第1話 箱
「ただいまー」
平凡な声で、平凡な帰宅。
この日は、まだ何も変わっていなかった。
俺――朝永は、48歳のサラリーマンだ。
妻と、高校生の息子が二人。
持ち家のローンと、安定した仕事。
――普通の人生。
何も特別なことはない。
何も面白いこともない。
「お帰りなさい。夕飯、もうすぐできるから」
妻の声。
淡々としている。
もう何年も、こんな調子だ。
「ああ、ありがとう」
答えながら、俺はリビングに向かった。
――俺の人生を変える「箱」が届くまで、あと数時間だった。
朝になった。昼出勤の日は八時を過ぎると家に一人。みんな俺より先に出て行ってしまう。短い昼までの時間が俺に与えられた、数少ない自由時間だ。だいたいにおいて、貯め込んだ録画番組を視聴するのに費やされる。今日も毎度のごとく深夜枠のアニメを見ていた。
「おー、やっと戦闘シーンか。ロボット出てる割には戦闘シーン少な。今回からスピーディーな展開か?」
三話目の途中にそのチャイムは鳴った。
「ピンポーン」
「こんにちはー。朝永様のお宅ですか?宅急便です」
妻が頼んだ食料品でも届いたんだろう。二度目のチャイムが鳴り、玄関に出た。
「アルクコーポレーションからお荷物が届いております。こちらに受け取りのサインをお願いします」
妻が頼んだ物じゃないようだ。んじゃ俺?アルクコーポレーションなんて名前は聞き覚えがない。最近通販で何か買ったっけ?身に覚えがあるのはサードパーティー製のワイヤレスコントローラーぐらいしかない。中身はなんなんだ、どれどれ、精密機器。その次の言葉に大脳皮質が反応した。その反応はさらに古い脳へと伝わってゆく。
『ゲーム機』
玄関で荷物を持ちながら、しばし考え込んだ。荷物に目を落としながらゆっくりと部屋の中に歩いて行く。なんだこれ?アルクコーポレーションなんてメーカー訊いたことないぞ。ピンポイントで送られてくる詐欺商品か?アンケートサイトから俺の趣味なんかが漏れてるのか。それとも4,5年前にあったゲーム会社のアカウント流出騒ぎの実害がついに俺の身に降りかかってきたのか?いろんな疑念がぐるぐる回る。しかし、
『ゲーム機』
この一言が俺を捕らえて放さない。ちっくしょう、最終手段はリボだ。俺は腹をくくった。段ボールを開ける。なかから出てきたのはグリーンの箱だった。【7BOX】のロゴが光っている。それと封筒が同封されていた。開けてみる。
「おめでとうございます。貴方は【7BOX】のプレイモニターに選ばれました。リアルな体験をお楽しみください」
手紙の内容はこれだけだ。封筒に手紙をしまい、箱を開ける。中から出てきたのはゲーム機本体とタブレット、電源コード、接続用ケーブル、タブレット用充電器、一枚の接続説明書だった。マニュアルはオンラインか。めんどくさいな。ま、トラブルが起きない限り見ることはないか。どうやらタブレットがコントローラを兼ねるようだ。十字キーやアナログスティックは見当たらない。アクションゲームはどうやってするんだ?素朴な疑問。
押し入れの中から中古で買った19型のマイテレビを取り出す。夜遅く帰ったとき家族を起こさずテレビを見たいと思い、買った物だ。案の定、妻には叱られた。安かったのに。
説明書を見るまもなく接続を済ませタブレットと本体の電源を入れる。少々くたびれたモニターに7BOXのロゴが浮かび消えたかと思うと、キー入力を促すメッセージが表示された。
「オペレーターを選んでください。」
メッセージの下にキャラが浮いている。トップバッターはアニメによく出てくる近未来型制服に身を包んだ女の子だ。絵は3Dでアニメ調。タブレットを見るとソフトキーボードが表示されている。矢印を押すとキャラが入れ替わる。お約束のメイド姿、イケメン、むさ苦しいおじさん、お嬢様等々…いったい何人いるんだ?まだまだ出てくる。右下のオプションをクリックする。画像の取り込み、パーツの組み合わせ、名前から選択など。
キャラメイキングに凝る時間はないし、結局一番最初に表示されていた、よくあるロボット物に出てくる艦内オペレーターを選んだ。名前をつけろとメッセージ。候補が表示されていたので、愛李を選んだ。貴方の呼び方をどうしますか?とまた指示が出る。普通にマスターを選ぶ。選び終わったとたん、愛李がしゃべった。
「了解です。マスター。愛李と申します。末永くよろしくお願いします。マスターを全力でサポートさせていただきます」
へー。よく出来てるなこれ。すっごいじゃん。素直に小さな感動を憶えた。
「第三者による不正使用を防ぐため、本人確認手段として、掌の静脈パターンを記憶します。どちらかの手のひらをタブレットの液晶面に押しつけてください」
はっ?生体認証システム?大げさすぎるんじゃないの。と思いつつ、おもむろに左手を液晶に当てた。液晶面がパーッと光りじんわりと掌が熱くなる。結構熱い。
「お疲れ様でした。マスターの静脈パターンを認識しました。今後本機はマスター以外の操作を受け付けません。では、次のステップに移行します。ユニット作成です」
ふーん、ユニットねーって、いったいこれは何のゲームなんだ。まだソフトも入れてない。ソフト媒体は何だ。DVDかBlue-layか?それともダウンロード専用機?
「ユニットは7体作成できます。まずはタイプを選び、その後詳細を決めていきます。ご面倒な場合、インストール済みのプロトタイプを選ぶことも出来ます。ユニットは常にカスタマイズ可能です。レベルが上がった場合でも作り替えることが出来ます。根本的に作り直す場合はそれ相応のペナルティーが科せられます。複数のユニットを一体分として作成することも出来ます。7体を一つにまとめて一体のユニットとして作成も可能です。ではまず一体目のユニットを作成しましょう」
画面に文字が躍る。ヒューマンタイプ、ロボットタイプ(二足、多足)、航空機タイプ、艦船タイプ、車両タイプ、モンスタータイプ、その他、カスタムタイプ、プロトタイプ。
プロトタイプを選ぶ。どんな風になるのか見たいから。メニューが次の階層に移り、新たな文字が展開される。神話および伝説タイプ、近代兵器、アニメ分野、動物、植物、昆虫および節足動物、人間…
人間ってなんだろう?気になったが、選んだ文字はアニメ分野だった。画面にいろんなアニメのタイトルが並ぶ。並び替えで放送年順を選ぶと、さっき見ていたロボット物のタイトルが現れた。
「はー。なんだこれ。版権大丈夫かよ」
選ぶとテレビで見たのとそっくりなブリキ野郎が現れた。
「まじかよ」
最初のメニューに戻った。いろいろな考えが浮かんだが、とにかく進めようと思い直し、ロボットタイプを選ぶことにする。やっぱ二足歩行の汎用人型兵器でしょう。一体目は近接戦闘を重視。二体目は遠距離砲撃手、三体目は攪乱電子情報戦、四体目は中距離汎用型、五体目は装甲厚めの防御重視で作成した。なんかするする作成できた。浮かぶ考えがメニューに現れている。まるで思考を先読みされているようだ。最後に、残った二体を一つにして母艦を作った。艦船タイプから宇宙戦艦を選びユニット5体を搭載し補給する機能を持たせた。ユニットの名前は順番にアルファ、ベータ、ガンマ、デルタ、イプシロンそして母艦はマザーとした。ひねりがないかな。でもシンプルな方が呼びやすいだろう。
「ご苦労様でした。以上でユニットの作成は終了です。続けてチュートリアルに進みますか?私としましては休憩を進言いたします。他の用事などございませんか?」
そう言われて時計を見るともう12時を回っている。げ、昼飯を食べないと出勤時間に間に合わない。今日はここまでか。画面右下にある終了を選択する。
「了解しました。現在の状態を保存してゲームを終了します。マスターお疲れ様でした。またのお越しを心よりお待ち申し上げております」
愛李がにっこりとほほえんで画面が消えた。俺以外誰もいないのに、そそくさとテレビ、ゲーム機、タブレットを押し入れの中にしまった。
昼食を終えて、ひげを剃り、歯を磨く。ワイシャツとズボンに履き替えて出勤準備は整った。リュックを背負い伝馬町に向かう。歩きながらゲーム機のことを考える。7BOXねー。
押し売りにしてはすごいな。出来過ぎのシステムだ。メニューからしてフルボイスだもんな。どうやって利用料回収するんだ。俺の住所はつかんでいるようだが。振込伝票でも送られてくるのかな。
チュートリアルってことはもうゲームは始まっているって事だよな.。この様子じゃシミュレーションゲームみたいだな。俺は好きだからいいけど、嫌いなやつはどうするんだろう?まさかこれしか、ゲームの種類がないなんて事はないよな。
地下鉄のホームで、掲示板に表示される列車の時間を確認する。その下に地方新聞提供のニュースが流れる。
『中区のマンションで46歳男性の死体発見。心筋梗塞か。過労死の疑いも』
嫌な記事だ。俺とそんなに年が変わらない。とりあえず直近の健康診断は、晴れマークオールだった。健康にはなんとなく自信がある。運動神経は自慢できないが。でもな、最近ホントに疲れがとれないんだ。歳を感じる50前。もうあと二年で50なんだな。こうやってだんだん体が動かなくなってきてやりたいことも出来ず、出来ることも出来なくなっていくんだろうか。ホームの端を眺めた。そこから先はストーンと落ちて線路だ。そこでホームはお終い。歩いて行くと落ちるだけ。列車到着のチャイムが流れた。




