21:お隣の聖女様
隣国で召喚された少女は『ユイコ』と名乗り、今は王宮で聖女として務めているのだという。
怪我や病気を治し不浄を祓う『癒しの力』を持っており、それに関する魔力はイチカやハロルドを越えるらしい。イチカのような剣技は持ち合わせておらず本人自体は非力な少女だというが、それがまた『聖女』のらしさに拍車をかけるのだろう。
呼び出した者はもちろん、王族、王宮関係者、それどころか国民までもが彼女を歓迎し、聖女と呼び慕っていた。たった一人の少女を、国中が諸手を上げて。
「……嫌な予感がする」
とは、そんな話をしつつ、馬車で王宮に向かうハロルドの言葉。
隣に座っていたイチカはベーグルを片手に、いったいどうしたのかと彼へと視線を向けた。彼は整った顔つきを不快感で歪めているが、その表情もまた麗しいあたり流石である。
先日の騒動で赤く見えていた瞳も今は紫色。というより、あれから数日イチカは彼の瞳に注視していたが、いっこうに赤く見える事はなく、今では「見間違いだったかな」という気分になっていた。
「嫌な予感って何ですか?」
「これから会う『聖女』ってやつだ。どうにもこう……妙な感じが……」
妙な予感を覚えはするものの上手く言い表せないのか、ハロルドが要領を得ない言葉で
訴えてくる。
それに対し、イチカの向かいに座るロクステンが怪訝な表情でハロルドを呼んだ。
「ハロルド、まさかお前、その『聖女』とやらを狙って……。いいか、やめておきなさい、今回ばかりは確実に国家間の問題になるからな。お前が手を出せばその瞬間に戦争勃発だ」
ロクステンの言葉に、イチカがぎょっとして彼に視線をやった。
『戦争勃発』とは脅しにしても物騒ではないか。
そもそも、ハロルドのこの性格は国内に留まらず近隣諸国、むしろ彼の功績と合わさって世界中に知れ渡っており、彼が聖女とやらに手を出そうが今更な話である。
それに、ハロルドは確かに貞操観念は無に等しいが、けして無理強いをすることなく、性根はあれだが紳士的な一面もある。
仮に聖女とやらが拒否をすれば、それで終わりと手を引くはずだ。いや、そもそも相手が気付かぬうちに反応を窺い、その気がないと分かるや悟られずに撤退するだろう。それが出来るぐらいには彼は手慣れており、そして相手を不快にさせまいと勤めるぐらいの常識は備えているのだ。
「ロクステン様、さすがに戦争勃発まで言うのは大袈裟じゃありませんか?」
「いや、それが大袈裟じゃないんだ、イチカ。私も直接会ったことはないんだが、聖女というのはそれほど大事にされ、神聖視されているらしい」
「神聖視ですか?」
「あぁ、聞けば常に万全の警備をつけ、騎士隊長や宰相が片時も離れずそばにいる。守りは王族よりも堅いだろう。それどころか王子自ら聖女をそばに置き守っているらしい。今回の聖女の謁見も、王族や騎士団長揃って来るんだからよっぽどだな」
「……私だって同じ条件下のはずなのに、なんで問題児を押しつけられてるんですかね」
今の自分と話に聞く聖女の扱いの違いに、イチカが眉間に皺を寄せた。
片や聖女として国の上層部に手厚く保護され、片や貞操観念皆無な問題児との婚約を巡る争い……。
この扱いの格差に異論を唱えるのは当然だろう。
「もしかして、私も亡命すれば魔剣士としてチヤホヤの毎日……?」
「イチカ、ほらもう一つベーグルをお食べ」
「駄目だ父さん、ベリーのベーグルじゃイチカは亡命するぞ。ほらイチカ、チョコチップのベーグルだ」
ハロルドとロクステンからベーグルを差し出され、イチカがしばらく悩んだ後「チョコチップなら仕方ないですね」と妥協を見せて受け取った。
もちろん冗談である。イチカが満足そうにチョコチップの入ったベーグルを食べれば、ハロルドとロクステンが肩を竦めて苦笑した。まるで子供の言い分を愛でるようなその表情は、さすが親子と言えるほどに似ている。
「まぁ、イチカがいればハロルドもそう危ない行動には出ないだろう。いざとなればイチカ、王宮の半分くらいは吹っ飛ばしても構わないからな」
「お任せください。必ずや、王宮の半分を犠牲にしてでもこの国の平和を守ります」
「俺より父さんとイチカの方が危ない気がするけど」
「怪我人さえ出なければこっちのもの。王宮が半壊しようが、それどころかあたり一面焼け野原になろうが、怪我人が出なければいい。修繕の費用についてはいっさい心配するな」
「さすがロクステン様、心強い。私も辺り一帯焼け野原にする覚悟で挑みます。もちろん怪我人は出しません」
「……一応確認するけど、その『怪我人は出さない』って俺の事も含まれてるんだよな?」
イチカとロクステンの物騒な話題に不安を抱いたのか、なぁとハロルドが尋ねてくる。
それに対して、イチカはベーグルを食べることで返事を避け、ロクステンも「そろそろ到着するな」と窓の外を眺めることで返事から逃れた。二人とも明後日な方向を向いて、時には視線を合わせまいと焦点のあわない虚ろな瞳で、ハロルドの問いかけを聞き流す。
その場しのぎの誤魔化しと誰が見ても分かるだろう。そして分かるからこそ、ハロルドの不安を増させるのだ。
しばらく馬車から「なぁ、二人とも返事してくれよ!」というハロルドの必死な声が続き、馬車はようやく王宮に……聖女との謁見のために呼び出された王宮に到着した。
『聖女』と呼ばれる少女は、一言でいうならば極平凡な少女だった。
目を見張るほどの美しさや異世界から来たという神秘性は無いが、穏やかで可愛らしい。十代半ばの若さというものか、大人になりきれない愛らしいあどけなさを纏っている。
「きゅ、急にこのような場を望んで申し訳ありません。私、ユイコと申します。こちらの国にも……わ、私と同じ、召喚で呼ばれた方がいると聞いて……お、お会いしたくて……!」
緊張した面持ちで話す聖女に、イチカが自分がそうだと名乗りでた。
場所は王宮の一室。絢爛豪華な王宮の中でも一際豪華なその部屋には、部屋の規模に相応しい調度品が揃えられている。
その場に着く来賓達は、並大抵の者ならば緊張で目眩でもしそうなほどの顔ぶれ。王子やら宰相やら、それに聖女を守る騎士団長。
その並びの真ん中に座っているのが聖女ユイコだ。その光景は、聖女というより多種多様な男達に守られるお姫様である。
思わずイチカが眉間に皺を寄せた。
もちろんイチカは自国側の真ん中……ではなく、下座寄りである。
隣にはゴルダナが座っているが、これはイチカを守るためではなく単に序列の関係でしかない。あとたぶん、この顔ぶれに緊張したゴルダナが部下が隣に来ることを望んだのだろう。
ちなみに反対隣にはハロルドが座っており、彼は先程からイチカのぶんの茶菓子をじっと見つめている。あと数分後には転移魔法で茶菓子が消えるに違いない。
やっぱり扱いがおかしい……とイチカが心の中で呟いた。
だがその不満を訴えるより、今は聖女の相手である。そう考え、イチカは己の茶菓子が消えるのを横目に聖女ユイコへと向き直った。
「イチカ・ナルディーニと申します。今はナルディーニ家に籍をおいておりますが、召喚される前は雨宮苺花と名乗っておりました」
「その名前……あ、あの、もしかして、日本からですか?」
「えぇ、そうです」
イチカが日本出身だと答えればユイコの表情に安堵が浮かぶ。同じ境遇、それも同郷の同性となれば、彼女の安堵は相当なものだろう。
思わず立ち上がりかけたのかガタと腰をあげ、落ち着きのなさを隣に座る王子に苦笑混じりに諭された。そっと肩を抱かれて座るように促され、慌てて無礼を詫びてくる。
彼女が頭を下げれば、艶のある黒髪のポニーテールがぴょんとはねた。まるで動物の尾のようで、それがまた純朴な可愛さを感じさせる。頬がほんのりと赤くなっており、俯き上目遣いにイチカの反応を伺ってきた。
さすがにこれを咎める者はおらず、イチカも苦笑で返す。ロクステンに至っては自分の娘を見守るような表情だ。
「ご、ごめんなさい。私つい嬉しくて……!」
「お気になさらず。こちらに来てまだ日が浅いと聞きます。慣れぬ生活の中、同郷を得て喜ぶのは当然のことです」
「雨宮さん……」
「イチカ、とお呼びください」
「それなら、わ、私のこともユイコと呼んでください!」
興奮するように話すユイコに、イチカが苦笑いを浮かべる。
チラとロクステンの様子を伺うのは、はたして本当に彼女をユイコと呼び捨てにしてしまって良いかの確認だ。
同郷とはいえ、相手は聖女。それも随分と大事にされているようで、ユイコの一挙一動を王子や宰相達が見守り、彼女が安堵の笑顔を浮かべれば愛おしそうに目を細めている。
来賓の顔ぶれはみな国の重鎮とはいえ様々だ。王子もいれば騎士団長もおり、年齢の幅もある。それどころか、椅子にこそ座っていないが聖女側仕えの女性も部屋の隅に控えている。
その誰もがユイコを愛おしそうに見つめているのだ。まさに老若男女。
国中がこの状況というのなら、なるほど確かにこれは『神聖視』といえるだろう。
「もしかして、これが召喚された者の本来の扱い……? どうして私は茶菓子泥棒ビッチの面倒を押しつけられてるの……?」
「失礼なこと言うなよ。……ところで、ゴルダナの茶菓子も盗んで良いと思うか?」
「良いと思いますけど、それにしてもよく食べますね」
「さっきから腹が減って仕方がないんだ。理由は分かってるんだが……参ったな」
どうしよう、と転移魔法で盗んだ茶菓子を食べながらハロルドが呟く。
その声色には困惑の色が見え、イチカが案じるように彼の様子を窺った。随分と苦々しそうな顔をしている。
「ハロルド様、どうしました?」
「俺がどうしたというより、この状況がだな……。とりあえず何とかこの場はお開きにしたい」
「お開きに? いったい何でまた」
「説明は後でする」
あっさりと言い切り、ハロルドがラウルへと声を掛けた。
せっかくの国家交流なのだから魔力研究所を案内したらどうか……と、その口振りは至極まともで、話の内容も尤もだ。並外れた魔力と知識をもつハロルドが先導する研究所との見学となれば、相手側も喜んでこの話に乗るだろう。
次いで彼はユイコへと視線を向けた。
「ユイコ様はどうぞイチカとお過ごしください。同郷となれば積もる話もあるでしょう」
「い、いいんですか……?」
困惑しつつ、ユイコがイチカとハロルドの交互に視線を向けてくる。
恐る恐る、それでも期待を隠しきれぬ視線。となればイチカも頷くしかない。
正直なところ今更故郷の話をしたいとは思えないが、わざわざハロルドが提案するのだから彼なりの考えがあっての事に違いない。
「構いませんよ。一室借りて、お茶でも飲みながら話をしましょうか」
「はい!」
ユイコが嬉しそうに返事をし、ガタと再び立ち上がりかけた。
それを王子や宰相達が制し、慌てて座り直す彼女を愛おしそうに見つめる。なんとも分かりやすい反応ではないか。
誰もが瞳でユイコへの愛を語っている。熱っぽく、愛に満ちた視線だ。
果てにはイチカと二人きりで危なくないかと尋ね、騎士団長や王子は同席を言い出す始末。それに対してユイコが困惑を露わに拒否をする。
そんなやりとりにイチカが眉間に皺を寄せれば、察したのかハロルドが軽く腕を叩いてきた。「気にするな」と小声で宥めてくる。
「私と二人きりで危ないなんて失礼ですね。人を襲う趣味なんてありませんよ」
「そう怒るな。愛しい聖女様なんだ、いくら同郷の同性といえ二人きりなんて許せないんだろ」
「随分と過保護ですね」
「……過保護、か。それも皮肉な話だよな」
ポツリと呟き、ハロルドが立ち上がった。
イチカがそれを追うように彼を見上げる。彼の表情が一瞬だが自虐的な笑みを浮かべたように見えたのだが、気のせいだろうか。
だがそれを確認するよりも先に、ハロルドはこの場の解散を促してしまった。
イチカとユイコは別室へ、それ以外の者達は研究所へ。
自ら指揮を取り話を進め、そのうえロクステンの背を押して早く行こうと急かすハロルドの姿は、傍目には魔力研究所の案内にはしゃいでいるように映るだろうか。己の分野を披露出来る機会に逸る気持ちを抑えられない、そんな風に見られるかもしれない。
だがイチカには、どうにも彼が焦っているように見えてならなかった。
まるでこの部屋に残りたくないような、イチカとユイコだけを残したいような素振り。
しかしいったいなにをそんなに急ぐことがあるのか……。
「ハロルド様、どうしたんでしょうね。ねぇゴルダナ隊長」
「あ、あぁそうだな……。ところでイチカ、ユイコ様の護衛を頼んだぞ」
ゴルダナの真剣味を帯びた声色に、イチカがハロルドの様子を窺いつつ肩を竦めることで了承の返事をした。今更な事すぎてあえて返事をするまでもない。
ユイコは癒しの力こそあるが、ほかの魔法は人並みだという。過保護ぶりを見るに剣など握ったことも無いだろう。
対してイチカは魔力も剣技も破格の能力を有しているのだから、有事の際にイチカがユイコを守るのは当然のこと。
いくら今日は騎士としては非番とはいえ、剣は持ってきている。有事の際には言われずとも働くつもりだ。
扱いの違いにそこまで拗ねていると思われたのだろうか? そう冗談混じりに問おうとし、イチカはゴルダナへと振り返り……、
「ユイコ様は繊細で可憐で、素朴な愛らしさのある少女だ……なんて愛おしい……。彼女は俺が……い、いや、俺達騎士がお守りせねば……」
と、うっとりとした表情でユイコを見つめる彼の姿に目を丸くさせた。
ほかでもない、あのゴルダナが。
バーキロット家メイドのブランカに片思いをし、片思いのあまりろくに会話も出来ず、ハロルドに「あんな一途を拗らせた童貞を食ったら胃もたれする」とまで言われたゴルダナが。
この短時間に、ユイコに惚れ込んでしまったのだ。




