ⅲ.
どうして自分はここにいるのだろう。フレイは肩身の狭く酷く居た堪れなれない環境の中、何度目かも知れぬ自問を繰り返した。原因は目の前にいる歌姫ふたりにある。
「だーかーらー。幾ら魔王でも歌姫には叶わないんだから、子守唄でも何でも一曲歌って精神魔法でもかければ簡単に外に出れるってば」
「エルはあっさりと言いますけれど、そう簡単にはいかないのです。最近では歌が聴こえなければ魔法にかからないことにお気付きになられて耳栓をなさるようになったのですから」
「魔族は人間よりも遥かに聴覚が優れているのに、耳栓なんて効くの?」
「魔女であるサンディ特製の耳栓だそうです。会話はできるように歌だけが聴こえない構造になっている、とのことです」
「魔王風情が小賢しい。余計な知恵を付けたのね」
「先日には一度、ルミペトル秘伝の睡眠薬をお茶に仕込んではみたのですが、何時の間にか私のものとカップが入れ替えられていて…………気が付くと朝でした……」
「…………それは間抜けとしか言えないわよ、流石に」
仮にも一国の王に対して無礼極まりない発言の数々。そしてそれが当の王本人の部屋で行われていることに、フレイは冷や汗が止まらなかった。不法侵入罪か、不敬罪か、それとも両方か。ばれたらただでは済まないだろう………………果たして生きて還ることができるのだろうか。
今日のフレイは馴染みの業者に、薬草を卸して帰ろうとしていたところだった。希少な薬草が手に入り、尚且つ常日頃よりも高く売れたため、機嫌よく歩いていたちょうどその時、食材を買いに街に出て来ていたエルディアナに捕まり、「楽しそうね、ちょっといらっしゃい」と有無を言わさずにルノーシェにつれて来られたのだ。
それから延々と、歌姫ふたりによる魔王部屋からの脱出方法の討議を聞かされ続けていた。一気に神々が住まうという天上の楽園から、地の底に引き摺り込まれたような心境を味わう。
歌姫は俗世に染まらぬ清らかな姿を持ち、麗しい歌声で世界を震わせる、神の娘。物心付く前より母からそう聞いていた彼は、幼心に歌姫に大して尊敬と憧憬の念を抱いていた。死ぬまでに一度は会い見えたいとも思ってはいた。
実際に出逢ったシンシアとエルディアナは母から聞いていた通り――――否、それよりも超然としていた。ひととは異なる考えを持ち、美しい声と容姿を持つ、正しく神の娘と呼ぶにふさわしい存在だった。
なのに何故話の内容が脱走計画なのか……! フレイは卓の下で拳を握り締めた。
「私はもう戻ってもよいでしょうか……?」
「お前のところの姫が困っているのよ? 少しは知恵を貸しなさいよ」
なんて理不尽な。エルディアナに言い放たれた言葉に、びしっと高圧的に指を差されたフレイは絶句する。
確かにシンシアは敬愛する夜姫クリスフィアの直系の姫だが、外へ遊びに出たいがためだけに命を懸けることには大いに躊躇する。
知恵を貸せと言われて、フレイは今の状況を整理することにした。その間にもふたりの姫君は他愛もないことをぐだぐだぐだぐだと話し合っている。
「そもそも姫が勝手に出かけるが毎に飽きもせず面倒事に巻き込まれていらっしゃるから、ルノーシェ王より外出が制限されていますよね」
「……好き好んで巻き込まれているのではないもの」
「この間の城半壊騒ぎのせいで説得力がまるでないわよ? 精霊たちも有史始まって以来の歌姫同士の修羅場だと騒いでいたわ。さぞかし見物だったのでしょうね」
「え、この間にルノーシェで起こった騒ぎは、姫が元凶だったのですか?」
「…………好き好んで壊したのではないものっ!」
ちゃんと直したわ! シンシアは口を尖らせて明後日の方を見た。子どもかっとエルディアナが突っ込むが、すっかりと臍を曲げてしまったようだ。
直せば何をしてもいいということではないと思いつつ、これ以上機嫌を損ねる気もないフレイは考えを巡らせる。考えて考えて――――そしてひとつの結論に落ち着いた。
「単純に、姫がおひとりで勝手に外に出なければよいだけの話ではありませんか?」
きょとんとシンシアとエルディアナは目を瞬かせた。顔を見合わせ、フレイの話に耳を傾ける。
「どういう意味です?」
「ですから――――」
* * * * *
執務をこなしていたオーディンは、書類の間から出て来た一通の封筒に目を留めた。女の手で綴られた細い文字の羅列。表には彼の名が記されていた。
『親愛なるオーディンへ
今度一緒に、何処かへ遊びに行きませんか
愛と期待をこめて シンシア』
音も気配もなく、彼に一切を覚られることもなく、書類の中に紛れ込ませる。このような芸当ができるのは、このアネディティト大陸全土――――世界全てを見渡してみても、彼女以外はそうそう見つからないだろう。エルディアナですら、この城に入った時点で微かに気配を感じるのだから。
「随分と甘やかされて、否、大切にされているようだな」
このような些細なことに歌姫の力を使ってしまうなど、まだまだ子どもだな。
皮肉を込めて傍らを見渡すと、彼を遠巻きに見ていた精霊たちは音を立てて気配を消していった。だが確かにそこにいるのだろう、期待するような視線をひしひしと感じる。
オーディンはこめかみを押さえ、これからの予定を思い起こした。執務机の上にできている山を横目で睨み、考えること暫し。
「時間を作ってやる……すぐにとはいかないが、何処に行きたいのかを考えて置くように伝えろ。話は夜に聞いてやる」
《ほんとうー?》
「ああ」
《ほんとーぅっ!》
精霊たちがはしゃぎ出す。幼い少年の格好をしたある者は喜びのあまりに顕現し、オーディンと目が合うと慌てて姿を消した。
だが興奮は冷めず、彼らは我先にとシンシアに知らせに行こうとする。オーディンは苦笑を浮かべて続けた。
「いい加減に反省しているだろう」
《してるしてる! すーっごくしてるっ!》
《姫様絶賛反省中!》
「……そこまで言われると逆に疑わしささえ覚えるんだが」
と、その時、執務室の扉が叩かれた。エドワードのようだ。入室を許可すると、扉が開かれる。
「陛下、今よろしいでしょう――――かぁっ!?」
エドワードが入室するのと同時に、はしゃいでいた精霊たちは駆けて行った。彼らの力が吹き荒れる突風を生み、書類が舞い上がる。
姿が見えなくとも何かが通って行ったことはわかったのだろう。風に煽られたエドワードは呆然と廊下を見やる。オーディンは頭を抱えた。
「あの馬鹿猫が」
だがその猫と何処かへ出かけることに心が浮足立っているのは、決して彼らだけではない。
憧れは脆くも崩れ去っていく運命であった……の巻、です。
現実は思い通りにいきませんね……orz




