25:騎士のプライド
隠し通路を歩いている最中、ハロルドはどこか心ここにあらずと言った様子だった。
普段の飄々とした態度もなければ、かといって真剣な面もちを見せるわけでもない。普段の自由奔放さが嘘のようではないか。
そんなハロルドの腕を掴みつつ、イチカはどこに行くべきかを考えながら歩いていた。
咄嗟に掴んだ時より手の力は抜いたとはいえ、放すのはためらわれる。今のハロルドはイチカが腕を掴んで引いているから辛うじて歩いているといえるほどなのだ。
ハロルドは確かに自由奔放で問題児だが、家族の事は大事にしている。
そもそもその問題児な点も、彼の魅了と抑制のバランスを保った結果ともいえるだろう。ーーまぁ本人の素質的なところもあるだろうがーー
家族を困らせつつも大事にし、世界一と言える頭脳と魔力を惜しみなく家の繁栄に使っている。
厄介な問題児だが、ハロルドは家族を愛している。
そして彼の家族もハロルドを愛しているからこそ、彼は今日に至るまで『バーキロット家の厄介な問題児』なのだ。
「……父さん大丈夫かな」
「ロクステン様の事が心配なのは分かりますが、まずはご自身の事を考えてください。ハロルド様に何かあればロクステン様が悲しみます」
『何か』とは何なのか。さすがにそれを口に出すのは憚られ、イチカがハロルドの手を引きつつ隠し通路からそっと外へと出た。
ここは城内の一角だ。それも端に位置するはずなので、人はあまり通らないだろう。とりわけ今はユイコの魅了の効果が城内に蔓延しているのだから、こんな城の端で過ごす者も少ないはずだ。
ひとまず隠れる場所を見つけ、ラウルと連絡を取るべきだろう。そう考え、イチカが周囲を気にしつつ通路を歩く。
だがその途中、「イチカ」と声を掛けられた。
反射的にハロルドを背に庇いながら振り返り、「ゴルダナ隊長……」と目の前の人物の名前を呼ぶ。
筋骨隆々なまさにといった風貌の騎士。
ほかでもないイチカが所属する騎士隊の隊長であり、そして出来るならばいま誰よりも会いたくない人物だ。
既に城内にいる者達はユイコの魅了にとらわれており、彼も例外ではない。そして誰しもが魅了に捕らわれた今、彼は誰よりも脅威になる。
「イチカ、ユイコ様の件なんだが」
「あれは誤解です。私達はユイコさんを拐かそうなんて考えてもいません。昨夜は話をしただけです」
「イチカとハロルド様を捕らえろと命令が下されている。……ハロルド様は、捕らえれば好きにしていいともな」
ゴルダナの言葉に、イチカが眉をしかめた。
『捕らえれば好きにしていい』とは何とも下世話な話ではないか。
冗談混じりに「女の私の立場はどうなりますか」と軽口を叩いてみるも、返事がないどころか自分の声も上擦っている。
まずい、とイチカが小さく呟いた。
剣を置いてきたのが悔やまれる。
「……俺とユイコの魅了が真っ向からぶつかり合ってるんだ。その結果、俺の魅了が押し負けた」
「ハロルド様、それって……」
「俺はただ欲を誘うだけだ。バーキロット家の後ろ盾も、俺の才能と価値も、ひっくるめてユイコの魅了に押し負けた。『みんなの便利なハロルド様』の誕生だな」
自虐的な声色でハロルドが話す。
それを背に聞きつつ、イチカはゆっくりと手を開いた。何もない空間に、まるで何かあるかのように手を添える。
剣を持ってこなかったのが悔やまれる。
だが剣が無いわけではない。
イチカの手元で小さな風が巻き上がり、それに気付いたゴルダナが顔をしかめた。
己の部下が自分に刃向かおうとしていること察したのだ。彼も自然と腰元の剣に手を添え、ゆっくりと引き抜く。
構えるゴルダナの姿からは威圧感が漂い、さすが騎士と言える。この世界に召還されて初めて剣に触れたイチカとは踏んできた場数が違う。
「イチカ、俺に魔剣を向けるのか」
「普段の剣は部屋に置いてきちゃったんです。あいにくと素手でゴルダナ隊長に挑むほどバカじゃありませんので」
「だから俺は常に剣を下げろと言ってるだろ。そんな体たらくでハロルド様を俺から守るつもりか」
「はい。たとえ相手が隊長だろうと、ハロルド様をお守りします」
イチカが魔剣を片手にゴルダナと向き合う。
普段の上官と部下らしいやりとりだが、裏にあるのは決意の確認だ。
ほかでもない相手はゴルダナ。国中で、それどころか世界を探しても彼に勝る騎士はそういないだろう。剣技の頂点と言ってもいい。
それに対抗するイチカの武器は、破格の威力を持つ魔剣。
両者が本気でぶつかり合えば、ただではすまない。
その覚悟があるのかという事だ。
互いにそれを確認し、一呼吸おいたのちにまるで飛びかかるかのように強く踏み込んだ。
両者の刃がぶつかり、甲高い音が響く。
素早く剣を振るいつつも一撃は重く、受け止めるたび、受け止められるたび、剣の柄を握るイチカの手が痺れる。だが持ち直す暇も手の痺れを気にする余裕もない。
それを幾度と繰り返し、イチカは飛び退くように後退してゴルダナから距離を取った。息が上がり、己の心音が普段よりも早いのが分かる。
「さ、さすがゴルダナ隊長。訓練の時のように楽にふっとばされてはくれませんね」
「当たり前だ。今は訓練ではなくイチカとハロルド様の捕縛を命じられている。なによりユイコ様のために……。だが……」
言い掛け、ゴルダナが剣を揺らした。
一撃くるとイチカもまた応えるように剣を構え直す。
だが次の瞬間に目を丸くさせたのは、ゴルダナが自らの剣の刃を手で掴んだからだ。
指の隙間から赤い血が垂れるのを見て、イチカが慌てて彼を呼んだ。
「ゴルダナ隊長、な、なんで……!」
「魅了がどうのと難しい話は分からんが、国の命令より名しか知らぬ女性のために剣を振るう、それこそ俺が正常でない証だ……」
魅了と意識の狭間にあるのかゴルダナの口調は苦しそうだ。
だが剣の刃を握る手は放さず、血が伝い床にポタリと落ちる。
「俺はこの国の騎士だ。魔力はからっきしだが、剣技だけは誰にも負けない。だからこそ、ここで魅了なんてものに屈するわけにはいかない……!」
騎士のプライドというものか。
とりわけこの世界が魔力と剣技に分かれているからなおのこと、国一番の騎士としてここで魅了の言いなりになるわけにはいかないのだろう。
そのための手段が刃を掴んで己を傷つけるというものなのだから、これはなんとも騎士らしい力技ではないか。豪胆にも程がある。
イチカが上官の勇ましさにほっと安堵の息を吐いた。
ユイコの魅了が蔓延するこの城の中、ゴルダナはそれに負けまいとしている。なんて頼もしいのだろうか。
刃を放した彼の手の平は血で赤く染まっているが、それを雑に服で拭う仕草にすら勇ましさを感じさせる。
「ゴルダナ隊長、さすがです!」
「あぁ、俺も騎士としてこれぐらいの甲斐性は見せないとな」
荒療治だが冷静を取り戻したのか、イチカが駆け寄った際にはゴルダナの様子はまさに普段通りのものだ。
それどころか吹っ切れたのかどこか晴れ晴れとさえしている。
その様子を僅かに距離をとりつつ伺っていたハロルドが、おそるおそる近づくと平気なのかと尋ねてきた。
イチカの背に身を隠しているのは、ゴルダナが魅了の効果に意識をもっていかれたらと案じているのだろう。
腕力や単純な力を比べればゴルダナの方が圧倒的に優れており、咄嗟に手を伸ばされ掴まれればハロルドには抵抗もできない。
ゆえに万が一を恐れて身を隠しているのだ。といってもイチカよりハロルドの方が背が高く、まったく隠れていないのだが。
そのうえ、確認するかのように手を伸ばしてゴルダナの腕をツンツンと突っつきだした。
「……問題は無いようだな」
「えぇ、ご安心ください。ユイコ様には一片の想いもありません。ましてやハロルド様を魅力的に想うなどとんでもない」
「その言い方は割と俺に失礼な気もするが。……まぁいい、本当に大丈夫なんだな」
「騎士の名にかけて、部下の婚約者に横恋慕はいたしません」
きっぱりとゴルダナが断言する。力強い声色だ。
それを聞いてようやく安心したのか、ハロルドがひょいとイチカの背から姿を現した。表情には安堵の色がある。今の彼にとって『国一番の騎士』が自分側に着いたのは安心以上のものがあるだろう。
見て分かるほどにご機嫌で、果てにはゴルダナの背を叩き出した。バシバシと彼にしては豪快な叩き方だが、屈強な騎士はびくともしていない。
「騎士っていうのは立派だな。色々と面倒な事になったが、よろしく頼む」
「お任せください」
「まずは陛下を探しに行こう。陛下は魅了の効果が効いていないはずだから、この状況を冷静に見ているはずだ」
ハロルドの話に、ゴルダナが頷いて返す。イチカも視線で同意を求められ、異論は無いと返した。
隣国からの宣戦布告。そのうえ向こうはドラゴンまで出してきた。
まさに異例の状況だ。たとえイチカやハロルドといえども容易に決断を下せるものではない。
ここはラウルと合流して彼の決断を仰ぐのが最良だろう。
そもそも彼が大人しく攻め込まれるだけのはずがないし、反撃の一手を考えているのならハロルドとイチカはその中に組み込まれているはずだ。
「陛下は聖女を拐かした犯人を庇っていると糾弾されています。二人が身を隠しているのなら、まず敵国に差し出されるのは陛下でしょう」
自分もその一端になりかけていた。そう悔しげに呟くゴルダナの話に、イチカとハロルドが顔を見合わせた。
まずい、とハロルドの顔が言葉にせずとも語っている。
「陛下はユイコの魅了が効かない。誰もが聖女信仰にどっぷり浸かった今、陛下は異端そのものだ」
「魅了されている連中に迎合すれば突き出され、異論を唱えても味方はいない……。早く陛下のところへ行きましょう!」
イチカがハロルドとゴルダナをせかしつつ、隠し扉へと向かおうとする。
だがいざ隠し通路へと向かおうとしたところ、ゴルダナが待ったを掛けた。
ラウルがどこに居るのか分からない現状、闇雲に隠し通路を探し回っても埒があかない。もとより彼が矢面に立たされているのなら、隠し通路から見つけても落ち合うのは難しいだろう。
そう話すゴルダナに、イチカとハロルドが頷いて返した。だが同感ではあるものの、ならばいったいどうすればという問題があがる。
それに対し、ゴルダナが僅かに考えを巡らせた後……、
「二人とも、俺に捕まってもらう」
と、覚悟を決めた顔つきで告げてきた。




