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24:二転三転する事態と空飛ぶ生き物



「イチカさん、イチカさん……」


 囁くような声に呼ばれ、イチカはゆっくりと目を覚ました。

 見慣れぬ少女がこちらを見ている。誰だっけ……と思いだし、夢現な声で「ユイコさん」と彼女を呼んだ。

 ゆっくりと身を起こして時計を見れば、まだ朝とも言い切れぬ時間ではないか。ようやく朝日が昇り始めたくらいだろうか。イチカの脳内で睡魔が二度寝を誘ってくる。


「私、部屋に戻ります。早く戻らないと誰かがおこしに来ちゃうかも知れませんし」

「大丈夫ですか……?」

「はい。昨日お話しできて少し落ち着きました」


 味方を得たからか、ユイコの声は潜めてはいるものの溌剌としている。表情も昨日よりも晴れやかだ。

 まだ寝癖が残っており、ポニーテールの結び目からぴょこぴょこと髪が跳ねている。


「出来るだけご一緒できるようにこちらからも働きかけますので、ユイコさんも対応お願いします」

「はい。私も、出来るだけこの国にいられるように話してみます」


 今後について簡単に確認しあい、ユイコが部屋を出て行く。

 通路に出るやきょろきょろと周囲を見回しているのは、朝とはいえ誰かに出くわさないかと警戒しているのだろう。

 だがしばらくすると壁の一箇所を見つめ、そっと触れた。その瞬間ズズと壁の一部が盛り上がり、出来た隙間の中へとユイコが入っていった。

 彼女の姿が消えると、隙間はゆっくりと元の壁に戻っていく。

 あっという間にただの壁だ。一部始終を見ていたイチカでさえ、その痕跡は見いだせない。


「なるほど、あれが隠し通路」


 日々ラウルを探し回る重鎮達の姿を思い出し、イチカが納得したと頷いた。

 これは見つからないのも無理はない。

 現にメイドが一人現れるも、部屋から顔を出すイチカを不思議そうに見つめるだけだ。

 まさか背にしている壁に隠し通路があって、今まさにユイコが通っていったなどと思ってもいないだろう。


「今後のためにもロクステン様に密告しておくべきか。でも今回みたいにちゃんとした使い道のためには隠し通路のままであるべきか……」


 悩ましいところだ、と考えつつ、イチカはふわと欠伸をしながら部屋へと戻っていった。




 ゆっくりと二度寝を堪能……するはずが、またしてもイチカは名前を呼ばれて目を覚ました。そのうえ今回は肩まで揺すってくる。

 起こしたのはハロルドだ。どことなく焦った様子で、イチカがどうしたのかと問えば外の様子がおかしいと訴えてきた。


「外ですか?」

「あぁ、妙に騒がしい。もしかしたら何か起こって……」


 起こっているのかも、と言い掛けたハロルドの言葉に扉のノック音が重なった。

 二人ほぼ同時に振り返る。「起きてるか?」と扉越しに尋ねてくるのはラウルの声だ。だがその声はいつもよりも重く、普段の彼らしい明るさはない。


 何かあると察し、イチカとハロルドが彼を部屋へと招き入れた。

 真剣な表情だ。静かな怒りの空気さえ漂わせている。


「陛下、何があったんですか?」

「……聖女一行が朝いちに城を出ていった」

「え、そんな……。ユイコさんは!?」

「彼女も連れてだ。俺に一言も告げないあたり妙なんだが、変なことにならなきゃいいが……」


 唸るような声でラウルが告げる。

 それとほぼ同時に、またもや扉が叩かれた。今回は随分と荒々しく、「ラウル様はこちらにいらっしゃいますか!」と返事も待たずに声を掛けてくる。

 今朝は随分と慌ただしいではないか。

 だがさすがにそれに文句を言うわけにもいかず、嫌な予感を覚えたのか扉へと向かうラウルの背を見送り、ハロルドと顔を見合わせた。

 彼もまた険しい表情をしている。きっとこの妙な空気を感じているのだろう。


「二人とも、まずいことになったぞ……」


 使いから話を聞き終えたラウルが戻ってくる。

 先程よりもいっそう表情は渋く、ドスンと荒くソファーに座るあたり苛立ちも増しているのだろう。

 普段の彼ならば嫌悪感を露わにこそするが行動が荒くなるようなことはない。これほとまでの露骨な敵意を見せるのは、かつて彼がまだ哀れな王弟の妾の子だった時ぐらいだ。

 つまりそれほどということである。ただごとではないとイチカが気圧されつつもラウルの言葉を待てば、盛大な溜息と共に「やられた……」と呟いた。


「国境に兵を待機させていたようで、帰るどころか堂々と宣戦布告してくれた」

「宣戦布告!? なんでそんな真似を!」

「向こうの言い分は『大事な聖女を拐かそうとした』だそうだ。昨日の晩、王子や宰相が聖女の部屋を訪れていたらしい。……何のためかは分からないがな」


 ユイコの危機的状況と魅了については知っているのだろう、ラウルが肩を竦めて言葉を濁す。

 深夜に女性の部屋を訪れる。『何のためか』など聞かずとも分かるだろう。魅了の効果は絶大というわけだ。

 だが当のユイコは部屋にはおらず、男達は互いを牽制しながら翌朝を迎えたという。大々的にユイコを探さなかったのは、彼女を案じる気持ちより、聖女に手を出そうとしたことを周囲に知られることへの懸念が勝ったのか。


 そうして翌朝、いつの間にか部屋に戻っていたユイコは、この国にしばらく滞在したいと言いだした。

 普通であれば、同郷のイチカのそばに居たいのだと考えるだろう。イチカはユイコより先に転移してきた、そのうえ既に生活基盤を築いている。ユイコにとって色々な面で先輩だ。

 普通であれば誰もがユイコの気持ちを汲んで、彼女の希望を聞いて滞在を許すか、過保護さが勝ってそれが無理でもこまめに行き来できるように計ってやったはずだ。


 ……()()()()()()


「魅了の効果で奴らの理性は今や紙より薄っぺらい。その紙より薄い理性もユイコのためじゃなく、聖女の力の稀少さと自分の体裁で保ってるようなものだ。おおかた、俺達が聖女愛しさに誑かしたとでも思ってるんだろう」

「誑かしたって、そんなこと普通は考えませんよ。……と言いたいところですが、現状が普通じゃないんですもんね」


 それならあり得るのか、とイチカが溜息混じりに結論をつければ、ハロルドが難しい表情のまま頷いた。

 どうやら魅了の効果はイチカが思っていた以上に根深いらしい。

 恋は盲目どころの話ではない。魅了で抱かされた好意は視界を狭め、判断力を鈍らせてしまう。むしろ彼等にはユイコすら見えていないのだ。

 それがよりにもよって国を左右する権力者……。


「不当な言いがかりではあるが、べつに戦争を始める気はない。穏便に納められるならそれに越したことはないんだが……」


 ラウルが溜息混じりに肩を落とす。

 穏便にすませたいとは言っているが、それが無理だとも分かっているのだろう。随分と重苦しい溜息だ。

 だが溜息を吐いていても事態は解決しないと考えたのか、仕方ないと言いたげに立ち上がった。


「なるべく穏便に済むように話は進めるつもりだ。とりあえずイチカとハロルドはこの部屋から出ないようにしてくれ」

「陛下、ユイコさんは……」

「心配なのは分かるが、二人は『聖女を誑かした』と言われてるからな。……それに、城内にはその馬鹿げた話を信じてる奴もいる」

「そんな! ……とこれまた言いたいところですが、魅了の効果ですね」


 ユイコの魅了の効果は、どうやら彼女が去っても続いているらしい。

 城内では聖女を誑かしたとしてイチカとハロルドを非難する声もあがり、それに対しての反論も「これに乗じて聖女を我が国に」というものだという。肩を竦めつつ説明するラウルの声には呆れの色が強い。


「手伝ってもらいたいのは山々だが、これ以上の問題を引き起こしかねない。ひとまず事態が落ち着くまで部屋で待っててくれ」


 ラウルの言葉に、イチカとハロルドが頷いて答えた。

 彼がここまで言うのなら、任せておいた方が良いだろう。魅了の効果が予想を超えている以上、不必要にハロルドを外に出すのも危ない。


 そう考えて部屋を出ていくラウルを見送り、イチカは深く溜息を吐いた。

 昨晩眠る前は事態は解決すると思っていたのに、解決どころか悪化の一途を辿っている。ハロルドが聖女に手を出したら国家間戦争だと話していたが、手を出していないのに戦争が始まりそうだ。

 ロクステンもさぞや困っているだろう。そうイチカが心の中で労えば、同じことを考えていたのだろうハロルドが「父さん……」と呟いた。


「父さん、大丈夫かな……」

「ハロルド様の魅了は、ロクステン様には効かないようになってるんですよね?」

「父さんだけじゃない。家族やバーキロット家で働いてるやつらには効かないようになってる。その分の発散は……騎士隊のやつらは脳まで筋肉で扱いやすくていいよな」


 ニヤリとハロルドが笑みをこぼす。

 つまりこれは魅了の対象から身内を外すために、騎士達を食っているということなのだろう。同じ騎士であるイチカとしてはあまり気分の良い話ではないが、仲間達が脳まで筋肉で扱いやすいのは事実なので言及せずにいた。

 これも国を守る騎士の務め……という事にしておこう。


「ハロルド様が節度のある節操なしで良かったと思うべきですかね」

「節度のある節操なしっていうのも変な話だけどな。だけどまぁ、俺だって大事にしたい絆はあるんだ。イチカ、お前とだって……」


 言い掛け、ハロルドが言葉を止めた。

 妖艶な笑みから一転し、紫色の瞳を見開いてまるで探るように室内を見回す。その表情は緊張を越え、強ばっているようにさえ見える。

 突然様子の変わったハロルドに、イチカはどうしたのかと問おうとし……次の瞬間、荒い羽で全身を撫でられたような不快感を覚えて息を飲んだ。

 全身が総毛立つ。心臓が鼓動を早め、せり上がってくるかのようだ。


「な、なんでしょう……?」

「国家間戦争なんて言ってたが、甘かったかもしれないな。イチカ、外の様子を見に行こう」

「でも陛下は部屋にいろって言ってましたよ。それにハロルド様の魅了の事もあるし」

「もしかしたら、もう俺の魅了どうのって次元の話じゃないかもしれない」


 行くぞ、とハロルドが身支度を整え出す。

 となればイチカもそれに続くしかない。

 ここはラウルの命令を守って部屋に残るべきなのかもしれないが、ただ待つだけというのも辛いものがある。ユイコの事も心配だし、なにより、彼女の魅了の効果が城内に異変を起こしているというのなら、そんな中にハロルドを一人で行かせられるわけがない。

 それに、この不快感はただ事ではないと分かる。全身の産毛が総毛立った上でチリチリと焦がされてような不快感だ。



 そうしてハロルドと共に部屋を出て、隠し通路を使いつつ不快感の原因を探る。

 こちらが近付いているのか、もしくは向こうが近付いているのか、それともそのどちらもか。不快感は濃くなるばかりだ。


「空気が籠もってるというか、重いというか……。外の空気が吸いたいですね」

「外か。ちょうど外に出れるぞ。城の中でも天辺だから、魔法を使えば国境も見れる」


 話しつつ、ハロルドが目の前にある扉をゆっくりと押し開いた。

 曰く、今通ってきた道は城の最上階に通じており、城下を一望できるバルコニーのある部屋に繋がっているという。狭い通路を通ったかと思えば見覚えのない部屋に出て、かと思えば突然見知った階段を昇り……と、相当入り組んで歩いてきたが、どうやら城の天辺にまで来ていたらしい。

 バルコニーに出て外の空気を吸えば、多少はこの不快感も晴れるだろう。


 そう期待を抱きつつ、押し開かれた扉から差し込む明かりに目を細め……。


 そこに広がる光景に、細めたばかりの目を見開いて唖然とした。



 魔法を使わずとも目視で捉えられる距離に大軍の姿。

 防ぐ者はおらず、それどころか見慣れた騎士隊がバルコニー下に集まり、こちらに(・・・・)向かって剣を構えている。

 その上空をゆっくりと旋回するのは、真っ赤な……。


「ドラゴン」


 ポツリとイチカが呟いた。



 上空を悠々と飛ぶのは、元いた世界で『ドラゴン』と呼ばれる生物だ。

 大きさは家屋一軒分はあるだろう。四つ足は遠目でも鋭利な爪が見え、背から生えた翼は時に大きく風を掻き分け、その体躯にあわぬ機敏な動きを可能にしている。


 魔法に剣にとまるでファンタジーの世界だと思っていたが、まさかドラゴンまでいるとは……。


 思わずイチカが圧倒される。魔法と剣には慣れたが、今の目の前の光景には脳の処理が追いつかない。眼下では味方のはずの騎士達が剣を手にしているが、それすらも視界に入ってこないのだ。

 隣に立つハロルドも、さすがにドラゴンは想定外だったのか言葉を失ったように立ち尽くしている。


「ハロルド、イチカ!」


 聞こえてきた声に二人揃えて振り返った。

 そこにいたのはロクステンだ。

 彼の無事な姿にイチカは僅かに安堵し、この事態を話し合うべくハロルドと共に彼のもとへと向かおうとし……、


「来るな! ハロルド!」


 という、ロクステンの拒否の声にビクリと肩をふるわせて足を止めた。

 息子の破天荒を叱る時の声とは違う、鬼気迫った圧さえ感じさせる声。こちらを見るのも耐え難いのか露骨に顔を背け、それどころか手で目元を覆っている。

 もはや拒否を越えて拒絶とさえ言える態度だ。

 この危機的状況において、ロクステンがハロルドをこれほど拒否する理由が分からない。何か問題でもあったのか。

 そうイチカが問おうとするも、それより先にロクステンが唸るような声色で「こちらに来るな……」と念を押してきた。


「ロクステン様、どうなさいました……?」

「頼むイチカ、ハロルドのそばに居てやってくれ。ハロルド、絶対にこちらに来るな、私に近付くんじゃない」


 ロクステンが拒絶の言葉を口にする。

 そうして最後に苦しげな声で、


「……私は、お前の父親でいたいんだ」


 そう、掠れる声で告げてきた。


 父親でいたいとはどういうことか。

 まるでハロルドが近付けば、ロクステンは父親でいられなくなるようではないか。


 ならばいったいロクステンは何になるというのか。

 父親ではないとしたら、ハロルドの事をどう見るのか。

 その意味は……。


 ロクステンの言葉から彼の言わんとしていることを理解し、イチカは己の中で血の気が引くのを感じた。

 まるで冷水を頭の先から流されたように、一気に体中の体温が引いていく。


 魅了の効果は絶大だ。

 老若男女問わず、本人の意志など無視して、強制的に相手に好意を抱かせる。

 それはもちろん家族も同様。『父親だから』などという考えは魅了の効果には通用しない。


「……父さん」


 小さく呟かれた声に、イチカがハロルドを振り返った。

 彼はこの事態が理解していないのか、……いや、理解しているからこそ受け入れられないのか、困惑を露わに立ち尽くしている。普段の彼らしくなく、なんて弱々しい姿だろうか。

 紫色の瞳を揺るがせ、ゆっくりと切なげに目を細める。眉尻が下がり、形の良い唇がもどかしそうに動くが声にはならない。


 ザリと小さく鳴ったのは、彼の右足が地面を擦ってあげた音だ。

 父親から逃げようとしているのか、それともあまりの事態に立っていられずバランスを崩したのか、靴底を擦って僅かに足を後ろに引く。

 その音にイチカは我に返り、力なくロクステンへと伸ばされようとしたハロルドの腕を掴んだ。ハロルドがゆっくりとこちらを向くが、彼の瞳はどこかぼんやりとしている。


「イチカ、父さんが……」

「ハロルド様、ひとまずこちらへ!」


 強引にハロルドの腕を引き、イチカは隠し通路の扉へと彼を連れていった。





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