3:一緒に住む
そんな婚約から数日後、イチカは小さなポシェットを肩から下げてナルディーニ家の玄関に立っていた。
向かい合うのは切なげに見送ってくる両親。
「お父さん、お母さん、そんなに悲しまないでよ」
「でもイチカ、お前……」
「歩いて帰って来れる距離でしょ。それにバーキロット家に行くだけだから」
ねぇ、とイチカが宥めれば父親が大きな手で頭を撫でてくる。隣に並ぶ母親は眉尻を下げ、父と入れ替わるように目の前に立つと抱きしめてきた。イチカとは似ても似つかない金糸の髪が揺れ、ふわりと良い香りがする。柔らかな抱擁が恥ずかしい。
そんな照れ臭さにイチカがゆっくりと母の腕を撫でて離すよう促し、ポシェットに視線を落とすことで出発の意を示した。それを察したか馭者が馬車に乗り込み、出発の空気を感じ取って馬が嘶く。
それに応えるようにイチカが馬車に乗り込んで小窓から顔を出せば、名残惜しそうに両親が手を伸ばしてきた。細くしなやかな母の手と堅く男らしい父の手に両手を包まれ、イチカが苦笑を漏らす。まるで今生の別れとでも言いたげでなんと大袈裟なのだろうか。だがそれが嬉しくもある。
そうしてゆっくりと馬車が走り出してもなお彼等は手を振り続け、その姿は馬車が角を曲がって見えなくなるまで続いた。
実際のところ、ナルディーニ家夫婦はイチカの本当の両親ではない。
なにせイチカは元々は雨宮苺香という異世界の少女だったのだ。そこで生まれそこで育ち、そしてたった一人この世界に召喚された。ゆえに実の家族は元居た世界に居る。
はたして彼等は今どんな生活を送っているのだろうか。それを思えば少なからず胸は痛む。だがそれだけだ。少しチクリと痛むだけで、それだって郷愁の念というよりは過去の何とも言い難い心苦しさと突如行方を暗まして迷惑をかけたことの申し訳なさに近い。
なんて薄情な娘だろうか。
帰る術がないとはいえ、十年足らずで帰郷を諦めこの世界に腰を据えてしまったのだ。
いや、諦めたというには語弊がある。たとえ帰る術が見つかったとしても首を横に振るから、これは拒否と言うに近い。帰る術がないと絶望してたのは僅かな間だけ、その後は帰る気も無かった。
そんなことを考えつつ、イチカが上着のポケットに手を入れた。
馬車の中で食べるようにと母が用意してくれたクッキーが入っている。食べている時間は無いと訴えても聞かず、果てには父と話をしている隙にポケットに忍ばせるという強硬手段に出られてしまったのだ。
そのやりとりを思い出せば思わず苦笑が浮かび、試しにと一つ取り出して食べれば芳ばしさと甘さが口の中に広がる……が、どうやら到着したようでガタと馬車が揺れ、味わっている暇もないと慌てて咀嚼し飲み込んだ。
ナルディーニ家とバーキロット家はあっという間の距離なのだ。そもそも父が用意してくれたから馬車に乗っただけで、歩いても良かった。
そうしてバーキロット家の屋敷の前に立ち、ナルディーニ家とは比べ物にならないその大きさに改めて感嘆の息をもらした。
社交界の頂点に君臨する家なのだからこの規模も当然なのだが、仮に自分がこの世界の只の平凡な貴族の令嬢であったならば威厳に臆して裏口にまわりかねない。元居た世界での感覚なら、きっと撮影所か何かとでも勘違いしていだろう。中に入るにはどこで手続きをして入館料を払えば良いのか……なんて周囲を見回していたかもしれない。
「ファンタジー映画のお城みたい、なんて最初は思ったっけ」
そう過去を懐かしみつつ呟き、屋敷へと近付き……
「よし、荷物を寄越せ」
と仁王立ちで待ち構えるハロルドの姿に数度瞬きをした。
「ハロルド様、どうしました?」
「父さんに部屋まで案内してやれって言われてるんだ。荷物持ってやるよ」
ん、と手を伸ばしてくるハロルドにイチカがポシェットに視線をやる。荷物と言うほどのものでもないのだ。
それでも再度「ん!」と催促されれば従うほかなく、促されるままポシェットを降ろして彼に預けた。
「他に荷物があるなら屋敷のやつ呼ぶけど」
「いえ、それだけです」
「こんな小さな鞄だけ? ナルディーニ家に取りに戻れるって言っても流石に少なすぎないか?」
「圧縮魔法と軽量魔法で荷物ギッチギチにしてますから。私以外の人が開けると爆発するんで気を付けてください。ちなみに布団と枕も入ってます」
迂闊に開けるとボフン!と広がりますよ、とイチカが脅しをかけてみる。
事実、イチカのポシェットは子供でも持てそうな小さなものだが、中身は大人が数人がかりで運ぶほどの量が入っている。私服に騎士の制服に正装用のドレス、まだ読んでいない本、お気に入りのティーカップと茶葉、ブランカと遊ぶためのボードゲーム。あと布団と枕。バーキロット家にも勿論揃っているだろうが、やはり寝具は使い慣れたものに限る。
それらに圧縮魔法をかけて軽量化させ、ポシェットに詰め込んで荷造りを終えたのだ。パッと見では身軽に見えるが、総量は中々である。
そうイチカが説明すればハロルドが僅かに目を丸くさせ、次いで興味深そうにポシェットを眺めだした。それどころか「その魔法、後で教えてくれ」と言って寄越すのは純粋に興味があるのだろうか。
「一緒にボフンとしますか」と冗談交じりに誘えば、まんざらではなさそうに頷かれた。
「とりあえず屋敷の中を案内して、お前の部屋まで連れていけって言われてる。それが終わったらボフンだな」
「案内ですか……。だいたいなら把握していますけど」
そんなことを話しつつバーキロット家の屋敷内を歩く。
当主であるロクステンとは召喚された直後からの仲で、この屋敷にも数えられないほど足を運んでいる。それどころか何度か来客として泊めて貰ったこともあり、ナルディーニ家に身を置く前は宿とこの屋敷を行き来していたほどだ。粗方の部屋の配置はその時に教えられている。
当主であるロクステンの書斎に婦人の趣味の部屋、夫婦の寝室。子供達の部屋、応接間、召使達の休憩室や食堂……。
現にハロルドが案内してくれる部屋はどれも記憶の通りで、だからこそ今更改まって案内されてもとイチカが訴えた。
だがどういうわけか、それに対してハロルドがニヤリと笑う。不敵な笑みだ。まるでこちらの訴えを分かったうえで、それでも「甘い」と言いたげな表情。
それに対してイチカが一体なんだと身構えるように彼を見た。
「だいたいなら把握、か……。ならあの扉は知ってるか?」
「あれ、なんであんなところに扉が?」
ハロルドの指さす先に一つの扉を見つけ、イチカが首を傾げた。
廊下の先に扉が一つ。他の部屋とは違い出入り口めいたその扉に覚えがなく、イチカが確認するように目を凝らす。あんなところに扉は無かったはずだ。そもそも、応接間が並ぶ中に出入り口が一つなど屋敷の構造としてもおかしい。
そう困惑するイチカの様子を見て満足したのか、ハロルドが小さく笑って頷いた。
「どうだ、お前もあの扉は把握していないだろ」
「いつの間に増設したんですか?」
「一昨日魔法で増設したんだ。あれは俺の『連れ込み用出入口』だからな!」
得意気に胸を張るハロルドに、イチカが唖然とし……そして聞かなきゃ良かったと溜息と共に扉から視線をそらした。
聞けば、正門から連れ込もうとすると警備に見つかりロクステンに知られて怒られるので、解決策として連れ込み専用の出入口を設けることにしたのだという。用途に反して堂々としすぎな気もするが。
「よくロクステン様がそれで納得しましたね」
「してない。というかあの扉は父さんには秘密にしてる」
「秘密って言っても。あんな堂々としてれば見つかりますよ」
「そうしたら……あ」
ふいに視線を他所に向け、ハロルドが間の抜けた声を漏らす。
イチカが彼の視線を辿れば、そこに居たのはもちろん……ロクステンである。温和な彼には似合わぬ憤怒を露わにした表情でこちらに足早に近付き、「ハロルド!」と怒声をあげた。
「お前また勝手に屋敷に出入り口を作ったのか!」
「証拠隠滅!」
ロクステンの怒声が終わらぬうちに、ハロルドがサッと片手を挙げる。
その瞬間に眩い光が周囲を包み、それが消えると先程の扉は無くなっていた。元居た世界では考えられないこの芸当、言うまでもなく魔法である。
魔法で設置した出入口を魔法で消したのだ。説明すれば簡単なものだが、実際に行うには相当な魔力と技術が必要とされる。常人であれば片手を上げる程度では出来ない技だが、それを簡単にこなしておまけに問い詰めてくるロクステンに口笛を拭いて誤魔化す余裕まで見せるのだから流石の一言である。
こと魔法に関していえば国内に……いや、この世界を探しても彼の右に出る者はいない。召喚の際に人間離れした魔力を付与されたイチカでさえ彼には一目置いてる。
だけどこれほどまでに脱力を感じる魔力の無駄遣いがあるだろうか。
世界一を誇る魔法の技術と魔力を持ち合わせ、その発揮処が『連れ込み用出入口の増設と隠蔽』なのだ。勿体ないにも程がある……と、布団と枕を圧縮して鞄に詰め込んだ身で思う。
「相変わらず巧みに隠しおって……。次はどこに作るつもりだ!」
「それを言ったら父さん怒るだろ」
「今現在すでに怒ってる! 言え、どこに作るつもりだ!」
「そもそも作るつもりも何も、既に作ってるから。消すと同時に他所に設置する、さすが俺!」
喚くロクステンに――まぁ誰だって己の屋敷に『連れ込み用出入口』なんてものを設けられれば喚くというもの――対してハロルドが明後日な自画自賛で胸を張る。
それどころか「行くぞイチカ」と歩き出してしまうのだ。これにはイチカもどうして良いのか分からず、それでも荷物が彼の手元にある以上はとロクステンに頭を下げて彼を追った。
きっと今もこの屋敷のどこかにハロルド専用の『連れ込み用出入口』があるのだろう……。それを思えばまだ初日だというのに疲労が募り、溜息を吐くと共に心の中で『ビッチゲート』と名付けておいた。




