一〇、お休みにお姉様と
部屋の窓から見えるドゥーエの風景は、ちょっとしたものだ。
中央に見える王城の下、無数の川が街中に張り巡らされている。
ドゥーエは水の街だと、人から聞いたことがあるがまさにそんな感じ。
そして、その川の中を大小の舟が行き来していた。
人を二、三人乗せた小舟から、大きな荷物を載せた大型のものまで色々ある。
街を移動するのは、馬を走らせるよりも水路を使ったほうがはるかに便利らしい。
本日は、見廻り方に入ってから初めての非番、すなわちお休みである。
でも、わたしは何をするでもなく、ぼんやりとその風景を見ているだけ。
役宅でこき使われている時は、早く休みにならないかなーと指折り数えて待っていたけど、実際その日になってみると手持ち無沙汰になってしまう。
せっかく花の大都会にいるわけだから、行ってみたい場所はたくさんあるけど……。
いざとなると、一体どこに行っていいのかよくわからぬ。
気がつけば、何度目になるかわからないため息が漏れていた。
花の乙女がこんな寮の一室でひたすらボケッとしていて良いのか? 良くないでしょ。
……てな自問自答をしていた時である。
「スー」
いきなり、名前を呼ばれた。
聞こえてきたのは室内からではなく、外からだ。
わたしが視線を落とすと、一人の女性が寮を見上げながら微笑んでいた。
見知っている顔である。
つややかでくせのない長い黒髪をポニーテールにした、美麗の女性。
スラリとした男性並の高身長。
いや……というか──
「クー姉様!?」
わたしが叫ぶと、上の姉はわずかに目を細めて、
「ずいぶんと暇そうだな。それとも骨休めか」
冗談なのか嫌味なのかよくわからないことを言って、わたしを見上げた。
とにもかくにも、わたしはクー姉を部屋に上げる。
管理人のおばさんにお湯をもらい、急いでお茶の用意……をしようと思ったのだが、茶葉を置いていないことに気づき、茶葉までもらうことになった。
「なかなか良い部屋だな」
寮の部屋を見ながら、クー姉はニコリとした。
普段は能面みたいに表情が少なく、下手をすれば感情があるのかさえ疑わしくなるだけに、時折見せる笑顔は破壊力が凄まじい。
わたしはお茶の用意をしながら横目で姉の笑顔を見ていたが──
相変わらずである。
これをたまたま見ちゃった男は、あっけなく撃沈されるんだろうなあ……。
私が住んでいるのは、役宅からほど近い場所にある女子寮。
見廻り方専用というのではないが、基本騎士団関係者の女性が住んでいる。
と……いうことになってはいるが。
実のところ、ここに住んでいる人間などほとんどいない。
一応緊急時や遠方から人のために宿泊所であるが、普段はわたしと管理人のおばさんだけ。
わたしが使っているのは、寮のうち二階の一室である。
手狭といえば手狭だけど、女の子一人が暮らすだけなら十分すぎる広さだ。
「だがいささか殺風景だ。花ひとつない」
クー姉はお茶を飲みながら、そんなことを言う。
まあ確かに飾り気はゼロで、必要最低限のものがあるだけだ。
「それに、ほとんど人の気配がせんようだが……」
「ええ、まあ」
「こんな場所に、嫁入り前の若い娘が一人住まいというのは感心しないな」
「でも、ここはどんな盗人も強盗も入れないようになってるって、長官が……」
わたしが言うと、クー姉が面白そうに目を細める。
「ほう? あのラジヒル様がなぁ……」
ラジヒル──とは、長官の本名である。
フルネームは、エチューゼン・ラジヒルという。
「ま。それなら信用できるか」
クー姉は笑ってお茶を飲み干すと、
「少し早いが、昼食でも付き合え。美味しいものを食べさせてやるぞ?」
立ち上がりながら笑った。
「姉様のオゴリですか?」
「お前、人にご馳走ができるほど金を持ってるのか?」
「いいえ、とんでもない」
クー姉は王宮でお姫様の親衛隊をつとめている、士族の女としてはエリート中のエリート。
当然もらうものだってわたしなぞとは比較にもならない。
というか、わたしはまだ初任給をいただいてはいないのだ。
「喜んでお願いします」
続いて立ち上がるわたしを見て、クー姉は満足そうにうなずいた。
△
姉に連れて行かれたのは、三階建ての大きな料理店である。
いかにも、
「お高いんでしょ?」
という感じ。
多くの料理屋が並ぶで中ひときわ大きく、客も多かった。
一階はわりとそのへんにいる、いわゆる庶民とか平民という人ばかり。
店構えの割に、そんなに高くないのだろうか?
「予約をしていたイラムという者だが」
クー姉がそう店の人に言うと、若い店員が案内に立った。
二階へ行くと、見るからに懐具合の良さそうな紳士淑女が場を占めている。
いや、店内の装飾から何から、一階とはまるで違っていた。
一回の活気がある反面落ち着かない喧騒と正反対で、じっくりと腰をすえたい雰囲気。
配置されているテーブルの距離も一回よりずっと広く、当然ながらテーブルの数も一階より少なかった。
ここでご馳走になるのか、やったぁ。
歩きながらガッツポーズのわたしだったが、クー姉は先に進むばかりでどこのテーブルにも着席しようとはしなかった。
そうこうするうちに階段を上がって三階へ。
三階はまた様子が変わって、ホールのような場所はなく個室ばかりだ。
店員はわたしたちをそこの一室へ先導すると、一礼して去っていった。
「この店はな、三階からの見晴らしが良い」
クー姉は椅子に座りながら、個室の窓を指した。
その言葉通り、ドゥーエの景色が一望できる。
寮の窓から見えるのとはまた別の、鮮やかなその情景にわたしは感嘆するばかり。
驚いているうちに料理やお酒が運ばれてくる。
その料理は、肉も野菜も魚もみな絶品ばかりだった。
故郷では舞踏会でも食べたことのないのような、それはもう見事なものだ。
わたしは話をするのも忘れて、ひたすら食事に集中して食べまくった。
できるだけ味わって食べようとするのだけど、あっという間に食器が空になる。
合間に飲むお酒──葡萄酒もこれまた逸品で、飲みやすくって一口飲むたびに食欲が増して次の料理が美味しくなった。
そして、どれくらいたったろうか。
気がつけば、食後のデザートが運ばれてくる段階だった。
デザートはガラスの容器に入った、甘くて冷たいお菓子。
食べてみると、牛乳の香りと味がするけどこんなのは食べたことがない。
「いやあ……おいしかった」
本当に、心からの言葉をわたしはつぶやく。
いや、本気でそうとしか言いようのないご馳走であった。
「姉様はいつもこんなご馳走を食べてるのですか?」
「まさか。たまにあぶく銭の入った時さ」
クー姉は微苦笑を浮かべて、空のグラスを弄んでいる。
「時に、スー」
「はい」
「婿になりそうな男は見つかったか?」
姉の問いに、わたしは絶句した。
正直そんなことを聞かれるとは思っていなかったのだ。
「いいえ。見廻り方の男性はみんな既婚者ばかりですし──」
わたしが、正直なところを答えるしかなかった。
「のんきだなあ」
クー姉はクックッ、とお芝居の悪役みたいに笑うと葡萄酒をグラスに注ぐ。
「何なら、私が適当なヤツを紹介してやろうか?」
冗談とも本気ともつかないその問いに、わたしはつっけんどんに答えた。
「……わたしのお婿さんを探すより、姉様がお婿を取るほうが確実では」
「そうでもないさ。こう見えて男にはモテないのでなあ」
「はあ。さようで……」
嘘つくな、という言葉をわたしは寸前で飲み込む。
「マー姉様が家に戻ってくれば、さらに確実ですね」
わたしが家出してしまった姉・マテラのことを言い出すと──
クー姉はグラスのワインを一気に飲み干してから、
「そのマテラのことだがな」
「え?」
「あいつ、冒険者とかいうモノになったそうだ」
「なんですと?」
いきなり投下される爆弾に、わたしは目を白黒させた。
あの、マー姉が冒険者? 確かに似合ってるかもしれないけど……。




