ⅲ.
お散歩(?)の始まりです。
シンシアの目覚める時、部屋にオーディンの姿はない。
自分のぬくもりしか残っていないシーツの上で、彼女はぼんやりと寝台から窓の外を見上げる。
血を吸われたためか少し気怠い気もするが、シンシアも血を貰っていたため思っていたよりも貧血に悩まされることはない。
「むしろ、吸血のために私に血を与えたのかしら……」
そう思えば納得がいく。
緩慢に寝台から出ると、リムがやってきた。
「おはようございます、シンシア様」
「……おはようございます」
「本日は陛下より城内散策の許可が下りています。お食事の後に案内の者が参ることになっています」
本当にこの部屋から出して貰えるようだ。目を輝かせて話を聞いているシンシアを見据え、リムは満足げに笑う。
「というわけで、今日もめいいっぱい可愛く致しましょうね」
リムが両手で掲げるのは、白いニットのワンピースだ。何故か、後ろのテーブルの上に兎の耳を模した白いもこもこの帽子がある。
「今日は兎さんに致しましょう!」
「……そのような物は一体何処で手に入れて来るというのですか……?」
シンシアの散歩のために部屋にやってきたのは、紅い髪の少女だった。
「悪魔のフラウでーす! これでもルノーシェの将軍してますっ!」
二つに分けて結い上げられた、燃え上がる焔色の髪が彼女の動きに合わせて揺れる。
シンシアよりも幾つか下、10代前半にしか見えない少女は、とても愛らしい顔立ちをしている。天真爛漫、明朗闊達。無邪気さの溢れる少女だ。ルノーシェの女性武官の制服だという紅の衣装を纏っている。
とても将軍位に就いているようには見えないが、魔族は見た目で判断してはいけないということを、シンシアはこの数日リムと接するうちに知ってしまった。
フラウは緋色の双眸でしげしげとシンシアを見つめてくる。
「初めまして! ウサギの耳してるけど陛下の愛猫様ですよねっ?」
「愛猫……そう、だと思います」
「わぉっ! 愛猫様って、今城内で一番の有名人なんですよー」
人間自体珍しいのに、陛下の眷属っていうかなり貴重な珍獣に会えて、フラウは感激ですっ!
「…………」
珍獣呼ばわりされ、シンシアは頬を引き攣らせる。
「フラウ将軍はこれが通常運転です。お気になさらず」
「……わかりました」
素直にリムの言葉に頷き、シンシアは興奮気味の小さな将軍と向き合う。
「シンシアです。今日はよろしくお願いします」
「はい、お願いされました!」
ぴょこんっと右手を額近くで掲げてみせ、フラウはシンシアの手を取る。
「じゃ、行きますよー」
「お気を付けて、シンシア様」
「いってきます」
昼間は仕事があるリムに見送られ、シンシアはフラウと共に城内探索へと出発した。
「愛猫様は何処行きたいですか?」
横に並んで歩きながら、フラウがそう尋ねてきた。後ろ向きで器用に歩くフラウを見下ろしながら、シンシアは思案する。
「ここには何があるのですか?」
「普通の城だと思いますけど? 陛下の執務室とか謁見室とか訓練場とか温室とか図書館とか……」
指を1本1本折りながら並べ立てていたフラウは、ふと口元に悪戯気な笑みを浮かべる。
「……後宮とか」
緋色の双眸が意味有りげにシンシアを一瞥した。切り込んでくる鋭く研ぎ澄まされた刃のような瞳。心の奥底まで探り込んでくるそれに、シンシアは真紅の双眸を瞬かせる。
「オーディンは妃の方がいらっしゃったのですか?」
「意外ですかー?」
「はい」
こくりと頷くシンシアに、フラウはでもっと首を傾げる。
「陛下が即位したのは、愛猫様が生まれるよりもずっとずぅーっと、前なんですよ? いても可笑しくないじゃないですか。魔族はお綺麗な御令嬢の方々がいらっしゃられるのに」
「そうであるのならば、幾ら愛玩とはいえこのような貧相な娘を傍に置くのではなく、妃の方の許に御出でにならればよろしいのに」
心の底から出たであろうその言葉に、フラウは目を丸くした。
シンシアは人間にしては綺麗な顔立ちをしている。人ならざる美貌を持つ魔族の中にあっても引けを取らないであろうその姿は、神の眷属である精霊かと錯覚するほどだ。
小柄で華奢な四肢をしているが、彼女で遊んでいるリムの話では、細い腰に対して出ているところは出ているという。服を着ていては判り辛いが、彼女は色香を孕んで柔らかく花開こうとする蕾のようであると。
なのに、彼女自身は己を貧相だという。よっぽどの謙虚さか――――ただの純粋すぎる無自覚か。
恐らく後者なのであろう。彼女は実に不思議そうに歩いている。
「……なるほどね」
恐ろしい程までに純粋な娘。陛下が気に入る訳だ。困ったような、けれども嬉しいような。そんな、曖昧な苦笑いを、フラウは浮かべる。
「? どうかなさったのですか、フラウ」
まさか、何処か、不調でも……
不安げな言葉に、首を横に振る。人間にしては無垢な少女に、魔族の将軍は笑って見せた。
「いーえ? 何でもありませんよ、シンシア様」
水晶に映るのは、紅い髪の悪魔に連れられて城内を廻る眷属の少女。彼女はフラウに翻弄されながらも、興味深げに城内を見渡していた。
「可愛らしい姫ですね」
遠見の魔法で執務の傍らシンシアの様子を窺っていたオーディンが視線を向けると、蒼銀の髪にくすんだ金の瞳の青年が立っていた。フラウとは色違いの衣装を纏う彼は、水晶に映る人間であった少女を見やる。
「人間だったのに眷属になることを受け入れるなんて、よっぽど命に執着がある姫だと思っていたんですけど」
「執着はあるだろう。生きたいと言っていたしな」
泥に塗れた衣装を纏い、身体中が傷だらけになりながらも、生きたいかと問いかけた途端、虚ろだった漆黒の双眸に強い光が宿った。
強い生命力と永い寿命を持つ魔族は、その命を蔑ろにしがちだ。多少の傷であれば、ある程度の時間さえあれば癒えてしまうからだ。
だからなのだろう。魔族の目には、人間の生を切望して足掻く様が眩しく映る。短い命だからこそ懸命に生きる姿は、とても濃密だ。
それよりもと、オーディンは水晶に映る少女を凝視する。
愛玩の他に餌のために眷属にしたまだ幼い少女。昨夜初めて吸血をした彼女の命の雫は、酷く甘美で――――まるで精霊のものであるかのよう。
世界に数多ある精霊に愛されている存在の魔術師であったためかと思ったが、そう言い切るにしては精霊の気配が強すぎる。
「……本当に、人間だったのか……?」
彼の言葉に応える声はなく。虚しく空気へと溶けていった。
「結局、シンシア様は何処行きたいんですか?」
フラウにそう尋ねられて、シンシアは唸った。
「図書館も興味深いのですが、温室にも行ってみたいですし……」
「近いから図書館から行く?」
「そうですね」
その提案に頷き、シンシアはフラウの横に並ぼうとして体勢を崩す。久しぶりに真面に歩いたため、弱っていた足がふらついたのだ。
咄嗟に近くにあった壁に手を突いたのだが――――がこっという音とともに壁がめり込む。見ると、壁に貼られていた若い女の横顔のレリーフが沈んでいる。
「あ」
貌を上げると、フラウが頬を引き攣らせていた。瞬間、シンシアの足元に魔方陣が広がり、床が消えた。
「え……?」
一瞬の浮遊感の後、重力に従って急激に身体が下へと引っ張られる。
「きゃあああああああっ!?」
「シンシア様っ!?」
「ぁっ、か、風よっ!」
物凄い勢いで落ちて行きながら、何とか声を紡ぐ。シンシアの呼び掛けに呼応し、下から風が吹き上げた。くすくすと密やかな笑い声を上げながら、風は優しく彼女の身体を包み込み、緩やかに下へと降ろしていく。
どれ程降りていったのだろう。漸く足を地につけ、シンシアは安堵の息を吐いた。フラウが背中に漆黒の羽根を展開し、降下してくる。
「ごめんなさい! あそこに地下迷宮の入り口があること忘れてて……」
「……何故城内に地下迷宮があるのですか……?」
「初代の陛下が作ったんですよ」
「初代と言えば、2000年程前ですよね。ルノーシェという国ができたのは、カイルの戦いの後だった筈ですから」
カイルの戦いは今やお伽噺として語られる、人間と魔族の大戦のことだ。舞い降りた神によって収められた闘いの後、当時魔王と呼ばれていた魔族がルノーシェの建国を宣言。以後アネディティト大陸の西半分を魔族領として、代々のルノーシェ王が治めている。
「元々は危険だから王以外立ち入り禁止だったそうなんですけど。210年くらい前だったかな……? 今の陛下がただあるだけの迷宮なら使った方が有意義だとかで、武官の訓練用にって入り口を公表したんです」
「では、ここが訓練場なのですか?」
「ううん、違うよ。訓練場は地上にありますもん」
「……よくわからないです」
「フラウもです」
シンシアは辺りを見渡す。
「でも……不思議なところ」
「ふしぎ?」
「何と申うしましょう……」
真紅の双眸に、懐古の光が宿る。
「なんだか……懐かしい」
愛らしい端正な美貌が、不意に大人びた。何処までも透明で静かな諦観したような横顔に、フラウは息を呑む。
「なにが、懐かしいの……?」
無意識に口にしていた問い掛け。若干たどたどしくなってしまっていたが、彼女にはちゃんと届いたようだ。
だが彼女は困ったように眉を顰めるだけで、ただ微笑んでいた。
新キャラ悪魔のフラウは、紅い髪をツインテールにした、
見た目12歳頃、実年齢は秘密な女の子設定です。
一応将軍なので、かなり強い。
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