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12:魔剣士改めマッサージ師2


 マッサージ師任命から一時間後、イチカは一軒の店の前にいた。

 隣にはブランカ。彼女はやる気に満ちた表情で「さぁ参りましょう」とイチカを促してくる。

 ちなみに、今イチカ達が目の前にしているのは国一番のマッサージ屋。ブランカはお供兼マッサージの実験体、なぜかやる気に満ちている。


 思い返せば、ブランカもだがロクステンも乗り気だった気がする。むしろ一級の店で学ぶべきだと言い出し、馬車の手配をし出したのは彼だった。

 そのうえ、イチカの手元にはロクステンがしたためた紹介状がある。バーキロット家の封蝋も施されており、これを無下に出来る店はこの国には無いだろう。


「ここまで来た、というよりは来させられたんだけど、文句を言っても仕方ないし立派なマッサージ師になろうかな。ブランカ、よろしくね」

「かしこまりました。バーキロット家のメイドとして、立派にマッサージされてみせます」


 決意を宿した口調でブランカが告げ、恭しく頭を下げる。メイドとしてマッサージをされるとはなんともおかしな話ではないか。もちろん冗談であり、これには思わずイチカも笑ってしまう。

 マッサージ師になれるかどうかは定かではないか、彼女と一緒ならば楽しく過ごせそうだ。


「でもゴルダナ隊長に『ブランカのマッサージをしました』って言ったら、変なテンションで握手されそう……」

「イチカ様、なにか仰いましたか?」

「なんでもない。行こう」


 尊敬する騎士隊長が童貞オーラ満載で握手を求めてくる……なんとも寒気を覚える光景ではないか。

 これ以上は考えるまいとイチカはふると首を横にふって想像を消し、ブランカと共に店へと入っていった。




「血液の流れ、筋肉の動き、体中の気の巡り。魔力を使ってそれらの滞りを探ります。見つけたら全体のバランスを考え、内から少しずつ解してく。イチカ様、どうですか?」

「とけそう」

「マッサージは魔力が高ければいいわけではないんです。体への知識、凝りを探す細かさ、力任せに凝りをほぐすのではなく内から少しずつ和らげていく加減。魔力量よりもそういったものが必要となります。どうでしょう、イチカ様」

「とけそう」

「一部を解しても体全体の凝りが無くならなければ意味がありません。体全てを一として考え、全てが均等に流れていくようにするんです。イチカ様、ご理解頂けました?」

「とけそ……むしろとけた」


 はふぅ、とイチカの口からだらしない吐息が漏れる。

 最初こそ初体験のマッサージに緊張していたが、今はぐでんと四肢を投げ出し、マッサージ師にされるがまま揉まれるがままである。返事も微睡んでおり、吐息交じりだ。

 だが仕方あるまい。なにせそれほどまでに心地好い。

 体が徐々に解され、やわらかくなっていくのが分かる。指圧や鍼灸と違い圧迫感や刺激は一切なく、体の内側から滲むように凝りが蕩けていく。

 軟体動物になる……とイチカが思わず呟いた。もしかしたら既になっているかもしれない。


「ブランカ、私とけてない? ちゃんと人の形とれてる? ……はふぅ」

「大丈夫ですよイチカ様。まだ人の形です」

「よかった……はふぅ」


 そんな冗談を交わしつつマッサージされる。

 マッサージ師は施術中にもコツやポイントを話してくれているが、果たして軟体動物手前の自分はどれだけ記憶出来るか……。そうイチカがぐんにゃりしつつ顔を上げれば、せっせとメモを取るブランカが見えた。

 目が合えば、彼女は「お任せください」と言わんばかりの真剣な表情で頷いてくる。なんて気の利くメイドだろうか。


 そうしてイチカがぐんにゃりと融かされ、続いて実技に移る。

「よろしくね」と声を掛ければ、ブランカがメモ帳を渡すと共に腕まくりをしてみせた。マッサージされる気満々で、ベッドに俯せになる姿からも気合が溢れている。

 この気合満々のブランカをぐんにゃり溶かすのだ。ここまで来たなら技術を習得せねば、そう考えてイチカも気合い十分に腕まくりをした。




「おかえりイチカ! いや、俺のマッサージ師!」


 そうハロルドに出迎えられたのは、イチカがぐんにゃりと融け、そしてブランカをぐんにゃりと融かしてからしばらく。バーキロット家に戻ってきたのだ。

 出迎えたハロルドの瞳はこれでもかと輝いており、お疲れご苦労様とイチカとブランカを労ってくる。


「それで、早速で悪いんだが」

「えぇ構いませんよ。そもそもそのために行ってきたわけですし」

「そうか! よし! それじゃベッドに行こう!」


 ハロルドの紫色の瞳がより輝く。『ベッドに行こう』等と普段の彼ならばもっと蠱惑的な口調で言いそうなものだが、今はまるで遊び場に向かう子供のようではないか。色気の欠片も無く、ただ純粋に待ち望んでいたのが分かる。

 そのうえ仕事に戻ろうとするブランカに今日はもう休んでいいと告げる、誰が見ても分かるほどに上機嫌だ。


「ではお言葉に甘えて私はこれで……。このままお風呂に入ったら、お湯に溶けてしまいそう。排水溝で耐えますので、助けに来てくださいね」


 冗談めかしてブランカが去っていく。それをイチカは軽く手を振り、ハロルドは「それ程なのか!」と更に期待を高まらせて見送った。



 

「自分で言いだしたものの、俺は思った以上に期待してる」

「そうですか。それなら期待に応えられるように頑張りますね」

「こんなに期待したのは、中の下だろうと思ってた男が脱いだら腹筋バッキバキで全身ガチガチに仕上がってた時以来だな。あの裸体は凄かった。特になにがそれで、もう見て分かるほどにワーオだった」

「隙あらば下品な話に持っていくのやめません?」

「ちなみに一昨日の話だ」

「直近すぎる」


 下世話な、とイチカがうつ伏せになるハロルドの背中を軽く叩く。

 だが他でもないハロルドが軽く叩かれた程度で己を省みるわけがない。むしろ開始の合図と取ったのか「よろしくー」と気の抜けた声をあげた。

 好き勝手言ってこの態度とイチカが呆れつつ、それでもとハロルドの背中に手を沿わせ……、


「ワーオ」


 と思わず声を漏らした。

 バッキバキでガチカチなのだ。

 ……もちろん、凝りが。


「ハロルド様、これは凄いですね……」

「だろう、正直に言えば、うつぶせになってる今も気持ちが悪いからな!」

「そんな堂々と仰らないでください」


 凝りを訴える割には元気ではないか。だがハロルドの全身は想像していた以上に凝り固まっている。

 定番の肩や腰回り。足に腕。はてには手のひらまでガチガチである。体の巡りの滞りを探すどころではない。

 これは相当辛かっただろう。だがマッサージを頼めば別の展開になってしまう……。それを考えると若干の憐れみが湧き、イチカは手のひらに魔力を貯めるとそっとハロルドの背中を撫でた。



 そうしてマッサージを開始してしばらく。


「んっ……ふぅ…………あっ……!」


 と、艶めかしい声が室内に響いていた。

 声の主はいわずもがなハロルド。呼吸の合間に漏れたその声は掠れており、時折は苦しそうに、時折は心地よさそうに、声を上げ続けている。

 そのうえ時にはびくりと体を震わせるのだ。その瞬間の「んぅ……!」というくぐもった声は欲情的としか言えない。声だけ聞けば事の最中と取られても仕方ないほどだ。


 マッサージ中なのだが。


「ハロルド様、その声やめてください」

「そんなこと、言ったって……あっ……気持ち、よくて……!」

「マッサージ師に誘われるのって、八割それが原因じゃないですか?」

「そりゃ俺だって、我慢できるなら……。あぁそこ、だめ、声が出ちゃう……!」


 冗談なのか本気なのか、ハロルドがまたも声をあげる。吐息交じりの鼻にかかった声は甘く、これがイチカでなければ色香に負けてつい手を出していただろう。むしろ誘っていると考えられても仕方ない。

 その挙げ句にハロルドはマッサージを受けられず、より体中が凝り固まる……。これはある意味で自業自得ではなかろうか。いや、本人が無自覚というのなら悲しき魔性と言うべきか。

 だが何にせよハロルドが声をあげようとイチカは彼に手を出す気も出される気もおきず、習いたてのマッサージ技術を披露するだけだと己に言い聞かせた。



 それから更に一時間後……。


「……ぐぅ」


 と、今度は鼾が室内に響いていた。

 先程まで艶めかしく声をあげていたハロルドが眠ったのだ。それはもうぐっすりと、だらんと力の抜けた腕がベッドから落ちている。


「この人、三大欲求に素直すぎじゃないかな」


 そう呟きつつ、肩の凝りをほぐしてやる。

 だが次の手順に……となったところで、イチカが「しまった」と呟いた。次は仰向けになり、体の前面から肩周りの凝りをほぐすのだ。

 本来であれば仰向けになるように指示をすれば良いのだが、今のハロルドは熟睡状態。試しにと声をかけても返事はなく、鼾だけが返ってくる。揺すっても同様。


「ハロルド様、起きて仰向けになってください」

「……ぐぅ」

「参ったなぁ」


 どうしたものかとイチカが己の頭を掻いた。

 だが仮にもイチカは魔剣士として騎士隊に属しており、そのうえ転移してきたときにあれこれと能力が付与されている。寝ているハロルドを引っ繰り返すのは造作ない。

 問題は力加減だ。元より細かい加減が苦手で、そのうえ今はマッサージのために力をかなり抑えていた。

 対してハロルドは身長も高くしなやかながら鍛えており、貞操観念はふわふわだか体重はきちんと成人男性。それを引っ繰り返すとなればそこそこ力を出さなければならない。


 つまり、抑えすぎていたため、反動で力が出すぎるかもしれないのだ。

 下手すると、引っ繰り返すどころか吹っ飛ばしかねない。


「いくらハロルド様とはいえ、マッサージされてただけで吹っ飛ばされる……っていうのは可哀想だよなぁ」

「……ぐぅ」

「仕方ない。誰かに手伝ってもらおう」


 誰か手頃な人は……と、イチカが部屋を出る。

 そうして周囲を見回し、こちらに向かってくる人物を見つけてその名を呼んだ。


「クリストフ様」

「おやイチカ、どうしたんだ?」


 穏やかな声色でクリストフがこちらに歩いてくる。

 彼はバーキロット家の長男、つまりハロルドの兄。父ロクステンに似て才知があり温厚で、見目も良い。穏やかで頼りがいのある兄といった風貌だ。

 家族思いで、イチカの事もまるで妹のように可愛がってくれる。


「クリストフ様、申し訳ないんですが手伝ってもらって良いですか?」

「手伝い? あぁ、構わないが何をするんだ?」

「ハロルド様を」

「そうか、すまない。申し訳ない。バーキロット家を代表して謝らせてくれ。本当に心からすまないと思っている」


 ハロルドの名前を聞くや、反射的にクリストフが謝罪の言葉を口にしてくる。

 彼はバーキロット家の嫡男、普段であればどのような場面でも誰を相手にしても、常に冷静沈着で名家嫡男の余裕を感じさせる男だ。本来であれば、格下の家の少女相手にこのような態度を取るわけがない。

 ……それほどまでに、ハロルドが問題児というわけだ。

 だがさすがに今回のハロルドは無罪なので、別に彼が何かしでかしたわけではないとクリストフを宥めた。


「それなら何を手伝うんだ?」

「ハロルド様をとかしてたら寝てしまったので、ちょっと引っ繰り返してほしいんです」

「とかす? 引っ繰り返す?」


 どういう事だ? と不思議そうにクリストフが首を傾げ……、


「とりあえず引っ繰り返さなきゃいけない事態なんだな、本当に申し訳ない」


 と改めるように謝罪をしてきた。

 平身低頭にも程がある。これにはイチカも宥める気にならず肩を竦め、ひとまず付いてきてくれと室内へと彼を促した。




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