〇八、浮き舟屋
「それで、ご用というのは?」
暗くなり始めた雰囲気を払うように、わたしは尋ねた。
「おお。そうだった、そうだった」
長官も気を取り直したように微苦笑を浮かべると、
「これをな、この地図の場所へ届けてもらいたい」
と、一通の手紙と手描きの地図を手渡してきた。
長官の特技なのか、描かれた地図は非常にわかりやすい。
目的地には、わかりやすく赤インキで『浮き舟屋』と書かれていた。
「その店の主人、ミス・タイガまでな。ちゃんと返事をもらってこいよ?」
長官は補足するように届ける相手の名前を言うのだった。
「ついでに、タロガを見つけたら引っ張って帰って来い。無理にでもな」
「……そんなことできますかね?」
浅い付き合いながら、青い美少年の凶暴性を度々目にした私は言いよどむ。
さっきは相手の虚をつき、勢いでやってしまったけれども……。
同じことをやれる自信は正直ないし、またやりたくもないのだ。
「俺が命令だと言え。そうすれば問題なかろう」
気の進まないわたしに、長官は気楽な声で言ってくださる。
△
かくして。役宅を出たわたしは地図を頼りに一人でドゥーエの街を歩く。
不慣れな道ではあるが、地図はあるし、同じ東区内のようだ。
大きな河川を行きかう舟や風景を横目に見つつ歩くうち、思ったより早く到着。
『浮き舟屋』という看板の下で、田舎臭いメイドが掃き掃除をしていた。
店構えからして、比較的新しい店のようである。
わたしの故郷では、商店にしろ宿屋にしろ無駄に年季の入ったものばかり。
老舗といえば聞こえがいいが、要は老朽化が進んでガタの来た店なのだ。
「ちょっとすみませんが」
「あンだね?」
声をかけると、メイドは方言丸出しで返事をする。
首筋の辺りで切りそろえられた髪の毛は、白っぽい緑。
深緑色のやたらでっかい目玉をした、カエルを擬人化したような顔つき。
でも醜悪という感じではなく、人懐こっそうな愛嬌ある顔だった。
「こちらのご主人へ、手紙を預かってきたんですけど」
「そうかね。ちょっとお待ちくだせえまし」
カエルメイドはわたしの見せた手紙を受け取ると、跳ねるように店の中へ。
そうかと思うと、すぐにまた戻ってきて──
「いやあ、失礼したねえ。お客さん、どうぞ」
わたしは促されるままに、浮き舟屋の中に案内された。
店内はパッと見で、品の良い宿泊施設みたいな造りである。
カウンターの右横には、小さなロビーみたいなところがあって、小型の丸テーブルが二、三並べられていた。
「お客様、こうおいでなせぇ」
メイドはわたしを先導しながら、変な物言いをする。
お芝居か何かの真似だろうか?
奥内はどこも清潔に保たれ、薄っすらと花の良い香りが漂っている。
高級そうな雰囲気だけど、同時に心をリラックスさせるような造りだった。
「こちらへお待ちくだせえまし」
メイドはわたしを客室らしいところへ案内して、パタパタと走っていく。
それと入れ替わるようにして、別のメイドがお茶を運んできた。
さっきのメイドとは対照的に、少し背の高い紫の髪をした物静かな美少女である。
華のあるデザインのメイド服が良く似合っていた。
同じ服でも、着る者によってこうも印象が違うのか。
別にカエルメイドが悪いというわけでもないが、上品な色香というのがある。
「……どうぞ」
きれいな声で奥ゆかしげに言いながら、メイドはソーサーに乗ったカップを置く。
湯気と共に、上品で微かに甘い香りがわたしの鼻をつつくのだった。
たかが手紙のお使いだけで、こうも良い扱いを受けるものだろうか?
それとも、見廻り方という職業が一目置かれるものなのかしらン。
色々と考えながら、わたしは出されたお茶とお菓子に舌鼓を打つのだった。
どっちも、メチャ美味い。
それからどれくらいたったのだろうか。
少なくとも、わたしの感覚ではそれほど長くない時間。
「お待たせしました」
涼やかな声と共に、その女性は現れた。
長い青の髪にはくせ一つなく、赤い唇には柔らかな微笑が浮かんでいて……。
とにかくもう、振るいつきたくなる美女なのである。
深く濃い青のドレスを着て、その仕草が何とも言えず素敵。
色っぽいのだけど、同時にすごく上品でかっこよい。
うちの姉様たちとはまるでタイプの違う貴婦人だ。
「あ、あなたは……」
「これは失礼。私は、ルザ・ワカ・タイガ。この店の主です」
少し首を傾けて、貴婦人はまた微笑む。
ああ、やはりお美しい……。
そして。やっぱり姉たちとは違う。そりゃもう色々と違う。
クー姉はきれいだけどあまりにも殺伐として、同じ美しさでも刃物みたいだ。
マー姉はこの人に比べると、まだまだ子供っぽく野暮ったい。
かく言うわたしなどはもはや比較にもならず、ほとんど別次元の存在と言えた。
「こちらがお返事のお手紙です」
ボーッとしているわたしに、貴婦人は蝋で封をした手紙を差し出してくる。
「あ、はい、はい。確か、確かに……!」
あわてて手紙を受け取りながら、わたしは無駄にペコペコしてしまう。
しかし一応公僕にある人間として、これでいいのだろうか?
すぐに、まあこんな人相手なら、しゃあないよねと思ったけど。
「ああ、そうそう。イラムさん?」
「え? 何でわたしの……」
「ふふっ。手紙に、あなたとタロガさんのことが少し書かれていたから」
貴婦人は、今までとは違うイタズラっぽい瞳で微笑む。
「さ、さようですか」
これはまた意外な展開だ。
あの見た目ばっかで粗暴でおガキ様と、この美女はどうにも結びつかなかった。
似ているのはせいぜい髪の色だけど、多人種都市であるこのドゥーエでは、大抵の身体的な特徴は珍しいものではない。
「それじゃあ、彼は裏の井戸にいると思うから。迎えにいってあげてね? この部屋を出て、まっすぐ右に行くけば出られますから」
美女はそう言い残すと、音もなく微風のように行ってしまった。
「え、彼ってタロガ? え。あいつがいるって…………」
わたしが声をかけた時には、もうどこにも見えず。
仕方なくわたしは、言われたとおりにタロガを探しにいくしかなかった。
タロガのやつめ、一体あの貴婦人とどういう関係なのやら──




