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月に捧ぐ恋の調べ  作者: 白毬りりま
Ⅷ.月に捧ぐ恋の調べ
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ⅴ.



 1年振りのクレスク河は、春先のため水はまだまだ冷たく、見ているだけで寒々しい。日が沈み、冴え冴えと月明かりに照らされ、それが更に顕著に思えた。

 よくもまあ生きていたものだと、シンシアは少なからず感心する。どうやらオーディンも同じ心境だったようで、しみじみと遠い目をしていた。


「魔族でも多少なりと寒いと言える程だというのに、人間の娘が水に浸かったまま倒れているんだ。最初は死んでいるのかと思った」


 あの時の彼女はまだまだ幼い少女にしか見えなかったのに。死ぬことに何の躊躇いも覚えず、大人しく儚くなろうとしていた。


 滅多に見ない人間の少女だったから、物珍しさに気紛れを起こしてみた。自分なら彼女を眷属にして生き永らえさせることができる。もし彼女が望むのであれば、吸血鬼にしてやってもいい。

 人間にしてみれば年頃だろうし、愛玩として飼えばユリア以外に側室を迎えろと煩い重鎮共も暫くは言い訳が効くだろうと。


 実際に拾ってみると、従順なのか、それとも幼過ぎるのか、よく解らなかった。好奇心旺盛で、自分の力に自負していて、何処へでも突っ込んでいって――――目を離すといつも危険の中心にいる。

 誰の猫だと思っているんだと、何度も部屋に閉じ込めてみても、隙を見て城内をふらふらしている。出掛けてもいいと言った翌日、執務室に現れた時などは嬉しさのあまり謹慎中だということすら忘れていた。


 全く以って掴み所がない彼女。気高く自由気侭なその性情は猫そのもの。

 そんな彼女が実は歌姫だと知った時、驚きもしたが…………納得もした。


 ――――まさか、あからさまに好意を示されるとは思わなかったが。



 ずっと川面を見つめていたシンシアは、オーディンを振り返った。穏やかな漆黒の瞳で彼を見つめる。


「私はずっと独りでした。独りで歌姫の力を持て余していました」


 それはまるで月の光さえ届かない、決して明けない夜の中にいるようだった。

 手を伸ばしても何にも届かない。何も見えない、何もわからない。

 世界を支配する闇が重苦しくて呼吸さえできない、そんな夜。


 歌姫の力は他人に大っぴらにできない。

 何をすればいいのかわからなくて、ただ薬師としての毎日を淡々と繰り返していた。


「貴方は私の月よう。孤高で輝いてその姿は遠く見えたとしても、暗く果てのない夜を照らして、私の世界を切り開いてくれる」


 空に浮かぶ月はあの日と同じ。たとえ冴え冴えと冷たく見えても、辺りを浮かび上がらせ、道を示してくれる。


「貴方は私に知らない世界を見せてくれる。そして私は貴方の望む世界を創る為の力を持っている。ならば私は、貴方のために幾らでも歌いましょう。貴方の望みを叶えましょう」


 白いドレスが月明かりに浮かび上がり、彼女自身が仄かに光を放っているかのようだ。


「聴いてくれませんか。私の、貴方への想いを」


 見上げてくる双眸は不安げに揺れていて、それでも真っ直ぐに想いを届けようとして…………なんといじらしいことだろうか。


「ああ……聴かせてくれ」


 彼女は白い頬を染めて、嬉しそうにその美貌を綻ばせた。照れ隠しに白い裾を翻すと、すうっと息を吸い込む。



 空高く歌声が響き渡る。数多の奇跡に対する喜びと狂おしい程の熱情を籠めて、大気を震わせる。

 湧き上がってくる旋律と共に、シンシアはうっとりとオーディンに寄り添う。繋いだ手が、何よりも愛おしかった。




 恋の調べが、月へと届いた瞬間だった。





今思い起こすと,シアちゃん事件の渦中によくいるなぁと思います.

大変ですねと思いつつ,私のせいだと気付きます.


次はepilogueです.

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