2:こんな婚約記念日
「叩くことは無いと思うんだけどなぁ」
そう不満げに呟きつつ引っ叩かれた手を擦るハロルドに、イチカが小さく「叩かれただけで済んで感謝すべきです」と告げた。
部屋にはイチカとハロルドが二人きり。ロクステンは再三彼を叱りつけた後に従者に呼ばれて部屋を後にしてしまった。イチカとしては「置いていかないでください」と引き留めたい気分であったが、ロクステンの疲労具合に思わず黙って見送ってしまった。
下手に引き留めて説教タイムを延長させればロクステンの血管が切れかねない。バーキロット家の長男次男は確かに跡継ぎには申し分ない息子達だが、流石にいまロクステンがぶっ倒れて準備も無しに当主交代なんて事になったら騒動は免れまい。というか申し訳ない。
「父さんは怒りっぽいよな。今度癒しの魔法でも掛けてやろうかな」
「ハロルド様が日頃の行いを改めれば直ぐに改善されるかと思いますよ」
「俺は怒りっぽい父さんも好きだからこのままで良いか」
しれっと改善する気の無さを口にし、ハロルドが改めて紅茶に手を伸ばした。
形の良い唇がティーカップの縁に触れる。コクリと飲み込むたびに彼の喉仏が上下し、瞬きのたびに長い睫毛が紫の瞳に掛かる。美しいと誰もが思うだろう、才能のある画家を世界中から呼び寄せようと彼の一挙一動の美しさと魅力を描き切れる者は居るまい。
それほどまでなのだ。もっとも、イチカからしてみればいかに外見が良かろうが性格が難有りすぎて総合でマイナスなのだが。
「ところでイチカ、お前俺と結婚する気なのか?」
「えぇ、そのつもりです」
向かいに座り直し倣うように紅茶に手を伸ばしてイチカが答えれば、ハロルドが眉間に皺を寄せた。
「俺は結婚なんてする気はないからな。この自由な生活を手放す気はない」
「その自由な生活の結果ロクステン様の精神がすり減っているんです。そもそも、恋愛自体は悪い事ではないんですから、相手を一人に絞ることは出来ないんですか?」
「恋愛してない、身体だけ。そして一人になんて絞れない」
「尚更たちが悪い」
「俺は好きな時に好きな物を食べて、好きな場所に行って、そして好きな者を食べる!」
「微妙にニュアンス変えて訴えないでください」
ハロルドの訴えにイチカが一刀両断の構えで徹底抗戦する。だがハロルドはそれでもしれっとした態度で、揚句にふんとそっぽを向いてしまった。
バーキロット家の三男ハロルドはこの通り、随分と困った性格の男である。
なにせ彼の貞操観念は皆無、男だろうが女だろうが気に入った者はペロッと食べてしまう所謂ビッチ。家柄と魔法の才能のおかげで今まで問題事にはなっていないが、そもそも存在自体がバーキロット家にとって大問題である。
だが聞いた話では彼にもギリギリレベルの常識は残っているようで、以前に「結婚したら相手一筋になる」と話していたという。それが酔っ払った時の話だというから信憑性は薄いが、父親であるロクステンにとっては最早それに縋るしかないのだろう。その結果、娘同然の年齢であるイチカに頭を下げたのだ。
ロクステンの性格からしてみれば、問題児の息子を他家の娘に押し付けるのはさぞや心苦しかっただろう。断腸の思いだったに違いない。
あぁ、ロクステン様なんてお労しい……と思わずイチカが諸悪の根源を前にして目頭を押さえる。
それと同時に胸に湧くのが、ロクステンのために自分がこのビッチをなんとかしようという決意である。召喚されて世界を救えと言われた時より難題にも思えるが、なに結婚してしまえばこっちのもの……。
「観念してくださいハロルド様、私と結婚して残りの生涯清らかに生きましょう」
「俺に死ねと?」
「そこまで言ってませんし、貴方清らかになると死ぬんですか」
「己が邪心の集まりだとは自覚してる」
あっさりと言い切るハロルドにイチカが溜息をついた。が、続いてハロルドが「そもそも」と話しだしたことで再び顔を上げた。
これでも元異世界出身、右も左も分からぬ状態ながらに手探りで世界を救った身だ。これぐらいで堪えるような軟弱なメンタルではない。
「俺はお前と結婚する気はない」
「結婚しなきゃいけないんです。貴族お得意の政略結婚ですよ、はいマリーミーマリーミー」
「どこの言語か知らないが適当なプロポーズってのは伝わってくるな。でもそうか、お前が退かないなら……」
ニヤリとハロルドが口角を上げる。彼が良からぬことを企んだ時に見せる表情で、一部の男女はこの表情を魅力的に思い頬を赤らめ、また一部の男女は欲情を抱き、そして一部は胃を痛める表情である。――もちろん後者の代表がロクステンなのは言うまでもない。最近彼はハロルドのこの表情を見るたびに「もういっそ拘束具でもつけるか」と遠い目をしている――
「よし分かった。イチカ、俺と勝負をしよう」
「勝負ですか?」
「そうだ。勝負の期間は今日から一年間、来年の今日までにお前が俺に惚れて食われたら負けで婚約破棄、俺の色仕掛けに耐え抜いたら勝ちで晴れて結婚。どうだ?」
「なるほど、その勝負受けてたちましょう」
立ち上がり煽る様に見下ろしてくるハロルドに、イチカもまた立ち上がって見据えて返す。
そうして互いにガシと握手を交わし、
「ぜってぇ俺に惚れさせて食ってやる」
「精々頑張って色仕掛けに励みつつ花婿修行してくださいね」
と不敵に笑い合った。
はたして、世にこれ以上しょうもない婚約の流れがあっただろうか。
そうしてさくっと婚約の手続きを済ませ、事情を聞いたロクステンから再三の感謝と謝罪と激励を貰った帰り道。ハロルドの色仕掛け対策を考えていたイチカがふと足を止めた。
「……一応、婚約はしたんだよなぁ」
と、思わず呟く。
相思相愛とは程遠くこれから一年間彼の色仕掛けを受け続けるのかと思えば気が重くなるが、それでも婚約したことに変わりはない。
となれば……とイチカはナルディーニ家へと向けていた進路を変え、足早に市街地へと向かった。
それから数十分後、バーキロット家の玄関でハロルドが「……花?」と首を傾げたのは、イチカが彼に花束を差し出したからである。
婚約手続きを済ませて帰ったと思ったイチカがどういうわけか花束を持って戻ってきたのだから、彼が不思議に思うのも仕方あるまい。それどころか居合わせたロクステンやメイドのブランカまでもが不思議そうにイチカと花束に交互に視線をやっている。
そんな視線を受けつつ、それでもイチカはハロルドに花束を向け、受け取るよう促すために軽く揺らしてみせた。
フワと花が揺れる。市街地にある花屋で見繕ってもらった代物だ。
彼の瞳に合わせて紫色の大振りの花を中央に置き、囲むのは髪色を意識した白い小花。満開の花と蕾のバランスも良く、包むレースも上質と一目で分かる。
幸い騎士隊の給料は良く、とりわけ先月は魔剣士としての仕事が入ったから懐がホカホカと暖かい。値段も確認せずに見目の良い花をあれとこれとと選んでも支払いは余裕があり、それどころか途中で見掛けたクッキーの詰め合わせも添えることが出来た。
もっとも、そんな贈り物を前にしてもハロルドは首を傾げたままで、紫色の瞳を数度瞬きして再び「花?」と口にして反対側に首を傾げた。
「……なんで俺に?」
「婚約記念日だからです」
「婚約披露のパーティーは来週って話しただろ?」
「それでも今日が婚約記念日だからです。元居た世界ではこういった記念日を大事にして祝うんです。この世界で生きると決めたけど、元居た世界の良い所は残しておこうと思って」
だから差し上げます、とイチカが花束を揺らせば、話を聞いていたハロルドがゆっくりと手を差し出して花束を受け取った。
記念日に花束を贈るのであれば男女が逆な気もするが、まぁ異世界だから良いかとイチカが自分に言い聞かせる。それに、自分で見繕った花束ながら彼に似合っている、両手で抱えれば花束の魅力が更に倍増されるようではないか。
そんなイチカの考えとは他所にハロルドは花束をジッと見下ろし、次いでゆっくりと顔を上げると……、
「俺、今ならお前に抱かれてもいいかも」
と、ポッと頬を赤らめた。
「驚きの惚れやすさですね」
「お洒落なサプライズ、花束嬉しい、それも俺好みの色、総合得点で一晩くらいなら抱かれても良いかなと思えた」
「そもそも私は女なのに抱く方ですか」
「男女差別はしない主義だ。まぁそれはともかく、ありがとな」
ギュウと花束を抱きしめながらハロルドが笑う。
どうやら抱かれる云々抜きにしても本当に嬉しかったのだろう。その表情はどこかあどけなく「お返しは何が良い?」と屈託なく笑う様は二つ年上のはずが幼く見える。
「別に、お返しなんていりませんよ。記念日を祝うって見返りを求めるものじゃありませんし」
「ますますポイントが高いな。よし、一晩どころか朝までガッツリコースで」
「大概にしてください」
「それじゃ俺がコツコツ書き溜めた『アプローチ・ムード・サイズ・テクニカル総合表、騎士隊編』をやろう」
「それを貰って今後どんな顔して騎士隊で働けと」
すぐさま破棄してください!とイチカが訴えれば、ハロルドがクツクツと笑う。
そうして溜息交じりにイチカが別れの挨拶を告げれば、ロクステンが申し訳なさそうに労いの声をかけ、ブランカが労わるような視線と共に頭を下げ、そしてハロルドが暢気に手を振って見送ってきた。
二重投稿した挙句に訂正が変な状態になってました。
申し訳ありません。