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国守姫の使魔  作者: 桜 みゆき
本編
2/7

一章

 誰かが何かを言っている。

 うるせぇ、もう朝か……?

 微睡む意識の中で、彼、真森(まもり)冬夜(とうや)は苛々と自分を起こそうとする手を払いのける。こちとら、部活明けで眠いんだよと、もう一度夢の中へ逃げ込もうとした。確か、今日は土曜日。まだ寝ていても良いはずだ。

 しかし、その手はもう一度彼を起こそうとするではなく、何故か、歓声が上がった。

「動いた! 成功だわ、さぁ、起きてちょうだい。猫ちゃん。」

 頭上できゃあきゃあ言っている女に、うるさいと一喝しようかと思ったところで、冬夜は、はたと動きを止めた。

 猫ちゃん……? いや、その前に俺、自分の部屋にいたよな……。この女、誰だ……?

 昨夜冬夜は健全な高校二年生らしく、部活に夜まで勤しんだ後、ご飯と風呂を済ませ、早々に寝入ったはずだった。その上、冬夜には兄弟姉妹も、年の近い親戚もおらず、当然母の声ではない。なら、頭上から聞こえるこの、若い女の声は、一体誰のものなのだろうか。

 冬夜はそろそろと身を起こした。

「お目覚めね。初めまして、猫ちゃん。」

 開口一番、相手の素性を問いただすつもりだった冬夜だったが、そんな事吹き飛んでしまうほど、周りの状況は思いもよらぬものだった。

 まず、目の前の女は、こんなにも流暢な日本語が紡がれているとは思えぬほど、彼女の髪は、美しい金髪だった。日本人が黒髪を脱色して作ったような、ニセの金髪とは明らかにものが違う。目も、鮮やかな赤紫。

 だが、彼に外国人の知り合いはいない。

 その上、よくよく周りを見渡してみれば、冬夜の部屋ですらなく、桃色を基調とした可愛らしいその部屋は、おそらくは、この目の前の女の部屋なのだろうと思われた。

 冬夜は、警戒心も露わに、目の前の女を見上げた。

「お前、誰だ…。」

 ぼそっと冬夜がそう問うと、女はさらに顔を輝かせて、喋ったわ! と手を叩いて喜んだあと、にこにこと冬夜に顔を近付けて、彼の頭を撫でた。

「私は、ミエル。ねぇ、あなたのお名前は?」

 目の前の女、ミエルを胡散臭げにじぃと見ていた、冬夜だったが、にこにことしたまま返事を待っているミエルに折れ、小さく溜息を吐いた。

「冬夜。」

「とうやちゃん? ふふ、可愛い。」

 そう言って、ミエルはまた冬夜の頭を撫でた。冬夜はうっとうしげに彼女の手を払い退ける。そして、ミエルを抗議の意味も込めて睨んだ。

「ちゃんはやめろ。ていうか、さっきから猫ちゃん、猫ちゃんって、なんなんだよ。」

 冬夜がそう言うと、ミエルは不思議そうな顔で冬夜を見た後、あ、と言うとそのまま身を翻して、部屋の奥へと消えていった。

 暫くすると戻ってきたミエルの手には、一枚の鏡があった。

 そして、申し訳なさげな顔で冬夜の頭を撫でると、ごめんね、と呟いて、そっと冬夜の前に鏡を置いた。

「これが、今のあなたの姿よ。」

「………。」

 驚きで言葉が出ないとは、こういうことなのか。冬夜はその鏡を呆然と見つめていた。

 目の前には、桃色のクッションが敷かれた籠に入る、黒い猫が一匹。

 毎朝見る自分の顔はどこにもない。

 冬夜は、今起こっていることが信じられず、そっと短い手を顔に持っていった。その様が鏡にも写り、手にも毛の感触がある。

「俺…の、身体……。猫………?」

 口を閉じることも忘れたまま、上方にあるミエルの顔を見上げた。よくよく考えれば、彼女の顔も、高すぎる位置にある。

 冬夜は、十中八九、原因であるだろうミエルに、文句を言うことも忘れ、ただただ呆然と彼女を見上げていた。ミエルは、そんな冬夜をさすがに可哀想に思ったのか、悲しそうな顔をして、もう一度、ごめんね、と言って冬夜の頭を撫でた。なるほど、猫が相手なら、頭を撫でたくなるのも分かる。そう冬夜は、変な納得をした。

「順に説明するわね、とうやちゃ……。冬夜。」

 ちゃんは止めろ、と言われたのを思い出したのか、ミエルはそっと訂正する。

 冬夜はいきなりの呼び捨てに、不覚にもドキッとした。よく見れば、ミエルは大層美人だ。

 気が動転しすぎて、妙に冷静な冬夜だった。

 だが、そのおかげで、少し余裕ができた冬夜は、昨夜、ここにいる前、自分が寝たはずである事を思い出した。そして思った。

 ならば、これはきっと夢だ。そうでなければ、説明のつかない事が多すぎる。

 夢にしては、リアル過ぎる猫の毛並みの感触があるのは、この際見ない事にして、冬夜はようやく腰を据えて目の前のミエルの話を聞く気になった。

 こうなれば、夢が覚めるまで付き合うしかない。

「で、説明、してくれるんだろ。……ミエル?」

 早くしろ、と冬夜が目で訴えると、ミエルは、こくりと頷いて冬夜の前にある鏡を別の場所へと置くと、近くの椅子を引き寄せてそこに座った。

「ええっと、まず、貴方が一番心配してるのは、貴方の身体の事だと思うのだけれど…。貴方の身体は、まだ、貴方の世界で眠っているはずなの。」

「はぁ……?」

 身体は眠っている、とはどういう事だろうか。冬夜は気の抜けたような返事を返し、首を傾げた。ミエルは、それに補足するように、つまり、と言って言葉を続けた。

「ここは貴方から見て、異界、……に、なるのね。貴方は、今、精神……魂といった方が良いかしら? それだけが、この世界に来ていて、今は猫の身体という器に、貴方が入っているの。」

「……はぁ。」

 自分はファンタジーの見すぎなのだろうか。冬夜は変わらず、気の抜けたような返事を返しつつ、そう思った。どこの異世界トリップものだろう。ただ、夢にしては設定が込んでいるなと、冬夜はむしろ感心していた。

 引き続き喋り続けているミエルによると、ここは、地球とは違う世界にあるクライル王国という国で、彼女はこの国の姫。この国の王族は魔法を使う事ができて、中でも魔法が得意であるミエルによって、彼女の使魔として召喚されたらしい。身体ごとでなく、魂のみの召喚であったのは、冬夜の身体を無用な危険に晒さぬ為だという。

「………呼ばれた理由は、まあ、分かったけど。それで? 姫でも助ければ良いのか?」

 冬夜はなかなか覚める様子のない夢に、半ば投げやりにそう言った。

 要するに、RPGでよくある、世界を救いにきた勇者とでもいった位置付けなら、やる事はたかが知れている。大方、ドラゴンなり魔王なりを倒す、だとか、姫を救うだとかだ。身体が猫である、というイレギュラー要素はあるにしても、だ。

 とは言ったものの、「姫を助ける」に関しては、確率は低いと冬夜は思いながら言っていた。ミエル自身が「姫」であるのだから、姫を助けろなどという、依頼が来るとは思えなかった。

 しかし、その冬夜の予想に反し、ミエルは顔を輝かせて手をパンと叩いた。

「え、すごい! どうして分かったの?」

「あ、あってるのか?!」

 きゃっきゃっとしているミエルに驚いた冬夜に、あらら、とミエルが目を丸くした。冬夜は、ともかく気を取り直して、ミエルを見上げた。

「で…、誰を助ければ良いんだ?」

 その問いに、ミエルはにっこり微笑むと両手で、さっと自分の方を指差した。

「わ・た・し☆」

「はあ?」

 きゃっ、言っちゃった!と、きゃっきゃっしているミエルを横目に、冬夜は呆然としていた。何か虐げられているだとか、捕らえられているだとか、いうような雰囲気を彼女から感じることは全く出来ない。何を救うことがあるのだろう。そう首を捻りつつも、冬夜はもっと引っかかることがあった。

 普通、助けられる本人が召喚するかよ……。

 それだけの力があるなら、何とでもなりそうだというのに。冬夜は、本当に不思議な夢だ、と諦めるように首を振った。

「やだ、呆れないで聞いてちょうだい、冬夜。」

 ミエルはふふ、と笑うと冬夜の頭をまた撫でる。見た目は猫にしても、中身は男子高校生である冬夜としては、年回りも近く見えるミエルに、こうやって頭を撫でられるのは、何とも複雑な気分だった。

 とはいえ、嫌だというわけでもないので、冬夜は肩を竦めるだけで、ミエルに続きを促した。

 ミエルは冬夜の視線に、また微笑むと、ちょっと来てちょうだいね、と言いながら冬夜を抱き上げると、ミエルも立ち上がって、窓辺に近寄って薄いカーテンをひいて、窓を開け放った。

「見える?」

 窓の外には当然空と、どこかのテレビ番組で見た、ヨーロッパの街並みと似たような景色が広がっている。太陽と思しき星も一つで、昼なので当然星や月は見えない。そもそも、存在するのかどうかは置いておいて。

 言ってしまえば、特に何の変哲も無いように見える景色だった。空が血のような赤だったり、紫だったりするわけでも、街が破壊され尽くしているわけでもない。むしろ、平和そのものにさえ見える。

 冬夜は、ミエルが何を指して言っているのか分からずに、彼女の顔を見上げた。

「分からない? あの、街の向こう……。」

 そう言いながら、ミエルは街のずっと向こうの空を指差す。冬夜はその指先の指す方向を辿って、目を凝らした。

 はじめはミエルが何を言わんとしているのか分からなかった冬夜だったが、じっとその方向を見つめ、ようやく、ミエルが何を指差していたのかが分かった。

 地平線の向こう、空と街との境目に、何かぼんやりとしたものがチラチラと顔をのぞかせている。その様はまるで、極地の空にかかるオーロラのようにも見えたが、ここから見えるそれは、明らかに地面付近にあるように見えた。オーロラは空にかかるはずだ。そして何よりも、ここはそれほど寒くはなく、地面にかかるそれは、とても異様な光景に見えた。

「あれはね、この国を守るための結界なの。」

 冬夜があのオーロラのようなものを発見した事を悟ったのか、ミエルはまた口を開いた。

 あのオーロラのようなものは、この国を外敵から守るためのもので、この国に害意のある者は基本的に入れぬようになっているらしい。結界は代々力を持った術者が、主に国王が、自らの力を持って結界を張っているという。だが今上は、あの国を囲むだけの巨大な結界を維持できるだけの力を持たず、先王から結界の守を引き継いだのは、十年前、まだ六歳であったミエルだったという。

 とはいえ、その頃は差し迫った危険も無く、結界などあっても無くてもいいような、ただ伝統を引き継いだだけのようなものだった。

 しかし近年になり、状況は一変した。

「隣の国、オフスーテ国、というところなのだけれど……。戦争準備のような、なんとも不穏な動きがあるの。」

 平和主義で有名だったはずの家の国の動きに、近隣諸国は酷く動揺した。しかし、周りの不安をよそに、オフスーテでは、武器や傭兵など、世界征服でも企んでいるのか、というような戦力を集めはじめた。

 今のところ、どこの国とも戦争状態にはなっていないが、それも時間の問題であるように見えた。

「おそらく、一番はじめに、この国が狙われる事になると思うの。」

 ミエルは部屋の中へ戻ると、冬夜を降ろして、地図を取ってきた。そして、クライルとオフスーテを指差して示した。

 小国が多い地図だったが、オフスーテはそれほど小さくはなかったものの、一方のクライルは中でも際立って小さな国であった。

「国が小さいからか?」

 ミエルは頷いた。クライルには結界があるものの、いやだからこそ、軍事力はそれほど高くなく、つまりは、結界さえなんとかしてしまえば、攻め落とすのは容易だという事だった。

「周辺諸国の王族は皆、魔法を使えるから、結界をなんとかする方法も無いことは、ない…のよ。」

 毒を以って毒を制す、というやつのようだ。

「それでね、これから心配でしょう? だから、貴方を呼んだのね。」

「はぁ……?」

 話が読めない。冬夜は本日何度目かも分からない、「はぁ」を言って、ミエルを見た。ただの猫に何ができるのだろう。それとも、何かの能力を持っている、という設定でもあるのだろうか。冬夜は、はてと首を傾げた。

 しかし、ミエルが続けた説明は、思わぬほど現実的な内容だった。

 ミエルによると、主に結界を守るために冬夜が必要らしい。しかし勿論、冬夜自身が結界を張る、または維持することなど出来るはずもなく、結界に関して冬夜ができることは何もない。

 必要なのは、ただ、「冬夜の存在(使魔)」で、猫の形で冬夜の魂をこの世界に繋ぎとめる魔力を媒介に、結界の維持をするつもりらしい。

「結界を張っている人間は、結界の外に出ては駄目なの。でも……攫われたりするかもしれないじゃない? その時には、貴方(使魔)がこの国にいること、それが重要な意味を持つの。」

 ミエルは、勝手に利用することになって、ごめんね、と少し哀しげな顔で謝った。

 思っていたより、随分と楽に聞こえる役目に、律儀に謝るミエルに、冬夜は床に飛び降りると、気にしていないと伝えるように、彼女にそっと寄り添った。そんな冬夜にミエルは、ふっと微笑んで、少しかがむと彼の頭を撫でる。そして、冬夜をミエルが抱き上げたとき、部屋の戸を叩く音がした。

 ミエルは冬夜を抱き上げたまま、返事をして扉を開けると、そこには見えるとよく似た風貌の男が一人いた。

「あら、お兄様。どうなさったの?」

 ミエルの兄らしいその男は、ミエルの質問に曖昧に微笑むと、冬夜に視線を留めた。

「ミエル、その猫は? ……あ、もしかして、成功したのか。」

 冬夜はミエルの腕の中で、じっとしながら上目づかいで、目の前の男をじぃっと観察していた。

 ミエルより数歳年上に見える彼は、その金髪といい、顔の造形と言い、ミエルに非常によく似ていたが、目は綺麗な薄い青で、赤紫の瞳であるミエルとは、同じ様な顔でも、また違った印象を受けた。見たところ、優男といった風体で、妹を見て微笑む顔は大変柔和で、男の冬夜から見ても、綺麗な顔をしている。

 ミエルは兄を見ると嬉しそうに微笑んで、冬夜の頭をまた撫でた。

「そうなの、お兄様! 冬夜、っていうの。さっき来たところよ。」

 冬夜に同意を求めるように、ミエルは彼の鼻の頭の辺りをくすぐる。

「そうか。初めまして、冬夜。私はサリス。ミエルの兄だ。」

 猫相手に、握手を求めるようにサリスは手を差し出した。冬夜はよろしく、と返して、短い手をサリスの手の方へと持っていった。

 正直なところ、男にまで頭を撫でられたらどうしようかと思っていた冬夜は、少しほっとしていた。

 サリスは冬夜の出した手を軽く握ると、笑みを返す。よく笑うところは本当にそっくりな兄妹だった。

 一頻り挨拶が終わると、サリスはあ、と何かを思い出したような声を上げて、ミエルに向き直った。

「そう、ミエル。君に用があったんだった。結界に小さな綻びがある、とセーシェが言ってた。」

「まあ! ありがとう、お兄様。少し行ってきます。」

 そういうが早いか、ミエルは抱えていた冬夜を兄に託して、あっというまに部屋を飛び出していった。部屋に残された男二人はしばらく沈黙し、冬夜がそろそろとサリスの肩に移動した。

「結界、大丈夫なのか? 随分、のんびりしてたけど。」

「大丈夫。セーシェも緊急ではない、って言ってからね。」

 冬夜は、ふーん、と言って、ちらとサリスの顔を見た。確かに、焦っているような気配もないので、大したことはないのかもしれないと、冬夜は思った。しかし、また謎が増えた。

「で、「セーシェ」って、誰?」

「「結界の守り人」だよ。」

 結界の守り人?

 聞き覚えのないその言葉に、冬夜が不思議そうな顔で、サリスを見返すと、サリスは冬夜が意味を解していない事に気がついたのか、説明を付け足してくれた。

「結界は、二人一組で作るんだ。……聞いてない?」

 冬夜はこくっと頷いた。結界は一人で張るものだと思い込んでいた。サリスはわかった、と言うと丁寧に説明をはじめた。

 結界は、メインとその補佐の二名を必要とするらしい。メイン、「結界の創造者」と俗に呼ばれる者、今回でいうとミエルが、結界を張るための、そして維持するための魔力を生みだし、もう片方の補佐役、「結界の守り人」と呼ばれる者が、結界の形成を安定させる。

 こうして張られるのが結界らしい。

 結界は、その中で暮らす者達の安全と引き換えに、創造者を結界の中へと縛り付ける。また守り人は、外へ出ても結界に問題は無いが、その結界の綻びを見つけるには、結界の中にいる必要がある。また、創造者は結界の状況を把握することが出来ないため、結果としては、二人共に結界内へといることになるらしい。

「守り人は誰でも良くて、創造者と心の結びつきが強いこと、条件はそれぐらいだよ。セーシェは、神殿で巫女をしていて、僕たち兄妹とは旧知の中でね……。」

 思っていたよりも複雑な工程に、冬夜はまた、ふうんとだけ返した。まともに聞いても、きっと朝になって、夢から覚めれば忘れてしまうだろう、というのもあった。

 それよりも今、冬夜が気になっていたのは、サリスの事だ。

「ところであんたさ、ミエルの兄……、この国の王子なんだろ? なんで、結界をミエルが張ってるんだ?」

 今の王が結界が張れないのは分かったが、王が結界の創造者の役目を引き継ぐのならば、何故、兄、つまりはミエルより年長の男が結界を引き継いでいないのだろう。ミエルの話ぶり的に、彼女が王位を継ぐとは思えなかったのだが。

 サリスの様子を伺うと、うーん、と言ってきまり悪気に頭を掻いた。

「まぁ、普通、そう…思うよね。僕も今すぐでも変わりたいんだけれどね……。一度結界を作ったら、創造者が放棄しないと、引き継ぐ事が出来ないんだ。」

 先王が結界を放棄した際、ミエルとサリスのどちらが結界を継ぐか、で問題が起こったらしい。勿論、結界を張る事で個人的な利益はほとんど無いため、相手にさせたくない、と言う似た考えを持った兄妹は、どちらも自分がする、と言って聞かなかった為だ。

 はじめは、王太子となったサリスが優勢だったのだが、ミエルがこう主張した。

「サリスはまだ王位を継ぐわけではない。だから、王子である間くらいは自由に国外にも出られる方が良い。サリスが王位を継ぐ時に結界も継げば良い」と。

 その主張に、あれよあれよと絆され、周りもどんどんその方向に進み、気がつくともう止められないところまできていたらしい。

「本当、情けない兄だよね……。」

 サリスは苦笑いを浮かべる。

 二人に出会ってまだ数時間も経っていない冬夜だったが、ミエルの言う通りにどんどん進んでいったというその様は、容易に想像できる気がした。サリスも意思が弱いわけではないのだろうが、見るからに押しが弱そうだ。

「ミエル達の様子を見に行こうか…。」

 そう言って話を逸らしたサリスに、冬夜は微妙な表情を浮かべたものの、結局は何も言わずに、サリスに同意した。




「セーシェ。」

 ミエルは王城の裏手にある神殿にいるセーシェのところまで、足を運んでいた。

 多くの巫女、巫者達がいる大神殿はもっと山手にあるのだが、セーシェをはじめとした数名は、王城に程近い神殿におり、守り人であるセーシェは基本的に、この神殿に常駐していた。

「御待ち申しておりました、ミエル殿下。」

 神殿の大広間、その中央付近で祈りを捧げるように手を組み、立膝をついていた女性、セーシェはミエルの呼びかけに、ゆったりと彼女の方に振り返った。腰よりも長い黒髪が、艶やかに揺れて、天井の明りとりの窓から差し込む光を照り返す。長いスカートを軽く持ち上げて、ミエルに礼をとったセーシェは艶めいた微笑を浮かべた。

「綻びはどこ?」

「東、ダルミーナ伯領アリエス村の中程に。」

 ミエルはそれを聞くと、そっと目を閉じて、自分が成している結界に意識を飛ばした。

 神殿を抜け、王都を飛び出し、山々をも超えて、ようやく国境近くが見える。セーシェに言われた通りに、アリエス村を見つけ、結界を丁寧に調べてゆく。

 そして、一点。織られた布の糸一本が切れているような、そんな小さな穴をようやく発見し、ミエルの意識はその場所にそっと寄り添った。

「これ……で、あってる?」

「は、それに御座います、ミエル殿下。」

 半分だけ意識を神殿へと戻し、念の為セーシェにも確認を取る。セーシェもミエルが見ている情景を追いかけ、おそらく同じものが見えているはずだ。

 ミエルはセーシェの答えに、微笑みを返すと、自分の身体から成される力、魔力に集中した。そして、魔力を糸のように紡ぎだして、意識が残る国境へと飛ばす。見た目には何の変化もなく見えるミエルだが、その魔力の流れは、ミエルとセーシェの二人だけには追うことができた。

 二人には金色に輝いて見える、その魔力の糸を、ミエルは器用に操作して、綻んでしまった結界を紡ぎなおしてゆく。普通の布とは違い、結界もまた魔力の集合体の為、糸をその結界に同化させていく作業になる。

「これで大丈夫ね。」

「お疲れ様にございます、ミエル殿下。」

 セーシェはミエルの修復作業を見届けると、穏やかに微笑んで、もう一度礼をとった。

 結界を張ったばかりの頃は、こうした小さな修復にも、とても時間がかかっていたのを考えると、随分と魔法、そして結界の扱いに上手くなったものだ。セーシェにそう褒められると、ミエルは嬉しそうに微笑んだ。

 小さな頃は、大きな魔力を捌ききれずに、数え切れない程の失敗を繰り返してきたミエルにとって、こうした言葉はとても嬉しいものだった。とくに、たとえ魔法は使えずとも、小さな頃から姉と慕っている彼女に褒められるのは、嬉しさもひとしおだった。

 だが、こう喜んでばかりもいられない。ミエルはすっと真剣な表情になると、それにしても、と口を開いた。

「最近、こうした小さな綻び……、少し多くはない?」

「……そうでございますね。」

 ミエルは特にここ数ヶ月の事を思い出していた。数年前、こうした綻びは年に数回。多くとも、一月に一度ペースでしか空いたことはなかった。だが、ここ数ヶ月はどうか。ミエルは、週に一度は修復を行っているような気がしていた。

 セーシェも神妙な顔で頷く。守り人は結界が身体の一部のようなもので、もし、国に仇なす者が無理に結界を通過すれば、身体が引き裂かれるような痛みを覚えるという。幸いにも、というべきか、ここ数代の守り人はそのような事態に陥ったことはない為、伝聞でしかないのだが。今回のように小さな穴であっても、頭に軽い痛みを覚え、また、そうした害意のある者が結界に接触しただけでも、衝撃は伝わる。

 その度に報告は欠かさないセーシェだったが、そうした感覚もここ暫く増え続けている。

 オフスーテの異変もきっと関係しているのだろう、とセーシェは嫌な予感が抑えられなかった。

 その時、セーシェの背筋に、ピリと嫌な感覚がはしる。セーシェは考える間もなく、ミエルを突き飛ばしていた。

「セーシェ!?」

 突然突き飛ばされたミエルは、尻餅をつくも、その痛みよりセーシェの突然の行動への驚きが勝るのか、目を丸くしてセーシェを見上げた。しかし次の瞬間には、セーシェを見たミエルの瞳に、一層の驚きと、そして恐怖が浮かんだ。

「御逃げくださりませ、ミエル殿下!」

 ミエルを突き飛ばしたセーシェの腕から、ポタポタと血が流れ落ちる。セーシェは痛みに顔を顰めながら、力の発せられた方向を伺う。

 その方向には、黒くゆらゆらとした人型、男に見える人型がいた。男は全身黒の霞のようなものでかたどられているように見え、実体があるようには見えない。しかし、そこから発せられる力には確かにこちらに危害を加える力があった。

「セーシェ!」

 ミエルの悲壮な叫びを横目に、セーシェは黒の人影を見据えた。

 なんとかミエルを逃がさなければ。

 人型の表情を見ることは出来なかったが、男の顔は明らかにミエルに向かっている。その上先程の攻撃も、セーシェがミエルを突き飛ばさなければ、確実にミエルに直撃していた。そしてその力には、ミエルの無事を保証できないだけの力があった。

 セーシェは血の流れる自分の腕を見た。直撃していれば、身体から離れ離れになっていたかもしれない。

 ミエルは動けなくなってしまったのか、一歩たりとも動こうとしない。だが、人影は容赦無くミエルに向かって手を掲げた。その掌に力が集中していくのが肌で感じられた。

「―――っ」

 セーシェは地面を蹴る。黒い人影の掌から、その黒よりも更にドス黒い色の塊が発せられる。セーシェは固まっているミエルを庇うように前に立ち塞がると、手を広げギュッと目を閉じた。

「―――」

 しかし、いつまで経っても予想していたような衝撃は訪れない。セーシェは目をそっと開いた。

 すると、視界が薄っすらとした黄色の斜がかかってる。セーシェが何事かと混乱していると、不意に別の声が割って入った。

「セーシェ、ミエル! 大丈夫?」

 セーシェがその声の方向を見ると、黒猫を肩に乗せたサリスがいた。




 サリスの肩から降りるタイミングを見失っていた冬夜は、ポカンとしたまま彼の肩にしがみついていた。

 サリスとともに神殿の前へと辿り着いた時、優しげな表情を崩さなかったサリスがすっと真剣な表情になって、そろりと神殿の扉を開けた時は、何をしているのか、と思ったのだが。

 冬夜はサリスの肩に乗ったまま、辺りを見渡した。さすがに異常事態なのであろう、という事は分かるが、何がどうなっているのかは分からない。

 分かるのは、サリスが何事かを呟いたと思ったら、よく分からない黒いエネルギーのような物が、ミエルの前に立っている女性の前で弾け飛んだ。そして、そこをよく見ると、いつできたのか、薄い黄色のバリアのような物が、ミエル達二人を包むように張られていた。

「セーシェ、ミエル! 大丈夫?」

 そう言って、二人にゆっくり近付いていくサリスを見ると、先程までの真剣な顔はどこへやら、一見余裕があるようにも見える、のほほんとした表情をしている。

 だが、黒い人影にチラチラと送られる視線は、刺すように鋭く、彼が一切気を抜いていないのが分かった。

「サリス殿下! 御下がりを―――」

「セーシェ。」

 ミエルの前にいた女性、どうやら噂の「セーシェ」なる人物らしい彼女の言葉を遮るように、サリスは彼女の名前を呼んだ。セーシェはくちを噤み、サリスを見上げた。

「あまり無理をしてはいけないよ?」

 あくまで物腰は柔らかなサリスだが、有無を言わせぬような言葉の強さを感じる。セーシェも冬夜と同じように感じたのか、狼狽えるように視線を彷徨わせた後、少し俯いて項垂れた。

「は……。」

「分かってくれたら良いよ。」

 サリスはセーシェの近くまで寄ると、ぽんぽんと彼女の頭を撫でて、微笑をおくると、ミエルと共に下がっているように言った。

 その時、サリスの背後で爆発のような衝撃がはしった。冬夜が驚いて振り返ると、その先に変わらず立っていた黒の人影が、再び攻撃を仕掛けてきたらしく、今度は、床のタイルが抉れていた。

「まったく、ね……。」

 サリスはゆっくりと後ろを振り返ると、黒い人影を見据えた。

「冬夜も下がって。」

 冬夜は慌てて、セーシェが差し出した手に飛び移って結界の中に入ると、セーシェの後ろで座っていた、ミエルの腕の中に戻った。

「名も名乗らず、いきなり攻撃してくるだなんて、どういうつもりなのかな。」

 サリスは一歩結界から離れ、人影に近付いた。後ろから彼の表情は確認できなかったが、彼の声は、世間話でもするかのように穏やかだった。

 しかし、彼の肩から飛び移った時、冬夜が一瞬だけ振り返って見たサリスの表情には、明らかな怒気が含まれていた。冬夜は、サリスが静かに怒っているのを感じ、生唾を飲み込んだ。

 サリスはすっと右手をあげ、人影の方に掌を向けた。

「今度はこちらの番だよ。――――― 悪しきもの(バ・プーソ)黒き我の敵を捉え給え(アール・ベラ・ウヌ)

 おそらく魔法の詠唱呪文のようなものと思われる言葉を呟いたサリスの手から、結界と同じ薄い黄色に輝く光が、絡み合うようにしながら人影の方へと勢いよく伸びていく。

 すると、今まで何の感情も読み取れなかった人影が、じりと一歩後ろに下がった。

 しかし、人影が逃げる前に光が追いつくと、その人影に絡みついた。

 サリスは縄を手繰るかのように、手をギュッと握って手を引いた。光はそれに従うように、人影を締め上げた。

 人影はその光を引き剥がそうとするように、抵抗をした。

 しかし、その動きも次第に弱まり、苦しげにしながらふらふらと膝をついた。

滅せよ(ジョオ・オウ)

 サリスが何の感情も読み取れぬ声で低く呟く。

 その声に応えるように、光が一層強く輝く。

 すると人影を締め付ける光は、さらに人影を締め続け、ついにはその身体を断ち切った。

 しかし、その人影はふわりと煙のように消えてしまった。まるで元からそこには何も無かったかのように。

 しかしサリスの前に走る床の抉れは、確かに危険があったということを物語っていた。

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