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16:たまには役立つご令息2

 

 それから更に数日後の夜、イチカが寝ようとしていたところ、キィ……と扉が開かれた。

 入ってきたのはハロルドだ。


「ハロルド様、いつ戻ってきたんですか?」

「……さっき」


 どことなくぼんやりとした口調で答え、ハロルドがふらふらと寝室を横断して自室に入っていく。

 そうしてしばらくすると、もこもこしたパジャマに身を包み、ふらふらと戻ってきた。


「ハロルド様、そんなにもこもこして……じゃなくて、ふらふらして、どうしたんですか?」

「……食い疲れ」

「食い疲れ?」


 ハロルドの言葉に、イチカが首を傾げる。

 だがハロルドはそれ以上は答えること無く、ふらふらとベッドに近付くとボスンと勢いよく倒れ込んだ。どうやら食い疲れとやらがかなり酷いらしい。

 よっぽどだ、とイチカが俯せで微動だにしない彼を眺めつつ思う。


 大きなベッドに枕が二つ、これは二人共有のベッドだ。

 だが中央には境界線が設けられている。実際に線を描いたわけではないが、ベッドの半分はイチカの領域だ。そう初日に決めた。

 隙あらばイチカを口説いて食おうとするハロルドだが、案外に律儀なもので境界線を無理に超えるような事はしない。――時折、魔法で鳥を出して「領空侵犯!」と境界線を超えてくるが。そういう時、イチカは魔法で布団の中に魚を出して領海侵犯で返す。つまり魔力の無駄遣い……もとい、他愛もない遊びだ――

 だが今のハロルドはそれを気にもせず四肢を投げ出している。いや、気にもせずというより、気にする余裕も無いと言うべきか。


「ハロルド様、何を食べて疲れたんですか?」

「……初物」

「まさか……!」

「処女と童貞の相手は気を遣うんだ。経験豊富な未亡人とか百戦錬磨の独り身と手慣れた一夜を過ごしたい……」

「領土侵犯! 我が領土で不埒な発言は許しません!」


 イチカが訴えつつハロルドの体を彼の領域へと押しやる。

 そうしてダランと力の抜けた腕を領土へと放り、ふんと一息ついた。


「初物って、疲れるほど食べなきゃいいじゃないですか」

「そりゃ俺だって平時ならそうしてる」


 多少は体力回復したのか、俯せになっていたハロルドが寝返りを打ってこちらを向く。

 無防備に横たわる今の彼は疲労からの気だるさも合わさってか、なんとも言えない魅力に溢れている。イチカ以外の人が見たら引寄せられるように手を出し出されていただろう。

 もっともイチカからしてみれば、領土侵犯のうえにやたらと偉そうなもこもこでしかないのだが。


「いいかイチカ、そりゃ俺はいつだってお気楽ハッピーライフだが、今回は別だ。これは仕事……いや、社交界を守る為の俺にしか出来ない崇高な任務だ!」


 堂々と胸を張るハロルドに、イチカが「そいつは大変ですね」とまったく心のこもっていない返事をした。

 そうして布団にもぐろうとすれば、「待て、ちょっとは話を聞け」とハロルドが布団を捲って妨害してくる。ビッチで偉そうなうえに睡眠妨害をしてくるとは、なんて酷いもこもこだろうか。


「割と本気で社交界のためなんだ」

「へぇそうですかおやすみなさい」

「信じてないな……。いいか、今回の件で夫人達はバーキロット家に来た。俺に直接ではなくバーキロット家に……つまり父さんの耳に入っている!」

「ロクステン様公認のビッ活……!?」

「ビッ活……? まぁ良い、どうせ俺の事だろう。そうだな、まず俺が声を掛けたのはヘレナ嬢だ。彼女は自分に自信が無く、このままでは婚期を逃がすと夫人が心配していただろ? そこで俺は……」

「そこでハロルド様は……?」

「口説いて褒めまくって抱いた!」


 ドヤッと得意気にハロルドが宣言する。

 これに対してイチカはいつもと同じじゃないかと文句を言いかけ、出かけた言葉を飲み込んだ。

 もう少し話を聞こう、そう思えたのだ。それで結果的にしょうもない話だったなら、暖炉の火を消して窓を全開にして眠ればいい。


「ヘレナ嬢はふっくらとしてるだろ。彼女はそれを気にしすぎてる」

「そうですね」

「でも実際、女を抱くなら肉付きの良い方が好みっていう男は少なくない!」

「わーぉ」

「ヘレナ嬢はふっくらとしてるがそのぶん柔らかくて、しかも肌は白く滑らか。抱き締めた時の心地好さと言ったら無い。あの体は抱き締めたいし、抱き締められたいし、顔を埋めたくなる! そのうえヘレナ嬢は穏やかな愛らしさのある顔付き、鈴の音の声、この組み合わせに抗える男はそう居ないだろう!」

「力説しますねぇ」

「つまり何が言いたいかと言えば、ヘレナ嬢は魅力的って事だ」


 ハロルドの断言に、イチカが思わず拍手を贈る。それほどまでの熱弁だったのだ。

 確かにヘレナはふっくらとしており、コルセットでこれでもかと絞って着るドレスとは相性が悪い。だが女性の体として見れば魅力的だ。

 思い返してみれば、パーティーの場ではひっそりとしているものの、両親や少数ながら友人とは楽しそうに話をしていた。その際には穏やかに微笑んでおり、なるほど確かにその表情は愛らしかった。

 そのうえ、親でさえ手を焼いている彼女の引っ込み思案な性格を、ハロルドは『控えめで慎ましい』と表現するのだ。


 不思議なもので、ハロルドの話を聞いているとヘレナが特上の女性に思えてくる。


「そうやってヘレナ嬢を褒めたんですか」

「あぁ、これでもかと褒め倒した。最初は信じてくれなかったけど、別れ際には次は明るい色のドレスを着るって約束してくれたんだ。本当は淡い色が好きなんだって」

「なかなかのセラピストですね」


 イチカが褒めれば、ハロルドが得意気に胸を張る。

 だが確かに、これはハロルドにしか出来ない方法だ。

 どんなに自信のない女性でも、ハロルドほどの良い男に言い寄られれば悪い気はせず、褒められれば嬉しくなるだろう。ハロルドは見目も良く身元はしっかりしており、厄介な性格ではあるが実害があるわけでもなく、なにより――これでも――人望は厚い。

 それにハロルドは性格は厄介だが嘘は吐かない。褒め言葉は全て彼の心からのものだと分かる。


 そんなハロルドに褒められながら、そのうえ百錬練磨の腕前で気遣われながら抱かれれば、男性への恐怖心や警戒心も無くなるだろう。

 それでいてハロルドのふわふわ貞操観念は周知の事で、抱かれた相手も本気になる事は無い。彼の魔法で純潔も戻され、社交界的にもノーカウントだ。


 荒療治には他ならないが、荒療治の中ではマシな方法である。


「消極的なご子息様にも同じように?」

「あぁ、褒め倒した。……褒め倒して押し倒した。いや、相手の今後も考えて、男の場合は褒め倒したうえで押し倒されるように仕向けた」

「その詳細はあまり聞きたくありませんね。でも、それならマールズ様達にも同じようにしたんですか?」


 夫人達からの依頼は、ヘレナのような消極的な令嬢子息の他に、マールズのようなやんちゃな性格の子息に対しての依頼もあった。

 確かにマールズを始めとする子息達は夫人が嘆くようにやんちゃな性格ある。もっとも、このやんちゃというのは幼い子供の活発さではなく、青少年の非行の事である。格式あるものを嫌い、俗っぽいものに憧れる。つまり反抗期というやつだ。


「あれはなぁ……。同じ初物でも、あっちの方が相手をするのが疲れる」

「そうなんですか」

「だけど一度受けた依頼ならこなさなきゃならないだろ。俺は貞操観念は無いが、人並の責任感はある。それに、ああいうのは放っておくと本当にやばいんだ」

「やばい?」


 どういうことかとイチカが尋ねれば、ハロルドが困ったと言いたげな表情で話し出した。


 マールズを始めとするやんちゃな子息達は、「親の言いなりになりたくない」と考えている者が多い。反抗心丸出しの者も居れば、自由云々と体裁の良い言葉を使う者もいる。

 だがどんな訴え方をしようが、実際は家名を捨てられず底の浅い反発をする程度だ。そして家名を捨てられないからこそ、やんちゃの果てに問題が生じれば、その害は家が被る事になる。


「多少のやんちゃなら誰しも通る道だし、家が揉み消す。だが揉み消しきれず、なおかつ後々まで問題を引き摺ることがあってな……」

「なんですか?」

「よその女を孕ませる」

「わーお」


 ダイレクトなハロルドの言葉に、イチカが思わず声をあげた。

 だがハロルドの言う通り、やんちゃをする年齢はそういった事に興味を持ち、なおかつ親への反抗心から政略結婚に歯向かおうする。もちろん、身分の高い男性達が通うような夜の店にだって嫌悪を示す。反抗期とは用意されたものすべてに反発するものなのだ。

 その結果、他所の、それもどこの誰とも分からない女性に手を出してしまうのだという。

 そのうえ世には愛より金と割り切って玉の輿を狙う者も居り、そういった者達からしてみれば反抗心で俗世に足を突っ込む貴族の子息は恰好の的である。


 なるほど、これは何とかしなければならない問題だ……とイチカが頷く。


「でも、そういう人達を褒めて丁寧に相手をしたら余計にまずくないですか? 自信をつけて手当たり次第なんてことになったら……」

「そういう輩は一切褒めない。それに丁寧どころか相手にリードを取らせるんだ。……それで、終わったらこう言ってやる」


 ハロルドがムクリと起き上がる。

 そうしてイチカの肩をポンと叩いてきた。その表情はどこか憐れむかのようで、深い色合いの瞳が細められている。


「『大丈夫だ。お店の姉さん達に教えてもらおう、な?』……って」


「全力で鼻っ柱をへし折りにかかりますね」

「トラウマにならない程度には押さえてるつもりだ」

「でも確かに、こうもはっきり言われたら大人しくはなるでしょうね」

「あぁ、確実に大人しくなる。1年くらいは俺と目を合わさずそそくさと逃げて行くけど、その間に周りがちゃんとした店に連れてってやるし」


 そうして心のケアをしつつ過ごし、自信を取り戻した頃には反抗心も鳴りを潜めているのだという。

 これもまた荒療治ではあるが、他所の女性に手を出して大問題を起こすよりはましである。


 そんな事をイチカが考えていると、ハロルドがふわと欠伸を漏らした。

 どうやら疲労に眠気が加わったようで、もぞもぞと布団の中に入っていく。いつもなら眠る前に誘いの言葉を掛けてくるが、相当眠いようで今夜はそれすらもない。

 もっともイチカとしては誘いの言葉など無い方が良いのだが。

 そうして部屋の電気を消し、就寝の言葉を告げ……、


「お疲れ様でした」


 と労っておいた。

 初物食いなどというろくでもない話だが、それでもハロルドは社交界の役に立ったのだ。今後の交友関係のため羅列するのは遠慮したいが、彼に感謝している家は少なくないだろう。

 ……それに、騎士隊の仲間達が見せたあの反応の理由も分かった。これまた詳細を考えるのは遠慮したいが。

 そんなイチカの労いの言葉に、既に夢半ばだったのかハロルドがむにゃむにゃと言葉にならない返事をしてきた。




 それから数日後、イチカはハロルドととあるパーティーに招待されていた。そんな中ヘレナの姿を見つけ、イチカがおやと足を止めた。

 年若い青年と何やら楽しそうに話をしている。そうして穏やかに分かれると、こちらに気付いて空色のドレスを揺らして近付いてきた。

 そう、空色のドレスだ。鮮やかな色合いに細部にあしらわれた純白のレースが映え、胸元の黄色い花飾りがワンポイントとして引き立てている。鮮やかな色合い、それでいて彼女が動くたびに丸みを帯びた胸元が揺れる様は、同性でも見入ってしまう。


「ハロルド様、イチカ様、御機嫌よう」


 品良く挨拶するヘレナの姿は、ドレスの色合いと合わさってか明るく見える。柔らかな体つきに白い肌、そのうえ明るい微笑み、声も確かに鈴の音だ。なんと眩い事か。

 そんなヘレナの姿に、ハロルドが満足そうに笑った。


「ほら、やっぱり明るい色の方が良いだろ」

「ハロルド様、ありがとうございます。こんなドレスを着て男の方と話をするなんて、今まで考えもしませんでした。イチカ様も、今回の事を許して頂きありがとうございます」


 ヘレナが深々と頭を下げて感謝を告げてくる。

 婚約者を前に「相手と一晩過ごさせて頂き……」などと、普通ではありえない話だ。

 もっとも、イチカはさほど気にすることなく、むしろヘレナが前向きになってよかったと返した。次いで「たまには善行を積ませておかないと」と付け足すのはもちろん冗談である。

 ヘレナがコロコロと明るく笑い、冗談と分かっているのだろうハロルドも「言ったな」と楽し気に睨んでくる。

 そんな中、ふとイチカがヘレナの手に視線を止めた。ドレスと同色の手袋に覆われた手。細くしなやかとは言い難いが、露出された腕を見るにきっと指先まで白いのだろう。


「ヘレナ嬢、手に触れても良いですか?」

「手、ですか?」

「えぇ、ハロルド様が貴女の手は滑らかだと褒めていたので」


 それで……とイチカが話せば、ヘレナが柔らかく微笑んで頷いて返してきた。

 そうしてスルリと手袋を外せば、白い手が現れる。柔らかそうな手だ。まるで陶器のようで、その手にそっとイチカが触れ……、


「滑らか……!」


 と思わず声を漏らしてしまった。

 彼女の手は上質の布のように心地好い。いや、上質の布だって敵わない。

 触れているこちらの方がくすぐったさを覚えそうな滑らかさ、それでいて少し力を入れれば柔らかく受け止めてくれる。少し手先は冷たく、それがまた心地好い。

 これが手だけではなく全身……とイチカがゴクリと生唾を飲む。

 なんて魅力に溢れているのか。男でなくとも彼女を抱きしめてみたいと思ってしまう。

 ヘレナもそんなイチカの考えを察したのか、少し頬を赤くさせてはいるものの満更でもなさそうだ。


 そうして、嬉しそうな夫人に呼ばれて去っていくヘレナを見送る。

 夫人がこちらに気付いて深々と頭を下げる。華やかなドレスを纏う娘と話す夫人の、そしてそんな娘を誇らしげに周囲に紹介する表情のなんと嬉しそうな事か。

 中には既にヘレナの魅力に気付いた男性もいるようで、チラチラと彼女に視線をやったり、自分に紹介の番が回ってこないかと待機している者すらいるではないか。


「ヘレナ嬢の春は近そうですね」

「夫人もこれで安心だろう。俺はいい仕事をした!」


 ハロルドが得意気にしている。

 一仕事やり終えたとでも言いたげではないか。


「たまには俺の貞操観念の無さも役に立つだろう?」

「無くて役に立つとはこれいかに」

「ごもっとも」


 そんな会話をしていれば、一人の年若い子息がハロルドに気付き、慌てて顔を俯かせるとそそくさと去っていった。そのうえ、警備に立っていた騎士までもがーー言わずもがな先日詰め所にいた騎士であるーー露骨に顔を背けだす。

 彼等の胸中は複雑だろう。だがこれも社交界の秩序のためかとイチカは見ないふりをしておいた。




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