〇一、ことのはじまり
「お父様のバカ!!!!!!!!!」
屋敷を揺るがすような馬鹿でかい声で、わたしはお茶を吹きそうになった。
もちろん声の主はわかっている。
姉のマテラだ。ちなみにわたしはマー姉と呼んでいる。
何じゃらほいと行ってみれば、マー姉が父上の部屋から飛び出してくるのが見えた。
あーあ。まーた喧嘩したのか。
わたしはうんざりした気持ちでため息をついたが、使用人、特に若いメイドたちはオロオロしっぱなしである。
まだうちに来て日の浅いメイドなんか、この世の終わりみたいな顔になっていた。
父上とマー姉の、無駄に気合の入った怒鳴り合いは彼女らには恐ろしかろう。かわいそうに。
わたしなんかは、もう慣れたもんだが。
「心配ないって、痴話喧嘩みたいなもんだから」
わたしがそう言っても、メイドたちは微妙な顔をするばかりだ。
そんなだから、言ったわたしのほうもちょっと微妙な気分になってくる。
だけど、この表現が一番的確だとも思えるのだなあ、やっぱり。
近頃は何かと衝突することの多い二人だが、逆に言えば一番気が合っているというか、仲が良い二人でもあるのだ。
マー姉は、わたしら姉妹のうちで一番父上を尊敬している。
小さい頃なんか、終始父上にベッタリくっつき、みんなの苦笑を誘っていたなー。
さすがに、
「わたし、おーきくなったらおとーさまのおよめさんになるー」
てな発言をするタイプじゃなかったけど。
色んな点で父上に一番似ているのがマー姉で、一番可愛がられているのもマー姉。
そんな二人が、何故喧嘩ばかりしているのかと言うと──
おや?
「はぁ……」
少し離れたところで、執事のカラジオが困った顔をしているのが見えた。
「マー姉、またやったみたいだね?」
「今度は少々後を引くかもしれません……」
当家の誇るごつい顔をした筋骨隆々の執事は、巨体を縮こまらせて辛気臭い顔。
「お見合い……縁談のお話が来てるんだって?」
「はい。ご存知かとは思いますが……」
「シュヴァリエ家の次男さんだよね、たしか」
当家とはわりと長い付き合いのある家の次男坊で、なかなかの美男子だ。
「ご本人は大変乗り気で、旦那様もこれならと思われていたようなのですが……」
「ああ……」
やっぱり、マー姉が嫌がっているというわけか。
わたしからすれば、えらくゼータクなお話であるのだがなー。
うちの父上が気に入るなんて、あの次男坊さんもなかなかの逸材だと思うぞ?
「そんなに、その人のこと嫌ってんの?」
思い返せば、マー姉はあれでなかなか男の好みがうるさい。
自分がモテることを、よくわかっていないくせに……だ。ケシカラヌ。
「はあ。というか、縁談を進めるのと同時にマテラお嬢様の花嫁修業を……」
「なるほどー。貴婦人になるための特訓ってわけですな?」
確かに、あのままで騎士の妻としてやっていけるとは思えない。
わたしだって、あまり人のことを偉そうには言えないけどね。たはは。
マー姉ときたら、普段からまるで男の子みたいな格好してて、行儀作法よりも剣術や馬術に熱中しているのだ。
髪の毛も短く切り、仕草も話しかたもどーっか男の子っぽいのである。
国中でも一、二を争うかもしれない、お日様みたいな美貌なのに。
わたしなぞよりずっと人に好かれる性格なのに。ついでに胸もでかいのに。
「あの、スーお嬢様……」
「まさか、わたしに説得しろとか仲立ちしろとか言わないでしょーね? 無理」
「……そうですか」
わたしの声にカラジオはガックリと肩を落とした様子。
そんな態度取られたって、無理なものは無理なのである。
あの父上とマー姉の喧嘩に、誰が割って入れるのか。
いや。いることはいるんだけど、今現在我が家にはいないのだ。
どっちにしろ、わたしごときが横で何か言ったところでどうにもならん。
そのへんは、昔からの経験でわかっているのだから、しょーがないネ。
てなことをわたしがアレコレ考えていると──
いきなり、勢いよく馬のいななく声がした。
カラジオと顔を見合わせ、わたしは急いで庭へと飛び出していく。
その時見たものは、当家一番の駿馬・迅雷丸に乗ったマー姉の姿だった。
マー姉は一瞬わたしのほうを振り返ったようだが、立ち止まることなく、そのまま馬を駆って行ってしまう。
え。 いや、あの、これって……ひょっとして家出か?
うわあ……。ないわぁ……。