6:職場訪問―騎士隊編1―
「大変だなぁ、イチカ」
そう重い一撃と共に労われ、イチカがそれを受け止めると共に「まったくです」と答えた。
ガキン!と鳴り響くのは互いの剣の刃がぶつかりあう音。訓練用の模造品とはいえ本物同然の造りは目の前で交わせば中々に迫力があり、日の光を受けて輝く様は真剣ではないかと焦りを抱いてしまう程にリアルだ。そんな剣戟の音があちこちで続く中、次は自分の番だとイチカが一撃を放つと共に高い音を響かせた。
場所は騎士隊の訓練所。そこで稽古中である。
一対一で打ち合う様は男らしく勇ましく、剣戟の音と男達の声が入り混じる光景は年頃の乙女であれば胸を熱くさせるものだろう。うら若きご令嬢達が熱い吐息と視線を眼差しで見学しているのをよく見かける。
だが騎士の一人であるイチカからしてみればこの光景も胸をときめかせるものではなく、只一言「汗臭い」だけである。こうやって一対一で打ち合っていると汗が顔に飛んできて気分は最悪、訓練後の詰所なんてムワッとした男臭さに鼻を摘まんで口呼吸をしなければ一瞬で意識を失いそうなほどである
恰好良く勇ましく凛々しい素敵な騎士様、なんていうのは遠目から眺めてこそ成り立つのだ。そうイチカが考えれば「隙あり!」の一言と共に一撃が迫ってきた。視覚では捕えきれぬその早さを辛うじて刃で受け止める。だが勢いは殺しきれずブーツの踵が微かに滑り、しまったと己の油断を悔やんだ瞬間イチカの視界が白く瞬いた。
しまった、と再び思う。
だが時すでに遅く周囲一帯を突風が襲い、剣を交わしていた男の身体がまるで風に撒かれる木の葉のように軽々と吹っ飛んでいった。
「わぁ! 隊長、申し訳ありません!」
つい!と慌ててイチカが駆けよれば、吹き飛ばされ背を打った男が咳き込みながら起き上がった。見たところ怪我はないようだ。……「お前なぁ」という低い声を聞くに怪我は無いが怒りは相当あるようだが。
これは己の落ち度だ。そうイチカが自分の失態を反省し、謝罪の言葉と共に彼の腕を引いて立ち上がらせる。頭二つ以上近い身長、ガッシリとした体格、イチカ如きでは飛びかかっても倒せそうにない体躯。それが軽々と吹っ飛ぶ様は異様としか言いようがないが、周囲は慣れたものだと遠くから「大丈夫ですかー?」と声をかけてくる程度。それどころか「お見事」とイチカを褒めている声すら聞こえてくる。
「申し訳ありません、ついビックリしちゃって。あの、お怪我はありませんか?」
「大丈夫だ。まぁ俺もお前の隙をついたのが悪かったな。咄嗟にこれが出るのは分かってたはずなんだが、どうにも相手の隙を見つけると一撃放ちたくなる。騎士の性だ」
そうクツクツと笑う男に、イチカが申し訳ないと頭を下げた。
男の名はゴルダナ。イチカが所属している騎士隊の隊長である。
いかにもといった体躯の良さと力の持ち主、そのうえ剣技にも長けている。それどころか、こと剣での戦いに関して言えばイチカに並ぶ実力の持ち主である。現に先程彼が放った一撃は見事なもので、咄嗟に魔法で突風を出さなければ吹っ飛んでいたのは間違いなくイチカの方だった。
「しかし俺を吹っ飛ばすとは流石だな」
そうゴルダナが己の身体を見下ろす。彼の体躯の良さだ、過去どんなに重い一撃を喰らってもせいぜい足が地面を抉る程度だったのだろう、それがあそこまで見事に飛んだのだから驚きと感心を抱くのも無理はない。俺も魔法が使えればなぁ、と残念そうな彼の言葉にイチカが肩を竦める。
次いで「そうなったら私の魔剣士業は廃業ですね」と冗談めいて告げれば、ゴルダナが苦笑と共に頷いた。
この世界、不思議なことに魔法と剣技の両方に長けた者は誰一人としていない。むしろ剣技に限らず、武道武術に長けた者はみな魔法が使えず、そもそも魔法を使うに必要な魔力を宿さずに生まれてくる。簡単に言うならば戦闘においての『前衛』か『後衛』か、それが生まれながらにして決まっているのだ。
ハロルドとゴルダナが良い例である。前者は異例の魔力と魔法の才能を持ち、対して剣技はからっきし。剣を持ち振り下ろすことは出来ても動く相手を切り倒すことなど到底出来やしない。逆に後者は若くして隊長の座にまで上り詰めるほど剣技に長けているが、魔法は全く使えない。魔力の欠片も宿していない。
そんな世界において、唯一の例外がイチカである。
膨大な魔力を持ち、そして剣を巧みに扱う。それはもはや偉業とすら言え、初めて剣に炎の魔法を宿して見せた時は誰もが驚きを通り越して畏怖するような視線を向けてきていた。それほどまでなのだ。
「魔法を使えるようになりたかったとか、そういうふうに生まれたかったっていう思いはないんですか?」
そうイチカがゴルダナに尋ねる。
彼は魔力を持っておらず、ゆえに魔法を使えない。それは一部の役職に就けぬと生まれながらにして決めつけられているのと同じで、不満は無いのかとイチカが彼の瞳をジッと見つめた。だがそれを尋ねてもゴルダナは今ひとつピンとこないようで、吹っ飛ばされたことで己の剣に傷や刃こぼれが無いかを確認しつつ「そうだなぁ」と間延びした返事をしてきた。
「魔法を使ってみたいっていう気持ちはあるけど、そのために剣の道を捨てる気にはならないからな。どっちも使えるのが一番なんだが、そりゃ無いもの強請りってやつだ」
だろ?と問われ、イチカが頷いて返す。それと同時に胸に湧くのは、言いようのない罪悪感。
世の中には少しでも多く魔力を得ようと研究を重ねている学者達が居る、己を高めようと訓練に明け暮れている騎士達が居る。また己に与えられたものとは違う道を選び、苦難を強いられている者も居る。
この世界の人々は己に与えられた道を進み、時にその道に抗い、より良い方向へ進もうと試行錯誤し生きているのだ。
だというのに、自分は『異世界から召喚された』というだけで彼等を凌ぐ能力を授かってしまった。そこに優越感等あるわけがなく、不可抗力とは言え申し訳なささえ感じてしまう。この世界で生きると決めて、この世界で皆が努力しているのを知ってから尚の事その思いが強まる。
私だけズルしてるみたい……そうイチカが呟けば、ゴルダナが肩を竦めると共に雑に頭を撫でてきた。
「イチカはあれこれと考え過ぎだな」
「そういう性分なんです。みんな努力してるのに、私だけ何もしてないのに能力を授かって……なんだか、不公平で申し訳ない」
「そんなもん、お前が気に病むことじゃないだろ。……それに」
ふと、ゴルダナが視線を他所に向ける。
つられてイチカも彼の視線を終えば、そこに居たのは……、
なにやら用紙を片手に、虎視眈々と獲物を狙う獣の瞳で騎士達の訓練を眺めるハロルド。
時折はニッコリと笑って愛想を振りまき、時には妖艶に微笑み、そのうえ近くを通った関係者にまで蠱惑的な視線を向ける始末。
その光景は騎士の訓練を見学というよりは餌の調達、ご馳走を前に品定めしていると言った方が正しいだろう。
「あのひとを見てると不公平だなんだと考えるのも嫌気が差す」
そううんざりとした口調で告げるゴルダナに、イチカがあっさりと「それもそうですね」と頷いて返した。
なぜハロルドが騎士の訓練所に居るのかと言えば、今朝方ロクステンが「互いの仕事場を見学しあったらどうだ」と言い出したからである。
曰く、仕事中の互いを見せ合うことで普段とは違う一面を知り親睦を深める事が出来るとのこと。この突然の提案にイチカもハロルドも目を丸くさせ、でもだのだってだのと反論をしようと口を開いた瞬間に強引なまでに押し進められて今に至る。あの時のロクステンの勢いは提案というよりは命令に近い。
「ロクステン様のご提案にしては急すぎるから何があったのかと思った」
「今日、急遽バーキロット家にお客様が来ることになったんです。聞いたところハロルド様好みの女性が居るらしいので、どうにかして遠ざけようと考えたんでしょう。物凄い必死でしたよ」
「ロクステン様、お労しい……。というか、なんでイチカがそれを知ってるんだ?」
「ハロルド様ご本人がそう言ってたから」
ねぇ、とイチカが隣に立つハロルドに声を掛ければ、用紙を――いったい何を書き記したのか尋ねる気にもならない――鞄に閉まっていた彼がコクリと一度深く頷いた。そのうえで「まぁ手遅れだけどな」とニンマリと笑うのだから、今朝方のロクステンの必死さをおもい哀れみの情さえ浮かぶ。
とにかく、そういう経緯で今日はハロルドがイチカの仕事場である騎士の訓練所に来たわけだ。
ちなみに、見学が決まった時のハロルドはさも渋々といった様子で「仕方ない」と文句を言いつつ勝負下着を選んでいた。それも時折はニンマリと笑いながら、「騎士寮の男共は飢えてるから、直球でえぐいぐらいが喜ばれる」という要らん情報まで話しつつ。
流石のイチカも職場を食い荒らされては堪ったものではないと止めようとしたが、その時はグッと堪えておいた。前もって言ってもどう聞いてくれるわけがない。現場で止めよう、なに、私と隊長が組んで物理攻撃主体で行けばなんとか彼を取り押さえられる……と、こう考えたのである。
「そういうわけですから、怪我をしたくなければハロルド様は大人しく見学してください」
「あぁ分かった。ところでゴルダナ、今剣を磨いてるあの男は誰だ」
「やだもう早速目星つけてる」
早い、とイチカが呆れ混じりに瞳を細める。だがハロルドが今更それで臆すことも己の発言を改めるわけもない。それどころか狙いは定まったと言いたげに、ここから少し離れた先で小休止しつつ剣の手入れしている騎士を見つめている。紫色の瞳がキラキラと美しく輝き、吹き抜ける風を受けて銀の髪が揺れる、なんとも見目麗しい彼に見つめられれば並大抵の騎士では抗えないだろう。
色気大放出である。本人も分かってやっているのだろう、目があった瞬間一撃で落としてやろうと蠱惑的な雰囲気を纏い騎士がこちらを向くのを待っている。
そんなハロルドに対し、ゴルダナが盛大に溜息をつきつつ「彼は……」と騎士を見た。
「彼は今まで地方で務めていた騎士です。先日こっちに来て、来月には追って妻子も住まいをこちらに移すと言ってました」
「う、妻子持ちか……。じゃぁその隣に居る若くて爽やか系は!」
「彼は先日入隊したばかりの新米です。まだ見習いですが、正式に騎士になった暁には恋人にプロポーズすると話してましたね」
「うぅ……恋人持ちか。それならあっちの……も既婚者、その隣は妻子どころか孫がいるし……。ゴルダナ、さては計ったな!」
「残念ですが、既婚妻子恋人持ちで固めさせていただきました」
しれっと言いのけるゴルダナに、対してハロルドは恨みがましく彼を睨みつける。
次いでハロルドが興ざめだと言わんばかりに一度舌打ちをし、憂さを晴らすように雑に己の頭を掻いた。その姿は相変わらず見目は良いが、かといって先ほどまでの妖艶な魅力は感じられない。大放出していた色気の蛇口がキュッと音をたてて閉じられてしまったかのような変わりようである。
これにはイチカも目を丸くさせ、ハロルドとゴルダナを交互に見やった。てっきり狙いの騎士の詳細を聞くやハロルドが狩りに行き、それをゴルダナと止める……という流れになると思っていたのに。
「えーっと……どういうことでしょうか?」
「なんだイチカ、知らなかったのか。ハロルド様は既婚者や恋人持ちには手を出さないんだ」
そう話すゴルダナに、ハロルドが「分かってるなら独身の良い男を集めろ!」と明後日な訴えと共に彼の足を蹴っ飛ばした。
だが今のイチカにはゴルダナを気遣う余裕はなく、聞いた言葉の真意を確認するようにハロルドを見つめ、問うように首を傾げた。
「一応、俺にだってうっすい紙程度の常識はある。既婚・恋人持ちには手を出さない主義だ」
「そうなんですか。ところ構わず相手構わずかと思ってました」
「だってほら、厄介なのに手を出すと後で問題になるだろ。俺のこの貞操観念だ、無制限に食い漁ったら年がら年中恨み買って刺されまくりだ」
「そこは分かってるのに弁えようとは思わないんですね」
イチカが呆れたように告げれば、ハロルドが得意気に頷いた。どうやら弁える気は微塵も無いらしい。だが今それを言っても今更な話だと結論付けて、イチカが次いでゴルダナを見上げた。
その視線に気付いたのだろう、緑かかった瞳がジッと見つめ返してくる。それと同時に黒い髪が揺れ、問うような「ん?」という声は低くて渋い。男らしく勇ましく、少し厳ついがそれもまた騎士らしいと言えば長所になる。芸術家も筆を折るようなハロルド程ではないとはいえ、ゴルダナも見目は悪くない。そのうえ実直な性格だが根は優しいときた。
そしてなにより、彼は未婚だ。浮いた話も聞いたことはない。となれば当然……、
「……あんまり想像したくないんですが、ハロルド様はゴルダナ隊長のこと」
ペロッと食べちゃったんですか?
そうイチカが尋ねようとした瞬間、遠くから「ハロルド様ぁー、イチカ様ぁー」と聞き慣れた声が聞こえてきた。
見ればバーキロット家のメイドであるブランカがランチボックスを見せつけるように掲げてこちらに小走りで近寄ってくる。どうやら昼食を持ってきてくれたらしい。
思い返せば、出掛けにハロルドが彼女に昼食を用意し持ってくるように命じていた。その時はさして疑問にも思わず、せっかくだから他の騎士と一緒に食堂にでも行けばいいのにと思っていた程度だ。
だが今この瞬間、イチカはなぜハロルドがブランカを来させたのかを理解した。なにせ……、
「ブ、ブランカッ……!!」
と、分かりやすいほどにゴルダナが慌てだしたのだ。
それはもう真っ赤になって、先程までの騎士らしい態度もどこへやら途端にあたふたと落ち着きを無くす。
「ハロルド様、イチカ様、お昼をお持ちいたしました。ゴルダナ様、お久しぶりです」
「あ、あぁ、ブランカ……ひ、久しぶり、だな」
「そうだ、よろしければゴルダナ様も召し上がってください」
「い、良いのか!?」
「えぇ、作りすぎてしまいましたから」
そう穏やか話し「ぜひ」と促すブランカに、対してゴルダナは真っ赤に染まった顔をコクコクと何度も頷いて返した。
その頷きの早さ、真剣な表情、なによりその赤さ……。これはとても分かりやすい、とイチカが己が隊長と呼ぶ人物の変わり果てた姿を眺めていれば、隣に立ったハロルドが呆れたように溜息を吐き、
「これだけ童貞拗らせた奴も喰ったら喰ったで後々面倒だろ」
とだけ呟いた。
ゴルダナが真っ赤になりつつブランカの隣を歩こうとし……半歩程後ろについている。そうして「あの」と「その」を交互に十回ほど繰り返してようやくブランカの持っているランチボックスを持ってやった。どうやら相当勇気のいる行為だったらしく、彼の額には先程の訓練以上に汗が伝っているではないか。
そのうえブランカから微笑みと共に礼を告げられればもう目も当てられぬほどで、己が隊長と呼び慕う人物の言い様の無い空気に――ハロルド曰く「童貞オーラ」とのこと――イチカが瞳を細めて小さく溜息をついた。