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国守姫の使魔  作者: 桜 みゆき
本編
6/7

五章

 冬夜はぱちっと目を開いた。周りはまだ暗く、一瞬自分がどこにいるのか分からなかった。

 布団……、地球か……。

 夜に目が覚めたのは、随分と久しぶりだ。

 ミエルはどうなったのだろう。あの状況からこちらで目を覚ましたという事は、猫の身体は死んでしまったのかもしれない。だが、あの前後の記憶がどうも曖昧で、自分はあの人影に何をしたのかもよく分からなかった。あの不思議な力が湧いてくる感覚も、今は無い。

 冬夜はともかく、どうやってあちらの世界に戻るか考えようと、身体を起こそうとようやくしっかりと辺りを確認した。

 しかし、部屋が明るい。電気をつけているわけではないので、暗くはあったのだが、隣を見ると、寝るときには閉めたはずのカーテンが開いて、窓から吹き込む風でゆらゆらと揺れていた。

 そして、その窓を背に誰かが立っている。

「おはよう、冬夜。」

 よく見知った顔。長い茶色の長髪の彼は、ここ暫く学校でよく見る姿だ。

「よう、アシル。」

 冬夜は自分の首に当てられた、月明りできらりと輝く白銀の金属を、横目でちらりと確認しながらも、気にも留めぬ振りをしてそう返した。

「あっちで殺されて、起きたら、首元に剣か。穏やかじゃないな。」

 冬夜はよっ、とベッドから起き上がる。首元に当てられた堅い感触のそれは、冬夜を傷付けこそしないが、ぴったりと追いかけてくる。

「今、殺そうとしていたところだ。逃げないのか?」

 学校で顔に張り付けるようにしていた笑顔は、この男からは見出すことは難しそうだった。なるほど、はじめに感じた違和感の正体はこれか、と冬夜は一人納得していた。

「逃げてほしいのかよ。」

 冬夜は茶化すように笑ってそう言った。アシルの眉間に皺が寄る。思っていたより、随分沸点の低い奴だ。冬夜は肩を竦めると、表情を引き締めてアシルを見上げた。

「……殺すつもりなら、さっき()ってるだろ。」

「………。」

 アシルは物凄く不満気な顔で冬夜を睨んだ後、剣をひいて鞘へと納めた。

 基本顰めっ面が彼の地だったのか、学校内で見せていたような笑顔は、今日一度も見ていない。だが、あの違和感のある、今思うと凄まじく胡散臭い笑顔よりはらこちらの方が、人間味があり、自然体だと思った。

「あの嘘くさい笑顔より、よく似合ってるぜ、仏頂面。」

 冬夜がケラケラと笑うと、頭をゴンと叩かれた。

「うるせぇよ。」

 つい先程までしていた殺気立った目と違い、苛立ちはあるものの、本気で傷付けようとしているわけではないことが分かっていた冬夜は、まだケラケラ笑っていた。しかし、暫く気が済むまで笑うと、ふと真面目な表情になって、アシルを見上げた。

「でさ、お前……、誰なんだ?」

 ただの転校生だなどという誤魔化しは、最早通用しない。アシルも冬夜が何を聞かんとしているのか、分からないはずはなかったのだろうが、どこまで話すべきか悩んでいるのか、暫く黙ってじっと立っていた。

「オレは……」

 アシルはようやく心を決めたのか、静かに口を開いた。

「アシル・レイブラント。オフスーテ王女エミリアーナ姫に仕える騎士だ。」

「オフスーテ?!」

 少し身構えかけた冬夜だったが、ふと思い直して小さく息を吐いて首を振った。

 昨日にセーシェが教えてくれた通り、オフスーテがミエルを襲ったことに絡んでいたとしても、アシルとあの人影は違う。少なくとも、今、アシルにはこちらに危害を加えようという意思が無いのだから、同一視するのは良くない。

「悪い。さっき、オフスーテの刺客っぽい奴に()られてきたところだったから。」

 それよりも重要なのは、アシルがあちらから来た人間で、オフスーテと少なからぬ関係がある、ということの方だ。

 アシルの力を借りれば、ミエルを助けに行けるかもしれない。

 ミエルが攫われた、というところを見たわけではなかったが、おそらくはあのまま連れて行かれたのだろうという、なんとも言えぬ確信が冬夜にはあった。

「なぁ、アシル。俺をあっちに、あっちの世界(ミエルのところ)に連れて行ってくれ。」

 突然の申し出に、当然のことながらアシルは怪訝な顔をした。

「何故オレがそんな事をしなければならないんだ。」

「ミエルが、襲われた。多分だけど、オフスーテに攫われたんだと思う。」

 行ってどうなるわけでもない。冬夜一人の力では、ミエルを助ける事など出来ないかもしれない。しかしそれでも、何もせず、鬱々とこちらで暮らしていくなど、とても考えられなかった。

「……“関係無い”んじゃ、なかったのか?」

 アシルに異界の事を()として、話した時のことを、冬夜は思い出した。

 そう、あの時、確かに“関係無い”そう、冬夜は言った。だがきっと冬夜は、あの時から既に分かっていたのだ。たかが異界の事と、捉えられなくなっている自分に。

「もう、もう“関係無い”なんか、言えるか……! ただ俺は、ミエルを救いたい……。それだけだ。」

 アシルは冬夜の言葉を吟味しているのか、暫く黙っていたが、少しすると大きく溜息を吐いて、腰に手を当てながらくるっと後ろを向いた。

「アシ―――」

「何してる、さっさと用意して来い。……行くぞ。」

 冬夜は呆気にとられたようにアシルを見ていたが、振り向いたアシルに顎で指図されると、冬夜は肩を竦めて、はいはい、というように首を振って立ち上がった。




 あの黒い人影がミエルを連れ、嵐のように去って行った後、サリスとセーシェ、そして、冬夜の魂が入っていた猫の死んでしまった身体だけが残されていた。

 冬夜、猫が攻撃された後、何とかミエルを取り戻そうと奮闘した二人だったが、結果、身体に無数の傷を作っただけで、ミエルは攫われてしまった。

 猫の身体は弾き飛ばされた衝撃が、主なダメージだったようで、後は冬夜の魂が無事に本体に戻っている事を祈るしかなかった。

 サリスはボロボロの上着を脱ぎ捨て、シャツの袖で口から出た血を拭った。思っていたよりは軽症だった。

「セーシェ、大丈夫かい?」

 セーシェも傷はそれほど深くはなさそうに見え、サリスはとりあえずほっとした。だが、ミエルを奪われたショックからか、セーシェはぼんやりとその場に座り込んだまま動かなかった。サリスはそんな彼女のところまで行くと、その側に膝をついてセーシェの顔を覗き込んだ。

「セーシェ。」

「―――殿下……?」

 セーシェの合わなかった視線がようやく定まり、サリスが目の前にいる事に気が付いたらしかった。

「サリス殿下…、ミエル殿下が……。」

「わかっているよ。」

 セーシェは目を擦りながら、起き上がろうとした。だが、サリスがそれを止めて彼女を抱き寄せた。セーシェもサリスと同じように体中に怪我があり、少し血を失っているのかもしれない。まだどこかふらついた様子だったが、サリスが抱き寄せると抵抗する力も無いようで、そのままサリスの胸に身体を預けた。

「まったく……。無事で良かった。無茶をしないで、心臓が止まるかと思った。」

 勿論、ミエルが来る前、あの人影に狙われたときのことなのは、二人とも承知していた。セーシェはそれを思い出してしおらしく、すみません、とは言った。しかし、そっとサリスを見上げて、サリスの顔に付いた傷をじっと見た。

「ですが、殿下……。私共には貴方様の安全の方が優先にございます。……それに、私は結界の魔法により、死ぬ事を許されては御座いませんでしょう。」

 結界の魔法、このクライルに張られている結界、その結界の守り人であるセーシェをはじめとした者達は、結界が代替わりをするまでは、死ぬ事が出来ない。結界を見守る役目を担う彼らが、もしその途中で死んでしまえば、結界の細かな異変に、気が付ける者がいなくなってしまうからであった。

「―――セーシェ!」

 そんなことは、サリスも重々承知している。

 だが、サリスが言いたいのは、そんなことが言いたいのではなかった。

 サリスはセーシェの頬を両手で包んで、自分の方へと向かせた。

「いいかい? 君が今、どんな怪我をしたって、死なないのは知ってるよ。でもね、私は君に傷がつくのも嫌なんだ。それに……、もし、今致命傷を負ったら結界の代替わりの時、命を落とすことになる。……覚えてるよね。」

 結界の魔法による生命の守護も、その結界の守り人である期間が終われば、無くなってしまう。もし、その間に致命傷を負っていれば、自然の摂理を捻じ曲げている事となる。その為その場合は、摂理にこれ以上は逆らわぬために、結界の終わりとともに命を失う。

「私は、王として即位するときに、ミエルから結界を継ぐつもりだ。その時、君がいないのは嫌だ。……傍に、隣にいてほしい、そう思ってる。」

 サリスはセーシェの顔から手を離して、そっと抱き寄せた。

「………さあ、ミエルを取り戻そうか。」

 この募る想いを告げるのは、愛する妹が戻ってきてからだ。




「ここが、オフスーテ?」

 冬夜はきょろきょろと辺りを見渡しながら、アシルの後を追いかけていた。

 地球から、ここオフスーテに着いたのはつい先程の事。アシルは、エミリアーナから下賜されたという石を媒介に、二つの世界を行き来していた様で、今回、冬夜はそのアシルに便乗して、こちらの世界まで来たというわけだった。

 城内の様子は、近くの国という事もあり、かなりクライルと似通ったところが多い。軍服もデザインが少し共通する部分があった。

「さっさと来い。」

 愛想ねぇ奴、冬夜はアシルを呆れたような視線を彼の背に向けた。

 しかし、それにしても走り辛い。今冬夜は、Yシャツにスラックス、革靴という格好で走っていた。Tシャツに短パンでも良かったのだが、アシルに目立ちすぎるからやめろと、猛反対された。その結果、まだ小マシだろうと、この格好になっていた。

「ここだ。」

 アシルはとある部屋の前で足を止めると、冬夜を振り返った。

 冬夜もそこで止まると、大きな扉を見上げた。ここに話にだけ聞いていたエミリアーナがいるらしい。

 きっと、ミエルの居場所は彼女が知っているだろう、ということだった。

 アシルが再び扉に向かう。そして、その扉をそっと押し開いた。

「殿下、ただいま戻りまし―――」

「ミエルはどこだ?!」

 アシルが言い終わるまで待ちきれなかった冬夜は、アシルを押し退けるようにして、その部屋へと入った。そんな冬夜を見て、アシルがはぁ、と頭を抱えて溜息を吐いた。

「あらあらぁ、アシル。そこの方はどなた?」

 部屋の奥で玉座に座り、妖艶に微笑む顔に冬夜は嫌な寒気を感じた。

「私の連れでございます。」

 アシルが冬夜を肩を掴んで、少し後ろへ下がらせた。冬夜は止めるな、という気持ちを込めてアシルの方を向いた。しかし、そのアシルの表情を見た後、その思いを言葉にすることは出来なかった。

「アシル……。」

 エミリアーナ姫に仕える騎士、そう名乗ったとは思えない程の厳しい顔で、アシルはエミリアーナを睨んでいたからだった。

「クライルの王女、ミエル殿下がおいでだと聞きましたが、どこにおられるのでしょう、殿下?」

 そう問うアシルの声は、奇妙なほど落ち着いた声だった。

 エミリアーナの方はと言うと、くすくすと微笑んだまま、手に持っていた扇を広げ、悠然と座っている。

「アシルに問われたのなら、答えないわけにはいかないわねぇ。ふふ……。誰か、連れてきて頂戴な。」

 そう言った後、程無くして連れて来られたミエルは、後ろ手に手を縛られながらも、ミエルを捕らえている後ろの兵士に、抵抗しようと小さくではあったが、抵抗していた。

「放しなさいよ! 一人で歩けるわ!」




「セーシェ、結界はどうなってるの?」

 未だに誰も目覚めない静かな城の中で、サリスはセーシェと二人、これからの事を考えていた。

「目立った損傷はございませぬ。……冬夜殿、いえ、その猫の身体が、結界を維持する要となっているようで御座います。」

 ということは、やはりミエルは国内にはいないということか。サリスは、はぁと溜息を吐いた。

 本音としては、今すぐにでもミエルを探しにはいきたかったのだが、この状態の城とセーシェを残していくわけにもいかず、何もすることが出来ず、八方塞という状態だった。

「……ねぇ、セーシェ。今の結界って、ミエルや君にとって、どういう存在になるんだい?」

「え……。」

 結界を維持するのはミエルの役目。しかし、その彼女が国内にいない今、ミエルの使魔となった、猫の身体のみで持ちこたえているというこの結界は、一体何なのだろう。

 サリスは、結界の維持には魔法の供給が必要なのだと思っていた。しかし、そうではないのだろうか。

「殿下。もしこの状況を維持することが出来ますならば、犠牲なく、結界の維持が可能なのではありませぬか?」

「……そうかもしれない。」

 サリスは、たまたま被害を免れ残っていた、二つの像の前に横たえられた、猫の身体に触れた。もしそうなら、もう誰も、ミエルも、傷付かずに済む。

「サリス殿下、ミエル殿下が御戻りになるまでの間、方法を考えませぬか?」

 セーシェはその猫の隣に腰を下ろして、そう微笑んだ。




 ミエルは無駄な抵抗と知りつつも、地下牢から連れて来られるまでの間、必死に抵抗を続けていた。後ろ手に持たれている手はそれほど痛くは無いが、この状況自体が我慢ならなかった。

 早くクライルに戻りたい。結界は? 冬夜は? 何も分からない。

 すっかり人が変わってしまったような、いや、実際に人が変わってしまったらしいエミリアーナをミエルは睨みつけた。結界を解くことが目的ならば、なぜこんな所で油を売っているのか、目的も分からない。その恐怖を跳ね返したかった。

 エミリアーナはミエルの方を見ようともせず、部屋の中の方に立っている、二人の男の方を見ていた。片方は、ミエルも知っている顔。記憶が正しければ、エミリアーナの騎士をしていた、アシル・レイブラントという名の青年だったはずだ。

 なら、もう一人は……?

 黒髪黒目のそう年の変わらない少年。ミエルは、胸に何かが引っ掛かるような気がした。だが、その正体は分からなかった。

「御望み通り、彼女はこの通り元気よ。ふふ、満足した?」

 余裕の表情のエミリアーナはそう言ってまた、くすくすと笑っている。

 ミエルは、そんな表情をするエミリアーナを見ていることが出来ずに、さっと目を逸らして、アシル達の方を見た。

 そして、あの正体不明の少年と目が合った。

「―――っ」

 少年の表情が変わる。今にも泣きそうな顔に。

 そして、彼の口が動くのが見えた。何を言ったのかは遠すぎて聞こえない。しかし、ミエルには分かった。

 「ミエル」そう、自分の名が呟かれたのが。

 ミエルは自分の唇が震えているのが分かった。

 悲しい、嬉しい、憎らしい、愛しい―――

 そんな、様々な思いが込み上げてきて、ミエルの胸を詰まらせる。そして、すっと頬に涙が一筋流れた。

 そんな涙に動揺したのか、後ろの兵士が一瞬手を緩めた。

 ミエルはその一瞬を逃さなかった。

「―――冬夜!!」

 ミエルはそのまま駆けた。兵士が彼女を捕まえようとするのも振り切って、走った。

 そして、飛び込んでいった。冬夜の、愛しい彼の胸の中へ。

「冬夜…、冬夜ぁ……。」

 ミエルを宥めるようにその背を撫でる冬夜の手は、ミエルを何よりも安心させた。




「ミエル……。」

 彼女の顔を見たとき、彼女と目が合った時、冬夜は知らず彼女の名を呟いていた。聞こえるわけがない。たとえ聞こえたとしても、猫の冬夜しか知らない彼女が、この男を「冬夜」だと気が付くわけがない、そう思っていた。

 しかし、ミエルは冬夜と目が合った後、急に顔色を変えて、涙を一筋零した。そして、冬夜の名を呼びながら、あっという間にこの腕の中へと飛び込んできた。

 泣きじゃくって自分に縋るミエルを、冬夜は宥め、そして抱きしめた。自分の手で彼女を抱きしめられるのが、こんなにも嬉しいものだとは思わなかった。

「ミエル……、怪我は無い?」

「うん……。助けに来てくれてありがとう。―――猫の時より、素敵だわ。」

 目元を赤くしたまま、ミエルはそう言って照れた様に微笑んだ。

 冬夜は「素敵」と言われた照れで、わたわたとしていたが、暫くして落ち着くと、赤くなった顔を隠すように俯いた。

「……ありがとう。」

 その時、エミリアーナが不満げな声を上げた。

「人前でよろしくするのは結構だけどぉ、……結界の解除方法、教えてくれない?」

 質問形で聞いてはいたが、その声色は明らかに有無を言わせぬ口調だ。

 ミエルと冬夜も真剣な表情に戻って、エミリアーナの方を見た。

 だが冬夜が気になったのは、エミリアーナの質問内容だった。今、エミリアーナは「結界の解除法」と言っていた。ということは、クライルの結界はまだ維持されているのだろうか。もしかすると、はじめにミエルが言っていた方法が、上手くいったのかもしれない。

 しかし、この質問に答えられるのも、答えるかどうか選ぶのも、ミエルだけだ。しかしミエルは、エミリアーナから視線を逸らさないまま、ぽそりと言った。

「アシル殿、といいましたね。オフスーテ王が地下牢に閉じ込められておいでです。貴方は陛下を御救いしに行ってはもらえませんか。そして、ここへ連れてきて頂きたいのです。」

 冬夜もアシルも驚いてミエルを見た。救うところまではともかくとして、ここに連れてくることに何の意味があるのだろう。しかし、ミエルはここに連れてくることの方が、大事だというような口ぶりで、もう一度同じことを言った。

 アシルも納得はし切っていないようだったが、それでも結局はミエルの言葉に小さく頷くと、早足でその場を後にした。

 エミリアーナも当然、アシルが部屋を出て行ったことは分かっていたようだが、特に追及もせず、そのまま放っておくことにしたらしかった。

「さて、答えてくれるのかしら。」

 ミエルはそのエミリアーナの問いに、小さく首を振った。そして、少し悲しげな表情で彼女を見た。

「演技は止めませんか、王兄殿下。」

「………。」

 エミリアーナは口を噤んだ。

 冬夜は突然の状況に、目を丸くしたまま両者を交互に見た。

 エミリアーナは持っていた扇をぱちんと閉じると、近くの卓に置いた。そして、今までしていた嫣然とした微笑みを取り去り、むっとしたような表情になった。

「我が愚弟からお聞きになったか、ミエル姫。」

 ミエルは頷いた。話の筋から推測するに、愚弟というのは、今地下牢に閉じ込められているというオフスーテ王のことだと思われた。

「貴方の為されている事が、全て間違いだとは、私は思いません。ですが……、時代は変わっていくのです、殿下。」

 ミエルは悲しげな顔のまま、そう言った。そして、ちらりと後ろを見る。すると、ゆっくりと扉が開かれ、冬夜の見知らぬ壮年の男性と、アシルが現れた。オフスーテ王だと思われた。王は、地下牢に閉じ込められていた、という話が信じられない程、やつれてもいなければ、むしろ健康体にさえ見えた。

「ミエル姫の言う通りです、我が愛すべき兄上。」

 王はそのままエミリアーナ、いや、兄の方へと歩いて行く。そして、王は兄から少しだけ離れた位置に立ち止った。

「兄上。貴方のなさっている事は、きっと正しいのです。強い国となると思います。」

「―――なら、何故だ!」

 声を荒げる兄を制止して、王は話し続けた。

「……ただ、私はその「強い国」を導いていくだけの力が、自分には無い、そう思いました。だから私は思ったのです。誰も泣かずにすむような、そんな、優しい国を作ろうと。」

 王は口を噤んでしまった兄に、優しく微笑みかけた。

「―――お前は、昔から優しい男だったな。」

 王は兄に、また一歩二歩と近付いて、兄を抱きしめた。

「眠ってください。―――きっと、あなたを心配させぬ、素晴らしい国にしてみせます。」

 王がそういうと、兄は小さく頷いた。そして、エミリアーナは父の腕へ崩れ落ちた。




 今から三十年程前。オフスーテに生まれ育った二人の王子は、大層仲の良い兄弟だった。革新的な兄と控えめな弟の兄弟は、いづれ王と宰相となり、よく支え合い国を導いてゆくはずだった。

 しかし、次第に思想の違いにより、関係は冷え込んでいく。そんな中、起きた悲劇は十年前。兄王子が馬車の事故で命を落とした。

 それにより、王位は弟へと転がり込む事に決まったという。




 オフスーテの王権が、無事現王の元へと戻ったあの日から数日後。

 冬夜、ミエルは未だオフスーテに滞在を続けていた。

 元のエミリアーナを知らない冬夜は、彼女と会うのを大層心配していたが、実際会ってみると、あまりにも引っ込み思案で控えめな性格の彼女に、違う意味でたじろぐ結果となった。

「はぁ?! 敵と思って、殺そうとしてたぁ?!!」

「謝ってるだろうが!」

 そんな日の昼下がり、冬夜、ミエル、そしてアシルとエミリアーナが、集まっていた時の事、ふとした拍子で、ミエルを救いに来る前のアシルと冬夜のやり取りの話になり、結果、喧嘩が勃発していた。

 事の真相としては、エミリアーナは伯父である、王兄に身体を乗っ取られ、色々と動いていたのだが、そこまではっきりと分かっていなかったアシルは、様々なことを調べた結果、異界、つまりは地球の人間の仕業、という結論に辿り着き地球に行った。そして、ミエルの使魔として召喚されてしまったが為に、こちらとの繋がりが出来た冬夜を怪しみ、自主的に監視をしていた、という事だったらしい。

「まったく、それが謝る態度かよ!」

「うるせーよ!」

 そんな二人の口論を見て、ミエルは気にも留めず、ゆったりと茶をしばき、エミリアーナは、こんなアシル初めて見たと思う反面、やはりおろおろとしていた。

 ミエルはふうと息を吐き、茶を入ったカップを置いた。そして、未だ口論を続ける二人を見た。

「二人とも、そのへんにしておいたら?」

 ミエルはちらりとエミリアーナに視線を走らせた。

「わ、わわわ私のせいで……。」

 ミエルは肩を竦めて、二人にエミリアーナの方を見るように、目で言った。ミエルとしては、エミリアーナがあまりにもおろおろとしているのを見かねた結果だった。

 二人も、さすがにそんな様子のエミリアーナの隣で、口論を続けるわけにもいかず、肩を竦めて口を閉じた。

 そう言ったような様子で、喋り通し、暫く経った後、アシルとエミリアーナは部屋を後にした。

 部屋には冬夜と、ミエルの二人きりになった。

 暫くの沈黙の後、それを破ったのはミエルの方だった。

「そういえば、人間の冬夜、思っていたより格好良いね、って、言ったっけ?」

 突然の言葉に冬夜は危うく、飲んでいた茶を吹き出しそうになる。しかし、なんとかそれを無事飲み込んで、漸く喋れるようになるも、顔の赤さはいっこうに収まってはくれていない。

「初めて聞いた。………で、えっと、さ、あの日、なんであれが俺だ、って分かったのか、聞いてもいいか?」

 これは冬夜があの日以来、ずっと気になっている事だった。今の口ぶりからも分かるが、ミエルはあの日以前に、冬夜の人間の姿を見た事は無かったはずだ。

 そうだというのに、何故なのだろう。

 ミエルは、えー?、と言った後、暫く考えていたようだが、うんうんと言ったまま、適切な答えは出てこないようだった。

 何となく、だったのだろうか。それにしては、えらく確信を持っていたように見えたのだが。

 冬夜がはっきりとした答えは返ってこないかもしれない、と諦めかけていたその時だった。

「そうだね……。ふふふ、“愛”って言っとこうかな。」

 その一秒後、冬夜は椅子ごと盛大にひっくり返った。

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