11:魔剣士改めマッサージ師1
訓練や予定の無い休日、イチカの朝は遅い。昼直前までぐっすりと眠り、殆どの者が活動している時間帯にもぞもぞと起き出す。
元いた世界であったなら怠慢とでも言われかねない。いや、この世界でだって昼前まで眠っていれば「寝坊助」ぐらいは言われてしまうかもしれない。
だがここバーキロット家において、イチカは救世主である。
いや、世界を救ったのでこの世界においても救世主なのだが、バーキロット家においては別件の方が強い。
ゆえに誰もイチカの生活態度を咎めることはせず、朝食とも昼食とも言えない微妙な食事をしていても誰も何も言わない。それどころかロクステンが通りかかり、「おはよう」と穏やかに挨拶してきた。
「おはようございます、ロクステン様」
「今食事か。隣に座っても?」
「えぇ、勿論です」
どうやら仕事の合間の小休止らしく、ロクステンがイチカの向かいに座るとメイドに紅茶の手配を命じた。
次いでようやく落ち着いたと言いたげに一息吐く。聞けば朝食中に来客があり、それの対応が終わるとバーキロット家当主としての仕事をし、その最中にも屋敷の対応……と、朝から今まで慌しく過ごしていたという。
恰幅の良い体躯と穏やかさが印象的なロクステンだが、その正体は国一番、それどころか世界に名だたる名家の長なのだ。多忙なのは当然。
それをイチカが労えば、ロクステンが溜息を吐き……次いで表情を渋くさせた。先程の己の多忙さを語っていたときよりも重々しい。
「イチカ、今朝ハロルドの姿は見たか? 起きた時隣にいたか? 大人しくベッドで寝ていたか? ……大人しく何もせずベッドで寝ていたと言ってくれ」
「何度聞いてもお労しい……。ですが残念ながら、私が起きた時に隣にハロルド様の姿はありませんでした」
「あいつめ、夜中に抜け出したか」
「というか、昨夜寝る時もいませんでしたよ」
「外泊か!」
ロクステンの怒りが増していく。
いい年をした息子の外泊を怒るとは過保護すぎ……等とは思うまい。仮にこれが彼の他の子息達であれば、「若い内に遊んだ方が良い」と笑って済ましただろう。
ロクステンは自分の息子を――約一名を除いて――信じ、そして若者の遊びを受け入れる寛大さを持ち合わせているのだ。
……あくまで、ハロルド以外だったなら、の話。
なにせ相手はあのハロルド。
男も女も抱かれて抱いて、節操無しの節度無し。貞操観念はケセランパセランよりふわふわしている。
イチカは婚約者ではあるものの、彼のお気楽ハッピービッチライフを止められずにいる。――というより止めるための婚約であり、そしてイチカの肩に掛かっているからこそ救世主扱いなのだ――
「ハロルドめ、今頃どこの馬の骨とも分からんものと……」
「はたしてどこの馬の骨とも分からない男なのか、女なのか……。もしくは骨どころか馬そのものか……」
「さすがに俺も馬は無理だからな」
割って入ってきた声に、イチカとロクステンが揃えて部屋の扉へと向く。
そこに居たのは……ハロルドだ。
銀色の髪を掻き上げてふわと欠伸を漏らす姿は様になっている。
いや、この男が様にならない時などない。
なにせ眠そうな表情で近付いても、「おはようイチカ、おはよう父さん」と間延びした挨拶をしても、メイドに紅茶を頼んでも、そしてグデンとテーブルに突っ伏しても恰好良いのだ。所作の一つ一つが魅力に溢れている。
仮にここにイチカとハロルド以外の者が居れば、無防備に突っ伏すハロルドの姿に欲情し、うっかりと手を出していたかもしれない。
「ハロルド様、昨夜はどこの馬舎に居たんですか?」
「人聞きの悪い。研究所だ、研究所で一晩……」
話の最中にハロルドがふわと欠伸を漏らす。
どうやら相当眠いようで、話すために顔を上げてはいるがそれもふらふらと定まっていない。瞬きの間隔も長く、これは十秒目をつぶれば眠ってしまうだろう。
「昨日は熱が入って、一晩中……ふわ」
「一晩中だと? ハロルド、まだ日も高い内から下世話な話をするんじゃない」
「一晩中! 研究所で! 研究してた! ……あぁもう、疲れさせないでくれよ父さん。もう俺くたくたで、特に腰なんか」
「腰? ハロルド、食事の場で下世話な話をするんじゃない」
「研究所で! 研究してて! 座りっぱなしで腰が痛いだけ! この場で一番下世話なのは父さんだろ!」
心外だとハロルドが喚く。だが喚いたことで余力を使い切ってしまったのか、グデンと再びテーブルに突っ伏してしまった。思わずイチカとロクステンが顔を見合わせる。
どうやらかなり疲労しているようだ。
流石にこれ以上は不貞疑惑をかけるまいと考えたのか、ロクステンが案じるように息子の名を呼ぶ。労う言葉は優しい父親の声色だ。イチカもハロルドを労い、運ばれてきた彼の紅茶にそっとデザートのマフィンを添えてやる。
ハロルドは性格性癖その他もろもろ困った男だが、魔力研究に関しては誰よりも熱心に取り組んでいる。その功績も、国内どころか世界中において彼より勝る者はいない。
その点に関しては労うべきである。ロクステンの手がハロルドの肩を揉む。……が、すぐさま「酷いな」と眉をしかめてしまったのは、素人でも分かる肩凝りだからだろう。
「肩凝りって魔法で治せないんですか?」
「多少は治せるが、限度がある」
呻くような声色のハロルド曰く、肩凝りは外傷と違い体の内部、それも損傷とは違う癖の強いもの。ゆえに魔法で治すには限度があり、相応の技術が必要だという。
魔法なら何でも出来るわけではないのだ。なるほどとイチカが納得し、試しにと己の肩を撫でた。
騎士隊で日々訓練しているおかげか肩凝り腰痛はここ数年まったく無縁だった。というか、長く机に向かった記憶が無い。
「それならマッサージを呼んだらどうですか?」
「マッサージか……。どうするハロルド、呼ぶか?」
ロクステンがどことなく渋るような声色でハロルドに問いかける。それに対してハロルドの返事は、テーブルに突っ伏したままの「お断りぃ」というものだった。
これにはイチカも首を傾げてしまう。
肩や腰が凝っているのならマッサージをするべきだ。それが技術の要する者というなら該当する人に頼めばいい。
とりわけ国一番のバーキロット家となれば、一級の施術者を呼べるだろう。
ちゃちゃっとやってもらって、スッキリして、ぐっすり眠って徹夜の疲労を癒す。これで万事解決ではないか。
そうイチカが提案するも、ハロルドは相変わらず唸るような声で「そう上手くいくもんか……」と否定してきた。どういうわけか、ロクステンの表情がより渋くなっていく。
「どうして駄目なんですか?」
「よく聞けイチカ、俺は今まで何度も、何人も、マッサージを頼んできた。ベッドに案内され、うつぶせになり、施術が始まり……」
勿体ぶるようなハロルドの話に、イチカが紅茶片手に頷くことで相槌を返す。
『ベッドに案内され、うつぶせになり、施術が始まる』とは、わざわざ言う程のものでもない、至ってオーソドックスなマッサージの流れではないか。
こちらの世界のマッサージは未体験だが、どうやら日本のマッサージとそう大差ないらしい。まずは体全体の凝りを調べるという、そこもまたマッサージの定番だ。
そうイチカが考えるも、ハロルドが重苦しい口調で「施術から五分後……」と呟いた。
「五分後、マッサージ師の手が俺の腰を撫で始める」
「……それは」
「明らかにマッサージとは違う手つきで腰を撫で、太ももを触り、ズボンに手をかけ……」
「ハロルド、そこまでにしておきなさい」
ロクステンのストップが掛かり、ハロルドが話を止める。
ここまで分かれば十分だ。というよりこれ以上の生々しい話はイチカとしても聞きたくない。まだ日も高いし、いや、日が落ちても聞きたくないが。
「でもそれなら断れば良いじゃないですか」
「バーキロット家からの依頼を棒に振ってでも俺に手を出そうとする、その心意気を買わずにはいられない。というか断ると相手が職務放棄したってことで職を奪うことになりそうで怖い」
「ハロルド様って変なところで義理堅いですよね。それならお誘いは断って、マッサージだけしてもらえば良いじゃないですか」
「お誘い断った相手と数時間二人きりで耐えられるか? 体の凝りは解れても心がギスギスだ!」
「なるほど確かに」
納得したとイチカが頷く。
確かにハロルドの言う通り、マッサージ師がマッサージをしないのは職務放棄。それもよりにもよってお誘い……となれば職務放棄どころではない。相手がハロルド以外だったら大問題だ。
いや、ハロルド相手とは言えバーキロット家の依頼なのだ、後々の仕事に影響を与えかねない。
かといってお誘いを断って施術……というのも、相当気まずい空気が漂うのだろう。生憎とイチカはマッサージ師に誘われたこともないので分からないが、想像だけでも息苦しさは分かる。
そうした結果、ハロルドはマッサージ師のお誘いを受け入れているわけだ。
凝りは一向に解れることなく。むしろハロルド曰く「マッサージ用のベッドって狭くて、抱こうが抱かれようが腰が痛くなる」らしい。マッサージを受けるはずが腰を痛める、本末転倒としか言いようがない。
「全ては俺が恰好良くて麗しくて色気があって蠱惑的でそれでいて愛らしくて男女ともに放っておけない色男なのが悪い……」
「はいはい、そうですね。それなら今日は大人しく寝たらどうですか? もちろん睡眠という意味ですけど」
「でもなぁ、凝りが酷くて横になっても気持ち悪いんだ。どっかに俺に手を出さないマッサージ師いないかなぁ……。いや、待てよ」
テーブルに突っ伏しぼやいていたハロルドが顔を上げる。次いで彼は真っすぐにイチカを見つめてきた。
紫色の瞳。時に蠱惑的に人を誘い、時に純粋な輝き――もちろん真に純粋なわけが無いが――で相手を見つめるその瞳が、今は名案が浮かんだと言いたげに輝いている。
イチカを見つめたまま。
……いまだハロルドに手を出されたこともない、出したこともない、イチカを見つめたまま。
「俺に手を出さないマッサージ師が居ないなら、俺に手を出さないやつをマッサージ師にすればいいんだ! イチカ、マッサージ師になれ!」
「……私が?」
突然のこのご指名に、イチカが目を丸くさせて己を指差した。
一年以上間があいてしまい申し訳ありません。
更新再開しますので、またお付き合い頂ければ幸いです。




