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22:聖女の違和感



 ゴルダナは騎士隊長を勤めており、国内一の騎士である。

 彼に憧れ、一度手合わせをと願う者は国内外問わず多く、騎士隊の者達は総じて彼を尊敬している。中にはゴルダナの部下になるため、わざわざ国を渡ってきたという者も少なくないほどだ。

 召還の際に魔力同様に破格の剣技の才能を授かったイチカも、剣のみで戦うとなれば彼に押されることもある。

 元いた世界では剣など物語やゲームの世界のものでしかなかったイチカにとって、剣の扱いや騎士の心得を教えてくれるゴルダナは隊長でもあり師でもある。


 魔力の頂点に君臨するのがハロルド、その対局である剣技の頂点にはゴルダナといえるだろう。

 内面においても、言動が常にハッピーライフなハロルドと、謹厳実直ゴルダナでは真逆といえる。


 ……あと、貞操観念も。


 ふわっふわで貞操観念がシャボン玉同様に屋根まで飛んでいくハロルドに対して、ゴルダナは実直で一途である。

 バーキロット家のメイドであるブランカに、それはそれは一途に恋をしている。


 割と引くぐらいに一途に。

 ブランカを目の前にした彼から漂う童貞オーラと言ったらない。




「そんなゴルダナ隊長が、ユイコさんのことを……」


 信じられない、と言いたげに小さくイチカが呟いた。

 だが確かに、別れ際のゴルダナはユイコに対して好意的な言葉を口にしていた。

 それも、騎士としての立場で相手を誉めるのではなく、一人の男としての誉め方だった。

 まるでブランカを前にしたかのようではないか。


「ブランカへの恋心と同じ熱量を、あんな短時間で? 他でもないゴルダナ隊長に出来る芸当とは思えないけど……」

「あの、イチカさん?」


 恐る恐る声を掛けてくるユイコの声にはたと我に返り、イチカは慌てて振り返った。

 彼女は不思議そうな表情で「どうしました?」と首を傾げている。ポニーテールの黒髪がゆらりと揺れて、あどけなさに拍車が掛かる。


「いえ、申し訳ありません、少し考えごとを……。えぇっと、それで、ユイコさんの聖女の話でしたよね?」


 先程まで話していたことを思いだせば、ユイコが頷いて返した。

 ティーカップを口につけコクリと喉をならして飲む姿は少女らしい。どこにでもいる平凡な少女だ。

『聖女』とは言ったものの、彼女の所作に聖女らしさはない。


「聖女には清らかさが必要なんでしたっけ?」

「は、はい……。異性とみだりに触れると、その、聖女の力を……失ってしまうんです……」

「となると、魔力とは違うものなんでしょうね。うちにリカバリー機能付の男性がいるけど、それだとどうなんでしょう」

「リ、リカバリー機能……?」

「あぁ、大丈夫ですよ。手は出させません。国家間の戦争はごめんなので」


 ご安心を、とイチカが宥めれば、ユイコが困惑しつつも苦笑を浮かべた。


「イチカさんは、先程の研究職員の方とご婚約をされていると聞きました。お名前は……ごめんなさい、有名な方というのは知っているんですが、なぜかみんな教えてくれなくて……」

「聞かない方が良いです。あの人の名前は耳にしただけで清らかさを失いますから」


 きっぱりとイチカが言い切る。ーー脳内ではハロルドが「なんて失礼な!」と怒っているが、怒った矢先に「まぁ自覚はあるけどな!」と胸を張っているーー

 そんなイチカの断言に、ユイコはキョトンと目を丸くさせ、窺うように「そんな方と……」と呟いた。

 次いで浮かべるのは、まるでイチカを心配するような表情だ。


「もしかして、無理に婚約をさせられたんですか?」

「無理に? いえ、そういうわけじゃないんですが、話し合いの末というか……」

「イチカさんはこちらで偉大な働きをしたと聞きます。それなのに、そんな方と婚約なんて……。それって、無理強いされたってことですよね? イチカさんの意志を聞かずに、周りが勝手に決めたんですね?」


 早口気味のユイコに問われ、イチカがその勢いに気圧され僅かにのけぞる。先ほどまでの穏やかな話し方とは一転し、まるで詰め寄ってくるかのようだ。

 彼女の瞳が揺らぎ、悲痛そうな色が浮かぶ。


 そんなユイコを前に、イチカが彼女を宥めつつも考えを巡らせた。

 ハロルドとの婚約をなんと説明して良いものか……。

 無理に婚約をさせられたわけではなく、ロクステンに頼まれたからだ。話し合いも比較的おだやかだった。

 確かに問題児を押しつけられた気はするが、かといって拒否権が無かったわけでもない。今すぐに辞退しても誰も咎めたりはしないだろう。


 それに、そもそも自分は……。


 答えを告げようと口を開くも、それより先にユイコがグイと前のめり気味に身を寄せてきた。


「やっぱりそうなんですね! イチカさん、一緒に逃げましょう……!」

「逃げる?」


 ガタと立ち上がり身を寄せてくるユイコに、今度はイチカが不思議そうに尋ねた。

『逃げる』とは、いったい何から逃げるというのか。


 だがそれを問うより先に、コンコンとノックの音が響いた。

 ハロルド達が戻ってきたのだ。どうやら研究施設の案内は来客達のお気に召さなかったようで、彼等は部屋に入るなりようやくと言いたげにユイコへと近づいていった。

 王子が肩に手を乗せ、騎士が問題は無かったかと彼女の顔をのぞき込む。他の者達もどんな話をしていたのかと尋ね、これではまるで強制的に隔離されていたかのようではないか。


 大袈裟だなぁ、と思わずイチカが肩を竦めた。


 これは保護だの警護だのを通り越して過保護すぎる。ユイコも困惑し、ひきつった笑みを浮かべているではないか。

 だがユイコの困惑に気付いても口を挟める空気ではなく、イチカが一歩二歩と引いてどうしたものかと眺めていると、ツイと袖を引っ張られた。

 ハロルドだ。いったい何があったのか、麗しい顔の眉間に皺を寄せ、随分と険しい表情を浮かべている。その顔も麗しいのは言わずもがなだが。


「どうしました、ハロルド様。猫がトイレしてる時みたいな顔して」

「……猫のように麗しい美貌、という誉め言葉として受け取ってやろう。それはさておき、研究施設を案内している最中、ずっと聖女の話をされてたんだ」

「聖女のって、ユイコさんの? せっかくハロルド様自ら研究施設の案内するのにもったいない」

「普通はそう思うはずだよな。それなのにみんな聖女がどうのって……それどころか、父さんやゴルダナまでその話を熱心に聞いてるんだ」


 うんざりだとハロルドが話す。

 曰く、研究施設を案内している最中、何を説明しても最終的には聖女ユイコの話へとすり替えられ、誰もが彼女を誉め称えるのだという。

 最初こそハロルドの話を聞いていたロクステンやゴルダナでさえ、次第に彼女の話を求めるようになり……。

 結果、痺れを切らした隣国王子が案内を切り上げ、ユイコの元へと戻ってきたのだという。

 それもハロルドの説明の途中に。

 誰も異論を唱えることなく……。


「普段のお気楽ハッピーライフ状態ならまだしも、真剣に研究の説明をしている最中に蔑ろにされて割と本気で傷ついた。もう全部放って帰ってやろうか……!」

「分かりやすく拗ねないでください。ほら、ハロルド様のぶんのお茶菓子を残しておいたので、これで機嫌直してください」


 茶菓子の一つを手渡せば、ハロルドが不満そうな顔ながら受け取って食べ始めた。機嫌はいまだ直っていないが、少なくとも放って帰ったりはしないだろう。

 だがハロルドをここに残したところで、この事態の謎が溶けるわけではない。

 いまだユイコは同国の者達からチヤホヤと囲まれ、果てにはロクステン達まで愛でるように彼女を見つめている。扉の隙間からは数人のメイドや使いたちが顔を覗かせ、ユイコを見ては黄色い声をあげているではないか。


 ……唯一、険しい顔をしているのはラウルだ。

 彼だけはまるで警戒するような顔をしており、聖女歓迎ムードのこの室内で妙に浮いている。


「なんか変な感じですね」

「なんかというか明らかに変なんだけどな。むしろ変を通りこしてまずい。できれば一行には早々にお帰り頂きたいところだ」


 険しい表情できっぱりと言い切るハロルドに、イチカが同意だと頷いた。

 何が起こっているのかさっぱり分からないし、この終始付きまとう違和感も解明できていない。ハロルドがこうも嫌悪感を露わにする理由も、ロクステンやゴルダナの態度の変化も納得いかない。

 謎は謎のままだ。それどころか刻一刻と謎が増えていく。


 なんとも居心地が悪い。

 これが彼等が帰国すれば収まるというのなら、なるほど確かに早々にお帰り頂きたいところだ。


「……だけど」


 歯切れの悪い口調で告げ、イチカがユイコへのいる方と視線を向けた。

 彼女はいまだ自国の者達に囲まれており、今では男達の壁で姿は見えない。時折ひとの隙間からチラと顔が覗く程度だ。

 あちこちから声を掛けられ、優しく肩をさすられ、愛おしげに名を呼ばれ……と随分と忙しそうである。

 そのどれもが高名な者達で見目麗しく、さながら少女マンガの愛されヒロインではないか。


 だが時折イチカへと視線を向けてくるユイコの表情は困惑の色が強く、むしろ助けを求めているかのようだ。

 肩をさすられ優しい言葉を掛けられれば微笑んではいるものの、頬が僅かにひきつっている。今にも泣きそうに見えるのは気のせいではないだろう。


「あんな風に見られると、どうにも放っておけないんですよ」

「イチカは面倒事を無視できない性格だな。利用されないように気をつけろよ」

「誰かさんと婚約した時点で手遅れな気がしますけど、どうでしょう」

「はは、確かに手遅れだ」


 イチカの返しが気に入ったのか、ハロルドが楽しそうに笑う。

 次いで彼もまたユイコへと視線を向け、どうしたものかと小さく呟いて溜息を吐いた。




「……一緒の部屋ですか?」


 イチカが意外そうな声をあげたのは、その日の夜。

 バーキロット家へと戻ろうとしたところ、ラウルから今夜は王宮に泊まるように言われ、ならばと食事をすませて就寝の時間まで過ごしていた時だ。

 この際なのでハロルドと同じ部屋なのは良いとして、どういうわけかユイコまでもが部屋を尋ねてきた。


「今夜はイチカ様が一緒に過ごしてくれると聞いたのですが……」

「誰からでしょう?」

「ラウル陛下とハロルド様という方から。この部屋に来るのも、隠し通路を教えて頂きました」


 ユイコの口から出てきた名前に、イチカがクルリと振り返って室内を確認した。

 そこにいるのはもちろんハロルドだ。王宮が用意した寝間着は彼にとっては薄いらしく、先程からずっと「寒い」と文句を言っている。

 彼がこちらに来ると、ユイコがビクリと肩を振るわせた。怯えをはらんだ瞳で、助けを求めるようにイチカへと身を寄せてくる。

 だがそんなユイコの態度を気にするでもなく、ハロルドは周囲を見回し、誰も付いてきていないことを確認すると部屋に入るように促してきた。


「安心しな、聖女様の魅了は俺にはいっさい効かない」

「効かない? 本当ですか?」

「あぁ、効かない。現にあんたは俺に対して何も思わないだろう? 同族には無効ってことだ」

「同族……」


 ユイコがポツリと呟き、次いで安堵したように表情をゆるめた。

 ハロルドに対して怯えといえるほどに警戒していたのに、それすらも一瞬で解いてしまうのだ。

 それどころか彼に対して真剣な表情で「話を聞かせてください」とまで言い出している。


 イチカからしてみれば、相変わらずさっぱりわけが分からない。

 ハロルドが言う『魅了』というのも分からないし、彼とユイコがどうして同族なのかも分からない。

 そもそもなぜユイコが同室なのか。それも、わざわざ隠し通路を通って自国の者達には黙って来たというではないか。

 まったくわけがわからない。

 だというのに、ハロルドとユイコは二人で話し始めようとしている。


 これはまさに蚊帳の外。

 というか、今日はずっと蚊帳の外だ。さすがにうんざりしてしまう。


 仕方ない……とイチカは立ち上がり、ゆっくりと窓辺へと近づき、


「そろそろ私にも説明してください」


 と告げてゆっくりと窓を開けた。

 脅しである。

 これに対してユイコは「イチカさん?」と不思議そうに首を傾げ、ハロルドが「分かった、話し合おう!」と悲鳴と共に布団へと飛び込んでいった。




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