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13:魔剣士改めマッサージ師3



 ベッドの上でぐんにゃりと眠るハロルドを見て、クリストフがなるほどと頷いた。

 次いで彼はハロルドに近付くと、ペチペチとその頬を叩きだす。

 だが叩くと言っても強くではない。現にハロルドは痛みに呻く様子も起きる様子もなく、くすぐったそうにムニャムニャと唸るだけだ。

 これならば先程イチカが揺すっていた時の方が強い。


「ハロルド、起きなさい。ほらイチカが困っているだろ」

「……ん、誰? 男? 女? 名乗って俺が分かる人……?」

「だからお前は、名前の分からない人を連れ込むなといつも……いや、今はその話はいい。私だ、クリストフだ」


 ペチペチと頬を叩きながらクリストフがハロルドを起こす。

 だがハロルドはいまだ起きることなく、紫色の瞳をうっすらと開いて兄を確認するだけだ。

 それも「兄さん……」と小さく呟き、すぐさま瞳を閉じて夢の中に戻ってしまった。


「駄目だな、熟睡してる」

「私がマッサージ師として優れていたばっかりに……!」

「マッサージ師? イチカ、なんでそんなことに」

「ハロルド様が」

「そうか、すまない。本当に申し訳ない。なんでも言ってくれ、バーキロット家は全面的にイチカの味方だ」

「反射的にも程があります」


 一瞬にしてクリストフが謝罪してくる。

 根強い……とイチカが心の中で呟いた。兄のように慕っている人物のこんな姿は見ていられない。


「今回ハロルド様は無罪寄りですよ。それに私がマッサージ師になったのはロクステン様の後押しもありますし」

「父上? そうか、父上はハロルドに甘いからな」


 参ったと言いたげにクリストフがぼやく。

 次いで彼は再びハロルドを起こしにかかった。「起きなさい」と優しい声で呼び、ペチペチを軽く頬を叩きながら……。

 そんなクリストフを見つめ、イチカが瞳を細めた。

 確かにクリストフの言う通りロクステンはハロルドに甘い。散々ハロルドのビッチな行動――イチカはたまに彼の行動をビッチ活動、略してビッ活と呼んでいる――に怒りの声をあげてはいるが、いつも最後には許してしまうのだ。

 ハロルドが今日までビッ活に励んできたのも、ロクステンの甘さが原因の一つである。

 ……ただ、


「ハロルド、イチカにマッサージしてもらっているんだろ。起きないと失礼だぞ」

「……ぐぅ」

「仕方ないな。ほら手伝ってやるから、私の腕を掴みなさい。せーので引っ張るからな、痛かったらすぐに言うんだぞ」


 ……甘いのはロクステンだけではない。

 クリストフもだ。というかバーキロット家全体である。


 だがこれには理由がある。

 ハロルドは日々ビッ活に励んでいても、魔力量の高さと技術、それに『既婚妻子恋人持ちには手を出さない』という信念から問題事までは起こしていない。――彼の存在が既にバーキロット家の問題というのはさておき――

 それに確かに問題児だが、彼の魔力と研究成果は他者より抜きんでている。むしろ他者など比べものにならない状態で、転移してきた際に破格の魔力量を付与されたイチカに並ぶ程である。知能も同様、これに関してはイチカより優れている。

 つまり世界トップの才能と知性を持ち合わせており、バーキロット家の繁栄に誰より貢献しているのは彼である。いや、バーキロット家どころか国、むしろ世界規模の貢献と言えるだろう。


 兄に支えられて引っ繰り返されている姿には、そんな要素の欠片も見られないが。


「イチカ、これで平気か?」

「はい、ありがとうございます」

「いやこっちの方こそ、父上とハロルドが無理を言ってすまない」


 クリストフが申し訳なさそうに詫びてくる。だが詫びつつも「続きをよろしく」と頼んでくるあたり、やはり彼もハロルドに甘い一人なのだ。そもそも本当に申し訳ないと思っているのであれば、ハロルドを引っ繰り返すことなく回収しているはずである。

 だがイチカもマッサージの途中で回収されるのは気分が悪い。始めたのならば最後まで解さねばならないと、こんな凝り固まった体を前に施術を止めるなど許されない、そう己の中のマッサージ魂が燃える。


 そんなマッサージ魂をたぎらせ、施術を再開させる。

 仰向けになったハロルドの首筋に手をやり、親指の腹に魔力を込めてゆっくりと解せば、寝息を漏らしていたハロルドが深く息を吐いた。


「あっ……んぅ……」

「やだこの人、寝ながらも変な声出してくる」


 うんざりしちゃう、とボヤキながらもイチカがマッサージを続ける。

 首筋を終え、今度はハロルドの顔へと手を伸ばした。肩や腰回りにばかり意識がいきがちだが、表情筋も凝る。とりわけハロルドは研究に熱中していたというのだから、数字と睨めっこでは目の周りは相当疲労が溜まっているだろう。

 むにむにと頬を揉めば、なぜかそれに合わせてハロルドがむにゃむにゃと唸る。


「眼精疲労は特に凄そうですね」

「あ、イチカ。目元は気を付けて」

「大丈夫ですよ。目元は慎重にって習いましたから」


 任せてください、とクリストフに宣言しつつ、イチカが指先をハロルドの目元に寄せる。

 目元なだけあり慎重に行わなければならない、そうマッサージ師に教わったことを思い出しつつ、触れた指先に魔力を込めた瞬間……、


 パリッ!


 と、何かが弾けたような音が響いた。

 それとほぼ同時に指先に静電気のような痺れが走り、反射的にイチカが声をあげて手を引いた。

 何かが指先に走った。いや、指先で何かが割れたというべきか?

 だが指先を見ても跡は無く、ハロルドを見てもむにゃむにゃと寝言を言うだけだ。痛がっている様子も、目元を気にしている様子さえない。


「何だったんだろう……。クリストフ様は大丈夫でしたか?」

「…………」

「クリストフ様?」


 イチカが話しかけるも、クリストフはじっとハロルドを見つめている。

 その瞳は父親に似て優しさを感じさせるもの……なのだが、今だけはぎらつくような色合いを見せているのは気のせいだろうか。心なしか呼吸も荒く、胸元が小刻みに上下している。何かを耐えているかのような、息苦しそうな表情だ。


「……クリストフ様、どうなさいました?」


 イチカが案じるように声をかけ、彼の腕に触れる。

 それで我に返ったのか、クリストフが息を呑んだ。表情が普段の彼のものに戻る。


「大丈夫ですか? 何かありました?」

「あ、あぁ……すまない。大丈夫だ。私はもう失礼するよ」

「はい、お手伝い頂きありがとうございました」


 クリストフが部屋から出て行く。

 その背が少し焦っているように見え、イチカが首を傾げた。

 もしかしたら何か用事があり、急いでいたのだろうか。そうだとしたら呼び止めて手伝いをさせてしまい、申し訳ないことをした。


「後で謝っておこうかな。でも元を正せばこの人(ハロルド)のせいだし……」

「……ぐぅ」

「暢気なもので」


 ハロルドは相変わらず熟睡している。

 そもそもハロルドにマッサージ師になるよう任命され、ロクステンによってマッサージを学ばされたのだ。そして熟睡するハロルドを引っ繰り返すためにクリストフの手を借りた……。


 これはバーキロット家連帯責任としよう。よってクリストフへの謝罪は必要無し。


 そうイチカが決断を下し、改めてハロルドの目元に触れた。

 紫色の瞳が今は閉じられ、長い睫毛が目元に影を落としている。薄く開かれた形の良い唇からは深い呼吸が漏れている。

 無防備なその姿を見ていると、手を出してしまうマッサージ師の気持ちが分からなくもない。


「ハロルド様、大人しく黙っていれば良い男なんだけどなぁ。あくまで大人しく黙って、清らかな精神で……それもうハロルド様じゃないや」

「……ぐぅぐぅぐぅ」

「文句言ってる?」


 不満を訴えるようなハロルドの鼾に、もしやとイチカが改めてハロルドの顔を覗き込む。

 試しにと頬を突いてみても再び「ぐぅ」と鼾があがるだけだ。……寝ている、はずである。

 だがこれ以上言うとぐぅぐぅ文句を言われかねない、そう考え、再びハロルドの目元の凝りを解しにかかった。


 目元や表情筋を解し、体を解し、次は手を揉む。

 掌をぐにぐにと押し、指先まで気が流れるように指を一本ずつ軽く引いて揺らす。

 そんな中、イチカが冗談で「お客さん凝ってますねぇ」と話しかけた。無言でマッサージを続けるのに飽きてきたのだ。次回があるなら――確実にあるだろう――音楽でも流そうか。


「……ぐぅ」

「凄い凝りですよ。お客さん、お仕事ですか?」

「……ぐぅ」

「お仕事大変ですねぇ。いったいどんな仕事なんですか?」

「……魔力、の、研究…………」


 ハロルドの返事に、イチカがおやと彼の顔を覗き混んだ。

 引っ繰り返されたうえに話しかけられ意識が戻ってきたのか、ハロルドが寝息交じりに応えてくる。見れば紫色の瞳がうっすら開かれている。

 だが視線はどこを見るでもなく、うつろいではまた閉じられ、話しかけると薄く開き……。と、意識は夢半ば、むしろ夢八割といったところだろう。

 それでも話し相手になってくれるならと、イチカは彼の手を揉みながら話を続けた。


「そういえば徹夜で研究って言ってましたね」

「……熱が入って……。良い生き血が、手に、入ったから……」

「生き血って言わないでください」


 ハロルドの言う生き血とは、間違いなく自分とラウルの血の事だろう。確かに以前に二人揃って取られた。思い返せば、あれ以降ハロルドのビッ活は――あくまでハロルド基準で――控えめになり、毎朝楽しそうに研究所に通っていた。

 それほどまでに自分の血は魅力的なのか、とイチカがどことなく自分の体を見下ろす。


 実感は湧かないが、きっと貴重なのだろう。研究者からしてみれば、片や魔法と剣技の才を併せ持つ者、片やどちらも持たぬ者、この世界においては二人といない存在の血だ。

 取られるまでの過程を考えると複雑だが、しばらく経つ今も大事に研究してくれているのなら気分が良い……わけがない。やはり生き血呼びは複雑だ。


「それで、その生き血で何を研究してるんですか」

「……魔法、の、抵抗と……魅了(チャーム)の……」

魅了(チャーム)?」


 聞きなれない言葉に、イチカがオウム返しでハロルドの顔を覗き込む。

 だが彼からの返事は無く、移ろいでいた意識を完全に手放したのか、穏やかな寝息をたてている。瞳も閉じており、試しにイチカが「ハロルド様、魅了って何ですか?」と尋ねてみても無反応だ。


「今度時間がある時に聞いてみようかな」


 そうイチカは溜息交じりに呟き、マッサージを再開した。





「体が軽い!」


 とハロルドが嬉しそうに話すのは、マッサージの翌日。

 あの後ハロルドをマッサージし続け、熟睡する彼に布団を掛けてやって一日が終わった。どうやら徹夜がこたえていたようで、彼は翌朝まで眠り続けていたのだ。

 そうして起きてきて、自分の体がいかに軽いかを感謝の言葉と共に告げてきた。

 あれよという間にマッサージ師にされたイチカだが、こうやって素直に感謝されると気分も良くなる。


「今の俺の体はなにより軽い」

「ご自分の貞操観念より?」

「……同じくらいかな。いや、待てよ」

「真剣に考えないでください」


 呆れた、とイチカが溜息を吐く。

 だが次の瞬間に目を瞬かせたのは、先程まで体が軽いと喜んでいたハロルドがいつの間にか真剣な表情をしていたからだ。

 紫色の瞳がじっと見つめてくる。彼の手がすっと伸ばされ、イチカの頬に触れた。


「……ハロルド様?」

「体の礼は体で返させてもらおうか。お前が俺に尽くしてくれたベッドで、今度は俺が尽くしてやる」


 ハロルドが妖艶に笑って誘ってくる。彼の指先が頬を滑り、イチカの首筋を撫でる。

 そんな妖艶な誘いに、イチカはじっと彼を見据え……、


「私これからフェイスマッサージの講習があるんです」


 と、はっきりと断った。


「フェイスマッサージの講習」

「はい。その後はアロマオイルの講習と、オイルの業者が来るので紹介してもらう予定です」

「……そうか」

「明日はフットマッサージと、あと夕方からは講演会があります」


 忙しいとイチカが取り出したスケジュール帳を見ながらあれこれと話す。

 講習と講演会、必要な材料の買い付け……と、スケジュール帳はびっしりと埋まっている。だがこれでも足りないくらいだ。


「では、講習があるので失礼します」

「……お、おう。頑張って」

「はい!」


 半ば唖然としたハロルドの言葉に、イチカが威勢よく返す。

 そうして颯爽と歩き出す。その足取りは騎士のものではなく、立派なマッサージ師のものだ。マッサージ師魂が燃えあがっている。




 そんなイチカの背を見届け、ハロルドが「まずいな」と呟いた。

 イチカは魔剣士。この世界に二人と居ない、魔法と剣技を扱う者。それも、魔力は自分、剣技は騎士隊長ゴルダナ、今まで国一番と言われていた二人に並ぶほどなのだ。

 それをマッサージ師に転職させた……となれば、これは国規模の損失。いや、世界規模か。――もちろんマッサージ師を軽んじているわけではないが、それほどまでに魔剣士は特別な存在なのだ――


 さすがにこれは怒られるどころではない。

 そうハロルドが考えていると、


「イチカ! マッサージ師ってどういうことだ!」

「なに考えてるんだ、さすがにこれは許可出来ないぞ!」


 とバーキロット家の通路に怒声が響いた。

 見ればゴルダナとラウルがこちらに歩いてくる。彼等が何に対して声をあげているのか、そしてゴルダナの手にある『退職届』が何なのか……。

 それらを一瞬にして察し、ハロルドが慌てて彼等から逃げるように足早に歩き出した。





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