表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
29/35

後日譚:少しだけ変わった日々をいつも通り二人で


 バーキロット家の一室。

 そこに置かれたソファに腰かけ、イチカは用意された紅茶に口をつけた。

 さすが国一番の名家と言える茶葉である。

 香りも味も一級品だ。……多分。紅茶の味の違いは良く分からないが。


「イチカ、最近どうだ?」


 尋ねてくるのは、イチカの向かいに座るロクステン。

 その微笑みはまるで娘を見守るかのように穏やかで、名家当主の威厳や圧を抑え、その反面、懐の広さや寛大さを漂わせている。

 そんなロクステンに問われ、イチカは「最近……」と呟いた。


『最近どうだ』とは、なんとも漠然とした質問ではないか。

 いったい何について答えればいいのか……。


「騎士隊は殆ど落ちついてきましたね。もともとハロルド様の魅了に言いように充てられて食われていた連中なので、ユイコさんの魅了に充てられたと知っても怒ることなく『俺達は単純だな』と納得しています」

「騎士らしい潔さだな。他には?」

「ユイコさんも大丈夫そうです。魅了も多少は制御できるようになったらしく、この間は王宮のメイド達とクッキーを焼いて持ってきてくれました」

「それは良かった。あの子も辛い目にあったからな、何かあればバーキロット家が力になろう。……それで」

「あとは……。あのドラゴンは消息がまだ掴めていません。それと近隣諸国の動向については、私よりもロクステン様の方が詳しいかと」


 他には、とあらかた思い浮かぶことを報告していく。

 あの騒動からまだ一月しか経っておらず、いまだ後処理は山のように残っている。求められればいくつだって報告できる。

 ゆえにあれこれと報告するのだが、どうにもどれもロクステンが求めているものではないらしい。歯切れの悪い口調で「他には……」と続きを求め、ならばとイチカが話すも眉間に皺を寄せて髭を撫ではじめてしまう。

 彼の癖だ。言い難いことがあるときや気まずい時、ロクステンは無意識に髭を撫でる。


 彼のこの癖を見るのはいつぶりか、とイチカがふと記憶をさかのぼった。

 あれは確か……。そうだ、ハロルドとの婚約を提案された時だ。


「もしかして『最近どうだ?』とはハロルド様の事ですか?」

「い、いや、別にハロルドの事だけではないんだがな。だがイチカがハロルドについて教えてくれるというのなら、やはり息子の事だから聞いておいた方が良いだろう。私も最近多忙で家を空けることが多くて、どうにもあいつの動向を知れていないんだ」

「凄い食いついてきますね。でも最近ハロルド様は……」


 言いかけ、イチカが部屋の扉へと視線を向けた。

 足音が聞こえてくる。それと聞き覚えのある話し声。

 ついでノックの音が室内に響き、ロクステンが返事をするとゆっくりと扉が開かれ……、


「イチカ、父さん、おはよう」


 と、のんびりとした口調と共に渦中の人物が顔を覗かせた。

 ハロルドである。ブランカに自分の分の紅茶もと頼み、部屋へと入るなりイチカの隣に腰掛ける。

 この流れもまた婚約した日の焼き直しのようではないか。……ハロルドがロクステンの茶菓子に手を伸ばすところも含めて。

 どうやらロクステンも同じことを思い出しているようで、ハロルドをじっと見つめると重い声色で彼を呼んだ。


「ハロルド……。今お前のベッドに誰がいるんだ?」

「誰って……。誰がいるんだ?」

「男か、女か? 正直に言いなさい、今お前のベッドに誰が寝てるんだ?」

「待ってくれ父さん、何の話だ? え、怖い、俺達のベッドに誰が……!?」


 心霊現象の話とでも思ったか、ハロルドが動揺と怯えの色を見せる。

 そのうえ、紅茶を持って来るやベッドメイクに向かおうとするブランカを慌てて制止した。「ベッドに何かいるらしいから!」というハロルドの言葉に、ブランカまでもが怯えだす。

 これにはイチカも慌てて制止した。ちょっとした行き違いでバーキロット家の屋敷が幽霊屋敷になりかねない。


「ブランカ、別に幽霊じゃないからベッドメイクをお願い。ロクステン様、ハロルド様は最近だれも連れ込んでいませんよ」


 イチカが両者の勘違いを訂正すれば、ブランカがほっと安堵しベッドメイクへと向かっていった。

 ロクステンもまた息子が最近大人しくしていると知り安堵の表情を浮かべ……、


「……俺はここ最近ずっと真面目に研究してる」


 と、ハロルドだけは低い声で不満を訴えた。

 朝の挨拶もそこそこに不埒な行為をしたと決めつけられて話をされたのだから不満も当然である。もっとも、彼の場合は前科が多すぎるので疑われるのも仕方ないのだが。


「俺はあの騒動からずっと研究所とうちの往復だ。父さんが想像してるような行為も一度もしていない!」


 ハロルドが得意げに胸を張る。

 それに対してロクステンが驚きの表情を浮かべ、真偽を問うようにイチカへと視線を向けてきた。

 イチカが深く頷いて返す。ハロルド自身が言う通り、彼はあの騒動から一月、不埒な行為を一切せず研究に努めているのだ。


 もとよりハロルドは魔法の研究に対しては誰よりも貪欲だ。実績も熱意も、世界中を探しても彼の右に出るものはいないだろう。

 特に今は熱が入っているようで、その姿はまさに真面目な研究員そのもの。休憩がてらのつまみ食いをする時間があれば少しでも研究を進めたい、そう本人が語るのだからよっぽどだ。


「それに、研究してるのは魅了抑止の研究だからな。さすがにユイコで試すわけにはいかないだろ。となると実験体は俺しかいない。俺が誰にも誘われず手を出されない現状こそ、研究が進んでいるという何よりの証拠でもある」

「なるほど、確かに。そういえば最近うちの騎士隊でもハロルド様と普通に喋って終わったって言ってる人が多いですね」

「そういうこと。以前であれば騎士なんて流し目一つで落とせたが、最近はまったくだ。かといって魅了の効果が蓄積されてる気配もない。さすが俺の研究だな」


 自ら証明する、とはまさにこのことだ。

 そうイチカが感心していると、ロクステンが深く息を吐きつつ「そうか……」と呟いた。今までハロルドに悩まされてきた日々を思い出しているのか、感慨深そうな声だ。


「ハロルドは最近きちんと生活してるんだな」

「あぁ、研究一筋だ。夜だっていつもイチカと二人で」

「イチカと二人で? まったく、婚約者とはいえ結婚前の二人が赤裸々に語るんじゃない」

「二人で大人しくチェスしてるだけだ! 父さんは相変わらず考えが不埒だな!」

「だがまぁ、仲が良いなら越したことはない。もしも婚前にふしだらなと文句を言う輩が居ても、バーキロット家の力で黙らせてやるからな」

「不埒なうえに物騒! 父さんと話してるとせっかく清らかな生活してるっていうのに汚されそうだ」


 ロクステンの発言に、無罪なハロルドが文句を訴える。

 さすがにこれはロクステンも非があると自覚しているのか、すまないと詫びてきた。曰く、ハロルドが健全な生活をしているというのが信じられず、どうしても思考が疑って掛かってしまうのだという。――この説明もどうかと思うが――

 それを聞き、ハロルドがニマリと笑みを浮かべた。


「申し訳ないと思ってるなら、研究に協力してくれてもいいよな?」


 そう笑みを浮かべながらハロルドが手にするのは、いつの間にか取り出した採血道具。

 これにはロクステンはもちろんイチカも肩を竦め、仕方ないと袖をめくった。

 この際なので、


「刺すのも刺されるのもご無沙汰だけど、こっちは毎日のように刺してる」


 というハロルドの発言は無視である。

 健全な生活を送っていようが根っこは相変わらずハロルドなのだ。




 休憩を経て、午後の仕事に向かう。

 といってもイチカの午後の仕事はユイコの護衛であり、それも彼女とお茶をしながら雑談という手軽なものだ。−−これで給金を貰えるのだから有り難い話である−−


「そういえば、私も今朝がたハロルド様に血を抜かれました」


 ユイコの言葉に、イチカが「ご迷惑を」と頭を下げた。

 といってもハロルドが人の血を抜くのは研究のため。そしてその研究はユイコの魅了を押さえるためである。ユイコもそれを自覚しているのか、頭を下げるイチカを慌てて宥めた。

 次いでイチカとユイコが揃えて部屋の扉に視線をやったのは、ノックの音が聞こえてきたからである。イチカが返事をすれば、キィと音をたてて扉が開かれた。

 入ってきたのは、


「また血抜き魔が出た。俺には魔法が効かないのに容赦が無さすぎるだろ」

「陛下のところにもですか……」


 と、そんな話をするラウルとゴルダナ。二人とも同じように腕を擦っており、ラウルの腕には痣ができている。

 そうして話しつつソファに腰かけるも、これといって改めるような挨拶はしてこない。唯一ユイコが深々と頭を下げるだけだ。


「陛下もゴルダナ隊長も、ハロルド様にやられたんですか?」

「あぁ、さっき突然執務室に飛び込んできて、あっという間に血を抜いて去っていった。しかも二回も失敗するもんだから痣になった」

「俺もだ。訓練の休憩中に突然現れて、針を刺すのに三回失敗したが悪びれる様子なく、それどころか他にも三人血を抜いていった」


 せめて採血の腕を上達してほしいものだ、そう話しつつラウルとゴルダナが肩を竦める。だが二人には怒っている様子はない。

 採血に失敗しようが血を抜こうが、ハロルドが熱心に研究するに越したことはない。そのためなら血を提供しよう……と、考えはこんなところだろう。


「血を取られた奴にはロクステンが菓子折りを渡してるみたいだし、たいした問題にはならないだろう」

「え、菓子折り!? 私もらってないんですけど!」


 そんな! とイチカが思わず声をあげた。驚愕の事実である。

 ユイコは既に知っているようで、そもそもは自分のための研究だからと遠慮しているのにロクステンが強引に渡してくるという。ラウルも同様、いらないと言っても都度押し付けてくるらしい。

 唯一ゴルダナだけは同意せず妙な咳払いをしているが、これは菓子折りではない何かを貰っているということなのだろう。――後日聞け出せば、彼は血を抜かれるたびにブランカ特製のほうれん草料理をご馳走になっているらしい。それも二人きりの時に……。嬉しそうに惚気られ、イチカは聞きだしたことを後悔した――


 そんな面々を前にすれば、イチカの眉間に皺が寄る。

 自分は散々血を取られているというのに菓子折りも無い。せいぜい血を取ったハロルドが「飴をやろう」だの「クッキーがあった」だのとポケットからお菓子を出して渡してくるぐらいだ。

 不公平だと訴えれば、ラウル達が肩を竦めた。


「イチカはもう身内だからだろ」

「身内だって菓子折りは欲しいです」

「それはロクステンに直接訴えた方がいいな。それよりユイコ、今度議会に顔を出してもらいたいんだが」


 無理やりにラウルが話を変える。途端に一国を統べる王らしい顔つきになった彼に、ユイコが顔を強張らせて頷いて返した。

 かつては聖女として崇め奉られた身とはいえ、彼女はまだ年若い少女だ。そもそも『聖女』だって己の身を守るために語ったに過ぎず、それすらもない今は議会という場でさえ緊張するものなのだろう。

 とりわけ、彼女の魅了がこの国を危機に晒したのだ。己の仕出かしたことを考えれば、議会という名の糾弾の場でもおかしくない。

 そんなユイコの胸の内を察したのか、ラウルがふっと軽く笑みを浮かべて「大丈夫だ」と告げた。穏やかな声色だ。


「イチカもゴルダナも付けるし、ハロルドも同席させる予定だ」

「は、はい……。だけど、私は……まだ何も償ってないのに……」

「だから何度も言ってるだろ。お前が償う必要はない」


 はっきりとしたラウルの断言に、それでもとユイコが俯いてしまう。

 彼女はこの王宮で手厚い保護を受けており、念の為にと外出こそ控えているが王宮内では自由に動ける。それどころか誰もが彼女を気遣い、何一つ不自由のない、安全で快適な生活だ。

 その感謝の気持ちがあるからこそ、己が危害を加える術になっていたことが申し訳ないのだろう。

 それに対して、ラウルがまったくと言いたげに肩を竦めた。


「望まぬ環境に置かれ、己では覆せない扱いを強いられる。その辛さは俺も分かってるつもりだ」

「ラウル様……」

「必ず俺が隣に座る。だから安心しろ」


 ラウルの断言に、ユイコが顔を上げ、「はい」と小さく呟いて返した。その声は安堵の色を含みつつ、僅かに上擦っている。

 それを見るラウルもどことなく穏やかで、普段の好青年を装う時とも違う、イチカでさえ見たことのない柔らかな笑みだった。




 そんな一日の夜。

 夕飯も終え就寝の準備も整え、あとは寝るだけとなった時間。

 イチカはベッドの上でハロルドとチェス盤にむきあっていた。今まではテーブルでチェスをしていたが、いつの間にかベッドの上が定位置になっていた。

 不安定ではあるものの、終わるやサイドテーブルに置いて眠れるので便利なのだ。


「ゴルダナ隊長のところはあと三年は進展しないとして、もしかしたら陛下に先を越されるかもしれませんね」

「いや、案外にゴルダナも進める気になってるぞ。血を抜く代わりにブランカの手作り料理が食べたいって言い出したのはあいつだし、それもブランカに直接頼みに行ってた」

「えぇ、本当ですか!? ゴルダナ隊長、ブランカと二人でランチして自信がついたのかな……」


 今まで一歩も進まぬ童貞と考えていた上官の意外な行動力に、イチカが「侮れない」と小さく呟いた。――散々な言いようだが、もちろんゴルダナのことは尊敬している――

 それを聞いたハロルドが楽しそうに笑い、次いでそっと手を伸ばしてきた。しなやかな彼の指先が擽るようにイチカの頬を滑り、顎の下で止まると顔を上げるように促してくる。


「俺達も負けてられないな。……なぁ、イチカ。ベッドの上で血のお礼をさせてくれないか?」

「血のお礼と言えば、夕食後にロクステン様の部屋に突撃して菓子折り奪ってきたんですけど、食べます?」


 ハロルドの蠱惑的な誘いを、イチカが一刀両断する。

 それに対して、失敗はいつもの事だと考えているのかハロルドもさして気にすることなく「明日食べる」とあっさりと態度を切り替えてしまった。

 顔を寄せるように誘っていた彼の指も一瞬にして離れてしまう。


 いつも通りの二人らしいやりとりである。

 ここに第三者がいれば、相変わらずだと笑うだろう。

 ラウルは「これじゃ一年延長しても進展なしだな」とでも言い、対してゴルダナは自分も負けられないと意気込むか。ロクステンをはじめバーキロット家の者達は、進展が無かろうが問題児ハロルドが大人しく過ごすならと喜ぶかもしれない。

 もっとも、誰もがみな次の瞬間には目を丸くさせるはずだ。




 ……ベッドの上で、「おやすみ」という言葉と共にキスをする二人を見れば。




 だが唇が離れるや二人はいそいそと布団に潜り込んでしまった。

 色気を一切感じさせない仕草で、その後に何をするでもなく、あえて言うのであれば魔法を使って部屋の明かりを消すぐらいだ。




 ……END……





これにて完結です!

最後までお付き合い頂きありがとうございました!


自由奔放なハロルドと、なんだかんだ彼と同じくらい自由奔放なイチカのやりとりは書いていて楽しかったです。

ひとまず完結となりますが、また短編など書けたらあげていこうと思いますので、その際はまたお付き合い頂けると幸いです。


ありがとうございました!


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ