表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
月に捧ぐ恋の調べ  作者: 白毬りりま
Ⅶ.綻ぶ熱
50/65

ⅴ.

お久しゅうなのです!



『いーい? 嫌なことがあっても、哀しいことがあっても、悔しいことがあっても、決して俯いては駄目よ』


 訝しむ幼かったシンシアに、メティスは人差し指を立てて諭した。


『足元ばかり見ていても、いいことなんてちっとも起こらないわ。寧ろ気分はだだ下がりで、嫌なことばかりに思考が回ってしまって、自分が惨めに思えてしまうだけ』


 卑屈な想いは何時しか闇に囚われ、気付かぬうちに暗がりに引き摺り込まれてしまう。

 歌姫は不可能を可能にする奇跡の力を持つ存在。冥い感情のままに力を揮えば、たくさんの人間を巻き込んでしまうだろう。


 彼女の言うことは尤もで、シンシアは神妙な顔をして頷いた。素直な娘に、メティスはだからとこの上なく朗らかに笑った。


『だから、嫌なことがあればとことん闘いなさい。もがき、抗い、這い上がりなさい。邪魔する者がいるというのならば容赦はいらないわ。相手にもう2度と立ち向かいたくない、歯向かいたくないと思わせる以上に叩きのめしなさい――――私たちにはそれだけの力があるのだから』


 隣で父が物凄い微妙な顔をしてたった3つにも満たない子どもに何を教えているんだと呻いていたが、これにもシンシアは素直に頷いた――――




「…………」


 在りし日の記憶を想起し、シンシアはくすりと小さく笑みを零した。懐かしい。ずっと両親との記憶はキルトでのアリアーヌの涙をちらつかせ、想い出すことさえも億劫なものだったというのに。


「……何が可笑しいの?」


 先を行っていた彼女が彼女の笑い声を聞き咎め、感情の見えない低い声で尋ねてくる。睨んでくる金と青の瞳に、シンシアは澄ました顔で返した。


「何も?」


 彼女は物言いたげに口を開きかけたが、遂に何も言わずに視線を逸らした。停めていた足を再び動かす。シンシアも何も言わずに彼女の後について行く。


 背を覆う柔らかな髪は混じりけのない白。高い位置にある三角の耳も、ほっそりとした尾も、同じ混じり気のない白。すらりとした身体の線に添う意匠の白いドレスと幾つも結わえられた彼女を飾る青いリボンが、精緻な美貌と相まって彼女を無機質な人形のように見せている。左右で色の違う瞳のため、余計に非現実めいて見えているのかもしれない。

 だがその瞳の奥に、シンシアは確かに己に対する憎悪を見た。彼女のその想いが何であるのか、シンシアは知っている。


 やがて辿り着いたのは、今は人気のない北の庭。たくさんの令嬢が西の庭に集っているためか、今時分は警備の者の多くはそちらに割かれていて誰の姿も見出すことはできない。

 彼女は迷わず北の宮に設けられた東屋に近付くと、若い女の横顔を模したレリーフの前に立った。色味のない手でそれに触れ、艶やかな微笑みを浮かべてシンシアを振り返る。


「2人っきりで話がしたいわ。いいわよね?」

「私も1度、貴女とゆっくりとお話をしたいと思っていました」


 猫人の彼女は青い方の目を眇めた。シンシアは微笑みを返す。


 次の瞬間、2人の少女の姿は地上から消えた。




 ルノーシェ城の地下に広がる迷宮。王のみが立ち入ることの許されたその最奥に、聖域はあった。

 白い猫人のアンジェに連れられてやってきた白亜の荘厳な祭壇を前にして、シンシアは溜息を吐いた。シンシアをこの場に連れてきた彼女も、緊張に貌を引き締めている。

 2000年という時の中でここに立ち入った眷属がいなかったために、シンシアはここに何があるのかを知らなかった。だから以前地下迷宮に落ちてしまった時に何故懐かしいと想うのか、解らなかった。

 今なら解る。この場に満つる濃密な力は彼女のそれと酷似したもの。夜を支配する、何処までも静かで穏やかな闇。

 シンシアはその中でも特に濃い力を放つ棺に気が付いた。水晶でできたそれの中で眠る女の貌。自分と同じ夜色の長い髪、自分と同じ面差しに、納得がいく。


「知っていると思うけれど、その中で眠っているのは正真正銘夜姫クリスフィアの聖骸。死した後もそうしてルノーシェに加護を与えているの」

「……このような所に、いらっしゃられただなんて」


 クリスフィアは娘が長じると、晩年姿を晦ませたとされている。その足取りは誰知れず、歌姫の中では永遠の謎とされていた。


「貴女は何故それを……」

「私の家は昔から王よりこの祭壇の管理を任されているわ。今は私がその管理者」


 自分と同じ年の頃に見える彼女の台詞に訝しみ、すぐに彼女が猫人であることを思い出す。彼女も見た目通りの年齢とは限らないのだ。


「ねえ、どうして私の家が神の愛娘の祭壇なんて管理していると思う?」

「…………?」

「クリスフィアの血を持つ者は、何も貴女だけではないのよ」


 シンシアの脳裏にフレイの姿が浮かんだ。彼以外に同じ血を持つ存在に、シンシアには心当たりがなかった。

 アンジェはくすくすと楽しげに笑う。


「さて、ここで問題です。クリスフィアの愛した方は誰でしょう?」


 シンシアは虚を突かれた。覗き込んでくる金と青の瞳には上位に立っているという愉悦に満ちていた。


「彼女の愛した方……?」


 膨大な記憶の奔流が怒涛のように駆け抜ける。

 始まりの神の一の姫、慈愛と安らぎを司る夜姫クリスフィア。穏やかな闇を纏う彼女が愛した唯一無二の存在。


「……テッド、でしょう?」


 神の夫であり彼女の父であった男とは反対に、闘いよりも数多の知識に通じた穏やかな気性の男だった。だが彼は娘が生まれる少し前に、事故に巻き込まれて亡くなっていた。

 そうシンシアが口にすると、アンジェは笑みを深めた。シンシアの隣に立ち、棺の中で眠るクリスフィアの姿を見下ろす。


「神を母に持つ彼女たちは、人とも魔族とも違う時を生きていた。神の目からすればあっという間の時でも、ひとの目から見ればとても長い時間よ。だから……彼女は見つけることができた」


 薄紅に色付いた可憐な唇が、にぃっと歪む。


「この世に再び生を受けた彼を」



 最初、シンシアは彼女の言う言葉の意味がわからなかった。

 魂は一種の力だ。この世界ではひとの想いや願い、祈りが寄り集まって肉体に宿ったものが魂とされている。実際にシンシアは子を望む夫婦の祈りを頼りに、新たに命が息衝く様を見たことがあった。

 いつの日にか肉体の老いと共にその想いは(ほど)けて世界に溶けていく。世界に満ちる力となり、吹き抜ける風となり、命を潤す水となる。

 それがこの世界における生けとし生ける全ての命の理。新たな命を育む力になることはあれど、歌姫を除いて転生することはない。


「嘘……だって、生まれ変わりは歌姫にしかない筈で……それも、精霊となる筈で……」

「それこそ歌姫の力よ。事故だと理解していても、全てを捧げると誓った唯一無二を失ってしまったのよ? ずっと心の奥で、彼女は再び彼と寄り添い合うことを望んでいたわ。その想いが、不可能を可能にした」


 そして彼女は再び彼に出逢い、2人は恋をした。


「再びこの世に生を受けた彼は魔族で、名前は違う上に以前の記憶もなかったけれど、それでもクリスフィアに惹かれ、子どもも生まれた……その子どもこそが、私の祖先よ」


 持っている彩は違えど、不可能を可能にする奇跡の歌を奏でる者。

 彼女の白い指先が、垂れていたシンシアの漆黒の髪を弄ぶ。


「では貴女は、自分が歌姫だと……そう、仰るのですか……?」

「貴女ほどの力はないけれどね」


 肩を竦め、アンジェは自嘲気味に嗤った。

 青い瞳が苛烈に煌く。白く細い指が不意に漆黒の髪を強く引いた。金に移ろうその瞳に呑まれていたシンシアは貌を顰める。


「――――ねえ、どうして貴女はあの御方のお傍にいられるの?」


 間近に迫る金の瞳いっぱいに映る自分の姿。そこに映る自分の瞳の色が、紅から黒に変わる。


「同じクリスフィアの血を引く、同じ歌姫だというのに。どうして貴女はあの御方に愛されて、どうして私は選んで貰えないの――――?」





歌姫は一途です。

だからシンシアは他にクリスフィアの血筋があるとは思っていませんでした。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ