10:ほうれん草のソテーと陛下2
ガタガタと音をたてて動いた本棚から姿を現したラウルは、そのまま平然と己の机に向かうと椅子に腰かけた。その堂々とした姿と言ったらなく、今の今まで本棚の裏に隠れていたとは思えない。
そのうえ「中は結構快適だった」とまで言って寄越すのだ。これにはイチカも呆れてものも言えないと肩を竦めてしまう。
もちろん、呆れつつも魔法でロクステン達に報告するのも忘れない。きっとまだ彼等はあちこち探し回っているのだろう。そこに魔法で伝書鳩を……ほうれん草色でソテー臭い伝書鳩を飛ばす。一瞬見えた鳩の姿がなかなかに気持ち悪かったが、多分大丈夫だろう。
「陛下、この本棚なんですか?」
「分からん。たまたま見つけて、入ってみたらちょうどロクステン達が来て、これは面白いと思ってあいつらを欺いてた」
「これは面白いで欺かないでくださいよ」
呆れたと言いたげにイチカがラウルに視線をやる。
対してハロルドはと言えば、試しにと本棚の裏に一度入るや本棚を閉め、再び出てきていた。その瞳がキラキラと輝いており「中から覗ける!」と楽しそうに話している。
まったく遊んでいる場合じゃないのに、とイチカが肩を竦めた。……いそいそと本棚の裏に入りながら。
そうして「本当だ、向こうが見える!」「凄いな。これ仕組み調べてうちにも作ろう!」とひとしきり楽しんだ後、話をするために応接用のソファーに腰を掛けた。
さすが国を治める人物の部屋である。ソファーはふかふかで、そのうえ細かな刺繍が施されている。見るからに豪華だ。
「一通り調べたつもりだったが、まだこんな仕掛けがあったなんてなぁ」
そう話しながらラウルが自室をぐるりと見まわす。
曰く、この王宮には隠し通路や隠し扉が多数存在し、とりわけ現在地であるこの部屋は仕掛けが集まっているらしい。
といっても仕掛けを作ったのはラウルではない。この部屋は『かつてこの国を治めていた者』の部屋なのだ。だからこそラウルは仕掛けについては知らず、今もノンビリと部屋を見回しながら、
「殺す前に聞き出しておけばよかった」
と笑っている。爽やかで見目の良い彼の顔に、薄暗い影が差し込む。
なんて性格が悪いのだろうか、そんなことを考えつつも言う気にはならず、イチカが出された紅茶をコクリと飲み込んだ。
酷い話だ等と咎める気はない。いや、咎める権利が無いと言うべきか、なにせ自分も一端を担ったのだから。
そう冷静に己とラウルについて考えていると、彼がパッと表情を変え、それどころか瞳を輝かせて机の上に身を乗り出してきた。
「そういえば聞いたぞ、お前達婚約したんだってな!」
「俺は認めてない!」
ラウルの言葉にハロルドが噛みつくように否定する。
だが否定はしたもののすぐさまソファーに座ってしまったのは、きっといくら否定しようが婚約したことは事実だからだろう。見目の麗しい彼が拗ねたように唇を尖らせ「認めてないのに父さんが」と訴える様は何だか面白いギャップである。
そんなハロルドを横目に、イチカははっきりと「婚約しました」と告げた。それに対してラウルが一度深く頷き……、
「それはおもしろ……いや、たのし……めでたいことだな」
と祝いの言葉を取り繕って口にしてくれた。
「陛下、どうぞ構わず言いたいことを仰ってください」
「ロクステンから聞いたとき大爆笑した」
「もうちょっと控えめに」
「この国にとっても良き縁だと思う」
本音と建て前の落差を感じさせるラウルの発言に、イチカが呆れを隠さずに溜息をついて紅茶を飲む。ハロルドに至ってはもはや話を聞く気にもならないのか、さっさと血液採取の準備に取り掛かってしまった。
国を治める者に対してなんとも無礼極まりない態度ではないか。だがラウル相手ならばこの態度こそ正解か。
真面目な陛下の時ならばまだしも、ラフな時の彼は一枚も二枚も上手で厄介の一言に尽きる。相手をするだけ疲労がたまる。
「べつに陛下を楽しませるために結婚するわけじゃありませんよ」
「そりゃそうだ、結婚っていうのは神聖なものだからな。だからこそイチカとハロルドが……くっ」
「話してる最中に笑わないでください。ハロルド様、予定よりちょっと多めに血を採りましょう」
そうイチカが煽れば、ハロルドもまた同感なのだろう「任せろ」と頷いた。その手には採血針。どうやらこの冷やかしに対し、彼は注射針で対抗するつもりのようだ。
チクッとしてグリグリッとして、グヌとして、ズブっと抜いて、またチクッとさしてグリグリっとする……。先程聞いた不穏な言葉がイチカの脳裏に蘇る。確かにこれは茶化された報復になるだろう。
そんな不穏な空気を察したのか、ラウルがハロルドの手元を見るや頬を引きつらせて彼の名を呼んだ。
「待てハロルド、まさかお前が針を刺すわけじゃないよな」
「大丈夫ですよ陛下、一回ぐらいしか失敗しませんから」
「相変わらず針刺すの下手なんだな。おいだから待て、血が欲しいのは分かったから!」
注射針片手にハロルドがにじり寄れば、ガタと音をたててラウルが椅子から立ち上がって後ずさった。必死なその制止に、それでもハロルドは足を止めず彼に近付く。
なんとも分かりやすい攻防ではないか。イチカが紅茶を堪能しながらそれを見守れば、ハロルドの瞳から本気と取ったかラウルが慌てて助けを求めてきた。
もちろん、これはスルーである。
しれっと聞き流せば、これは不味いと考えたのかラウルが更に数歩後ずさった。
「待てハロルド、お前がやるくらいなら自分で刺す!」
「そんな、陛下にご面倒をおかけするわけにはいきません。さぁ俺が! この『刺す・刺される』両方をこなすオールマイティな俺が!!」
いざ!と言わんばかりにハロルドがラウルに近付く。―-相変わらずさり気無く下ネタを交えてくるが、今この状況では指摘するまいとこれまたイチカは聞き流すことにした--
そうしてあと一歩という瞬間、ラウルが手元にあった資料を手早くクルクルと丸め、
「注射痕だらけになるのは御免だ!」
と声を荒らげると共に、パコン!と小気味よい音でハロルドの頭を叩いた。
二度も採血されたというのにイチカの腕にかさぶたどころか痣一つ無い様に、本来であれば注射痕など残らない。回復魔法を使えば一瞬にして消えてしまうのだ。
ただし、ラウルだけは違う。彼だけは採決後に絆創膏を貼り、しばらく押さえ、そして針の跡がかさぶたになり酷い時には内出血が残ることもある。
何故かと言えば簡単な話、彼には魔法が効かないのだ。
回復に限らず魔法が一切影響せず、当然だが使えもしない。……そして剣技の才能もない。
魔法か剣技か、二極に別れたこの世界において、ラウルだけはそのどちらの才も持ち合わせていないのだ。
召喚の際にどちらも人並み外れた才能を付与されたイチカとは対極的な存在と言えるだろう。
ゆえに貴重な検体としてハロルドが血を欲しがるのだ。いや、ハロルドだけではなく研究所の誰もがラウルの血を欲しがっているだろう。
「でもまぁ、どれだけ血が欲しくても国のトップに『血をください』なんて言えませんよね」
「普通はそうだよな。ほら聞いたかハロルド」
「だって陛下は俺に甘いし」
そうはっきりと本人を前にして答えるハロルドに、ラウルが溜息交じりに「まったくお前は」と呟いた。……腕から管を垂らして呟くだけだ。
血を採られているというのにこれで不問にしてしまうのだから、やっぱり甘い。
ロクステンが聞いたら「ハロルドを甘やかさないでください」とでも言い出すだろう。もちろんそうなった場合、イチカはすかさず手鏡を出してロクステンの前に差し出すつもりだ。
そんな会話を交わしながらラウルの血を抜くこと数十分。
「なんの研究に使おうかな。あの研究を進めるか、新しい研究に手を付けても良いし……」
と、血液の入った容器を手にハロルドがニマニマと笑う。
誰もが見惚れ老若男女問わず虜にする美青年が血を眺めて口角を上げる……そう考えれば何ともゴシックホラーな光景ではないか。元の世界ではこういった、血や注射といった物と麗しい人の組み合わせを好む人が一定数居た。そんな人達が見たら歓喜するに違いない。
もっとも仮にその手合いの人達が今ここに居れば、ほうれん草のソテーを食べるイチカとラウルは部屋から追い出されるだろう。
そんな三人がはたと顔を上げて揃えたように扉を見たのは、ばたばたと慌ただしい足音が聞こえてきたからだ。
その足音が部屋の前で止まり、ゴンゴンと盛大に扉が叩かれる。誰に向けての入室許可かなど確認するまでもなく、部屋の主であるラウルが「入れ」とノック音に答えた。
それを聞くや扉が開き、入ってきたのは当然ロクステン達である。
「陛下! 今までどこに行ってらしたんですか!」
「なんだよずっとここに居たよ。なぁイチカ、ハロルド」
「またどこかに隠れてらしたんですね! どうしてほうれん草を……申し訳ありません、またうちのハロルドですね」
「父さん酷い」
怒りから一転して謝罪するロクステンに、ハロルドが不満を訴える。もちろん、これで彼が懲りることも反省するわけもない。
そんなハロルドの姿にロクステンが溜息をつく。それどころか重苦しい面持ちで額に手を当てるのは、きっとハロルドとラウルの事を考えて頭痛を覚えたのだろう。
なんとも痛々しい姿だ。だが次いで彼は表情を厳しいものに変えた。彼の背後についていた重鎮達も何やら頷きあっている。どうやら彼等も欺かれる一方ではないようで、イチカが興味深いと彼等に視線をやった。
「陛下、残った仕事を片付けていただきます。もう隠れられないよう私がこの部屋に残り、最後まで、きちんと、見届けさせて頂きます」
「げぇ……」
「ハロルド、お前はこの部屋で父さんとゆっくりと話し合おうな」
「うぇ……」
ロクステンの言葉に、ラウルとハロルドが揃えたように情けない声をあげた。
片や監視付きで仕事、片や説教、なるほど確かにこれは彼等も表情を渋くさせる。そのうえ二人には明確な非があるのだから、流石にこれには従うしかあるまい。
ロクステンはハロルドに甘く、ラウルに対しても身分の差があって強く出られない。だがハロルドは迷惑こそかけるも父親を慕っており、ラウルもロクステンに対しては権威を行使し難いのだ。
なんとも面白い関係ではないか……とイチカが三人を眺めていると、ロクステンがふとこちらを向いた。
「イチカは……」
「私ですか?」
私も何か? とイチカが首を傾げた。
仕事を放棄して行方を眩ませたラウルや国の頂点に立つ人物の血を抜いたハロルドと違い、イチカは咎められるような事はしていない。
それどころかラウル発見を魔法の伝書鳩を使って彼等に伝えたのだ。むしろ功績とさえいえるだろう。
だからこそ何を言われるのか分からないと首を傾げれば、ロクステンが深く溜息を着き、
「イチカは、とりあえずほうれん草色の伝書鳩を回収しなさい。メイド達が怖がってたぞ」
と告げてきた。
その瞬間、どこかからメイドの悲鳴が聞こえてきた。




