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23:好意の先には



『魅了』という言葉自体はイチカも聞いたことがある。

 以前に寝ぼけたハロルドが口にしていたし、元いた日本にも同じ言葉があった。

 相手を自分に惚れさせることを『魅了する』とも言うし、ゲームでも同名の効果がある。

 ゲーム上ではステータスにハートマークがつき、敵を攻撃出来なくなるのだ。携帯ゲームぐらいしかやったことのないイチカでも、あれが厄介な効果だというのは覚えている。

 それと似たようなものかと問えば、ハロルドが渋い表情で頷いた。携帯ゲームやステータスといった用語は分からないようだが、『魅了』の根本的なところは似てるらしい。


「相手を強制的に惚れさせるって意味では似てるな。だが俺の言う『魅了』は自発的に行うものじゃない、常にダダ漏れだ。どんな相手だろうと望まなくとも、魅了を持ったが最後、勝手に相手に好意を植え付ける」

「望まなくても?」

「あぁ、望まなくてもだ。そのうえ放っておけば相手は好意を募らせる。イチカ、好意の先にはなにが待ってるか分かるか?」


 まるで謎かけのようにハロルドに問われ、イチカが首を傾げた。

『好意の先に待っているもの』とはなんなのか。ほかでもないハロルドの事だ、『愛』等という清らかな話ではないだろう。

 見ればユイコは既に答えに気付いているのか、目を伏せわずかに俯いている。顔色が悪いあたり、彼女の中で浮かんでいる答えはあまり良いものではないのだろう。


「好意の先って何ですか? ハロルド様のことだからどうせろくでもない事だろうけど」

「なんだよ失礼だな。だがまぁ良い、教えてやろう。好意の先に待っているもの……それは『行為』だ!!」


 ドヤァとハロルドが胸を張る。

 それを聞き、イチカが「こういの先にこうい」と呟いた。同じ響きの単語を続けられて、脳の処理が追いつかないのだ。

 だが次第にその意味を理解し、そして理解すると共に怪訝な表情でハロルドを見た。いまだ彼は得意げに胸を張っているが、先程の回答でどうしてそんな表情を出来るのか不思議でたまらない。うまいこと言ったつもりなのか。

 ほらみろやっぱりろくでもない……とイチカが心の中で呟き、肩を落とすと「それで?」と話の先を促した。

『好意の先に行為』とは、これがハロルドだけの話であれば窓を開けてやりたいぐらいだ。


 だがこの場にはユイコもいる。

 そして彼女はハロルドのこの突拍子もない発言に、否定することなく、ただ俯いているだけなのだ。

 その様子を見るに、これがたんなるハロルドの冗談とは思えない。


「ハロルド様、どういう事ですか?」

「『魅了』は相手に強制的に好意を抱かせる。老若男女だれだって同じだ。そして好意は抱けば抱くほど、行為への欲に変わる。『魅了』が抗えないものだからこそ、それに根付く欲も独り善がりで押さえられないんだ」

「……それって」


 淡々と話すハロルドの説明に、イチカが考えを巡らせポツリと呟いた。

『魅了』は強制的に他者に好意を抱かせる。そしてそれは抗えず、ひたすら募りいずれ『行為』への欲へと変わる。

 そこには愛や情など一切無い。だからこそ引かないのだ。

 イチカが己の中で血の気がひくのを感じていると、ハロルドがユイコへと視線を向けた。彼女を呼ぶ声には僅かに労りと同情の色を感じさせる。


「『清らかじゃないと聖女の力は失われる』とは、よく考えたな」

「ハロルド様、それってどういう……」

「俺にとってのバーキロット家のように、ユイコにも後ろ盾が必要だったんだ。そうでもしなきゃ、今頃ユイコを奪い合って国内紛争か、もしくは『みんなの便利な聖女様』だな」


 ハロルドがあっさりと言い切る。

 その途端、今まで黙っていたユイコがイチカに抱きつくとわっと声を上げて泣き出した。堪えていたものが限界を迎えてあふれ出した、そんな泣き方だ。

 まるで子供のように泣きじゃくるユイコに、イチカがどうしていいのかと所在なさげに手を動かした。ひとに抱きつかれて泣かれるなど初めてで対応が分からない。

 行き場の無い手をわさわさと動かしていると、見かねたハロルドに「背中くらいさすってやれよ」と言われた。その言葉に従いユイコの背を撫でれば、震えながら泣く彼女が「私……」と掠れる声で話し出した。




 ユイコがこの世界に召還された際、付与されたのが並外れた癒しの力と『魅了』だ。

 癒しの力は彼女にとっても役にたつ能力だが、問題は魅了である。

 魅了のせいで召還された直後から周囲はユイコに好意を抱き、国民一人残らず彼女を聖女様と呼び褒めそやしたという。

 それだけならばまだしも、中にはアプローチを仕掛ける者までおり、日毎にそれが激しくなっていく。まだ互いのことを深く知りもしないのに好意を露わにし、伴侶にと口説き、触れてくる者も少なくなかったという。


 その話を聞き、イチカは自国の者達に囲まれるユイコの姿を思い出した。

 年若い少女を、国のトップにあたる男達が後生大事に囲んでいた。それはそれは愛おしそうに、中には肩に触れたり甘い言葉を掛けたりと、蚊帳の外で見ていたイチカにさえも熱意が伝わってくるほどだ。

 なるほど、あれが『魅了』によるものだったわけだ。そう考えると薄ら寒い。


 突然召還された異世界で、熱意的に求められる。

 作り話ならば良いだろうが、実際にその立場になれば恐怖でしかない。


 そのうえ周囲が自分に好意をよせるのは『魅了』などという己では制御しきれぬ力のせいときた。

 囁かれる甘い言葉も胸には届かず、触れられれば恐怖が増す。

 だが右も左も分からぬ異世界では逃げようもなく、助けを求めようとも、誰もが魅了されていて頼れる人がいない……。


「最初は魅了について打ち明けようと思ったんです。誰か目を覚ましてくれるかもしれないから……。でももし誰も味方になってくれなかったら、むしろ『魅了だから仕方ない』って言われたらと思って……」


 泣きやみはしたものの、話すユイコの声は弱々しく震えている。

 周囲を気にかけ声を潜めるのは、この話を誰かに聞かれたらと不安を抱いているのだろう。


「だから『清らかさを失えば聖女の力は衰退する』と伝えたんです。それでしばらくは凌げていたんですが、最近『聖女の力を失っても』と迫られて……」

「どこかで発散しなけりゃ魅了の効果はたまる一方だ。その果てにどうなるか……」


 ハロルドが言葉を濁す。だがユイコには言われずとも分かったのだろう、顔色は随分と青ざめており、抱きついていた腕をほどいて離れはするが、せめてと言いたげにイチカの服の裾を掴んでくる。

 これにはさすがにイチカもハロルドの言わんとしている事を察した。服を引っ張られてはいるが、今のユイコの手を振り払うことなど出来るわけがない。


 清らかさと連動する聖女の力とは不思議なものだと思っていたが、実際には彼女が身を守るための策でしかなかった。

 そうでもしなければ、魅了の効果はいずれ彼女自身の体へと手を伸ばしていたのだ。

 ハロルドは『発散させなければ溜まる一方』とは言っていたが、ユイコにはその術がない。いずれくる崩壊の日を待つだけとは、なんとも残酷な話ではないか。


「……発散」


 ハロルドの言葉を思い出し、イチカがポツリと呟いた。

 彼を見れば、ユイコの現状を打破する方法はないかと考えている。

 相変わらず見目がよく、黙って真剣に考え込む様はまさにいい男だ。老若男女問わず、彼に手を出してしまうほどの魅力……。


「そうか、ハロルド様もその『魅了』の力を持ってるんですよね。だから発散させるために……。本当はそんなことしたくないのに、せざるをえなかったんですね」


 ハロルドの真の事情を知ったとイチカが問う。

 それに対して、ハロルドは紫色の瞳をゆっくりと細めた。どこか悟ったような表情だ。

 そうしてゆっくりと形の良い唇で弧を描き……。



「趣味と実益を兼ねている!」



 と、断言してきた。

 それはそれは、とびきりの笑顔で。


「なるほど、節操なしと思っていたけど、すべてはハロルド様の魅了の力によるもの、被害を最小限に抑えるためだったんですね。なんてお労しい……!」

「そりゃ子供の頃は言い寄られて苦労したけど、さすがにガキの魅了は程度が浅かったし、バーキロット家に籠もってたからな。魅了の影響が出始めた頃には、俺は天性の魔力と知力で制御出来るようになってたから特に不便は無かった」

「さぞや辛い思いをしたことでしょう……。それなのに私はハロルド様のことを『貞操観念ホバリングマン』だの『自制心が金魚すくいのポイより薄い』だのと好き勝手言って……!」」

「研究ばっかしてるとストレスが貯まるんだよ。体も凝るし運動不足にもなる。そこで適度な運動とストレス発散、病気の心配も後腐れもなし、魅了の効果も抑えられるし、なにより俺も相手も気持ちいい。みんな幸せ!」

「あーあー! 聞こえない!」


 自分の両耳を両手で押さえ、イチカが喚く。

 だがハロルドは相変わらず謎の笑みを浮かべており、自分の発言を撤回する様子もなければ、恥じている様子もない。もちろん今までの苦労を語る様子も無い。

 これには青ざめていたユイコも唖然としている。

 無理もない。自分はあれだけ恐怖した『魅了』を、ハロルドは受け入れているのだ。それどころか堂々と「授かるべきものが授かるんだなと思ってた」とまで言ってのけている。


 これにはさすがにイチカも無視は出来ず、耳を塞いでいた手をそっと話した。

 思わず溜息が漏れてしまう。

 ……だけど、


「ハロルド様が苦しんだり傷ついたりしてないならそれが一番ですね」

「そうだな。苦しんでるのは父さんの胃だけだし」

「あー、ロクステン様おいたわしーい。ところでハロルド様は魅了を制御出来てるんですよね? それならユイコさんの魅了も抑えられるんじゃないですか?」

「ビックリするほど適当に労ったな……。まぁ父さんの胃はこのさい置いといて。魅了の制御なんだが、完璧に押さえられてる訳じゃない」


 過度な期待を抱かせないためか、前置きをして話すハロルドの表情は真剣そのものだ。

 それに当てられたのか、イチカの服の裾をユイコがくいと引っ張ってきた。見れば緊張した面もちをしており、まるで縋りつくかのようだ。

 せめてとイチカは服の裾を掴む彼女の手をさすり、話の先を求めるようにハロルドへと視線を向けた。



 現状、ハロルドの研究と知識をもってしても魅了は完璧には抑えれず、適度に発散しなければいずれどこかで爆発しかねないという。

 ゆえに彼は家族や近しい者達に影響が出ないよう、ほかの者達で発散している。今の誘い誘われの後腐れなく手頃な関係も、実際には絶妙なバランスのもと成り立っているのだ。

 といっても、これが限界というわけでもないらしい。

 曰く、もっと根を詰めて研究すれば今以上に抑えられるかもしれない。


 ……のだが、やる気が起きないという。


「他にも研究したい事が山のようにあるし、俺はこのお気楽ハッピーライフが気に入っている。それに今の制御バランスを崩すのはリスクが高い。という理由から魅了の研究は後回しにしまくって今に至るんだ」

「正当な理由の合間に私情を挟んできましたね。ハロルド様はそれで今までやってこれても、ユイコさんは違います」

「分かってる。さすがに俺も自分の貞操観念の軽さは自覚してるからな、『俺のように生きればいい』なんて言い捨てたりはしない」


 安心しろとハロルドがユイコに告げる。

 どうやら彼女のために魅了の研究をする気になってくれたようだ。

 それを聞き、顔をこわばらせていたユイコがようやく深く息を吐いた。泣きそうな表情は相変わらずだが、それでも僅かながらに安堵の色が見える。イチカの服を掴んでいた手をようやく話し、シワになってしまったと詫びてきた。


「だけど、俺も魅了の事は家族にしか話してないから、大々的には研究出来ないし結果を出すにはしばらく時間がかかる。問題はそれまでどう凌ぐかだが……」

「それなら、しばらくはこの国に滞在してもらえば良いんじゃないですか。私は魅了の効果がないから護衛できるし」

「んー、それが一番良いとは思うけど、なにか引っかかる……。いかんせん俺以外の魅了持ちってのは初めてだからな」


 どう影響しあうか分からない。

 そうハロルドが真剣な面もちで話せば、ユイコが怯えた表情を浮かべた。

 自分の影響力に恐れを抱いたか、もしくは「結果が出るまで自国で頑張って」とでも言われると思ったのか。

 再び泣きそうな表情になってしまい、イチカが慌てて彼女を宥めた。

 さすがに今の話を聞いて、ユイコを一人で国に帰すことは出来ない。

 今はまだ愛され聖女だが、いつ魅了の効果が限界を迎えるか分からないのだ。あの囲みようを見るに、そう遠くないあろうことも分かる。


「もし滞在が出来ないなら、私がユイコさんと一緒に行きますよ」

「良いんですか?」

「えぇ、もちろん。その間ハロルド様が野放しになるけど、必要経費ならぬ必要ビッ活です。魅了制御の研究を進めるため、皆にはどんどん食われてもらいましょう」


 きっぱりとイチカが言い切る。

 今までハロルドの自由すぎる行動を咎めてきたが、この件に関しては別だ。男女問わず抱かれて抱いての生活で研究が捗るというのなら仕方ない、脳裏に浮かぶ騎士仲間や知人の顔は綺麗さっぱり流しておく。

 そんな割り切りを見せるイチカに対してユイコは目を丸くさせるが、ハロルドはご機嫌でクツクツと笑っている。


 そうしてこの場を終いにすべく、グッと体を伸ばすと「ひとまず今夜は寝るか」と告げてきた。

 時計を見れば既に時刻は深夜に近い。研究も何もかも、すべて明日からだ。


「仕方ないから、ベッドは二人に譲ってやろう。俺はソファーで寝る」

「良いんですか?」

「あのベッドじゃ三人は眠れないからな。俺とユイコが二人で寝たなんて知られたら国家間戦争勃発だし。……それともイチカ、俺が隣にいないと眠れないか?」


 ハロルドが妖艶に笑い、イチカに手を伸ばしてくる。

 先程までの真剣な話が嘘のようにーーといってもちょくちょく冗談混じりの発言は交わしていたがーーいつも通りのハロルドの表情だ。紫色の瞳を細めて悪戯っぽく笑う。

 細くしなやかな指がくすぐるようにイチカの頬を撫でてくる。産毛が総毛立つような、ゾワリとさせる触れ方だ。

 そんな蠱惑的なハロルドのお誘いに、イチカはと言えば……。


「布団一枚で足りますか?」


 と至極冷静に尋ねた。

 ちなみにその瞬間ハロルドが普段の表情に戻り「毛布も要求する!」と訴えてきた。相変わらず蠱惑的でいて寒がりだ。

 そのやりとりが楽しかったのか、ユイコがクスクスと笑い出した。口元を押さえ、笑いが堪えきれないと言いたげだ。

 ようやく彼女が見せた年相応の少女らしい笑顔に、イチカとハロルドが顔を見合わせて肩を竦めた。


 ハロルドが魅了制御の研究を進め、その間イチカはユイコを守る。

 時間は掛かるだろうが、それでうまくいく。


 ……はずだった。





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