ⅷ.
にゃふふふふー♪
「何やら騒がしいと思って見に来たが、この様は何のつもりだ?」
冷ややかに地を這う低い声と凍り付くような鋭い眼差しに、シンシアは貌を強張らせた。
これ程の騒ぎを起こせば彼が出てくるかもしれないと思ってはいたが、執務中の彼の邪魔をしまったことに、配慮の足りなかった自身の未熟に、シンシアは臍を噛む。歌姫は彼らを導く者になっても、彼らの志を妨げる者にだけは決してなるわけにはいかないのだ。
一方のアンジェは、怒気を纏うオーディンの姿に愛らしい面差しを蒼白にしていた。両の手を握り合わせ、頼りない金の双眸で恋い慕う王の姿を見つめる。
「あ…の……オーディン、様……」
「ソーリスの令嬢。これはどうしたことか」
「これは……その……」
弁明の言葉が思い浮かばず、アンジェはそのまま口籠り黙りこくってしまった。
オーディンはアンジェから視線を逸らすと眼下の城を一瞥した。城壁は崩れてしまったり罅が入ってしまっていたりしていて、唖然としている中にいる者の顔を見ることができる。その上、東屋があった筈の北の庭には深く大きな穴が穿たれているときた。
「誰かが戦闘しているようだとは思ってはいたが、まさか城を半壊されるとは思っていなかったな」
うっとシンシアは言葉に詰まった。しおしおと小さくなる。
「……責任をもって直させて頂きます」
「それ以前に壊すな」
ぽんっと頭の上に置かれた大きな手。シンシアは貌を上げて嘆息するオーディンの姿を見つめた。呆れている面差しのその宵空色の双眸は、けれど柔らかく微笑している。
シンシアははにかむようにして微笑みを返した。
仲睦まじく見える2人の姿に、アンジェは愕然と金の双眸を見開いた。
この光景を見たくない。信じたくない。感情のままに唇を噛み――――気が付いた時には叫んでいた。
「どうして――――どうして……っ!」
悲鳴染みた叫びにシンシアは息を呑んだ。射殺さんばかりの視線。力が籠り過ぎたのか、淡い色の可憐な唇が真っ赤な血に染まる。
「どうして、わたくしではないの……っ!」
ひくりっ。引き攣ったように息を吸い込み、アンジェの紅い唇が開かれる。
溢れて来たのは音の奔流だった。
「好き 好き 本当に好きなの
気付いた時には大きな篝火みたいで
空を真っ赤に染めるように弾けそうになってた」
先程の艶めいていたものとは違う、飾らない彼女の心。
熱くて、激しくて。聴く者を灼き焦がし、溶かしてしまいそう。
その歌声に魅入られて、精霊たちが――――世界が、動き出す。
「あ……っ!」
シンシアの味方に付いていた精霊たちは彼女の下から離れ、アンジェの方へと惹き寄せられる。思わず伸ばした白い手に、振り返る者はいない。
「そんな……せいれいたちが……」
今まで自分に従う精霊を魅入らせることのできた者などいなかった。シンシアは夜姫クリスフィア直系の歌姫で自分程の力を持つ歌姫と言えば、焔姫アイリスの直系エルディアナくらいしかいなかったからだ。
呆然と力の抜けた華奢な四肢を、オーディンは咄嗟に支え直す。
「シア!」
「あ……ごめん、なさい」
叱咤されて、我に返る。戦慄するシンシアの貌をオーディンは覗き込んだ。
「彼女はお前より強いのか?」
「……純粋に歌姫としての力だけで言えば、私は彼女を凌駕できる筈です。ですが……」
アンジェはただひたすらに、嫉みでも妬みでもなく、純粋に哀しみを歌っている。
痛い程に心を突く旋律に、シンシアは両手をぎゅっと握り締めて胸元を抑えた。
彼女の想いに、私は勝てるのでしょうか……?
ふとそう零してしまいそうになり、シンシアは悲痛に貌を歪めた。いいえ、いいえと首を横に振る。踵を返してしまいたい背筋を伸ばし、毅然としてアンジェに向き合う。
「私は負けません。彼女には同じ歌姫として、幸せになって頂きたいです。それに」
「それに?」
シンシアは真っ直ぐにオーディンを見つめる。漆黒の瞳は星の瞬く夜空のように煌く。
「オーディンは誰にも譲りません!」
このような状況だというのに、いつもと変わらぬシンシアの言動。彼は目を丸くして……声を立てて笑った。
理性の色を失った金の双眸が、激情のためにきらきらと輝いている。魔力に煽られてリボンの解けた白い髪が大きく翻っていた。
狂気の滲むアンジェの相貌。白い頬を幾筋も伝う涙。
その瞳が、その貌が、その涙が。とても眩しく見えて、シンシアは目を細めた。
「……もし、もう少し別の出会い方をしていたのなら」
もし、もう一度最初からやり直すことができたのなら。
私たち、いいお友達になれますか――――?
暗くなった空に浮かぶ白い月に向かって手を伸ばす。
「空いっぱいに飛び散った星の夢
月明かりに照らされた夜に手を伸ばして
たとえ引き裂かれても この手を繋いでいたい
穏やかな闇に抱かれて 夢に見てたの」
旋律は先程歌っていたものと同じものだ。だが先程の歌がオーディンのことだけを想っていたのに対し、これはこれからの未来にアンジェも共にあることを想定してのものだった。
ぴくりとアンジェが反応する。彼女の意識がシンシアに向いたためか、釣られて精霊たちの力が鉾となって彼女に襲い掛かる。
だがそれは彼女に届かず、オーディンの力によって相殺された。余波だけが夜空色の髪を揺らす。
自分は歌にだけ集中すればいい。唸る風の音も、様子を窺っている者たちの悲鳴も、シンシアには聴こえない。優しい大きな手が支えてくれる。だからシンシアは真っ直ぐにアンジェだけを見つめるのだ。
「何処までも何処までも 永遠は眩しくて
隣に並んで 夜空に浮かぶ月に乞うの
永遠が欲しい 一緒にいたい 幸せになりたいから
どんなに残酷でも 幻に何度でも手を伸ばすの
無邪気に笑う運命に 突き放されて打ちのめされても
確かに輝く希望を 私は手に入れてみせる」
シンシアはふっと髪を彩っていた花飾りに息を吹きかけた。ドレスと同じ紅茶色の布で作られたそれは、魂を吹き込まれて摘み立ての瑞々しさを持った生花となる。
「咲き誇れ」
宵空に投じられた花から緑の蔓が伸び、一瞬にして広がっていく。城壁に絡み付き地面を覆い尽くす蔓に、柔らかな紅茶色の花が無数に綻んだ。
咲き誇り舞い散る花弁。シンシアの想いを乗せた花はふわりふわりとアンジェを取り囲む。
彼女の声に戸惑いが混ざる。蔓に周囲を阻まれた精霊たちは動きを止め、2人の歌姫を見比べる。
「彼女と、2人でお話がしたいの。お願い、道を開けて」
空に溶けていくようにシンシアの行く手から精霊たちが遠ざかり、姿を消す。ひらひらりと花弁の舞う空中をシンシアはゆっくりと歩む。
のろのろとアンジェは貌を上げた。涙で濡れた面差しで呆けたようにシンシアを見やる。
「……こないで」
わたくしに嫌な夢を見せる、同じ夜姫の血を引く人間だった少女。
精霊たちは皆下がって行ったため、力を借りることができない。上手く頭が回らずシンシアに攻撃する術の見つからないアンジェはのろのろと首を横に振り、拒絶を示す。
その間にもシンシアはまるで地面の上であるかのように歩み寄って来る。
「こないで……こないでよぅ……っ」
ふわりと微笑むは一瞬。神聖ささえ覚える微笑みにアンジェは気を取られた。
白い手が振り上げられる。
「――――この自己中心的娘がっ!」
「っ!」
ぺちんっ。痛みを覚悟して咄嗟に両目を閉じたアンジェは、想っていたものよりも小さな衝撃を頬に感じる。
恐る恐る目を開くと、シンシアが不機嫌そうに両手でぺちぺちとアンジェの頬を軽く叩いていた。
アンジェは感情に流されやすい子どものような少女。
シンシアは世間で色々あってちょっと磨れてきた女性。
性格形成は周囲の環境問題だと思っている今日この頃です。
紅茶色の花というとジュリアを思い浮かべます。綺麗ですよね。
パパメイアンとか黒真珠とかも綺麗だと思いますが、
以外と色が濃過ぎる(どちらかというと黒ですし)ので、
ジュリアの方が好きです。
次回、シンシアのお説教話。




