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月に捧ぐ恋の調べ  作者: 白毬りりま
Ⅶ.綻ぶ熱
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ⅲ.



「……なんだこれは」


 自室に戻って来たオーディンは、目の前に広がっている光景に我が目を疑った。

 つい今朝まで何事もなかった筈の室内。しかし今は色取り取りのドレスが宙を舞い、その裾や袖の生地を大きく広げている。

 オーディンは半眼になると、すぐ目の前を花弁のように閃く淡い色のドレスを手に取った。視線を巡らせ、目的の少女の姿を探す。

 部屋の中央、空中に浮いて腕を組んでいたシンシアは主人の姿に気付いて貌を上げた。彼の前まで移動すると、床に舞い降りる。艶やかな黒髪が水の中で揺蕩うように辺りに広がった。


「お帰りなさいませ、オーディン」

「ただいま。これはどういう状況だ?」

「ユリアにお茶会にご招待いただきまして。ドレスを選んでおりました」

「茶会なら毎日しているじゃないか」

「いえ、そうではなく」


 シンシアは当の茶会は秋の花の咲く西の庭で開くこと、シンシアだけではなく、他の令嬢たちも招くことをオーディンに伝えた。

 最初は茶会を開くこと自体にはいつものことだと聞いていたオーディンだったが、他の令嬢たちも招くという言葉に思わず手の中のドレスを握り締めていた。皺になるとシンシアは慌ててドレスを彼の手の中から転移させる。


「ユリアより頂いたものですのに……」

「そんなことはどうでもいい」


 にべもなく言い放ち、オーディンはドレスの皺を伸ばしているシンシアの肩を掴んだ。きょとんとしている紅い双眸を見つめる。


「ついこの間正体も知れない何処ぞの誰かに毒を盛られたんだぞ? 少しは警戒心を持て」

「毒を盛るだなんて……可愛らしいものではありませんか」

「可愛らしいなどという発言が出る時点で既におかしい」


 そうでしょうか? シンシアは首を傾げた。オーディンは眉を顰める。

 元より常識からずれた言動の数々を見て来たが、ここまで酷くはなかったと思いたい。

 一方のシンシアは何故彼がそこまで苛立っているのか、よく解らなかった。更に首を傾げ、目を瞬かせる。


「オーディン」


 澄んだ声に惹かれて目を向けると、無垢な瞳がすぐ傍にあった。身長差を補うために宙に浮いた彼女の覗き込んでくる瞳は、深い夜空色。


「お忘れですか。私は歌姫です。たとえ何があろうとも、私の命を脅かすことのできる者はいません」


 たとえそれが神であろうとも。

 以前にも聞いた言葉に、オーディンは口を噤む。

 それは世界の理とも謳われる真実。彼女が望んで旋律を紡げば、世界は幾らでも彼女の願いを叶える。

 今ここで誰かが彼女に刃を向けても、彼女の命が消えるということはない。余程のことがあって歌姫としての能力が衰えたりしない限り、それは絶対だ。

 彼女は大きな双眸を細めた。


「可能なのは私が唯一無二と定めた者のみ……今現在、この私を手にかけることができる存在は、オーディン、貴方ただおひとりです」


 理性を蕩けさせる愛の言葉。潤む夜色の奥に覗く微熱を認め、オーディンは溜息を吐いた。くしゃりと、猫にするように彼女の漆黒の髪を撫でる。


 近頃、オーディンは彼女のことを猫ではなくひとりの女として認識させられることばかりだ。 

 それは今のように彼女が澄んだ瞳の奥に密やかで激しい熱をちらつかせる時であったり、些細な瞬間に見せる大輪の艶花の微笑を垣間見るときであったりする。

 彼女から歌姫であること、そしてそのことを明かす意味を教えられてから、どうも彼女を飼い猫として見ることが難しくなってしまった。かといって16になろうかなるまいかの少女に熱情を抱き、女として接することができるかどうか、微妙なところである。

 残念ながら数百年の時を生きて来たオーディンに少女趣味はなかった。


「むぅ……」


 シンシアは頬を膨らませた。乱れた髪を押さえ、唇を尖らせる。


「では、私が成熟した成人女性ならばよいのでしょうか?」

「少なくとも気が咎めたりはしないな」


 魔族は人間の子どもと同じように成長はするが、その後は皆総じて老い緩やかだ。止まっていると言っても過言がない程で、数十年ほどなら殆ど相貌が変わらない。

 シンシアの成長は後2、3年程で 止まるだろう。吸血鬼の目から見ればあっという間かもしれないが、今の彼女の感覚では少し長い。

 オーディンを誰かに譲るつもりはないが、もしもその間にシンシア以上に魅力的な女性が現れて、彼の心がその者に奪われるなどということは死んでも嫌だ。


「……20歳頃に眷属にして欲しかったものです」

「無茶を言うな。その間にお前は死んでいたぞ」

「ならば魔法で身体だけを成長させてしまうというのは如何でしょう」

「無闇に自然の摂理に逆らうな」


 強大な力を持つ魔王だというのに、オーディンの言動は何処か人間臭い。他の魔族であれば、必要であろうとなかろうと身体を弄ることもあるというのに。実験のために毒に耐性を付けているサンティがその一例だ。


 でも。シンシアは貌を綻ばせた。頬を赤らめ、それを隠すようにぎゅっと彼にしがみ付く。


「どうした?」

「……嬉しいの」


 強大な力を持ちながらも、力に溺れぬその精神。否、強大な力を持つからこそ、彼は力を持つ者としての自覚と責任を持ち、力なき者にも心を配る王であれるのだ。

 その精神は歌姫(シンシア)の想いにも通じていて。


「貴方に出逢えて本当に良かった……」


 たとえ、あの時死にかけていたシンシアを救ったのが彼でなく他の誰かであったのならば。彼女はこの想いを知ることはなかっただろう。

 何時の日にか、何処かで誰かと交じり、やがて生まれ来る歌姫に記憶と知識の全てを伝承させ、密かにこの命を終えることを想像していた。歴代の歌姫の中にただ義務的に子どもを産んでいった者とて決して皆無ではないと知った時から、漠然とそう思っていた。


「オーディン」


 力に溺れることも驕ることもない、強いひと。

 私の愛する唯一無二のひとよ。


「貴方だから、恋を知ることができた。貴方だから、これ程までも愛するということが嬉しいのだわ」


 大きな手が彼女の髪を撫でる。そのまま温かな手は彼女の輪郭をなぞった。

 シンシアはその手に己のものを重ねる。


「私は貴方と寄り添い合える存在でありたい。飼い猫のままでもいい、貴方の慰めとなりたい。永遠をかけて、私という歌を貴方に捧ぐわ」


 見下ろしてくる紅い瞳が楽しげに細められた。指先を絡め合い、額を合わせる。


「それでは大人になるのを楽しみに待つとしよう」

「それほど待たせはしません」


 たった2、3年。これからの永遠を想えば、瞬きにも満たないほんのひと刹那。

 それでも彼と共に過ごすのだと思えば、何処までも甘く貴重な時間だと想えた。





オーディンがいなければ、シンシアは適当なところで子どもを産んで、

隠居するつもりでした。


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