〇九、追ってきたのは……
その時、である。
いきなり、隣にいるタロガの気配がおかしなことになっていた。
伊達眼鏡の奥から、鋭い殺気を前方の野っぱらに向けている。
なんなのだ、一体……と思っていたが。
わたしも、何かがそこで動くような、何かの声を聞いたような気がした。
いや、わかりやすく『気配を感じた』とするべきかな。
やがて、寺から幾分か離れた木陰の辺りで、何かがノソッと動くのが見えた。
猫か何かだろうか? いや、違う。
見えたのは一瞬だったけど、もっと大きなもの。じゃあ、犬か。
「ここで待ってろ」
タロガは表情をギュッと引き締めて立ち上がり、石段を降りていく。
すると、ゴソリゴソリと木陰が揺れた。
ことによると、途中で感じた気配も犬じゃなかったのかもしれないぞ。
ガサガサと一際大きな音がする。
タロガが身構えようとした時、そいつは木陰からのっそりと現れたではないか。
その姿を、わたしは遠目からだがハッキリと視認できた。
円らな黒の瞳が、ジーッとタロガの顔を見すえている。
というか、こいつは……。
わたしはちょっと息を飲み、声をあげそうになる。
相手は、今のタロガと同じく尼僧……すなわち尼さんのものなんだけど。
それは、わたしたちののものと違い、ひどく垢じみた汚ならしいものだったが。
ボサボサの黒髪をした、ちゃんとすれば相応の美少女になりそうな子。
先ほどタロガが助けられ上、図々しく飲食をたかっていたあの女の子である。
かけ布団だか、ぼろ布団だか……。
ともかく、そんなふざけた名前を名乗っていたおかしな奴だったのだ。
「あれ」
と、『かけぶとん』はタロガを見ながら首を斜めにかたむけると、
「やっぱり、さっきの若旦那さんだ」
ひどく無邪気な声で笑ったが、わたしは軽く血の気が引く思いだった。
「えッ」
タロガも返答に窮し、全身を硬直させたまま相手を見ている。
……まさか、いきなり正体を見破られてしまうとは。
それも、今日会ったばかりの、ほとんど面識もないような相手に。
木陰にしゃがみこみながら、怪人フトン娘は面白いものでも見るような目つき。
実際、尼さんに女装した美少年の図だから、相当面白いけどね!
「なんでそんなカッコしてるの?」
「いや…………」
『かけぶとん』に対し、タロガは絶句したままである。
わたしも石段を降りながら、あまり自信のない頭脳を必死で回転中。
……ああ、変なところで、思い切りけっつまずいた!
頭痛さえ覚えながら、わたしは両手で頭を抱えたい気分だった。
もう! どうしてこう下手を踏んじまうんだか…………。
・『しらばっくれるか?』
・『開き直るか?』
わたしの脳みそに浮かんだのは、そんな頭のヨロシクなさそうなものばかり。
しらばっくれるのも今さらだし、開き直ったところでどうなのだ。
なんで自分はこうなのだ、と自己嫌悪さえ感じ始めた時、
「――お前こそ、ここで何してる?」
タロガが選択したのは、『開き直り』だった。
この緊急の場で、適当にごまかし、取り繕うができるのか? できない。
そんな器用な真似など、こいつにできるのかか。無理だろうな。
「何してるって、んー……わたくしは元々ここの」
言いかけて、『かけぶとん』は急に口をつぐんだ。
何かまずいことになったという顔で、オロオロし始める。
はて? ここの、なんだ?
殴っても音もしないようなヘラヘラ娘が、こんな風にあわてるとは。
ひょっとして、この寺院の尼さんだとか。でも、それにしちゃ汚いし……。
そういった修行とか教育を受けたという感じじゃないぞ。
「なんだよ?」
タロガも不審を感じたようで、詰問するように『かけぶとん』に尋ねる。
と──
「うわ、やぁば……!」
『かけぶとん』はタロガの問いに答えることなく、背中を見せて駆け出す。
「いや、おい。ちょっと待て!」
すんでのところで、タロガはフトン娘の襟首をつかむ。
ふう、やれやれ、と……ホッとしたところ、だった。
わたしは寺院から見て右手の道から、人影が近づいているのに気づく。
「あの、ちょっと?」
「…………。なにか?」
わたしが背中を叩くと、タロガはうるさそうに振り返った。
間があいたのは、一瞬男言葉を発しそうになったから、らしい。
「ちょっと、おはなし。はなしてくださいませんですか!?」
『かけぶとん』の抗議は聞こえないふりをして、わたしは右手の道を指した。
怪奇フトン少女をしっかりと捕まえたまま、タロガはそっちを見る。
わたしたちのようなバッタモノではない本物の尼僧がいる。
僧服の着こなし方、歩き方、視線。全てが一般人とはどこか違う独特の雰囲気。
わたしはタロガに目顔で確認をした後、急ぎその尼僧のもとへと。
「失礼いたしますが……こちらのお住持で?」
「さようですが。あの、あなたがたは……」
尼僧は怪訝な顔で、私の肩越からタロガとまだ暴れているフトン娘を見る。
「うおお。はなせはなせ、はなしてくださーい」
聖モード寺院のお住持、ちょいとぽっちゃりでどこか猫みたいな感じの風貌。
年齢は思っていたよりも若く、見たところまだ四十にもなっていなようだ。
三十後半? いやいや、お肌の様子からして、もうちょい若いかも。
けど、どっか見たような気がするのはなぜだろう。
お住持のほうは、見知らぬ尼僧二人に、困惑気味の表情である。
「はなしてくださいよ、もう~~……!」
バタバタ暴れるおかしな娘を捕まえているし、それは仕方ないか。
「失礼を……。実は、私たちは東の見廻り方より参ったもので」
わたしははそっと頭を下げて、ヒソヒソ声でお住持につげる。
「東の……?」
「こちらをお住持にと、預かってまいりました」
長官より預けられた手紙を、住持に手渡した。
手紙を受け取った後、住持はパンと手を打って、
「ああ、それでは、あなたがたが兄様の遣わしてくれたお人ですね」
と、何だか小さな少女みたいな顔で言った。
「お、お兄様?」
わたしと思わず、タロガと顔を見合わせた。




