ⅵ.
姉妹のお話。
キルトの中庭。季節の花と青葉が生い茂る中で、シンシアとアリアーヌは向かい合っていた。
今日は風がなく、外はとても蒸し暑かった。だがシンシアが魔法で周囲の気温と日差しを調節しているため、暑くはない。むしろ快適なくらいだ。
周りに他の者の影はない。アリアーヌが全て下がらせてしまった。何かあった時のためにそう離れていないところに控えているだろうが、防音の結界を張っているため声が漏れ聞こえることはない。
アリアーヌは何も言わず、静かにカップを傾けている。シンシアも、ぼんやりとカップに映る己の姿を見つめていた。
かちゃりと。アリアーヌがカップを置く音が響く。
「……一度、このように場を設けてお前と話をしてみたかったのよ」
シンシアは貌を上げた。ぼんやりと琥珀の瞳は虚空を見つめている。
「いつもいつもお父様に愛されているお前……何の後ろ盾もないのに、どうしてお父様に愛されているのか、意味がわからなかった……」
妹が父に愛されている様を見て、とても羨ましかったことを覚えている。
母の違う妹は幼心にも美しく、その上聡明であった。そう歳の変わらないというのに仕草のひとつひとつが洗礼されていて、珍しい黒い髪と瞳が人とは思えない程に神秘的で。
夜の姫君だ。そう、思った。
「完璧な王女になれば、お父様が愛してくださると思っていた」
それからというものの、アリアーヌは毎日のように努力してきた。
政を学び、国の様子を学んだ。ドレスや装飾品、話題の流行を先取りし、社交界では常に最先端にあった。厳しいと評判てあった教師の作法の授業も決して欠かすことをしなかった。
完璧な王女にさえなれば、父は愛してくれる。ただそれだけを思って頑張ってきた。
なのに、どれ程着飾っても、どれ程学を修めても、どれ程礼儀作法を身に着けても――――父は彼女よりも腹違いの妹の方を愛した。
「その時のわたくしの気持ちがわかって? お前は特に何をするわけでもなく、部屋に籠って母親に護られているだけで。わたくしは辛い授業も受けていて頑張っていたというのに、お前はのうのうとして……!」
悔しくて、理不尽で、言い表しようのない怒りが生まれた。
時折見かける彼女の姿が煩わしくて、心にもない言葉を言った。彼女を困らせたくて、意地悪をした。もともと母が彼女の母親を嫌って幾度となく嫌がらせを重ねていたため、それに便乗した形になった。
だが、王の寵姫が亡くなって、シンシアが城を去っても、父は妹のように彼女を見なかった。それどころか生きる気力さえ失って後宮に目を向けることさえなくなってしまっていた。
兄もいなくなったシンシアのことばかりを気にかけ、アリアーヌが話しかけても上の空だった。
その時のシンシアに対する嫌悪と――――見て貰うことのできない虚無。
どう足掻いても、シンシアには勝てない。悔しくて悔しくて――――哀しかった。
「……わたくし、一度お前たちの部屋に行ったことがあるの」
母の目を盗んで、近しい侍女だけ連れて。
「そうしたらどうなの。お前たちの部屋には何もなかった。ドレスも宝石も、何もかも。本当に人が生きていたのかもわからない程、冷たい部屋」
シンシアは苦笑した。母はあまりキルトにものを残したがらなかった。毒に侵されていずれそう遠くない未来に自分が死ぬことを覚った時から、歌姫に関わるものから簡単に薬の内容を書き留めたものまで。
『あの人が私に囚われてしまわないように。それに歌姫の存在が広く知られてはならない掟だもの』
動けない身であるメティスに代わって処分していたのがシンシアだ。贈られても仕舞われているだけだった宝石類は換金して信頼のできる者の経営する孤児院に寄付し、ドレスの類も密かに売っていった。
ただ、彼女はエディオから初めて贈って貰ったという琥珀の指輪だけは彼女の遺骸と共に埋められた。彼の瞳と同じ色だからと、彼女はその指輪をとても大切にしていた。
「私たちは、本来は王家に……いいえ、この国自体に関わることのなかったかもしれぬ存在です。それが王の前に現れ、私という存在が生まれました」
メティスの登場は闇に沈んだ国を救い上げ、民に光を与えた。だがその一方で彼女の存在は国の中枢にある者たちを掻き乱し、その死は王であり夫であるエディオの心に影を落とした。
「以前、貴女は私に仰られましたね。どうして私はお父様に愛して頂けるのか」
アリアーヌは顔を歪める。自分は愛されないというのに愛されている妹の姿が憎らしくて、愛されない己が身が悔しくて。どうして、自分は愛されないのか。思わず自分の想いを呆然と目を見開いた妹の前で吐露した。
「貴女の言葉を聞いて、本当に、私はこの世に生まれ出でてもよかったのか……幾度となく考えました。私のせいでお姉様が哀しまれるというのなら、早くこの国を出て、姿を晦ませてしまおうと」
「それで、いなくなったというの……?」
「いえ、お父様に愛されていようといまいと、元より7つになれば城を出るつもりでいました。お母様が側室でいらっしゃられなかったのは、庶子であれば私が城の外に出ることができると思われたからです」
王女であれば政の道具として政略結婚を強いられるかもしれない。歌姫は誰にも縛られない恋をする存在なのだからと、メティスは妾であることを望んだのだ。
王に愛されず狂っていく妃たちと王の子どもたちを見ることが辛かったシンシアは、母の想いを盾にして城を去った。本当は自分が辛いから、この国から逃げたのだ。
「貴女方は闘っていたというのに、私だけ逃げてしまってごめんなさい。庶子とはいえ貴女の妹として貴女を支えて差し上げなくてはならなかったというのに、何もできなくてごめんなさい」
頭を下げるシンシアに、アリアーヌは息を吐いた。
「それで、お前は今わたくしに頭を下げているというの」
「はい」
「確かにお前なら、わたくしたちを支えられたかもしれないわね。頭はいいし、お父様はお前の望みは何でも叶えようとしていたから」
づけづけと突き刺さってくる棘に、シンシアは黙って聞いていた。彼女の気が済むのなら、幾らでも受け止めよう。それが、逃げた今の自分にできること。
「無駄に綺麗だし、講義を受けているように見えないのに立ち居振る舞いは完璧だし。正直目障りだったわ」
「…………」
「でもね」
アリアーヌは目を閉じた。ずっとずっと、彼女の存在が憎かった。アウルレクスで再会した時、生きていると知って、怒りが湧いた。
でも。
「でもね……本当は、お前と姉妹でありたかった」
シンシアは貌を上げてアリアーヌを見つめた。さっと琥珀の瞳が逸らされる。
側室は数多いるが、妬み合いや憎しみ合いで王の子はカルティスとアリアーヌ、そしてシンシアしかいなかった。カルティスは王位継承者として日夜勉学に励んでいたため、年に数回顔を合わせたらよい方だった。
彼女には遊び相手として貴族の少女たちが宛がわれたが、『アリアーヌ』ではなく『王女』として接してくる彼女たちに息苦しさを感じた。
母がいい顔をしなかったから口にすることはなかったが、本当は同じ王の娘として、姉と妹として共に同じ時間を過ごしたかった。
「わたしが今までお前にした酷いことを、許してくれるのなら……お前が逃げたこと……許してあげてもよくてよ?」
何だか照れくさくていつものように声に張りがない。だが言いたいことは言ったと言わんばかりに、アリアーヌは腕を組んでそっぽ向いた。
「姫……」
「……お姉様とお呼び。シア」
白磁の肌が仄かに紅い。シンシアは思わず両手で口元を押さえた。
初めて、シアと呼ばれた。頑なに国名を冠さない名かお前としか呼ばなかった姉に、初めて。
視界が滲む。ぽろぽろと温かい雫が零れ落ちる。
「ちょっ――――シア!? 何泣いているの!?」
「い、え……うれしくって……」
ずっと凍り付いていたものが溶けていくかのよう。ドレスの上に幾つもの水玉が生まれる。
目の前にいるのは、父を同じくするたったひとりの姉。ずっと愛し、愛されたいと思っていた人。
「ありがとうございます、おねえさま……!」
子どものように嗚咽を漏らすシンシアに、アリアーヌは息を吐く。
「わたくしは姉だもの。お前はわたくしの妹。家族だから喜ばせるのは当然だわ」
「わ、わたしも……おねえさまに幸せでいてほしい、です……っ!」
「なら泣き止みなさい。正直泣かれるとどうしてよいのか困るわ」
シンシアはぐっと涙を堪える。頑張って堪えていたが溢れてくる涙に目を擦ると、今度は赤くなると怒られた。
「う……っ」
「変な顔。折角の美人が台無しだわ」
くすくすと笑うアリアーヌに、シンシアは目を瞬かせる。心から楽しそうな笑い声。ほっこりと温かい。
木々の狭間から青い風が駆け抜け、はしゃぐように2人と取り囲むようにして吹き抜ける。シンシアは笑みを零した。
10年以上の時を経て漸く、2輪の花は初めて寄り添うことができたのだ。
結構妹の方が可愛がられたり、我が侭言ったりして、
私はずっと羨ましかったです。
お姉ちゃんだからというところがあって、余計言いたいこと言えなかったり。
でも妹は妹で姉と比べられて今躓いていて。
ないものねだりなのかな。そう思ってみたり。
でも弟とは違って共有できるものがあるから、
妹いてよかったなって。
絶対言ってあげれない。




