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19:麻袋さんと王宮へ


 浮上するような微睡みの中で目を覚まし、まだぼんやりとする意識ながらに身を起こした。

 うとうととする意識の中でぐっと一度背を伸ばし、明るい室内に慣れない目を凝らす。昨夜の雷雨が嘘のように周囲は明るく、窓を見ればカーテン越しでさえ十分な日の光が降り注いでくる。

 良かった、晴れた……とイチカが窓の外の明るさを眺めながら思う。世にはーーこちらの世界にもあるのかは未確認だがーー『台風の目』というものがあり、静まったかと思いきや再び雷雨が……なんて事もあるのだ。

 だが窓から降り注ぐ日の光と鳥の鳴き声を聞く限り、それも心配無いだろう。まさに晴天だ。


 そうイチカがベッドの上に座りつつ安堵すれば、背後から名前を呼ばれた。

 聞き慣れたこの声は、本来ならばベッドの隣にいるはずの人物。

 既に起きてコーヒーでも飲んでいたのだろうか。


「ハロルド様、昨夜はありがとうござ……」


 ありがとうございました、と言い掛けてイチカの言葉が止まった。

 感謝と共に浮かべていた微笑みのままピタリと固まってしまう。

 だがそれも仕方あるまい。

 振り返った先、寝室に設けられたテーブルに着くのは、この部屋の共有者であるハロルド……。


 ではなく、巨大な麻袋なのだ。


 その身丈はイチカより頭一つ以上高いだろう。

 両側に不自然に空いた穴からはモコモコのパジャマに包まれた腕がでており、今まさに読書の最中と言わんばかりに本を構えている。随分と難しい本を読んでいるようだが、そのタイトルも何もかも麻袋のインパクトでイチカの頭に入ってくる分けがない。

 ちなみに足下も上半身同様、出ているのはモコモコパジャマの膝から下だけである。


 巨大な麻袋だ。

 いや、正確に言うのならば麻袋を被った人だ。

 もっと正確に言うのならば麻袋を被ったハロルドだ。


「……ハロルド様、いったいどうしたんですか」

「違う、俺はハロルドじゃない」

「その声にモコモコパジャマ、確実にハロルド様じゃないですか。何の遊びか知りませんが、びっくりするから起き抜けはやめてください」

「ハロルドじゃないし、遊びでもない」

「はいはい、それなら貴方はどなた様ですか?」


 意地になっているのかハロルドであることを否定する彼に、イチカが肩を竦めつつ尋ね返した。

 意図がさっぱり分からない上に、突拍子も脈絡も無い。彼らしからぬセンスのない冗談だ。自分の反応を見るために麻袋を被って待っていたと考えれば、呆れを通り越して溜息しか出ない。

 だがそんなイチカの反応が不服だったのか、麻袋を被ったハロルドが改めるように「遊んでるわけじゃない」と訴えてきた。麻袋の中ではさぞや麗しい顔を不満を歪めている事だろう。


「今だけは俺はハロルドじゃない。俺は……俺のことは……」

「貴方の事は?」

「麻袋さんと呼べ!」


 ドヤッ! と胸を張って……いるのだろう、若干のけぞる麻袋に、イチカがじっと彼を見据え、


「はいはい、麻袋さんですね。それじゃ麻袋さん、朝食にしましょう」


 と、お座なりに交わしてベッドから降りて扉に手を掛けた。

 だがその瞬間、慌てた声で待ったが掛かった。制止してきたのは麻袋に入ったハロルドだ。

「開けるな!」という声は余裕が無く、彼らしくない。


「……ハロルド様?」

「駄目だイチカ、扉を開けるな」


 宥めるような声色で近付いてくるハロルドは、麻袋のため表情こそ見えないがせっぱ詰まっているのが分かる。

 だがイチカを止めようと近付くも数歩離れた場所で立ち止まるのはどう言うことか。疑問を抱いてイチカが彼を呼びつつ近付けば、今度は逆に半歩後退されてしまった。

 その姿から、冗談では済まされない緊迫感が漂っている。


「ハロルド様、どうしたんですか?」

「イチカ、お前は今の俺の状況を見て何か思うところはあるか?」

「思うところ……。朝一で馬鹿みたいな事しているなぁとか、この労力をどっか他のまともな事に使ってくれないかなぁとか、その程度ですね」

「ぐっ……さらっと心を抉ってくる……。と、とにかくだな、イチカは今の俺を見て変な気分にはならないわけだな?」

「変な気分、とは?」


 いったい麻袋を眺めてどういった気分になれというのか。

 それを問えば、ハロルドが一瞬悩むようなそぶりを見せ、次いで右手を頭に、左手を腰に添えた。麻袋なので分かりづらいが、いわゆるセクシーポーズである。

 見目の良い彼の妖艶なポーズとなれば、さぞや絵になった事だろう。

 麻袋を被ってなければ、だが。


「たとえばほら『この麻袋、良い体してやがる』とか思わないのか?」

「残念ながら麻袋に欲情する悲しい性癖は持ち合わせていません」

「……そうか、イチカは平気なんだな」


 納得したかのようにハロルドが呟く。おまけに「さすがだな」と褒めてくる始末。

 これにはイチカもますます意味が分からなくなる。麻袋も、麻袋からの質問も、それで安心する彼にも、疑問しか沸かない。

 だがそれを尋ねるより先に、コンコンと室内にノックの音が響いた。次いで聞こえてくる「ハロルド、イチカ、起きているのか?」という声はロクステンの声だ。

 きっと話し声が聞こえ、それでも出てこないのを不思議に思ったのだろう。


「二人共、起きているなら朝食を一緒にどうだ?」

「おはようございます、ロクステン様。なんだかハロルド様が……じゃなくて、麻袋さんが来てるんですが、是非ご一緒に」

「麻袋が! イチカ、扉を開けるんじゃない!」


 扉越しに聞こえるロクステンの声に、イチカがぎょっとして目を丸くさせた。

 先程のハロルド同様、ロクステンの制止の声は鬼気迫ったものがある。彼は温厚でまさに善人といった人となりで、声を荒らげる事など滅多にないのに……。

 それこそハロルドが元気にビッチ活動に励んでいる時ぐらいだ。いや、その時と比べても先程の声は荒々しかった。


「ロクステン様、どうしました……?」

「直ぐに馬車を用意する。ハロルド、気をつけるんだぞ。イチカは大丈夫なんだな、それなら悪いが今日はハロルドの傍にいてやってくれ」


 捲し立てるように話したかと思えば、ロクステンの足音が遠ざかっていく。こちらの返事を聞かぬ一方的な対応は彼らしくない。

 思わずイチカがキョトンと目を丸くさせれば、背後で麻袋が器用に袋の中でモゾモゾと着替えだした。




 馬車はバーキロット家の正門……からではなく、裏門から出ていった。

 乗り込むのも屋敷の裏手で、普段であれば見送りにメイドや使い達が出てくるはずなのにそれすらもない。どことなくぎこちない馭者が顔を背けながら準備をし、急かされるように麻袋を被ったハロルドと共に乗り込み、見送られることなく出発……。

 これには流石にイチカも痺れを切らし、「どういうことですか?」と向かいに座る麻袋に尋ねた。これではまるで後ろ暗い事をしているかのようではないか。


 まぁ、麻袋被った成人男性を屋敷の顔である正門に晒すのもどうかと思うが。


 そんなイチカの疑問に対し、向かいに座り朝食のスコーンにジャムを塗っていた麻袋が「ん?」と顔を上げた……のか、麻袋が揺れた。


「いったいこれは何ですか? どこに行くんですか?」

「どこって、こんな格好で行く場所なんて王宮以外に在り得ないだろ」

「こっちが非常識みたいな言い方しないでください。そもそも、その格好自体が有り得ないんです。麻袋を被って陛下と謁見なんかしたら、またロクステン様に怒られ……ないのか、むしろロクステン様推奨? あれ?」


 なんで? とイチカが首を傾げる。

 麻袋を被って国のトップであるラウルと謁見等となれば、これはふざけているとしか思えない。むしろ無礼とさえ言える。いかにハロルドが自由人だからといって、周囲はこれに難色を示しロクステンからの叱咤は間違いなしのはず……。


 本来ならば。

 少なくとも、これがいつも通りハロルド単独の奇行ならば。


 だが今回に限ってはロクステンはハロルドの奇行を咎める事無く、むしろこの馬車を用意したのは彼だ。

 そのうえ馭者はこちらに行く先を尋ねるまでもなく王宮へ向けて走りだしたのだから、行き先もロクステンが指示したのだろう。


 まったくもってわけが分からない。

 だというのに平然とスコーンを食べる麻袋の腹立たした。

 正確に言うのであれば麻袋のため食べている様子までは分からないが、スコーンを持った手が不自然に袋の中に消えていき空になって出てくるのだから中で食べているのだろう。

 そこまでしてスコーンを食べたいのか。むしろそこまでして麻袋を被っていたいのか。


 そうイチカが不満と疑問と呆れを募らせていると、ガタと馬車が揺れて停まった。

 馭者が車輪に異物が絡まったので一度降りるように告げてくる。

 促されるままに降りれば、王宮までの途中……なのだが。


「なんでこんな裏道を?」


 普段通る大通りとは違い、馬車が停まったのはそこから少し離れた裏道だ。

 王宮に辿りつけないこともないが、人気が無く、道が狭いため馬車では走りにくい。住民が人込みを嫌って選ぶなら分かるが、バーキロット家の馬車が選ぶには不釣り合いな道である。

 麻袋を被ったハロルドを他者に見られたくないのだろうか。それならば脱がせばいいのに。


「まぁいいや、考えるだけ無駄。ハロルド様、ここから王宮までなら歩いてもいけるし、さっさと行きましょ……」


 言いかけ、振り返った先の光景にイチカが息を呑んだ。


 ハロルドが馭者に襲われている。

 ……麻袋を被ったまま。

 馭者の手が麻袋の顔のあたりを押さえているのは声を塞いでいるのだろうか。馭者が片手に持ったナイフの刃先を麻袋の端に掛け、豪快に振り上げる。ピシッと高い音が周囲に響き麻袋が破けた。

 現れたのはもちろんハロルドだ。彼の赤い瞳(・・・)が、驚愕で見開かれたままイチカを捕える。


 瞬間、ゾワと背筋に寒気が走った。


「……え? あ、えっと、ハ、ハロルド様!」


 はたと我に返ったイチカが慌てて馭者を引き剥がしてハロルドを救い出し、彼を背に庇い馭者と対峙する。

 バーキロット家に仕えている馭者だ。イチカも幾度となく世話になっており、ハロルドに至っては幼少時からの付き合いだろう。襲う理由が分からない。

 だが馭者はぼんやりとした表情で、それでもとハロルドに手を伸ばしてくる。それを振り払い、覚束ない足取りで近付いてくるその背を押して転ばせる。


 明らかに馭者の様子はおかしい。


 漂う違和感に、今日は非番だからと騎士隊の剣を置いてきたことが悔やまれる。いついかなる時も騎士として云々と長ったらしい説教をしてくるゴルダナの姿が脳裏に浮かぶが、それを振り払って右手に意識を寄せた。

 騎士隊の剣が無くても、自分には魔剣がある。いついかなる時も応えてくれる魔剣が……。

 一般人相手にこれを放つのは些か気が引けるが、手加減すれば命までは奪わないだろう。緊急事態だ仕方ない。


 そうイチカが判断を下すも、魔剣の魔力を感じ取ったハロルドが慌てて手を押さえてきた。


「イチカ、駄目だ。行こう」

「ハロルド様、ですが彼をこのままには……」

「俺から離れれば大丈夫だ。全部俺のせいだ、だから怪我をさせないでくれ」


 説明も碌にせず、ハロルドがイチカの右手を掴んだまま走り出す。

 しきりに「俺のせいだから」と繰り返すのは、せめてもの説明か、それとも自分を襲った馭者に対して告げているのか。

 そのどちらかは分からず、それでも手を引かれるままにイチカも走った。……彼の横顔を、悲痛そうに細められる赤い瞳を見つめながら。




 王宮までを走り、裏門から中へと入る。

 突然飛び込んて来たイチカとハロルドに誰もがぎょっとし、中には何かあったのかと尋ねてくる者もいる。

 だがそれに対し、イチカは自身もわけが分からないため説明出来ず、かといってハロルドはそれどころではないと急くように王宮内を進んだ。


 そうして王宮内を進めば、通路の奥から一人の人物が駆けつけてきた。

 事態を聞きつけたラウルだ。普段は飄々とした態度を崩さぬ彼も今日に限っては表情を強張らせ、怪訝そうにしているメイドや使い達に人払いを命じた。

 地下に繋がる部屋、そこには誰も近付けるなと命じる彼の荒々しい声に、メイドがビクリと肩を震わせて慌てて一礼すると小走り目に去っていく。

「地下……」とイチカが小さく呟いた。王宮の地下、思い出したくない場所だ。


「イチカは平気なのか、さすがだな。ハロルド、人払いをしておくから安心しろ」

「……陛下、ここに来るまでに馭者が。それにもしかしたら、この間のやつらも」

「分かってる、こっちで対応するから心配するな」


 まるで子供を宥めるような優しい声色でラウルがハロルドの肩を叩く。

 それを受け、ハロルドが深く息を吐いた。先程までは焦りを宿していた赤い瞳に安堵の色が浮かぶ。

 ……赤い瞳に。

 おかしい、とイチカが小さく呟いた。彼の瞳は紫だ。銀の髪に映える紫の蠱惑的な瞳、他でもないハロルドの瞳の色を間違えるわけがない。


「ハロルド様、瞳が……」

「イチカ、悪いけどちょっと地下に行ってくる。陛下と一緒に待っててくれ」


 相変わらず説明もせず、ハロルドが一室へと入っていく。

 なんの変哲もない議会室だ。この規模の部屋は王宮にはもちろん、バーキロット家にだってある。

 だがこの部屋には隠された扉があり、そこから地下に繋がっている。陰鬱とした空気が漂い、地面には呪文のようなものが描かれた薄暗い部屋。まさに『儀式用の部屋』といった内装であり、事実そのための部屋である。


「陛下、なんでハロルド様が地下に?」

「あそこは国内において魔力の影響が一番大きくでる場所だ」

「それは分かります。でもハロルド様は朝から袋を被って、馭者がそれを襲って、地下に……わけが分かりません」

「まさかこんな事になるなんて……」


 苦虫を噛み潰した表情のラウルに、いったい何事かとイチカが様子を窺う。皆一方的に話を進めるばかりで何一つ説明をしてくれない。

 わけが分からないどころではない、分かる事が一つも無い。

 だがそれを言及出来る空気ではなく、ラウルの溜息を最後にシンと静けさが漂った。


 耳が痛くなりそうなほどの重苦しい沈黙。

 何か話したいと思う反面、喉がひりつくようで言葉が出てこない。呼吸すら重く感じられる。

 これもまた当時を思い出させ、不快感しか湧いてこない。


 そんな沈黙を破ったのは、眉間に皺を寄せて遠くを眺めていたラウルの盛大な溜息だった。


「イチカ、以前に約束をしたよな」

「約束ですか」

「あぁ、もう二度とお前のような者は出さないと、召喚の儀は行わせないと約束した」


 ラウルの言葉に、当時を思い出してイチカが眉根を寄せた。

 地下も約束も、思い出したくない記憶ばかりが蘇ってくる。

 そんな話をなぜ今話題に出すのか……。不快感と共に続く言葉を待てば、ラウルもまた険しい表情を浮かべ、


「……隣国で召喚の儀が行われていた」


 と、そう苦し気な声色で呟いた。

「お待たせぇ」と呑気な声でハロルドが戻ってきたのはちょうどそのタイミングである。

 先程までの切羽詰まった様子が嘘のようにいまの彼は落ち着いている。もちろん麻袋を被ってはおらず……


 瞳も紫色だ。




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