジンが尽きるか、俺の魔力が尽きるか、勝負といこうか……」


 そう告げて笑うハロルドの表情は普段の蠱惑的な色気に挑発的な色合いが混ざり、なんとも言えない色香を纏っている。迂闊に近寄れば火傷をしそうな、それでいて近寄らずにはいられない、本能が危険を感じそして本能で求めてしまう、理性では抗いきれない程の魅力だ。

 もっともいかに今のハロルドが魅力的であろうと話題はニンジン。火傷どころか茹でニンジンが焼きニンジンになるだけのこと。律儀に付き合っていたら胃がニンジンで埋まってしまう……そう考え、イチカが己の皿に手をかざした。意識を集中するため瞳を僅かに細め、次いでピクリと眉を揺らす。その瞬間、イチカの皿に乗っていたニンジンがパッと瞬く様に消えた。

 次いでハロルドが唸り声を上げる。もちろん、先程転移させたはずのニンジンが再び皿の上に舞い戻ってきたからだ。更に今が好機と見たかブランカがバスケットの中から茹でニンジンを一つ摘み、ハロルドの皿によそった。


「ず、ずるいぞ二人がかりなんて……!」


 ぐぬぬと分かりやすく恨めしそうに唸りハロルドが皿の上に手をかざす。転移魔法を使ったのだ。気付けばイチカの皿には先程より二つ増えたニンジンが山を作っている。

 もちろんこれにはイチカも転移魔法で応えるべく、再び皿に手をかざした。向かう先はハロルドの皿、今回もまたブランカがタイミングを合わせて二つ茹でニンジンを加える。

 そうすればまたもやハロルドが転移魔法でニンジンをイチカの皿に……と、この繰り返しだ。それどころか、ハロルドの皿に転移させるタイミングに合わせてブランカがニンジンを二つ足していくので往復するたび山が高さを増していく。

 そんな攻防を眺めていたゴルダナが「なぁ……」と控え目にイチカに声をかけた。といってもこの状況、イチカに限らず三人分の視線が彼に注がれる。


「転移魔法はかなり高度で魔力の消費も多いと聞いたが、そんな魔法を頻繁に使っていて平気なのか?」

「平気って何がですか?」

「俺は魔法のことに関しては詳しくないが、支障とかきたさないのか?」


 大丈夫なのかと尋ねてくるゴルダナに、更に一往復ニンジンを行き来させていたイチカとハロルドが「支障?」と顔を見合わせた。

 ついでクルリとゴルダナに向き直り、声を揃えて、


「次元の歪が出来るくらい」


 と答えた。

 そう、転移魔法は多用すると次元に歪が発生してしまう。ゆえに限られた者しか扱わないよう国が定めているのだ。


「次元の歪!? 二人共ちょっと待て、イチカ落ち着け!」

「大丈夫です、次元の歪が生じてもグイっと直しますから」

「そんな簡単に直せるか! ハロルド様、転移魔法を止めてください!」

「次元の歪が生じてもニンジンは食べたくない!」


 互いに意地になり転移魔法を繰り返すイチカとハロルド、そのうえブランカまでもが「次元を犠牲にしても!」とニンジンをせっせとハロルドの皿によそい続ける。

 これにはゴルダナが額に汗を浮かべ、イチカの皿にニンジンが転移された瞬間にさっと手を伸ばしてその皿を奪い取った。


「これは俺が食べる!」


 と、彼のその言葉に三人がキョトンと目を丸くさせた。





「ゴルダナ隊長のおかげで次元が歪まないで済みましたね」

「たまには童貞も役にたつな」


 そんな会話を交わすのは、四人での昼食も終えそれどころか午後の訓練に夕飯、入浴……と一日のすべきことを終えた後。寝る前の時間潰しにと寝室でチェスをしていた最中である。

 といってもイチカはチェス初心者、元居た世界とこの世界に同じボードゲームがあることには不思議な懐かしさこそ感じたが、かといって嗜んでいたわけではない。むしろ「チェスが出来る人は恰好いい」等というミーハーにも程がある印象しかなかったのだ。


 対してハロルドは幼少期からチェスを嗜んでいたうえ――こんなでも――頭が良い。聞けばバーキロット家はおろか屋敷の使い達を含めても彼にチェスで勝てる者は居らず、バーキロット家主催で開かれるチェス大会では『目隠し』『両手足縛り』『睡眠薬投与』といったありったけのハンデを課せられているらしい。――ハロルドが遠い目をしながら「今年は何をされるのか……」と呟いている姿はなかなかに哀愁を誘う――

 そんな二人なのだから真っ当な勝負になどなるわけがなく、ゆえに半ばレッスンに近い。


 ちなみにチェスを始める前にハロルドから「負けるたびに脱いでいくってのはどうだ?」という蠱惑的なお誘いがあった。それもバスローブを開け(はだけ)させ、濡れた髪を掻き上げながら。その姿から漂う官能的な色気と言ったらない。男ならば脱がしてやろうと欲を煽られ、女ならば脱がされたいと期待を抱くだろう。

 そんなお誘いに対し、イチカは言葉で返す気も起きないと暖炉の火を消して窓を開けることで返事をした。その瞬間ハロルドが悲鳴と共に自室に戻ってモコモコのパジャマを纏って再び現れたのは言うまでもない。


「そういえば、ハロルド様はブランカにも……」

「ブランカ?」


 イチカの重要な部分を濁した問い掛けに、盤面を眺めていたハロルドがチラと視線を上げる。だが言わんとしていることを察したのか己の駒へと視線を戻すと、至極あっさりと「食ってない」とだけ呟いた。

 その声色に誤魔化しの色も無ければ偽っている色もない。ただ事実を事実として告げたように聞こえ、イチカがほんの少し安堵の息を漏らした。ブランカは可愛い、金糸の髪とクラシカルなメイド服がよく似合っている美少女だ。元居た世界で流行した華やかさを求めた『メイド』ではなく、まさに主に仕える古き良き『メイド』といった印象を与える。本人もその素質があり、若いながらもしっかりとした性格で屋敷の者達から慕われている。――しっかりとしすぎるあまり、ハロルドにニンジンを食べさせようと躍起になってしまうのだ。我を忘れて次元の危機すら忘れてしまうのはご愛嬌――

 そんな彼女とハロルドが……となると胸中複雑なのだ。晴れて結婚した後も多少なりわだかまりを感じてしまうかもしれない。とりわけ自分が隊長として慕っているゴルダナがブランカに惚れこんでいるのだから尚の事。

 そんなイチカの考えを察したのか、ハロルドが盤面を眺めつつ「安心しろ」と話しだした。


「家の中のやつには手を出さないって決めてある」

「そうなんですか?」

「あんまり近いってのも面倒だろ。給仕に支障が出ても困るし。俺のモットーは『お手軽・お気軽・後腐れなく』だからな。一夜限り(ワンナイトラブ)至上主義だ」


 そう得意気に語るハロルドに、イチカが少しだけ見直したと言いたげに彼に視線をやり……フルフルと首を横に振った。

 危ない、なに感心しかけているんだ。そう己に言い聞かせる。

 彼の見目の良さと力強ささえ感じられる断言に騙されかけていたが、言っていることは相変わらず最低だ。羽より軽い貞操観念が羽と同じくらいの重さがあったに過ぎない。結果的には未だ貞操観念ふわふわふわりのビッチだ。


 それどころか、盤面を眺めるのに飽きたのか勝利を確信したのか『アプローチ・ムード・サイズ・テクニカル総合表、騎士隊編』に何やら書き込みだす始末。

 いつの間に食べたのか、いったい誰を食べたのか、なぜそこまで律儀にデータを取るのか……とイチカが呆れをこめて彼を眺め、次いでコロンと転がった己の駒に慌てて盤面に視線を戻した。

 いつの間に!?と思わず声をあげてしまう。気付けば優劣は明確になり、イチカの駒はあちこちで危機にさらされている。どれを逃がしてもどこかで駒を弾かれてしまう、そのうえクイーンにまで危機が迫っているのだ。

 もはや勝機が薄いどころではないその盤面にイチカが唸るような声をあげれば、そんな反応が面白かったのかハロルドがクツクツと笑みを噛み殺して肩を揺らした。モコモコパジャマのくせに妙に様になっているから腹立たしい。


「余所見するなよ、イチカ」


 そうニンマリと色濃い瞳を細める彼はなんとも蠱惑的だ。悪戯気に口元が弧を描き、耳に溶け込むような声色がまるで誘っているかのようにさえ思える。

 囚われたら余所見なんて出来るわけがない、そうイチカが心の中で呟き、それでもと己の駒で盤上の敵を一つ弾いた。

 油断しきっていたのかそれともこの一手は予想していなかったのか、ハロルドが「えっ!?」と間の抜けた声をあげる。

 それを聞き、イチカがニヤリと笑って、


「余所見出来ないのはお互い様ですよ」


 と返してやった。




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