番外:かなり役立つご令息(前)
「ハロルド様、次の夜会で私のエスコートをしてください!」
周囲一帯に響かんばかりの声に、告げられたハロルドはもちろん、イチカさえも目を丸くした。
場所は王宮の庭園。
先日の騒動から今日で半年経つが、ハロルドは魅了抑止の研究、イチカは国内の警備……といまだ忙しく過ごしていた。
あれだけの事件が起こったのだから仕方あるまい。無関係だった近隣諸国も動向を窺っているわけで、国内外ひっくるめて全て解決と言えるようになるには年単位は覚悟が必要だ。
そんな中の、ようやく取れた休憩時間。
偶然休憩のタイミングが重なったイチカとハロルドがお茶をしていたのだが、そこで先程の言葉である。
「夜会のエスコートって……」
「ぜひ、お願いします!」
ハロルドは困惑の表情を浮かべているが、それに比例するかのように声の主は勢いづく。
しかし夜会のエスコートとは、なんとも大胆……。とイチカは考えつつ冷静を保つために紅茶を一口飲んだ。
相手は他でもないハロルド。彼に夜会のエスコートを頼んだらどうなるか……考えずとも分かる。国内では共通認識である。
もっとも、ハロルドも最近は研究一筋であり、騒動以降は不埒な行動は一切していないという。日々研究所とバーキロット家の往復で、騎士隊に顔を出してもイチカをはじめ数人の血を抜いて嬉しそうに帰って行くだけだ。
――あのハロルドが半年も!?と誰しも驚きそうなものではあるが、彼の自重した生活こそ魅了抑止の効果の証明であり、当人も誰にも手を出されないことを誇らしげにしていた。……ときおり「清らかな生活を送る俺は果たして俺と言えるのか」と己を見失ってイチカに尋ねる程度だ――
そんなハロルドに、夜会のエスコートの誘い。
さてどうするか……とイチカはチラとハロルドを横目で見た。
彼は見目の良い整った顔に困惑の色を浮かべ、イチカと目が合うと「助け船を出せ」とでも言いたげに睨みつけてきた。もちろんイチカは傍観を徹するのみだ。
「そりゃ頼まれれば受けるが……。念のために聞くけど、俺の事は知ってるよな?」
「もちろんです! ハロルド様のお噂を知った上で頼んでおります!」
「そうか……。ところで、夜会といっても……」
問題が……とハロルドが歯切れの悪い返事をする。彼らしくない返事だ。
以前のハロルドならば、二つ返事で「俺に任せろ」と返しただろう。
いや、今の自重生活を送るハロルドも同じだ。今回の誘いはどうやら魅了によるものでは無さそうで、ならば「ノーカウント!」と嬉々として応じるはず。そしてそのまま夜会と言わず一晩エスコート……となったに違いない。
だが今のハロルドにはこの誘いに応じる様子はなく、気まずそうに返事に困っている。
なぜかと言えば……。
「まぁ、夜会のエスコートはかまわないが……。ところでキュレット嬢、いまいくつだ?」
そうハロルドが尋ねれば、声の主ことキュレットは誇らしげに胸を張り……。
「今年で七歳になりました!」
と、高らかに宣言した。
キュレットは柔らかな赤毛と大きな瞳が愛らしく、時に大人ぶろうとする仕草が微笑ましい、小さな体に『可愛い』を詰め込んだような令嬢である。
年は今年で七つ。まだ幼いが知的な一面も有り、将来はさぞや美しくなるだろうと皆が期待を寄せている。
そんなキュレットが一席に座り、砂糖を多めに入れた紅茶に口を付けた。小さく細い喉がコクリと揺れる。
先程までの勢いをはしたないと考えたのか俯きがちに、それでもと事情を説明しだした。
「ハロルド様に夜会のエスコートを頼むと、『夜のお相手』をして純潔を貰っていただけると聞きました」
「さ、さすがに二桁いかない子どもの口から己の行動を聞かされると罪悪感が……!」
自分の汚れっぷりを純粋な子どもから指摘され、ハロルドが頬をひきつらせる。
それに対してイチカは見事なスルーを決め込み、深い溜息を吐くキュレットを宥めながら先を促した。幼い少女とは思えない深刻な溜息ではないか。
「ハロルド様は魔法を使い、あとを消すとも聞いております。純潔を戻す……。ですが私はそのままで良いんです……! 『夜のお相手』をして頂いたという証をください! 私の純潔を奪ってください!」
「やめてくれ! 頼むからもう俺の行動をそんなに語らないでくれ!」
罪悪感の限界に達したのか、ハロルドが悲鳴をあげる。
とりわけキュレットは麗しくあどけない少女なのだ。そんな彼女の口から自分のビッチ活動を聞かされれば、さすがのハロルドも罪悪感に苛まれるのだろう。胸元を押さえて随分と苦しそうだ。
聞いているだけのイチカでさえ、なんとも言えない気持ちになってくる。
だが今はハロルドの罪悪感よりキュレットだ。
なぜこんなに純粋そうな少女が、よりにもよってハロルドを相手にこんな事を頼むのか。――よりにもよってハロルドに、というか、ハロルド以外には頼むどころか話すことも出来ない内容だが――
それを問えば、キュレットが俯いてしまった。
「……カルノ様をご存じですか?」
「カルノ……。えぇ、存じております。キュレット嬢より二つ年上で、昔から懇意にしている家のご子息ですよね」
「はい……。私が社交界デビューを迎える日にカルノ様にエスコートされ、そこで婚約される……。そうお父様とお母様から聞かされています」
ポツリポツリとキュレットが話すが、未来の婚約者について話しているとは思えない暗い口調ではないか。
それを聞き、イチカの脳裏にカルノの姿が浮かんだ。年が離れているゆえに親しくはないが、それでも話は聞いたことがある。
バーキロット家ほどではないが、名家の子息。見目も良く才能も有り、将来有望な少年。条件だけを見れば好条件と言える。
いや、条件だけではない。
「話に聞いただけですが、キュレット嬢とカルノ様は昔から親しくしていると聞きますが」
「私、カルノ様なんてだいっきらいです!」
イチカの話に、キュレットが声を荒らげて返す。
その瞳には涙が溜まっており、今にもこぼれ落ちそうだ。
「カルノ様はいつも私の事を『ブス』と言うし、ドレスを着ても『似合わない』とか『変なドレス』とか酷いことばかり言うんです。虫を捕まえたって追いかけてきたり、お花をくれたと思ったのにカエルを隠してたり……。あんな意地悪な方と結婚なんてしたくありません!」
「それは……」
「お父様もお母様も、カルノ様が私のことを好きだから意地悪をすると言うんです。でも私は意地悪するカルノ様のことは大嫌いなんです……。結婚なんてしたくない……」
キュレットが俯きながら訴え、ついにはポタと落ちた涙に築いて頬を拭った。小さな肩が震えている。
その姿に、イチカはどうしたものかと悩みつつ彼女の肩を優しくさすった。
カルノがキュレットに嫌がらせをするのは、ひとえに恋心に素直になれないからだろう。聞けば、他の同年代の令嬢達には優しく接し、キュレットにだけしつこく付きまとうという。これは間違いなさそうだ。
まさに年頃の少年らしい行動。好意を素直に言えず、真逆の行動に出てしまう。ちょっかいというアプローチしか出来ない天邪鬼な不器用さ。
周囲の大人もそれを理解し、二人の仲を微笑ましいと見守っていた。
……キュレットからしてみたら、とんでもない話ではないか。
その果てに彼女はハロルドに話を持ちかけたのだ。
ハロルドは類まれな魔力で行為の痕跡を消し、失った純潔すらも元通りにしてしまう。ゆえに社交界は『ハロルド相手は経験数に入れない』としている。
だが、あえてキュレットは痕跡を消さないようにと頼んだ。
つまり、大嫌いなカルノと結婚させられる前に自ら純潔を捨て、彼の結婚相手の条件に見合わぬ女になろう……ということだ。
七歳の少女が考えたとは思えない作戦ではあるが、それほどまでに必死ということだ。とりわけこの世界は婚約や結婚の年齢が早く、相手が確定しているキュレットには時間が残されていない。
「なるほど、それでハロルド様に」
「よし分かった。その話、受けよう」
「良いんですか?」
先程まで罪悪感に呻いていたというのに、了承するハロルドの声は随分とはっきりしている。
「さすがに年齢の関係で夜会にエスコートは出来ないが、次の俺の休みに一日デートでどうだ?」
「デートですか?」
「あぁ。本当はさり気なく夜までエスコートをしたいんだが、さすがに今回は勝手が違うから、うちに泊まることは親に話しておいてくれ。俺の名前で外泊許可が取れ無さそうなら、イチカの名前を出せばいい」
しれっとイチカの名前を出しつつハロルドが誘えば、キュレットが覚悟を決めたと言いたげに「はい!」と威勢の良い返事をした。幼く愛らしい顔だが真剣そのものだ。
そのうえ「よろしくお願いします」と深く頭を下げ、頬を赤くさせつつも去っていってしまった。小走り目に去っていく後ろ姿も愛らしい。
それを見届け、イチカはティーカップに口を付けた。ハロルドがそんなイチカをじっと見つめる。
「……何も言わないのか?」
「何も、とは?」
「たとえば『婚約者の前でデートの約束なんて酷い!』とか」
「今更な話すぎますね」
「それもそうだな。あとは、『あんな小さな子どもに手を出すなんて、何考えてるんですか!』とか?」
「たしかにキュレット嬢は子どもですが、かといって『子どもだから』と彼女の話を無碍には出来ません。それにハロルド様も何か考えがあるんでしょ。何を考えてるかは分かりませんが、何も考えずにこんな事を請け負う人ではないと分かってますので」
それが分かれば十分、だから自分は事態を見守るのみ。
そうイチカが断言すれば、ハロルドが嬉しそうな笑みを浮かべた。
◆◆◆
そうして迎えた、ハロルドとキュレットのデートの日。
ハロルドは上質のスーツに身を包み、小さな赤い花のブレスレットを持っていった。
本当は花束を贈る予定だったが、移動をするなら邪魔になるという気遣いである。装いの美しさも着こなしも、そして気遣いも、なんともハロルドらしくさすがと言える。
対してキュレットは、朱色のワンピースで彼を迎えた。襟と細部にはベージュのレース、飾りと留め具を兼ねた同色のボタン、ハイウエストの切り替え、と装飾はあるにはあるが、派手さや煌びやかさは控えめである。ボンネット帽子も飾りは最小限に抑えられている。
きっとハロルドに合わせて大人びた服装を選んだのだろう。もしくは、子ども扱いされることを危惧したのか。
「キュレット嬢、素敵な装いだな。普段の愛らしい服装も良いが、今着ているワンピースも魅力的だ。品の良さと聡明さが窺える」
「まぁ、ありがとうございます」
「ブレスレットを花とリボンのどちらにしようかと悩んだんだが、花にしてよかった。どうか手を」
自分が着けてあげたいと、ハロルドが片手を差し出す。
それに対して、キュレットは困ったと眉尻を下げた。
「いけません、ハロルド様。私からお願いして付き合っていただいたのに、そのうえ贈り物なんて」
「キュレット嬢から誘ってくれたからこそだ。誘いの言葉と、貴女の今日という一日を貰った。それに返さなくては男が廃る」
「……そこまで仰るなら」
ハロルドの熱意に押され、キュレットがおずおずと彼に片手を差し出す。
小さな手だ。だが『女性らしい細く小さな手』ではなく、やはり子供らしさが強い。
とりわけハロルドがその手を取ればより差が顕著になる。二人の手が重なる様はさながら親子が手を繋いでいるかのようで、そこから男女のデートを――それも夜も共に過ごすようなデートを――見出すのは些か難しい。
だがハロルドはそれを気にもせず、キュレットの手を優しく握ると、彼女の細く白い腕にスルリとブレスレットを付けた。
花の飾りと美しく輝く石をあしらったブレスレット。キュレットの年齢を考えると少し大人びたデザインではあるが、今日のワンピースによく合っている。
それは送り主であるハロルドが誰より実感しているのだろう、瞳を輝かせて己の腕を見るキュレットごと、満足そうに眺めている。
「ありがとうございます、ハロルド様」
「喜んでもらえてなにより。それじゃ行こうか」
穏やかに微笑んで、ハロルドが再びキュレットの手を取る。
今度はエスコートのためだ。といっても門の前で待たせている馬車までなのだが、そこまでの短い距離すらもエスコートするのがデートと言えるだろう。
最初こそ緊張した面持ちを見せていたキュレットも、素敵な贈り物とハロルドがの気遣いに心を解されたのか、嬉しそうに笑って歩き出した。
ハロルドの考えたデートプランは、これまた見事なものだった。
ガレットの美味しいお店のテラスで昼食を取り、そのあとは舞台。
恋愛がテーマの演目だが難しい表現はなく、それでいて『子供向け』というものでもない。現にキュレットは煌びやかなシーンでは瞳を輝かせ、恋愛が盛り上がればほぅと吐息を漏らし、演目を十分に楽しんでいた。
観劇後は公園をゆっくりと散歩する。
舞台の感想や直近のパーティーの話。見つけた花の名前を交互に言い当てたりと、のどかな公園で楽しいひと時を過ごす。
そのあとは高台にあるレストランで夕食をとり、日が落ちてしばらくするとバーキロット家へと戻ってきた。もちろん二人揃って。
強引に誘うでもなく、下心を見せるでもなく、極めてスマートな流れでキュレットを屋敷へと招き入れる。さすがハロルド、家に連れ込むことに関しては右に出る者はいない。
――もっとも、キュレットも元よりその覚悟でいた。そもそも自ら言い出し、これこそが目的だったのだ。だがハロルドと一日デートをするうちに、そして巧みな話術と紳士的な対応を受け、いつの間にか彼の誘いで屋敷に招かれた気分になっていた。これまた流石である――
そうして二人がバーキロット家の一室に入り、パタンと扉が閉められた。
夜も遅くとまではいかないが、既に夜と言える時間。
そんな時間に男女が仲睦まじく一室に入るとなれば、その光景に相応のことを想像しても仕方あるまい。とりわけ二人が入っていったのは客室であり、そして客室にはベッドもあるのだ。
「さすがハロルド様、なんてスムーズな連れ込み。だてに男も女も無節操に食ってないなぁ」
とは、廊下の角からその光景を眺めていたイチカ。
今日一日のハロルドのスマートさといったらなく、拍手したいほどだ。
その態度も口調も、到底、婚約者が自分以外の女性とデートをしているところを見る女のものではないが、それは今更な話である。それに、今回のハロルドはそれなりに考えがあるはずという信頼のもとである。
ここにゴルダナやロクステンあたりがいれば、「それでいいのか」と呆れただろう。もしかしたら「これぞイチカとハロルドだ」と納得し、はてには「これはこれで仲が良い証だな」と解釈をするかもしれない。
だが生憎とこの場にはそんな解釈をする者はいない。
いるのは、イチカの傍らで難しい表情をしている少年のみ。
「カルノ様、どうしますか? しばらくは二人とも出てこないと思いますけど」
イチカが問えば、少年が更に顔を渋くさせた。
年若いどころか幼いとさえいえる少年。整った顔つきをしており、身なりも良い。一目で『良いところの子息』とわかる。
他でもない、キュレットの未来の婚約者カルノである。
……一応、というべきかもしれないが。
なにせその婚約を破談にするため、キュレットはハロルドに連れられて客室へと入っていったのだ。
「もう遅い時間ですし、ご自宅に戻られたほうがよろしいのでは?」
「今日はバーキロット家で過ごさせてもらうと両親には言ってある」
「そうですか。それなら、応接間をあけてもらってお茶でもしますか」
「……だけど、もしキュレットが出てきたら」
「それなら、廊下に魔法を仕掛けて、二人が部屋から出れば私が感知出来るようにしておきます」
このままなんの面白みのない廊下で、しかめ面の少年の隣で動く気配のない扉を見つめ続けるのはごめんだ。
そんな気持ちを隠しつつ移動を促せば、カルノはしばらく扉を見つめたのち、「それなら」と渋々といった様子で頷いた。




