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1:縁談を持ちかけられる

 

 平凡に暮らしていたはずが突然目映い光に包まれて、気が付けば異世界。それも魔法だの剣だのといった元いた世界からは考えられないこれぞ『異』と言える異世界で、まさに右も左も分からない状態だった。

 そのうえ呼び出した召喚者や国の重鎮達はひとのことを召喚少女だの聖女だのと好き勝手に呼び、何一つ教えてくれないくせに世界を救えと命じてくる。何度「自分達でやってくれ」と出かけた言葉を飲み込んだことか。それでも帰す術はないと非道なことを言われれば保身のために従うほかなく、色々と苦労しつつも世界を救い――あと王位継承争いに首を突っ込んで引っ掻きまわしてほくそ笑んで――平和な生活を手に入れたのが数年前。

 今では世界で唯一の魔剣士として騎士隊の中で生活をしている。

 なんと怒涛の人生だろうか。それでも生活の基盤を築いてなかなか裕福な生活を送っているのだから、この適応力には我ながら恐れ入るものがある。


 そんな雨宮(あまみや)苺花(いちか)改めイチカ・ナルディーニに、とある縁談が舞い込んだ。




「結婚ですか」


 のどかな昼下がりにイチカがポツリと呟けば、向かいに座る男が神妙な面持ちで頷いた。

 彼の名はロクステン・バーキロット。社交界の頂点に君臨するバーキロット家の当主。恰幅の良さとにこやかな表情が親しみやすさを感じさせ、手入れのされた髭が時に威厳を感じさせる。温和で愛嬌があり、それでいて才知に溢れ誰もが自然と彼を敬う、そんな人物だ。

 年は今年で五十。イチカにとって恩人であると同時に父親同然の存在であり、彼もまた娘のように親身に接してくれる。


「イチカ、お前もそろそろ結婚を考える年頃だろう」

「そういえばそうですね。むしろ嫁ぎ損ねと言われる年齢な気もしますけど」


 そう紅茶に口をつけながらイチカが話せば、ロクステンが苦笑と共に肩を竦めた。せっかくオブラートに包んだのに、とでも言いたいのだろう。

 だが事実である。この世界では十三・十四の結婚も珍しくなく、そんな中で「元居た世界ではまだ結婚適齢期だから!」なんて言い張っても痛々しいだけだ。認めよう、嫁ぎ損ねている。

 そう開き直って告げれば、ロクステンがコホンと一つ咳払いをした。イチカの開き直りを自虐と感じて止めさせたいのか、話を改めたいのか、もしくは本題に入りたいのか、何にせよその表情はどこか困惑の色を感じさせる。


「お前がこの世界にきてかなり経つ。魔剣士として国のために務めるのもいいが、そろそろ家庭を持つのも良いと思わないか? ……そこで、だなぁ」


 徐々に歯切れが悪くなるロクステンの言葉に、いったい何を言いたいのかとイチカが首を傾げた。

 なんとも彼らしくない態度だ。特にしきりに髭を撫でるあたりがまさにである。言い難いことがある時や気まずい時、彼は決まってこの癖を見せるのだ。

 直近だとバーキロット家夫人と喧嘩をし仲裁を頼みたいと言ってきた時だろうか。――イチカが必死になって夫人を宥め、その結果夫人の手元で大きな宝石が輝き、細工の細かいネックレスが首元で揺れ、彼女のドレスが数着増えることで幕を閉じたのだが、イチカからしてみればかなり奮闘した末に導いた示談である――

 あれは二度と御免だなぁ……と、懐かしさを覚えつつ考えていると、ロクステンが改めるようにイチカを呼んだ。


「それでだな……イチカさえ良ければ……」


 そう話しつつロクステンが髭を撫でる手を加速させていく。

 抜けそうな程のそのスピードに、よっぽどの事なのだろうとイチカも身構えつつ彼の言葉を待った。


 いったい何を言い出すのか……いや、大方予想はついているけど。

 というよりほぼ間違いないだろう。


 なにより、彼がここまで言い淀みながら縁談を口にすること事態がおかしいのだ。

 信頼が厚く顔の広い彼は仲人を頼まれることが多く、こういった話を持ち出すことは別段珍しい話ではない。むしろ彼に任せれば間違いないと言われるほどなのだ。そしてそんな普段通りの縁談であれば、ロクステンは陽気に、若者の縁に自分が関われることが嬉しいとでも言いたげな程にこやかに話を持ち出す。

 こんなにあからさまに視線を逸らし、髭を高速で撫で付けながらなんて有り得ない。


「ロクステン様、本題を仰ってください」

「そ、そうだな。それで、もしもイチカが良ければ……その、うちの……」

「『三男のハロルドと結婚してくれ』ですか?」


 埒のあかないロクステンの口調に痺れを切らして尋ねれば、返事の代わりに彼が一度深く頷いた。その動きで髭が数本抜けたようだが、今この場で気にするようなことではない。

 なにせ今のイチカには彼を案じてやる余裕もなければ宥める余裕もなく、ただ内心で「やっぱり」と呟いて深く溜息を吐いた。




 バーキロット家には四男二女の計六人子供が居る。

 長男・次男は父の才能を受け継ぎ知性と手腕を発揮し、どちらが後を継いでも安泰と言われている。四男は兄達に比べると少しおっとりとした性格ではあるが、その穏やかさは周囲の人望を集め、父の面影は誰より濃いと皆が微笑みながら話している。

 長女と二女も聡明で美しく、長女は隣国の大家の長男に嫁ぎバーキロット家の繁栄を後押しし、次女はまだ相手を決めてはいないが既に婚約の申し出が後を絶たないと聞く。

 まさに順風満帆、他家が羨むほどバーキロット家の子供達は優れており、そして社交界の頂点に君臨するその栄光は子の代でも揺るぎないものだろうと言われていた。


 ……ただ一点、問題を除いてだが。

 そしてその一点の問題こそ、三男のハロルドである。


 押しつけられたか、と思わずイチカが溜息混じりにロクステンを見れば、それとほぼ同時にコンコンと室内に軽いノック音が響いた。

 ゆっくりと開かれた隙間から顔を覗かせたのはバーキロット家のメイドを務めるブランカ。美しいブロンドの髪を三つ編みに縛り、それがまたシックな色合いのメイド服とよく似合っている。若いながらもバーキロット家で働くだけあり出来た少女で、こちらを見ると深々と頭を下げると共に歓迎の言葉を口にしてくれた。


「旦那様、ハロルド様がお目覚めです」

「そうか。ここに来るよう伝えてくれ」

「はい、ですが……」


 言いかけ、ブランカがふと顔を上げた。

 それと同時に彼女の横から現れたのは、


「首はやめろって言ったのに……。見えないとこの跡消すの面倒なんだよなぁ」


 と己の首元を擦る美丈夫。彼こそまさにバーキロット家の問題児ハロルドであり、室内をくるりと見回すとブランカに対し「俺のベッドにいる男に飯食わせてやって。その後は追い出していいから」と告げると室内に入ってきた。

 ブランカが瞳を細めつつ頭を下げて去っていく。

 その背を見届け、ハロルドが変わるように室内へと入るとソファーに腰を下ろした。おまけにロクステンの紅茶に手を伸ばし、お茶請けのクッキーをサクサクと食べ始める。

 そんな暢気な態度とは対極的に、ロクステンの瞳が死んだ魚のように濁っていく。まぁ、当然と言えば当然か。


「……おはよう、ハロルド」

「ん、おはよう父さん」

「お前のベッドにいる男っていうのは誰かな。父さん知らないな」

「そりゃ昨日の夜に俺が連れ込んだんだから、父さんは知らないだろ」


 しれっと言い切る彼の口調に悪びれる様子はない。

 それどころか「何を当然なことを」とでも言いたげで、ますますロクステンの瞳が濁っていく。

 もはや憐れみさえ感じられそうなその瞳は見ていて辛いものがあり、耐え難いとイチカが視線を逸らすようにハロルドに向き直った。もっとも、父の瞳を濁していることを知っているのか知らずか、当人は相変わらずサクサクとクッキーを食べている。それどころかクッキーを食べ終えると、マフィンにまで手を伸ばす。

 短く切られた銀の髪と紫色の瞳が蠱惑的な魅力を宿し、しなやかでいて鍛えられた体が男でありながら妙な色気を感じさせる。男女問わず白旗を上げるほど美しいと思える男だ。

 そんな彼をジッと見つめていると、ロクステンが盛大に溜息をついた。


「どうした父さん、頭痛いのか?」

「……誰のせいだと思ってる。だがもうそれも終わりだ!」

「終わりって……あ、もしかして俺ついに勘当される?」

「お前みたいなのを野に放つことができるか! イチカ、分かっているなら話は早い!」


 額を押さえて俯いていたロクステンが勢いよく顔を上げ、次いでイチカの手を強く掴んだ。彼らしからぬこの強引さ、そして離すまいとしている握力の強さに、巻き込まれたくないと気配を消していたイチカが頬を引きつらせる。

 しまった、気配を消すなんてことをせずとっとと退室すればよかった……とロクステンに対して恩義を感じて無碍にできなかった己の甘さを悔やむ。


「頼む、ハロルドと結婚してくれ!」


 このとおりだ!と頭を下げるロクステンに、イチカがそれほどまでかと胸を痛めて瞳を細めた。社交界の頂点に君臨し王家とも対等に渡り合える身分の(ロクステン)が、格下の家の女に頭を下げたのだ。その胸中を想像すれば断ることなど出来るわけがない。

 だからこそ深く頷いて返せば、それを見たロクステンがパッと表情を明るくさせた。


「そうかイチカ、受けてくれるのか……!」

「ロクステン様、どうか私にお任せください」

「すまない、何かあれば必ずフォローしよう。バーキロット家は全面的にお前の味方だ」


 両手で手を握って感謝を告げてくるロクステンに、これで彼の肩の荷が少しでも軽くなるならとイチカが応えるように握り返した。話さえ聞こえなければ感動の場面である。

 が、ここで待ったの声が掛かった。もちろんハロルドだ。


「なんだよそれ! どうして俺が結婚なんてしなきゃなんないんだ!」

「お前が手に負えないからだ! そもそも、今お前のベッドで寝てる男は誰だ!名前を言ってみろ!」

「…………えーっと」


 先程まで喚いていたハロルドの口調が途端に弱まり、露骨にそっぽを向く。

 想い出そうとしているのかはたまた誤魔化そうとしているのか、その白々しい態度にロクステンの頬が引きつる。こめかみに青筋が浮かんでいるあたり彼の限界は近いだろう。

 これは怒声が来るなとイチカがそっと両耳を押さえた。


「どこの男だ!」

「酒場で会った!」

「何をしてる男だ!」

「顔と体が俺の好みだった!」

「その男のことで何を知ってる!」

「……」


 ロクステンの問い詰めに答えられることが無くなったのか――そもそも質問に対しては何一つ答えていないけれど――ハロルドが数秒悩むように視線を彷徨わせ、そして徐に手を差し出すと人差し指と親指をゆっくりと離し、


「これぐらい」


 と答えた。

 その瞬間、スパァン!と甲高い音が響いたのは、ロクステンがハロルドの手を引っ叩いたからであり、イチカが小さく呟いた「ビッチ」という言葉は幸いそれに掻き消された。

 ちなみに、何が「これぐらい」かは言うまでもない。ナニが、である。




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