28:勝負の行方は……
「イチカは俺のことが好きなんだよな。つまり俺の勝ち。婚約破棄で俺のお気楽ハッピーライフは継続だろ」
「なに言ってるんですか。ハロルド様の勝利条件は私が貴方の色仕掛けに負けて食われること。達成していないんですから私の勝ち、結婚です。そもそもハロルド様だって私の事が好きなんだから、観念して結婚しましょうよ」
「イチカの事は好きだが、もう少しお気楽ライフを楽しみたい。だから結婚はその後。そもそもイチカが俺との結婚を義理ではなく望んでるってことが、俺の色仕掛けに落ちたって事だろ。やっぱり俺の勝ちじゃん」
「違います。断じて色仕掛けに落ちたわけではありません。それに『結婚はその後』って我が儘すぎますよ」
互いに一歩も引かぬと、ああ言えばこう言うで反論を繰り返す。
騒動の直後だというのにまるで子どもの言い合いのようで、周囲に居た者達も呆れるしかない。イチカに張り付いていたユイコもこれには唖然とし、呆れたラウルに促されてそろそろと離れていった。
だが周囲がどれほど呆れようと、イチカとハロルドにとっては重要な問題である。
なにせ騒動の最中だったとはいえ、両思いだと判明したのだ。
イチカは魅了の効果があろうが無かろうがハロルドとの結婚を望み、対してハロルドも他者には一夜主義だがイチカに対しては『ずっと一緒に』と願っていた。
普通であれば、これにて一件落着。騒動を乗り越えた二人は結婚……となるところだろう。
だがここにきて、イチカもハロルドも自分の勝利に拘り始めた。
その結果の言い合いであり、周囲が呆れるのも無理はない。
ハロルドの魅了に従い跪いていた者達も一人また一人と立ち上がり、皆一様に「この期に及んでなにを言ってるんだ」という顔をしている。ーー騒動を解決に導いた功労者に向けていい顔ではないが、この言い合いの前では仕方あるまい。ーー
「イチカは俺が好きなんだから、俺の勝ちだ!」
「いいえ、私は色仕掛けに落ちてないから私の勝ちです!」
互いに自分の勝利を訴え、睨みあう。
そんな二人に、さすがに放置は出来ないと考えたのかロクステンが割って入った。「いい加減にしなさい」という声には呆れどころか疲労の色がすら漂っている。
「ちゃんと気持ちを確認し合ったんだから、なにを言い争うことがある」
「そりゃ俺はイチカのことは好きだよ。でもこの勝負は譲れない」
「私だってハロルド様の事は好きです。でも私の勝ちです」
「……良い夫婦になれると思うけどな」
相手を好きだと認めつつ、勝ちは譲らない。
その姿勢にロクステンが盛大に溜息を吐いた。彼の背後ではラウルが肩を竦め、部下に指示を出し終えたゴルダナが合流して二人揃えて呆れの表情を浮かべている。
そんな中、埒があかないと判断したのか、ロクステンが「それなら」とイチカとハロルドの肩を同時に叩いた。
「当分は今回の件でごたごたするし、もう一年延長してみたらどうだ?」
「延長……。まぁ延長したところで俺が勝つだろうけど。イチカが俺に惚れている以上、色仕掛けに負けるのは時間の問題だしな」
「一年だろうが何年だろうが、私が勝てばハロルド様が大人しくしてくれるなら構いませんよ。あの程度の色仕掛け、私には効きません」
お互いにロクステンの提案を受け入れ、それでいて挑発しあう。
それを見て、ロクステンがパンと手を叩いた。
「決まりだな!」という声は随分と晴れやかである。そのうえこれで問題解決とでも言いたげにラウル達の元へと去っていった。
※
「良いのか?」とは、ロクステンの提案に対してラウルの問い。
視線はイチカとハロルドへと向けられ、顔には呆れの色が残っている。
もちろん『婚約問題を延長していいのか』という疑問であり、それに対してロクステンが肩を竦めた。
「私としては早く落ち着いてほしいところですが、急かして解決する問題でもなさそうですから」
「だが、あのままだと何一つ進展せず一年過ごしかねないぞ」
「そうしたらまた一年延長させます。ですがハロルドも満更ではないようで、イチカと婚約をしてからは多少は大人しくなりましたし」
先は明るい。……少し遠い気もするが。とロクステンが肩を竦めた。
それに対してラウルが相変わらずだと楽しそうに笑い、ゴルダナがロクステンを労りだす。
ちなみにイチカとハロルドも相変わらずだが、見守る彼等もまた周囲にとっては相変わらずなのだ。それも含めて触れるまいと考えているのか、その場に居た者達がぞろぞろと移動していく。
ラウル達もまた「しばらく二人きりにしておくか」と話し、イチカとハロルドを残して去っていった。ーーもっとも「二人きりにして何かあるとも思いませんけれど」「同感だな」という声もあがるがーー
※
そんな会話がされているとは知らず、イチカとハロルドは物言いたげな表情で去っていく面々を見送った。
国の存続が掛かった危機を解決したというのに、向けられる視線には賞賛や感謝の色はない。それどころか呆れの色をひしひしと感じてしまう。おまけにみんな自分達を置いて移動している。
功労者が置いてけぼりとは酷い話だ。
失礼な……とイチカが不満を露わに、去っていくゴルダナの背を睨みつけた。「私達が居なかったら、今頃ユイコさんに童貞オーラを向けてたのに!」という訴えは、さすがに口にはせずに眼光に乗せておく。
だが次の瞬間イチカが鋭くさせていた目をぱちんと瞬かせたのは、目の前に一輪の薔薇が現れたからだ。
真っ赤な花びらが美しく、突然現れたその赤に視線を奪われる。
差し出してきたのはハロルドだ。
イチカがいったい何かと問うように彼を見つめる。だがハロルドは何を言うでもなく、薔薇を軽く揺らして促してきた。枝には金色のリボンが巻かれており、イチカが手にすればふわりと揺れる。
一輪の薔薇。たった一輪というシンプルさが逆に堂々とした気高さ感じさせる。
「魔法で出したんですか?」
「出したというよりは『遠隔で買って持ってきた』に近いな」
あっさりとした口調でハロルドが説明し、イチカの手の中にある薔薇をちょんと指先で突っついた。形の良い花びらが揺れる。
『遠隔で買って持ってきた』等と随分と簡単に言ってくれるが、普通ならば目を回しかねないほどの複雑な魔法である。出来る者は極少数に限られ、その少数だって苦労の末にというものだろう。
それを簡単にこなし、惜しまず渡してしまう。なんともハロルドらしい話だ。
「でかい花束を用意しても良かったんだが、今日のこの騒動じゃ邪魔になるだろ。帰りに買おうにも花屋は閉まってそうだし」
だからこそ、あえて花束ではなく豪華な薔薇一輪を選んだ。そうハロルドが告げてくる。
それを聞き、イチカは手元の薔薇に視線を落とした。
ドラゴンだの魅了だのという大きな問題こそ解決したが、だからといって「さぁ帰ろう」と帰路につくわけにはいかない。事態の収集、とりわけ城内外問わず魅了に振り回されていまだ混乱状態なのだから、今日中にその説明だけはしておかなければならないだろう。
はたして全員に説明し終えるにはどれだけ掛かるか……。
そんな中での花束は確かに負担になりかねない。
だがそもそもの疑問は『なぜ薔薇一輪なのか』ではなく『なぜ薔薇をくれたのか』である。
それを問えば、ハロルドがなにを当然なと言いたげな表情を浮かべた。
「今日は婚約延長の記念日だろ」
「記念日?」
「最初に婚約した日に『元居た世界では記念日を大事にする』ってイチカが花束くれたじゃん。だから今回は俺が花を贈る」
もっともな意見だと言いたいのか、ハロルドが得意げに告げてくる。
彼が話しているのは、この婚約勝負の最初の日のことだ。ロクステンに頼まれて婚約し、その際にイチカは『一応婚約記念日なので』と彼に花束を贈った。ハロルドの髪と瞳の色を意識した色合いの花束。
あの花束も交わした会話も覚えていて、そして今度は自ら率先して実行してくれている……。
それを考えると、イチカの胸に温かなものが湧く。
薔薇を抱きしめ……はさすがに出来ないが、両手で大事に持ち、改めるようにハロルドに向き直った。
彼も穏やかに笑い、片手を差し出してくる。
「これからもよろしくな、イチカ」
「えぇ、よろしくお願いします」
イチカが答えると共に彼の手を握った。
両思いの婚約者とは思えない、まるで友人間で交わすような握手だ。思い返せば、最初に婚約を交わした日も握手をしていた。
あれからなにも変わっていない……。
と考えると、なんとなく引っかかる。
勝敗のために婚約関係を延長したが、お互い両思いだと分かってはいるのだ。ーーここにロクステンが居れば「それが分かってるならさっさと結婚しなさい」と呆れ混じりに言っただろうーー
どうやらその引っかかりはハロルドも感じているのか、握った手をじっと見つめている。その顔つきは相変わらず麗しいが、どうにもピンとこないと言いたげである。
そうしてしばらく手を握り合ったままじっと立っていると、盛大な溜息が聞こえてきた。
ラウルだ。呆れたと言いたげに肩を落としている。
「陛下、ロクステン様達と一緒に行ったんじゃなかったんですか」
「行こうとしたんだが、さすがに放っておくのもあれだと思って戻ってきたんだ。それで、お前達はずっとそうしてるつもりか?」
「ずっとではありませんけど……」
ねぇ、とイチカが同意を求めれば、ハロルドがコクコクと頷いた。
それに対してラウルが再び盛大な溜息を吐き……次いでニヤリと口角を上げた。
爽やかな好青年を取り繕う時の笑みとも違い、さりとて彼の性根が垣間見得るあくどい笑みとも違う。楽しいことを思いついたと言いたげで、その楽しいことが意地の悪い事だと言われずとも分かる。そんな笑みだ。
思わずイチカが眉をひそめた。いったいなにを言い出すのかと身構えてしまう。
そんなイチカの警戒に気づいているのか否か、ラウルが上機嫌な様子で「せっかくだし」と話し出した。
「婚約関係を延長になったとはいえ両思いだと分かったんだし、記念にキスでもしたらどうだ」
まるで名案とでも言いたげなラウルの言葉に、イチカとハロルドがぎょっとして彼を見た。
キスでもしたら、とは軽々しく言ってくれる。
むしろ本人は軽い考えしかないのだろう、ちゃかすように「大勢の前でしたんだし」だの「一度も二度も同じだ」だのと言ってくる。その楽しげな笑みと言ったらなく、これが一国を統べる者とは思えないほどだ。
そのうえ、こちらの返事も聞かずに「先に行ってるぞ」と一言残して去っていってしまった。発言もだが、ひらひらと片手を振る仕草も軽い。
再び取り残され、イチカとハロルドが顔を見合わせた。
「キスって言ったってなぁ……」
「これで応じたら、ハロルド様の色仕掛けに落ちたことになるんですかね?」
「陛下の提案だし軽いキスなら無効だろ。挨拶みたいなもんだ」
「それなら……別にキスしても良いですけど」
イチカが答えれば、ハロルドがわずかに驚いたような表情を浮かべた。
断るとでも思っていたのだろうか。それに対してイチカが眉間に皺を寄せて睨んで返した。
ハロルドのことが好きだと何度も言っているのだから当然の事だろう。
そう視線で訴えれば、ハロルドも意図を察したのか、わずかに視線をそらしたのち「俺もしてもいいかな……」と呟いた。
「あ、でもキスはしますけど、その勢いで押し倒そうとしてきたらただじゃおきませんよ。いざとなればここいら一帯を焼け野原にするぐらいの抵抗を見せますから」
「定期的にイチカは焼け野原だの屋敷を半壊だの言い出すな。深層心理に破壊欲求があるんじゃないか?」
物騒なことを言いつつ、ハロルドが握っていた手をゆっくりと放してイチカの頬に触れてきた。
しなやかな指先が軽く擽るように撫でてくる。
『キスは挨拶みたいなもの』と言っていたというのに、挨拶とは思えない蠱惑的な仕草と表情だ。老若男女、この魅力の前に抗えるわけがない。魅了を制御してもこれなのだから流石の一言に尽きる。
……といっても、イチカにとっては見慣れたものであり、抗えないわけでもない。今回は抗わないだけだ。
それを告げれば、ハロルドが「ムードがない」と笑う。もちろんイチカも「お互い様です」と返しておいた。
……だけど。
「色仕掛けにはなにがあろうと落ちませんが、貴方のことが好きですよ。ハロルド様」
「あぁ、俺も。もう少しお気楽生活を続けていたいけど、結婚相手はお前だけだ。イチカ」
互いに今一つムードに欠ける言葉を交わし、イチカはゆっくりと目を閉じ、ハロルドからの挨拶程度の軽いキスを待ち……
……
待ち…………。
ん? と眉を潜めた。だいぶ待っているが、唇に触れた感覚はない。
もしかして軽すぎて気づかなかったのだろうか?
そう考えてうっすらと目を開け……、
真っ赤になっているハロルドの顔に、驚いて目を瞬かせた。
随分と真っ赤だ。瞳の色は相変わらず紫だが、頬も、それどころか耳まで赤くし、あと僅かというところで止まっている。
これにはイチカも唖然とし……、
ハロルドの後を追うように、ぼっと音がしそうなほど一瞬にして顔を赤くさせた。
※
真っ赤になった二人が、あと僅かという距離で硬直する。
魔法を使ってその光景を眺めていたーー覗きではない、様子見であるーー者達は肩を竦め、
「あれは別の意味でも時間が掛かりそうだな」
「ハロルドが大人しくなればどれだけ時間が掛かろうとも」
「……二人ともひとの事を散々バカにしておいて」
だのと好き勝手に言っていたのだが、真っ赤になって動けずにいるイチカとハロルドは知る由もない。
……end……
本編完結です!
お付き合い頂きありがとうございます。
その後の話を書いた短編を一話挟んで完結予定ですので、もう少しお付き合い頂けると幸いです。




