26:貞操観念のおさめ時
「イチカとハロルド様を捕らえたぞ! 引き渡しの場はどこだ!」
声を荒らげながらゴルダナが現れると、誰もがわっと沸き立った。
なにせ彼は両脇にイチカとハロルドを抱えているのだ。平時であれば何事かと驚き案じただろうが、今の二人は大事な聖女を拐かす不届き者。それを騎士隊長が捕らえたとなれば沸き立つのも当然だ。
そのうえイチカもハロルドも力なくぐったりとしており、両手を背中で結ばれている。運ばれているというのに顔を上げるどころかピクリともしない。
この光景に誰一人として疑うことはなく、それどころか「さすがゴルダナ」と彼を労い引き渡しの場を案内しだした。
城内の東に位置する高台の一室、先ほどと同様、テラスに出れば眼下を一望できる場所だ。
そこで隣国にイチカ達を引き渡し、両国の争いは収束を迎える。
自国はイチカ達を自ら捕縛し渡すことで責任をとり、隣国はそれを受けてこの問題を水に流す。
その場にはもちろんユイコも同席するだろう。観衆の目に付きやすい場所を選ぶことにより、この決定を国中に知らしめ、そして聖女ユイコの地位はさらに尊いものとなるのだ。
聖女が築く新たな国家関係。そう説明する者達の声色は、この事態だというのにどことなく浮ついている。
「聖女か……。それで、陛下はどこにおられるんだ?」
「ラウル陛下は既に引き渡しの場に捕らえております」
「そうか。ならば交渉には俺があたろう。他のものは城外の警備を強めてくれ」
周囲に指示を出し、イチカとハロルドを抱えたままゴルダナが足早に進む。
その足取りは普段よりも荒々しく気が立っているのが分かる。だが周囲はさほど気にかけることなく、捕縛の際に争った高ぶりがまだ収まっていないとでも判断したのか、勇ましいと彼を褒めるだけだ。
そうしてイチカとハロルドには冷ややかな視線を向け、これですべて解決すると安堵と共に見送った。
「……冷静になると、腹立たしいを通り越して薄ら寒いな」
イチカとハロルドを抱えたまま、誰もいなくなった通路でゴルダナがポツリと呟いた。
先ほどまでの勇ましさはなく、顔色は随分と青い。
魅了の効果を目の当たりにし、それがつい先ほどまで自分自身をも浸食していたと考えて気分を害しているのだろう。実直な騎士だからなおのこと、魅了されていた自分自身に至らなさを覚えてしまうのだ。
「まさか陛下をも捕縛するなんて……。それを平然と話していたが、魅了の効果とはここまで酷いのか。そんなものに俺は……」
己自信の甘さをゴルダナが悔やむ。
それに対し、左側に抱えられていたイチカがパッと顔を上げた。
「ゴルダナ隊長、いまは魅了されたことを悔いている場合じゃありません。早く陛下と落ち合わないと。それに魅了に捕らわれたのはゴルダナ隊長のせいではありません!」
「そうだな、先を急ごう。イチカ、すまないがもうしばらく俺に抱えられていてくれ」
ゴルダナに告げられ、イチカが返事をすると共に再びぐったりと体から力を抜いた。端から見れば、数秒前まで喋ってーーそれどころか自分を捕らえる相手を鼓舞していたーーなどとは思うまい。見事な気絶ぶりである。
それに入れ変わるように顔を上げたのは、ゴルダナの右側に抱えられていたハロルド。
「しかし、捕縛のふりをして引き渡しの場に行くっていうのはうまい考えだな。騎士隊長の実績と信頼が有ってなせる技だ」
「ありがとうございます。ハロルド様も苦しいとは思いますが、あと少しの辛抱ですので」
耐えてください、とゴルダナが告げれば、ハロルドが返事と共にガクリと頭を下げた。これもまた見事なもので、誰が見ても気絶していると考えるだろう。
二人から声をかけられ、自責の念を感じていたゴルダナの顔つきが変わった。魅了の効果を目の当たりにした困惑は消え、今は騎士らしい勇ましさが漂っている。
足取りも再び勇ましいものに代わり、通りがかった者には指示を出す。
騎士隊長らしい的確な指示だ。遠ざけようと企てているなどと誰も思うまい。
「隊長が味方についてくれて良かったですね。ハロルド様」
「そうだな。今回の件が解決したら、ブランカと二人きりで夕食に行けるように計らってやろう」
気絶状態からそろっと顔を上げ、イチカとハロルドがコソリと小声で交わす。
それに対し、ゴルダナは勇ましい顔つきと足取りで歩きつつも、
「ゆ、夕食は緊張してしまうので、できれば昼食から初めて頂ければ……」
と、なんとも情けない反応を見せた。
その言葉にイチカは肩を落とす代わりにガクリと頭を下げ、ハロルドもまた「童貞」と呆れを込めて言い捨てると共に気絶状態に戻った。
引き渡しの場である城内の一角。
そこではラウルがとらえられており、後ろ手に縛られたまま数人に囲まれていた。
一国の主だけあり暴力は振るわれていないようだが、表情を見るにあまり厚遇は受けていないのだろう。聖女の魅了に取りつかれた者達にとって、ラウルはすでに自国の主ではなく、『大事な聖女を害する者』でしかないのだ。
ラウル本人も自分の置かれている立場を理解しているのか、ゴルダナに抱えられるイチカとハロルドを見ると露骨に顔をしかめた。解決の糸口を絶たれたと言いたげな表情だ。
「イチカとハロルド様を捕らえました。これで引き渡しには応じてもらえるかと」
両脇に抱えた二人を見せつけるようにゴルダナが告げれば、ラウルを囲んでいた者達の表情が明るくなった。これで問題は解決、それどころか好転するとでも思っているのだろう。
でかした、よくやった、とゴルダナを労い、二人をこちらへと命じてくる。
だがそれに対して、ゴルダナは首を横に振った。
「交渉には俺が……。いえ、俺だけが対応させていただきます」
「なんだと、自分一人で功績を得るつもりか?」
「聖女ユイコ様が見ているとあらばなおのこと譲れません。……それとも、今この場でイチカとハロルド様の縄を解いても構いませんが」
ゴルダナの脅しに、その場にいた誰もがわずかにたじろいだ。
魔力と剣技を併せ持つイチカと、魔力の頂点に君臨するハロルド。二人の縄が解かれ抵抗されれば、誰一人としてかなわず、それどころか束になっても太刀打ちできないだろう。
捕らえられたのは剣技を誇るゴルダナだからだ。つまり、彼の要望に応じるほかない。
「騎士の独占欲か……。なかなかに恐ろしい。だがここで引き渡しを無効にされるよりはいいだろう。うまく対応しろ」
「かしこまりました。では皆様、ご退室ください」
ゴルダナが普段よりも低い声で室内にいる者達に告げる。
その姿は『功績を独占し、聖女にアピールしたい』という我の強さに映るだろうか。向けられる視線には嫉妬の色こそあるが疑惑をかけるような色はない。
そうして全員が部屋を出ると、ゴルダナはイチカとハロルドを降ろしてすぐさまラウルへと駆け寄った。
僅かに身構える主人に「ご無事でよかった」と声をかけ、後ろ手を縛る縄を己の剣で切る。剣の刃を見て一瞬身構えたラウルが、それが自分を傷つけず、それどころか自由を与えたことに驚いたと言いたげに目を丸くさせた。
それを見て、イチカとハロルドも自分達の手首を縛る縄をほどいた。もともと縄の一端を引っ張れば楽に解けるような縛り方だったのだ。
「イチカ、ハロルド、これはどういうことだ? お前達は捕まったんじゃ……」
「陛下、安心してください。ゴルダナ隊長は私達の味方です。隊長は自分で魅了の効果に打ち勝ったんです」
「そうか、さすがだな。今は一人でも味方がいるのはありがたい。……だけど」
ありがたいが、一人味方が増えたところで解決の糸口がない。そう言いたいのだろう、ラウルの声色は随分と重い。
この事態を冷静に考えつつ苛立ちも覚える。そんな口調だ。窓の外を睨みつける瞳は鋭く敵意さえ見える。
彼らしくない、それでも彼らしい態度だ。思い返せば、王弟の妾の子でしかなかった当時はよくこの顔をしていた。野心と敵意に溢れた顔だ。
どんなに普段は飄々とした態度を取っていても、人の根っこというものは変わらない。
相変わらずだと考えるべきか、それとも今この状況においても折れない彼の心を称えるべきか。
どちらにせよラウルが諦めていないのなら自分も役に立たねば、そう考えイチカはラウルへと視線を向けた。
ゴルダナも同様、指示を仰ぐべく主人を見つめる。
「引き渡しにはまだ時間がある。それまでになんとかしないとな……。ハロルド、何か策はあるか?」
「……陛下、あのドラゴンに乗ってるのは誰か分かりますか?」
「ユイコだ。さすが聖女様はドラゴンにも慕われる……って気持ち悪いぐらいに褒め称えていたからな」
それがどうした? とラウルが問えば、ハロルドが窓の外をじっと睨みつけた。
イチカもつられて外を見れば、大きく旋回するドラゴンの姿。その背には確かに人影がある。眼下には相変わらず騎士達が詰めており、上も下もどちらも見ていて気分の良い光景ではない。
「魅了の効果に、ドラゴンを従えて空を飛ぶ聖女様か……。ユイコはより神聖視されるわけだな。だけど逆にそこを突けば……」
「ハロルド様、どうするんですか」
考え込んでいるのだろうあれこれと独り言を続けるハロルドに声をかければ、パッと彼がこちらを向いた。
「向こうの神聖さを逆手に取ろう」
「逆手に? どうやって」
「聖女を地に落とすんだ」
はっきりとハロルドが告げる。
だがそれに対してもイチカは疑問しか浮かばない。聖女を地に落とすと言われても、いったいなにをするのか。
そもそも『地に落とす』とはどういうことか。比喩なのか、実際に落とすとしてもドラゴンに乗っている彼女に届くわけがない。
だがハロルドには策があるようで、いまだ疑問符を頭上に浮かべるイチカをじっと見据えてきた。紫色の瞳。普段は妖艶さを漂わせているが、今は奮い立っているのか熱い意志が見える。
「イチカ、お前がやるんだ。お前の魔剣ならできる」
「私なら……」
「むしろお前にしか出来ないことだ。イチカがドラゴンを倒してユイコが落ちれば、聖女を神聖視させていた魅了の効果にずれが生じる。その瞬間に俺が真っ向から魅了の効果をぶつける」
ユイコがドラゴンから落ちる。
彼女の敗北の姿を目の当たりにした者の中では、聖女の神聖さに綻びを感じるだろう。ユイコを絶対的に崇め奉っていたからなおさら、落ちる姿は致命的な亀裂をいれるはずだ。
だがそれだけでは二次被害を招きかねない。はたしてそれが『ユイコを落とした者達』へ向けられるのか、それとも『落ちたユイコ』へと向けられるのかは定かではないが、魅了の強さの反動となれば生半可なものではあるまい。
そこをハロルドが魅了の効果で意識を奪い、落ちたユイコを受け止めさせ、暴動を阻止する。
随分と荒い作戦ではあるが、魅了というとんでもないものが蔓延っているこの状況では正攻法などあってないようなものだ。
イチカが応じるように頷いて返せば、話を聞いていたラウルとゴルダナも同意をしめした。
「バルコニーに出たら即行動に移そう。ドラゴンに感づかれて逃げられたら厄介だし、騒ぎを聞きつけて邪魔が入りかねない」
「分かりました。一撃でドラゴンをしとめてみせます」
真剣みを帯びたハロルドの声に、イチカも堅い声色で返す。
右手に魔剣を握りしめれば、緊張しているのかいつもより力が入る。汗で滑って狙いを外したなんて間抜けなオチだけは避けたいところだ。
「陛下は奥に控えていてください。ゴルダナ、いざとなったら陛下を頼む」
「かしこまりました」
「あと、俺は対抗するために魅了の効果全開にするから、一瞬でも俺に性的な魅力を感じたらその場で足に剣をぶっさせ」
「……ご安心ください。騎士の名にかけて、いっさい、だんじて、なにがあろうと、ハロルド様を魅力的には感じません」
「腹の立つ宣言ありがとうよ」
断言されると腹が立つのかーーなんという我が儘なのかーーハロルドが唸るような声で返す。小さく呟かれた「この童貞め」という言葉のなんと悔しげなことか。
だが今はそんなことを気にしている場合ではないと察したのか、すぐさま表情を真剣なものへと戻した。
最後に一度手順を確認し、テラスへと続く窓へと手をかけた。カーテンで隠されてはいるが詰め寄った者達の声が聞こえてくる。
この窓を開ければ外へと繋がる。
その瞬間にイチカはドラゴンの位置を把握し、攻撃し、神聖な聖女を地に落とすのだ。
だがいざ扉を開けるとなった直前、ハロルドが小さくイチカの名前を呼んできた。
見れば彼はどこか弱々しげな顔をしている。
「俺以外の魅了持ちなんて初めて見た。正直に言えば、真っ向から魅了をぶつけてどうなるかは確証がもてない」
「……ハロルド様」
「もしかしたら魅了が相殺されてなくなるかもな。そうなったら俺はただの魅力もなにもないハロルドだ」
不安を誤魔化すためか、ハロルドが自虐的に笑う。
『魔剣でドラゴンを倒す』という明確な役割と結果が分かっているイチカと違い、ハロルドの『魅了をぶつける』という役割は結果が未知数だ。彼の思惑通りにいけば良いが、下手すれば別の作用がおこるかもしれない。
その一つに『魅了の消滅』という可能性もあるのだろう。
今まで魅了の効果と共に生きていたハロルドにとって、魅了の消滅は『周囲からの好意の消滅』と考えているのかもしれない。
それを察し、イチカが眉をひそめた。彼の深刻な声色を聞いても、なにをバカなことをと思う。
その思いのまま、
「魅了が消滅したら、大人しく私と結婚してください」
とはっきりと告げれば、ハロルドが紫色の目を丸くさせた。
「……結婚って。副作用で俺から魅了が無くなった場合の話だぞ」
「いわば年貢の納め時。観念して一夫一妻で清く正しく生きていきましょう」
「だから、ちゃんと俺の話を聞けって。魅了が無くなったら俺もさすがにお気楽生活は送れないし、大人しくなるしかないだろ。つまりお前が俺と結婚する理由が無くなる」
「はぁ!?」
諭そうとするハロルドの言葉に、イチカが思わず声をあげた。
「結婚する理由が無くなるって、ハロルド様それ本気で言ってるんですか!?」
「あ、あぁ……。だってそうだろ。イチカには魅了が効いてなくて、だから父さんに頼まれて俺を更生させるために結婚するって……。でも今回の件でもしも俺の魅了が無くなって大人しくなれば、必然的にイチカは俺と結婚する理由がなくなる……だろ?」
違うの? とハロルドの頭上に疑問符が浮かびあがる。
ついには後ろに控えるラウルとゴルダナに視線を向けた。彼の紫の瞳が「俺おかしなこと言ってる?」と戸惑いを訴え始めている。
もっともそれに対しての返事は、ラウルは盛大な溜息と呆れを込めた瞳、ゴルダナは肩を竦めて首を横に振るという散々なものなのだが。
「良いですか。これでも私も年頃の乙女。そりゃこっちの世界ではちょっと嫁ぎ損ねに足を突っ込んだ年齢ですが、だからといって義理だけで結婚はできません。一生が掛かった決断なんですよ」
「そりゃそうだけど。つまりイチカは俺と結婚したいってことか?」
「そのために一年間ハロルド様からの色仕掛けに耐えてるんですよ」
「……もしかして、俺のことが好きなのか? 魅了の効果とかそういうの抜きで」
ハロルドの声は問うどころか意外だと言いたげだ。それどころかどこか自信なさげに窺うような色さえ見える。
思わずイチカの眉間に皺が寄った。これはもはや侮辱の域ではなかろうか。
「貞操観念の無さを厄介だとは言ってきましたが、ハロルド様を嫌いとは一度も言った覚えがありません」
むすっと表情を顰めてイチカが言い切れば、ハロルドが唖然としたままで「そうか……」と呟いた。
紫色の目はきょとんと丸くなり、口はポカンと空いてしまっている。間の抜けた表情だが、それもまた様になっているから流石の一言だ。
「そうか……イチカは、魅了が無くても俺のことが好きなのか……」
まるで自分の中に落とし込むようにハロルドが確認する。
そうして次の瞬間、パッと顔を上げた。銀色の髪が揺れ、紫色の瞳がこれでもかと輝いている。先程までの戸惑いが嘘のように、自信に満ちた表情だ。
「正直に言えば、魅了の真っ向勝負はちょっと不安があったんだ。でも俺は魅了抜きでも魅力的みたいだから大丈夫だな!!」
得意げにハロルドが告げてくる。なんてまぶしい笑顔だろうか。
次いで外へと繋がる扉へと手をかけ、「いくぞ!」と合図を出すと共に押し開いた。
扉の隙間から光が漏れる。それと、怒号のような声。
それを聞き、イチカも覚悟を決め……
背後から聞こえてくる、
「ハロルドは頭が良いのに鈍いんだよな」
「あれはイチカの分かりにくさも問題かと思います」
という声は聞こえないことにして、魔剣の柄を強く握った。




