ⅱ.
「こちらは人間領の産業を纏めたものです。最近南東の国々で鉱山が見つかったようです。こちらは王族諸侯の素行を記したもの。公にできないことでも国交を開く上では重要かと思われますので、ちゃんと目を通しておいてくださいね。あと、この国とこの国で婚姻の話が上がっています。武器の取引があるみたいです」
次から次へと出てくる人間領の情報に、オーディンは半眼になった。
「よくもまあ、これほど集めたものだな」
シンシアは微笑すると、数十枚に渡る書類を机の上に纏め茶器の許に向かった。息抜きに茶を淹れてくれるらしい。アイボリーのシフォンドレス姿を目で追い、オーディンは書類の束を流し見る。
人間領と国交を持つために元人間であるシンシアに協力を仰いだのは彼の方だが、国の裏事情まで調べているとは思わなかった。滅多に人前に現れないとされる病弱で儚いと噂されるどこぞの国の王女が、実は凄腕剣士としてルノーシェで噂されているハーフエルフだという情報に、乾いた笑いが零れた程だ。
それらは全て、歌姫の能力により精霊たちに呼び掛けて集めて貰った情報だ。
「歌姫は神の末裔、か……便利だが慣れたりしたら怖いな」
強すぎる力を揮うことに躊躇いを持たなくなりそうだ。
彼女は目を伏せた。自嘲気味に嗤う。
「そう、ですね。確かに、私たちの力に狂う者は過去に幾人もいらっしゃいました。私たちの力で亡んだ国も、少なくはありません」
世界を安寧に導く存在だというのに、その力を求める者たちにより世界を歪めてしまったという真実。
その中で狂っていった歌姫の数は1人や2人ではない。かくいう彼女自身も、過去の記憶を想い出す度に感情というものが摩耗していった。
ですが。シンシアは顔を綻ばせた。紅い瞳が漆黒に煌く。
「ですが、王である貴方は力を持つ者として責任を持ち、その力を揮う覚悟がありましょう。力に驕ることのなく護るために尽くされる貴方を、私は愛しています」
何処までも純粋な笑みに他意はない。ふわふわと彼女の周りを精霊たちが楽しげに舞う。
「また何かわかり次第、お知らせいたしますね!」
彼女はいつもよりも赤みの強い茶を執務机に置くと、明るく破顔した。そのまま退出していく。
精霊たちが彼女の後について行くが、昔からシンシアと馴染みのあるという精霊の一柱が物言いたげに視線を投げかけて来た。だが何も言わずに去っていく。
急に静かになる室内。オーディンは人間領の資料を手に取った。ぱらぱらと流し見る。
最近、彼女の様子がおかしいと思う。キルトで王妃と王女の命が脅かされるという事件が起こってから、やけに働いているかと思えば急に静かになるということを繰り返していた。
彼女が入れてくれた紅茶を口に含み、眉を顰める。
「……調子でも悪いのか?」
今日の紅茶はいつもよりもほんの僅かに苦かった。
* * * * *
独りになった途端に、張り詰めていた糸がふつりと緩んだ。
部屋に戻ったシンシアは糸の切れた人形のようにソファにしな垂れる。
「…………」
細く、小さく、頼りない自分の手。数多のものを掴めるはずなのに、多くを手に入れることのできない手だ。
大切なものは幾度となくこの手をすり抜けて言った。
失うことを恐れて、手を伸ばさなかったりもした。
「――――でも、もう手放したくはない」
失いたくない。
この心が渇いてしまっても、この身体が朽ちてしまっても。
この命を賭してでも、守り抜きたい。いいえ、守り抜いて見せる。
漸く手に入れた幾つもの想い。
親愛。憧憬。友愛。信頼。――――熱情。
もう、手放したりはない。
シンシアは小さな手をぎゅっと握りしめた。
* * * * *
「お茶会を開きましょう」
暑さが少し和らいできて、風の中に秋の色が混ざり始めた頃。
ユリアの言葉に、思考の海に沈んでいたシンシアは目を瞬かせた。手の中にある白磁のカップを見落とす。
「お茶会、ですか? え、今しているのは?」
「お茶会はお茶会でも、わたくしたちだけでなく、他の令嬢の方々もお招きしますの。様々な種族の方がいらっしゃるから、わたくしたちにしては当たり前だと思われることであったとしても、好奇心旺盛で研究好きな蕾姫の仰るところの発見とやらがあるかもしれませんわぁ」
発見。その言葉にシンシアは思案した。
シンシアは基本オーディンたちの護りのある北の宮から出ることはない。と言うか、出させて貰えない。例外は図書館と南の宮にあるサンディの研究室のみ。しかも見張り付きで、だ。他の場所は魔族が闊歩しているため、あまり立ち入らないように言い渡されている。
歌姫と言うことを伏せて大半の魔力を抑制しているために、眷属として日常を過ごしているシンシアは魔族としては弱輩者の分類に入る。いくら吸血鬼であっても、元は人間。弱く脆い存在だ。
「見張りなしにうろちょろしないでくださいよ。はらはらしてこっちの寿命が縮む」とはよくシンシアを探しに来るフラウの言だ。
「お茶会ですか……」
オーディンに拾われるまで人間領で暮らしていたシンシアは、歌姫の記憶以外のルノーシェを知らなかった。クレクス河には結界が張られているため、魔族に会うということもなかった。
「……兎人とか」
「いましてよ。そう言えば子爵家にアンゴラウサギの耳を持った令嬢がいらっしゃられましたわぁ」
ふわふわの柔らかな毛並みを思い起こし、シンシアは頬を緩める。
その姿を見て、ユリアは密かに息を吐いた。
すぐ目の前にいて、声を交わして。それでいながら彼女の心は何処か遠くにあるかのよう。
シンシアが何を考えているのか、ユリアは知る術を持たない。近いようで遠くにある心を知りたいと思っても、彼女が明かさない限り知ることができない。
だからユリアは、せめてもと息抜きを提案するのだ。
甘い菓子を食べて、茶を飲みながら他愛もない話に花を咲かせる。部屋に籠って本を読んだり薬の調合に没頭するのもいいが、偶には装いや雰囲気を変えて新しい友人を作ることもいいことであろう。
「甘い春のお庭も素敵ですが、秋のお庭で楚々としたお茶会もよいのではないかと思いますの」
「そう、ですね。空も澄んで風も綺麗ですし」
同意を得られ、ユリアは笑みを零した。
「では早速、お招きするために招待状をしたためなくてはなりませんわぁ。お茶の準備とお菓子の準備もありますしね」
「何かお手伝いできることがあるのならば、どうぞ申して下さい。僅かながらお手伝い申し上げます」
シンシアの心が近くに戻って来たことに、ユリアは安堵する。一緒にいるというのに、心が離れるというのはとても寂しい。
シンシアがこの城に現れてから、ユリアを取り巻く環境は変わった。彼女が笑えば心が穏やかになり、誰もが笑む。数百年もの間抜身の刃そのもののようにいたオーディンでさえ、その鋭さが和らいだ。
子どものように無邪気に笑えずとも、誰一人欠けることなく皆が共に穏やかにあれるように。
そのためになら、幾らでも力を尽くそう。
ちょっと寝惚けてるので、
誤字脱字があったら連絡ください。




